2020年08月08日

手話覚えたいなぁ(白)

ろうの写真家齋藤陽道さんの『うたのはじまり』を以前ご紹介しました。
その後ずっとtwitterやnoteをフォローしています。

いつも気づきがあって、手話を覚えたくなります。日本語ですから。
表情がとても可愛らしい斎藤さんの手話を見てみてください。
https://inclusion-art.jp/archive/exhibition/2020/20200602-58.html  

ときどき子どもたちの手話や街で出会ったことを動画やイラスト(すっごく上手!本にしてほしい)で発信しています。そちらもぜひ。
#せかいはことば で検索してみてくださいね。
そのイラスト中で手話の動きに「しゅわわわ〜」「しゅわわわん」と書いていて、それがぴったり。聞こえない人の世界をちょっと教えてもらえます。(白)



posted by shiraishi at 16:19| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月05日

「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」

8月5日(水)
今日の会場は江東区民文化センター。午後から『夏少女』(1996)を観ました。昨年限定上映されていたそうです。知らなかった。
森川 時久監督・早坂暁脚本、桃井かおり、間寛平出演。早坂暁(あきら)さんが二度と悲惨な戦争を繰り返すなとの思いをこめて書かれた作品です。

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終了後のトークに鍋島惇プロデューサー、ミュージシャンの坂田明さん(映画に登場しています)。聞き手は共同通信社の立花珠樹さん。
映画にまつわる思い出話の中からいくつかご紹介します。脚本の早坂氏は遅筆で知られ、クランクインまでに台本はできず2,3枚ずつしか届かない。台本に合わせて少しずつ進めていき、取り終わって台本が完成したという…。

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鍋島惇プロデューサー

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立花珠樹さん

映画には原爆で死んだらしい少女が出てきます。主人公のマモルには見えますが、誰にでも見えるわけではありません。父には助けてやれなかったクラスメートに見え、母は放射能の影響が怖くて産めなかった子どもに見えます。夏の広島にはそんな子どもたちと、忘れられずにいる人たちがひっそりといるようです。少女には早坂氏の亡くなった妹が投影されているという坂田さんは、1945年2月生まれで大学までずっと広島でした。原爆ドームの中で鎮魂の曲を演奏するシーンがあります。普段立ち入り禁止ですが、特別に許可が出たとか。当時すぐそばで聴いていた鍋島さんは鳥肌がたったそうです。
即興なので、2度と同じのはできないんだ、といいつつ、トークの最後にアレンジ曲を演奏してくださいました。わー!

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坂田明さん

6日(木)江東区民文化センター
『愛と死の記録』
『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記録』ゲスト 宝田明さん
9日(日)日本橋公会堂
『誰がために憲法はある』ゲスト 渡辺美佐子さん


この映画祭、前は新藤兼人監督の特集映画祭で、今年名前を変えて赤字覚悟で開催したそうです。
クラウドファンディング目標額にはとどきませんでしたが、大変な時節に心寄せてくださった方々へ主催者じゃないんですが感謝。
https://motion-gallery.net/projects/showabunka

もっと早く知っていたらなぁ。でも新型コロナウィルスが…。
来年も開催予定だそうですので、じっくり広く宣伝してたくさんの方に来てほしいですね。

詳細はこちら
写真は全てオフィシャルです。

取材のブログに昨年の本誌102号に掲載した『誰がために憲法はある』渡辺美佐子さん、井上淳一監督、松元ヒロさんのお三方のインタビューを転載しています。原爆投下の6日、9日、終戦の15日が近づく今もう一度読んでいただければ嬉しいです。(白)
posted by shiraishi at 23:35| Comment(0) | 映画祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月26日

『剣の舞 我が心の旋律』 世界に離散したアルメニア人に思いを馳せる (咲)

小学生の頃から、運動会などで慣れ親しんできた「剣の舞」。激しく打ち鳴らされる木琴の音で始まる勇壮な曲を作ったのが、ハチャトゥリアンというアルメニア人だと知ったのは、おそらく20代の頃。
ハチャトゥリアンの代表曲のように記憶されている「剣の舞」ですが、実はソ連当局の圧力で、たった一晩で書き上げた曲だったことを明かす映画『剣の舞 我が心の旋律』が、7月31日(金)より新宿武蔵野館ほかで全国順次公開されます。

