1997年、夏。北海道幌加内町朱鞠内(しゅまりない)。
日本・韓国・在日コリアンの若者たちが、戦時中の雨竜ダム建設、名雨線・鉄道工事で命を落とした強制連行、強制労働の犠牲者の方々の遺骨を発掘し故郷に届けようと「東アジア共同ワークショップ」が始まる。
現在もそのワークショップは続いている。
監督 影山あさ子・藤本幸久 全5章/9時間9分
※藤本幸久氏は8時間14分の大作ドキュメンタリー
『アメリカ―戦争する国の人びと』の監督さん。そして、北海道新得町で
「shintoku空想の森映画祭」監督ご自身が主宰されている。
『笹の墓標』第一章「朱鞠内(しゅまりない)」(114分)
1997年、北海道幌加内町朱鞠内。戦時下に行われたダム工事と鉄道工事の犠牲者の遺骨を発掘しようと日本と韓国そして在日コリアンの若者たちが集まり、4体の遺骨が発掘された。
ここで彼らは初めて出会い共同作業をした。
15年も前からこの発掘作業が若者たちの手によって行われているとは全く知らなかった。
北海道幌加内町朱鞠内を調べて見ると、日本一「人口密度が低く」「国内最低気温」の地。
朱鞠内はアイヌ語で「石、高い、川」という意味。
そして、日本のタコ部屋労働者のほか、強制連行された朝鮮人、中国人の極めて劣悪な労働環境だったことも記されていた。
発掘作業に入るまでに測量、背丈までのびている雑草を刈り取る。
だが、いざ掘ってみるとすぐに骨が出てきた。冬場は凍てついた地であったから深くも掘れなくて無造作にまとめて投げ入れたようだった。
バラバラになった骨とキセル、印鑑、金歯、入れ歯、哺乳瓶、などが出てきた。
韓国、在日コリアンの若者たちが、日本の若者にアンケートを配ったのが発端になって口論となり揉めたが、ここの場にきた日本の若者は全てわかって来ているはずなのに、なぜアンケートを書かすのかと疑問に思うのは当然だろう。
約65年ぶりで陽の光りをみた遺骨に、立場は違っても一人一人頭をたれることによって「わかりあえる」はずだ・・・と思うのは甘いのだろうか。
『笹の墓標』第二章「浅茅野」(98分)
北海道猿払村浅茅野(あさじの)。2006年から2010年まで、3度にわたる旧日本陸軍飛行場滑走路建設工事犠牲者の遺骨発掘が行われた。
考古学たちの参加もあって丁寧に作業され、39名の遺骨が発掘された。
劣悪な環境の中でも日本人には穴を深く掘って寝かせて埋葬されていたが、朝鮮人労働者の遺体は半分に折ってあったり、座らせていたり、何体がまとめて埋められていた。
この場所に、当時働いていた朝鮮のご老人がじっと作業を見つめておられたが、
その胸中はどんなものだったろう。
『笹の墓標』第三章「遺族」(109分)
遺骨を遺族に返したい。手がかりを求め、遺族や強制労働の体験者たちを訪ね歩く若者たち。長い道のりを経て、4体の遺骨が韓国人遺族へ返還されることになった。
韓国の地方都市でやっとめぐり合えた遺族の方々の涙は、戦後65年以上が過ぎた今でも癒えることのない悲しみが伝わってきた。
遺骨を持ってきた若者に土地の老女は連れ去られた状況を涙ながらに話していた。
『笹の墓標』第四章「未来へ」(121分)
97年以来、毎年、夏と冬のワークショップが続いている。そこに毎年参加している若者たちは、それぞれの国で生きていく場所を見つけようとしている。
在日の北朝鮮籍の青年は留学したいが、大学に願書を提出すると「パスポート」が必要で
パスポートを申請しようとすると「入学の証明」が必要と言われ、その矛盾を辛そうに語っていた。
『笹の墓標』第五章「私たち」 (107分)
2012年夏。炭鉱で働かされ、人知れず闇埋葬された犠牲者を発掘するため、北海道芦別市に遺骨発掘に集まった若者たち。かつての若者たちもお父さんになったり、家族が増えたりして再会を喜んでいた。
15年の月日は若者たちの成長の歴史でもあり、そして未来へ受け継がれる「平和」の基となっていくに違いないと感じた。