鎌仲ひとみ監督と絵本作家五味太郎氏のトーク
2015年3月9日 イメージフォーラムにて
『小さき声のカノンー選択する人々』は、『六ヶ所村ラプソディー』『ミツバチの羽音と地球の回転』の鎌仲ひとみ監督最新作。
3.11から4年。福島とチエルノブイリ ベラルーシ、国境を越えて「被曝」から子どもを守る母たちを描いたドキュメンタリー映画『小さき声のカノンー選択する人々』上映後に絵本作家の五味太郎さんを招き辛口トークがおこなわれた。五味太郎さんは400冊もの絵本を出版された絵本作家。
この作品では、いろいろな事情で福島の地を離れるわけにはいかない子どもたちもいることを伝え、福島とチェルノブイリの原発事故(1986年)後のベラルーシを訪ね、「被曝から子供を守るために」行動を起こした母親たちの闘いを追う。その中でも子どもたちを被曝していない地に滞在させる「保養」という形は、チエルノブイリ以降行われているもので、かなり子どもの健康に役立っていると語る。
二人のトークは「学校に行かないという選択肢もあるのでは?」という話で盛り上がった。
きっかけは、映画の中で、保養に行った後「学校が始まるから帰って来ざるを得なかった」という福島のお母さんの発言に対して、「えっ!何で? 帰ってこなきゃいいのに。学校行かなくてもいいじゃない。安全かどうかまだわからないのになんで行くの?」と言ったら驚かれたんです」と監督が言っていること。
「学校に行かなきゃいけない」と思うことと、「学校に行かないこと」について、また学校での過ごし方、先生、親の対応について、それぞれの学校時代の話が交わされた。
また、下記のような会話が展開された。
五味氏「動いてから考えるか考えてから動くか。理念とか考え方っていうのは、頭を使って判断していると遅れてしまう。勘で動くのがいい。体育会系がいいのよ。体が動いてから考えるっていうのがいい。それが私のやり方。
物語と真実って、そんなに分けないほうがいいんだよ。ドラマティックなドキュメンタリーがあれ、ドキュメンタリックなドラマであれ、観る側からすれば両方ともエンターティメントだもの」
監督「作為というか、400時間撮ったものを2時間に絞っていくというわけだから、選択があるわけです。現場に行ってカメラが回っている時に撮りたいものが撮れたらそれでいいという非効率的なやり方をしているのですが、作為とか真実とか物語という区分はあまりないんです。私自身が、そこで何が起きていて、お母さんたちが、この被曝の状況の中、子どもとどうしているのかな、どういうことに苦労しているのかな。その乗り越え方をみたいと思って行ったんです。でも、福島は撮影させてくれる人ってあまりいないんです。だから、ここに出ていただいた人たちは貴重な人たちなんです」
五味氏「チェルノブイリの事故は福島と違って人口密度の低いところで起きた。避難についても移動できる場所があった。ベラルーシの人たちは、歴史的背景なのか、国家と国民との関係というのが日本とは基本的に違う。国の責任なんていう習慣がないんだよ。民間が動くしかないんだよね」
監督「最初は民間で動いて保養を始めたのですが、今は国家がやっています」
五味氏「民間が動くとしょうがないから国家も動く。もしかして理想の形なんですよね」
監督「日本もそうしたらどうかと思うんです」
五味氏「そう思うよ」
監督「日本は、本来、保養を国家予算でやる財力とか経済力はあると思うんです。ベラルーシはもっと貧しい国だけど、10万人の人をもう29年も保養をやり続けているんです。もっとも国がやると強制という懸念もあるので、企業、自治体、市民のグループが一緒になって、子どもにとって自由な、行って楽しいと思える保養を展開していけたらいいんじゃないかなと思います」
監督「この事故があって、お母さんたちはどうしたらいいか最初はわからなかったけど、これしたらいいんじゃないか、あれしたらいいんじゃないかと、誰に頼むんでもなく自分で考えて動くというということをやり始めたから、そこがいいと思ったんですよ。誰かに頼るということなく、自分たちで動くということ。そこの部分の力がまだまだ眠っているんじゃないかと思っているんです」
五味太郎さんはイランの映画が好きで、その中でもアボルファズル・ジャリリ監督の作品が好きと語っていました。またファルージャの映画祭に招かれたこともあるそうです。
『小さき声のカノン』は渋谷・シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開中
公式HP http://kamanaka.com/canon/