『剣の舞 我が心の旋律』

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監督・脚本:ユスプ・ラジコフ

*物語*
1942年11月29日、第二次世界大戦下のソ連。モロトフ(現ペルミ)に疎開中のキーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場では、10日後に初演を迎えるバレエ「ガイーヌ」の準備に追われていた。作曲家アラム・ハチャトリアン(アンバルツム・カバニン)が、祖国アルメニアを思い書き上げた演目だ。
文化省のプシュコフ(アレクサンドル・クズネツォフ)が上演前の検閲にやって来る。プシュコフは完成した「ガイーヌ」の結末を勝手に変更し、最後に士気高揚する踊りをダイナミックに入れろと命じる。プシュコフは、かつてアラムと共に学んでいたが、音楽の才能がなくて共産党に傾倒した人物。衣装も振付も間に合わない。皆が不可能と訴える中、アラムは理不尽な要求に立ち向かう・・・


配給:アルバトロス・フィルム
公式サイト
シネジャ 作品紹介
★2020年7月31日(金)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

ハチャトゥリアンは、「オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を世界が傍観してファシズムが台頭した。無視しなければ、ユダヤの虐殺も防げた。このことを入れ込みたい」と語りますが、プシュコフは「今やトルコはソ連の友好国。昔のことは忘れろ。百年もすれば誰も覚えてない」と一蹴します。思いを直接には書けないと悟ったハチャトゥリアンは、プシュコフを満足させつつ、アルメニア人としての怒りや悲しみを根底にした曲を一気に書き上げたのです。

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c 2018 Mars Media Entertainment, LLC, DMH STUDIO LLC
映画の中で、回想場面として出てくる1939年のアルメニア訪問。アルメニア人の心の拠り所であるアララト山を眺めながら、老人が語りかけます。「25年前に先祖の墓も家も捨てて、砲弾の中、泣く泣く故郷をあとにした。あの山で死んだ者の分まで生きねば。忘れなければ、世界を腐敗から防げる」

ノアの箱舟が大洪水の後に流れ着いたとされるアララト山。今はトルコ共和国に所在しますが、かつてはアルメニア人の居住していた「大アルメニア」の真ん中に位置していた山。
アルメニア側からみると、大アララトが右側、小アララトが左側。山の向こうの東トルコのヴァン湖の側から見れば、逆になります。
ハチャトリアンが大雨の中、アララト平原を走っている時に、運転手が「これはヴァン湖の雨。聖なる水」と語りかけます。アララト山の向こうの故郷に思いを馳せる言葉に心を動かされます。
ハチャトゥリアンは、このアルメニア滞在で、祖国を追われたアルメニア人の苦悩を生涯のテーマにして世界に伝えたいと誓うのです。それはアルメニア人に限らず、全人類が平和に暮らせるようにとの願い。

アルメニア人が故郷を追われたのは、この20世紀初頭のオスマン帝国によることよりも、ずっと遡ります。12世紀に東ローマ帝国によってアルメニア王国が滅ぼされ、アルメニア人は世界中に離散。アルメニア人の6割は今のアルメニア共和国以外の場所で暮らしています。

ハチャトゥリアンは、1903年5月24日、ロシア帝国支配下にあったグルジア(現ジョージア)のティフリス(現トビリシ)でアルメニア人の家庭の4男として生まれています。
ハチャトゥリアンの祖先がいつグルジアに移住してきたのかは不明ですが、1915年から1916年にかけて東トルコの地を追われて命からがら逃げてきたアルメニア人の姿を、ハチャトゥリアンは子どもの頃に目の当たりにしているに違いありません。

私が初めてアルメニアに接したのは、1978年に訪れたイランのエスファハーンのジョルファ地区にあるヴァーンク教会(1605年創建)でのことでした。なぜ、ここにアルメニア人のコミュニティーがあるのか、あまり深くは考えませんでした。後にまたイランを訪れた時に、テヘランのアルメニア人宅を訪ねたことがあります。家ではアルメニア語で話していて、子どもたちは学校ではペルシア語で学ぶけれど、アルメニア語は別に学ぶ場所があると言ってました。その一家も、イスラーム政権下では、暮らしにくいのか、今はカナダに移住してしまいました。
それでも、イランにはまだちゃんと使われているアルメニア教会がいくつかあります。
テヘランのアルメニア教会に連れていってもらった時、アルメニア人の友人が入り口手前の碑の前で黙礼していて、何かと尋ねたら、アルメニア人虐殺への祈りでした。
トルコ国境に近いところにある黒の教会とも呼ばれる聖タデウス修道院を訪ねた時、今はひっそりとしているけれど、1年に1回、世界中からアルメニア人が集まると聞きました。

黒の教会にも近いトルコ国境のそばにある町マ―クーの町はずれからは、アララト山を眺めました。大アララトが右側、小アララトが左側に見えました。2005年のことでした。
翌年には、東トルコを旅して、トルコ側からアララト山を眺めました。
東トルコでは、各地で立派なアルメニア教会をいくつも観ました。観光用に整備された教会以外は、どこも廃墟になっていました。

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一番ショックを受けたのは、ヴァン湖近くの丘の上から眼下を眺めた時に、広大な森の中に大きな教会の廃墟二つを見たときのことでした。家は森に埋もれて朽ちていましたが、教会だけが、そこにアルメニアの人たちが暮らしていた証として存在していました。

東トルコの旅:スタッフ日記2006年9月第2週 2006/9/10(Sun)
http://www.cinemajournal.net/diary/2006.html#saki_turkey


最後に、オスマン帝国によるアルメニア人虐殺を描いた映画で、私が観たものを挙げておきます。

◆『ナーペト』
(ヘンリク・マリャン監督、1977年、アルメニア)
1920年代初頭に一族すべてを大虐殺で失った家長のナーペトがアララト谷の村にたどり着き、 やがて、やはり虐殺で家族を失った女性を娶り、心の平和を取り戻す話。
「アルメニア・フィルム・セレクション」(2006年8月開催)の中で上映されました。
http://www.cinemajournal.net/review/2006/index.html#armenia

◆『アララトの聖母』
(アトム・エゴヤン監督、2002年、カナダ)
アルメニア人の映画監督エドワード・サロヤンは、画家アーシル・ゴーキーの絵画をモチーフに、アルメニア人虐殺の悲劇を映画化を企画する。
サロヤン役をアルメニア人のシャルル・アズナブールが演じている。

◆『消えた声が、その名を呼ぶ』
(ファティ・アキン監督、2014年、ドイツ・フランス・イタリア・ロシア・ポーランド・カナダ・トルコ・ヨルダン)
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/431438237.html
トルコではタブーとなっているアルメニア人虐殺を背景に、ドイツ移民のトルコ人監督ファティ・アキンがタハール・ラヒムを主役に描いた映画。
喉を切りつけられて声を失いながらも、奇跡的に生き延びた男が、娘たちが生きていると耳にして、レバノンからキューバ、そしてアメリカのミネアポリスへと娘たちを探す果てしない旅に出る。


◆『THE PROMISE/君への誓い』
(テリー・ジョージ監督、2016年、スペイン・アメリカ)
第一次世界大戦中の1915〜16年にオスマン帝国統治下で起こったアルメニア人の悲劇を背景にした4人の男女の友情や愛憎を描いた壮大な物語
監督インタビュー
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/456646172.html

posted by sakiko at 19:09| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月25日

「熱中!フィリピン映画」ご紹介

掲示板時代からご縁が続いている「電影風雲」(当時の同人誌名 香港映画に燃えていたころ)のよしだまさしさんが、今月フィリピン映画愛の詰まった個人誌を発行しました。表紙カラーです(シネジャはやりたくてもできない)。
毎年映画祭でフィリピン映画の上映時、マニアックな質問をしてゲストを喜ばせている方、といえばわかるかも。

今日届いたばかりで、まだ10pほどしか読めていません。中身びっしりなので楽しみに読み進めるつもり。
申込みはこちらから。

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CONTENTS
はじめに___________ 4
フィリピン映画興収ベスト10___________ 6
フィリピンの映画人:キャシー・ガルシア・モリーナ__________ 29
フィリピンの映画人:ウェン・V・デラマス__________ 45
デラマス映画祭企画案__________ 51
スーパーヒロイン登場:Darna__________ 55
フィリピン版ヒロイックファンタジー:Ang Panday__________ 64
フィリピン映画を観る方法__________ 71
イベントレポート:【Miss Granny】上映会__________ 84
フィリピン映画:人名の読み方__________ 97
フィリピン映画アラカルト_________ 101
フィリピン映画レポート_________ 119
フィリピン映画豆知識:製作本数____________ 44
:家族________________ 63
:ラブチーム__________ 70
:アスワン___________ 100
あとがき_________ 121

