2015年03月11日

3.1ビキニ記念のつどい『わたしの、終わらない旅』上映会&トークショー

2015年2月28日(土)夢の島公園内にある東京スポーツ文化館で「3.1ビキニ記念のつどい」が開催され、公開直前の『わたしの、終わらない旅』の上映会が行われ、その後、坂田雅子監督と、マーシャル諸島の人々を長年取材してきたフォトジャーナリスト豊崎博光さんのトークショーがおこなわれた。
坂田雅子&豊崎博光さん.jpg
坂田雅子監督&豊崎博光さん


主催:第五福竜丸平和協会
協賛:ビキニふくしまプロジェクト
協力:潟Vグロ

1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験により、遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」ほか、たくさんの日本の漁船が被曝してから61年を迎えた。2月28日に開催された「記念のつどい」で、ビキニでの水爆実験後の島民の人たちの実情を語り、核廃絶の必要性をあらためてかみしめた。

核兵器、核実験という、核利用による歴史に翻弄された人々の現状を記録するドキュメンタリー映画『わたしの、終わらない旅』は、アメリカの水爆実験で土地を汚染され、故郷を奪われたビキニやカザフスタンの住民らを取り上げたドキュメンタリー作品。『花はどこへいった』『沈黙の春を生きて』で枯れ葉剤被害を追った坂田監督は、福島第一原発の事故の深刻さに不安を抱いた坂田監督は、亡き母が遺した「聞いてください」と題された本を手に取った。それは長野県須坂市に住む母が1977年から続けていた原発を問う、「聞いてください」という手書きガリ版刷りのミニコミ紙をまとめたもの。
亡き母が約40年前に始めた反原発運動の意義に改めて思い至った監督は、フランスのラ・アーグの核再処理施設や、大規模な核実験が行なわれたマーシャル諸島(ビキニ島を含む)、カザフスタンのセミパラチンスクを旅し、核で故郷を追われた人々、いまも汚染された海や大地で暮らす人々を見つめた。

豊崎さんの作品に対する感想、「この作品がすごいのは、監督のご家族の歴史と核の問題がつながっている点。ラ・アーグ対岸に住むお姉さんの状況(日本の原発の廃棄物が処理されている)が、お母さんの反核運動のきっかけになり、監督の夫であるグレッグさんもジャーナリストとしてマーシャル諸島で写真を撮っている。現場は違っていても繋がっているという稀有な事情が、この作品を作らせたという事。ラ・アーグと福島も繋がっている。ラ・アーグは日本の原発の使用済核燃料を再処理してMOX燃料を作り、それが福島第一原発3号炉に使われたといわれています」と話すと、坂田監督は「母がミニコミ誌を作っていた時は、そんなに気にしていなかったけど、福島の事故で目覚めたという感じです。要するに、世の中すべてのものが繋がっている。何がわかるかわからないけど、福島の原発事故に触発されて、なにがどうなっているんだろう、とにかく知りたい、目の前にある見えないものを取り払いたいと旅をして話を聞いたんです。映画を作り始める前に比べて少しは見えてきたけど、でもまだまだ知らなければいけないことはたくさんあるということで、『終わらない旅』と名づけたのです」と語った。
ビキニの集い 坂田雅子監督.jpg

『わたしの、終わらない旅』は3月7日よりポレポレ東中野で公開中、全国順次公開
公式サイト http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/

豊崎博光さんは、長年核実験、放射能に関する取材をしてきた方。特にマーシャル諸島や、ロンゲラップなどを撮った写真集などを見ると、そこに住む人々の姿が写しだされ、被害が一目瞭然。他にもあちこち取材してきて、こういう実情に精通している方。いろいろなところの状況を話されたが、マスコミはそういうことを全然報道していないなとつくづく思い、目からうろこでした。
ビキニの核実験のことは、人々の記憶のかなたになっていたけど、数年前に『放射線を浴びた[X年後]』が公開され、改めてクローズアップされてきた。
核というのは「平和利用」というオブラートで隠されているけど、核兵器も核実験も原発も、「放射能」ということを抜きには語れない。(暁)


<〜ビキニ事件、第五福竜丸以外の被災船と被災漁民について考える〜>トークショー
http://www.cinemajournal.net/special/2012/bikini/index.html
posted by akemi at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする