めっきり春めいてきましたが、イランが新年を迎える春分の日も、もうすぐです。
イラン暦では太陽が春分点を通過する瞬間に新年を迎えます。
今年の新年(イラン歴1394年)を迎える時間は・・・・
テヘラン 西暦2015年3月21日(土) 午前2時15分11秒
東京 西暦2015年3月21日(土) 午前7時45分11秒
天文学的に秒まで計算して発表されることに驚きます。
手帳やカレンダーにも、ちゃんと時間を掲載して売り出されます。
あちこちのWebサイトに、世界各地でノウルーズを迎える時間を掲示していたり、新年までのカウントダウンをしたりもしています。
http://www.7seen.com/ ここのページ、なかなか綺麗なのでご紹介!
という次第で、今年は真夜中に年が変わりますが、年によって、昼間になったり夕方になったりします。どんな時間であろうとも、家族皆でその時間を待ち構えてお祝いするそうです。
パナヒ監督の『白い風船』では、ラジオから新年まであと何時間何分・・・とバックにずっと流れていて、まだ明るい時に新年になります。実は、この映画を観た時に、まだ新年を迎える瞬間というのを知らなかったので、すごく不思議な感じがしました。
ちなみに、新年を迎える春分の日の前の水曜日(つまり、一年の最後の水曜日)は、アスガル・ファルハーディ監督の『火祭り』の原題である「Chaharshanbe Suri」を行う日。水曜日(Chaharshanbe)の夜(夕方に日が変わるので、日本の感覚だと、火曜日の夜)に、火の上を飛んで無病息災を願う行事です。イスラームの入る前の、ゾロアスター教の頃から続く行事だといわれていて、革命後、政府がイスラーム的でないと禁止したのですが、国民から伝統を大事にしろと文句が出て、数年前に合法化されました。日頃のうっぷんを晴らすがごとく、年々派手になって、花火や爆竹も登場するようになり、在イランの日本大使館も「外出注意」を出すほど。
パナヒ監督の『これは映画ではない』も、この日の出来事で、外では爆撃の音が・・・と、間違った解釈をしている方がいました。
その国の事情を知らないで映画を観て誤解することはままあることですが、今回、フィルムセンターでの特集で『火祭り』を観た方がこんなことを書いていました。(一部抜粋して引用)
***
『火祭り』の後の『彼女が消えた浜辺』(09)を見た時に、語りのうまさには引き込まれながら、登場人物たちが美男美女でみんな裕福でバカンスを楽しんでいる様子がどこか引っかかった。ちょうど中国政府が推す中国映画で、いかにも中国は進んでますよと見せられる感じと近いものがあった。
『火祭り』はそれほどでもないが、それでも舞台となる家庭はかなりぜいたくだ。オートロックで外部の人間は入りにくいし(それが映画の鍵となる)、なによりその家族のアパートメントがたぶん200平米はゆうにある。
*** (引用終わり)
『火祭り』に出てくる住まいは、イランの中流階級の平均的な広さ。富裕層の家はもっと広い! イランの集合住宅でオートロックは昔から当たり前。(壊れていることもままあります!)
『彼女が消えた浜辺』の登場人物も決して富裕層ではなく、中流階級。親戚や友達と誘い合って休暇に別荘を借りて過ごすのは、イランの人たちの普通の姿。
アジアフォーカスで上映された時にも、上映後に、登場人物は富裕層だと思ったという感想を述べた人がいました。監督は、「普通のクラスの普通の生活を描いています」と、私のインタビューの時にも明言しています。
http://www.cinemajournal.net/special/2010/about_elly/index.html私がイランで訪れた友人たちの家も皆、広くて、絨毯を敷き詰めた部屋の片隅に食卓があって・・・という感じ。広々した絨毯の上に食布を敷いて大勢で食べたりもできる! なんといっても皆で集まるのが好きな人たちですから。(特に、革命後は外で男女一緒に騒ぐことができないので家で集まるのは気楽) カーテンや調度品なども、とてもおしゃれで、見た目にはとても優雅な暮らしに見えます。経済制裁などで、ほんとは色々大変かもしれないけれど!

これも広い応接間の片隅!
最初に日本で公開されたイラン映画の多くが、どちらかというと貧困層や田舎を舞台にしたものが多かったので、日本に住むイラン人たちも、「どうしてこんな映画ばっかり公開するの?」と嘆いていました。それでも、マジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』では山の手のお屋敷も出てくるし、『すずめの唄』でも、中流家庭のアパートメントが出てきて、貧富の差を見せています。
アフマディネジャード大統領時代には、映画製作にも何かとイチャモンがついて作り難かったようです。1年間に作られたイラン映画が出品されるファジル映画祭にも、イラン人の友人いわく「クソみたいな映画しか出てこなかった」そうですが、大統領が変わって、今年のファジル映画祭では、ベテラン監督から若手監督まで、素晴らしい作品が目白押しだったとのこと。
実は上記に引用した感想を書かれた方が、「先日のベルリンでは、映画製作と国外への渡航を禁じられているジャファール・パナヒの映画が金熊賞を取ったが、イランの監督はみな危機的な状況にある。アッバス・キアロスタミもモフセン・マフマルバフもバフマン・ゴバディもみんな海外に住んで、多くは外国資本で映画を撮っている」とも書かれていたのですが、確かにそういう状況もあるけれど、イラン国内で色々と制限のある中で素晴らしい映画を作っている監督も大勢いることも知ってほしいなと思う次第です。
posted by sakiko at 11:36|
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