A5サイズ124ページ。
頒価:送料込み1000円。
posted by shiraishi at 22:41| Comment(0) | 日々のできごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月24日

旧満州での悲劇『葛根廟事件の証言』横浜と秩父で上映されます  (咲)

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2019年12月26日に池袋シネマ・ロサで観て感銘を受けた『葛根廟事件の証言』。(スタッフ日記ご参照ください)
上映後に田上龍一監督と立ち話をした折に、今後、各地で上映予定ですとおっしゃっていたのですが、この度、田上監督より横浜シネマリンでの公開と、秩父での上映会のご案内をいただきました。

*田上監督より*
拙作が、今度横浜で上映されることになりました。同じ時期、14日には秩父で自主上映会もあります。
横浜シネマリンは、8月の終戦記念日の前後に戦争に関する映画を多く集めてスケジュールを組んでいます。
これだけ戦争映画を集めるミニシアターもなかなかないと思います。拙作のような小規模な作品にも目をかけて下さるくらいですので。
横浜シネマリンでの「葛根廟事件の証言」の上映は、都外の映画館では初めてです。

◆横浜シネマリン
2020年8月8日(土)、10日(月)〜14日(金) 
※9日の上映はありませんのでご注意下さい。
https://cinemarine.co.jp/coming-soon/

◆秩父教育会館での上映会
2020年8月14日(金)10:30〜、14:00〜
映画「葛根廟事件の証言」上映会
満蒙開拓団として渡満し、終戦後に引き揚げられた高橋章さんをゲストに迎え、体験を語っていただきます。
入場料:1000円
秩父教育会館(埼玉県秩父市中宮地町22-17)
〈主催〉秩父ユネスコ協会 
TEL:090-5328-5786 (江田)
メールアドレス:nobuo.eda@gmail.com

『葛根廟事件の証言』
終戦前日の1945年8月14日に、旧満州から引き揚げ途中の日本人一行が、興安総省の葛根廟付近で、旧ソ連軍の戦車隊の襲撃にあい、1,000人以上が殺された事件。犠牲になったのは、ほとんどが女性や子ども。事件のことを知った田上監督が数少ない生き残りの方たちを訪ねて証言を集めて映画にしたもの。
公式サイト

旧満州で暮らしていた日本人の方たちの悲劇は数多く聞いてきましたが、経験者の言葉は、やはり胸に突き刺さります。
当時を知る人たちがどんどんあの世に旅立っていく中、証言を集めるのは時間との勝負。満州に限らず、各地での状況をきちんと記録することは、日本が二度と戦争に突き進まないために必要だと感じます。

明日7月25日(金)より公開される『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』も、地上戦を経験した沖縄の人たちの証言を中心に、日本の軍国主義がもたらした悲劇を紐解いています。
ナレーションを務めた一人、俳優の宝田明さんは、1945年にソ連軍が侵攻してきた満州で弾を受け、麻酔なしに弾を取り出したという体験をお持ちです。

◆『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』
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監督:太田隆文
1945年3月、米軍が沖縄に上陸。
本土決戦準備の時間稼ぎのために沖縄は捨て石にされ、14歳以上70歳まで男女全員が徴用され、戦闘協力を強いられた。
日本軍のことを沖縄の人たちは友軍と呼んでいたが、日本軍は食糧を奪ったり、壕に一緒にいると、泣いている赤ちゃんを母親に殺させたりした。軍隊の本質はどう戦うかで、住民を守ることは考えていなかったのだ。
さらに、集団強制死(集団自決)が起こったのも、民間人と軍が一緒にいた壕でのことだった・・・
2019年/105分/日本
制作:青空映画舎
配給:渋谷プロダクション
製作:浄土真宗本願寺派(西本願寺)
公式サイト:http://okinawasen.com/
★2020年7月25日(土)より新宿K’s cinemaにてほか全国順次公開





posted by sakiko at 13:11| Comment(0) | 映画上映情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする