2016年01月31日

『いしゃ先生』を観て、疎開先の無医村で亡くなった祖母を思う (咲)

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29日、父と一緒に『いしゃ先生』を観てきました。
シネジャの白さんが、榎木孝明さんが出ていると教えてくれて、さらにチケットを2枚くださったので、さて誰を誘おうと思って調べてみたら、「昭和初期、無医村の山形県大井沢村に実在した志田周子(ちかこ)の生涯を描いた感動物語」とのこと。父の兄が戦後数年、山形県高畠で医者をしていたことがあるので、これは父と行くしかないと!  

志田周子さんは、東京で医師免許を取って2年ほど経った頃、父親からの電報で故郷に呼び戻されます。大井沢村の村長だった父親は、医者のいない村に周子さん名義で診療所を建てる許可を得て、すでに建設を始めていたのです。3年だけという約束で村に残りますが、結局は51歳で短い生涯を閉じるまで村の人たちのために医師として務めあげます。

観終わって食事をしながら、父が色々なことを話してくれて、私が思った以上に映画を観て思い出したことが多々あることがわかり、感無量でした。
山形県高畠で開業医をしていた伯母の兄が亡くなり、軍医をしていた伯父がピンチヒッターで高畠に赴いたのは、昭和21年3月。父の両親や妹は祖父の故郷である島根県の山間部の澤谷に疎開し、戦後もまだそこにいたのですが、伯父の引越しの手伝いで祖父と叔母は山形へ。大学の春休みで父が祖母と二人でいたのですが、祖母が急に具合が悪くなり歩けない状態に。澤谷は無医村で、父は医者のいる浜原まで約10キロの道を歩いて往診の依頼に行ったのに断られ、ちょうど村に復員した軍医に診てもらったところ腸チフスと診断され、家中を消毒されたそうです。数日後、祖母は亡くなり、山形から駆けつけた伯父はどうみても腸チフスではないと。ちゃんとした医師に診てもらうことができたなら、命を落とすことはなかったかもしれません。疎開先で気苦労があったことも命を縮めたのではと父は言います。戦争さえなければ・・・と、悔やまれます。

いしゃ先生が開業しても、村の人たちは病気になったら祈祷してもらうからと、なかなか診療所に足を運びません。祖父母の疎開先でも、祖父の弟が神社の宮司をしていて、病気を治してほしいと訪ねてくる村の人たちにお祓いをしていたのを父はよく見ていたので、驚かなかったといいます。

重病人が出て、町の病院に運ぶのに男衆が大勢で雪道を籠を引っ張っていく場面がありました。ここでも、父は、祖母が亡くなり、村には火葬場がないので、男衆が20名位で棺桶を山に運んで野焼きした時のことを思い出したといいます。

映画の最後に志田周子さんご本人の映像がいくつか写し出されました。映画にも出てきた第11回保健文化賞受賞式でのはつらつとした姿もありました。
映画は、「志田周子の 生涯を銀幕に甦らせる会」の企画。地域医療の為に生涯を捧げた志田周子さんの物語に、このように世の為に人生を捧げている無名の方が大勢いることにも思いを馳せました。

お目当ての榎木孝明さんは、無医村の村に医者をと娘に医師になることを託した父親役。山形弁で頑張っておられました。志田周子役は、平山あやさん。
公式サイト:http://ishasensei.com/
都内・ヒューマントラスト有楽町での上映は、1月29日で終了しましたが、お近くの劇場で観られるかどうかは公式サイトでご確認ください。
posted by sakiko at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月20日

『厨房男子』を観に名古屋まで(暁)

高野史枝監督の『厨房男子』が名古屋で12月19日(2015年)から公開されていて、スチール撮影に協力した私としては、どんな作品になったか気になっていたので、東京から名古屋までこの作品を観に行ってきました。車で出かけたので、せっかく行くのなら、行きたいと思っていた長野県阿智村にある「満蒙開拓平和記念館」を訪ねようと思い、信州経由で名古屋へ。
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満蒙開拓平和記念館

実は、去年(2015年)、山田火砂子監督の『望郷の鐘』という作品を観ました。これは中国残留日本人孤児の肉親探し、帰国運動を国の事業にするため奔走した長野県阿智村、長岳寺の住職山本慈昭さんの半生を描いた作品でしたが、この映画を観て「満蒙開拓平和記念館」http://www.manmoukinenkan.com/というのが、この長岳寺のすぐそばにあるということを知り、行ってみたいと思っていました。それで、この機会に行ってみました。
満蒙開拓団の資料、写真、使っていた道具などが展示され、引き上げのこと、残留孤児、残留婦人のことなど、歴史に翻弄された人々のことがよくわかりました。みなさんにも、ぜひ、機会があったらここに行くことをお薦めします。ここは平成25年4月にできたそうです。
そして名古屋に向かいました。
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名演小劇場の看板

高野さんの映画は、初めて作ったわりにはよくできていると思いました。実は、10組もの人たちを撮って、100分くらいの作品にまとめると言っていたので、かなりダイジェストになってしまうのではと思っていましたが、しっかり、そして楽しく料理に取り組む男性たちの姿をとらえていましたし、笑えるところもけっこうありました。長年、フリーライターや、ラジオ番組の司会などの仕事をしていた経験や人脈が生かされているなと思いました。ナレーションは、もちろん監督本人です。
平日の10時40分の回に行ったのですが、40人近く観客がいたのでびっくり。私たちだけだったらどうしようと思っていたのですが安心しました。当初、15日までの予定でしたが、1週間上映が伸び1月22日までの公開だそうです。名古屋の方、ぜひ観に行ってみてくださいね。
東京でもぜひ公開してほしいと思いました。
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厨房男子出演者紹介

シネマジャーナルHP関連記事
●『厨房男子』高野史枝監督インタビュー記事 http://www.cinemajournal.net/
●『厨房男子』のロケの撮影に行ってきました
http://cinemajournal.seesaa.net/article/420012323.html
●『厨房男子』のロケにまた行ってきました
http://cinemajournal.seesaa.net/article/424714549.html

シネマジャーナル本誌
●シネマジャーナル94号
 高野史枝 ドキュメンタリー映画を作っています―タイトルは『厨房男子』― 




posted by akemi at 04:56| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

父と一緒に観た『母と暮らせば』 (咲)

新年のご挨拶を・・と思っているうちに、3が日も松の内も過ぎてしまいました。
遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願いします。

昨日は、父と一緒に『母と暮らせば』を観てきました。
昨年暮れ、戦後70年の年を締め括るのに、『母と暮らせば』と『杉原千畝 スギハラチウネ』のどちらにするか迷ったのですが、父が観たいと言っていたこともあって後回しにしたのでした。
前日、インターネットで予約しようとしたら、もう前のほうの数席しか空いていない状態でした。
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(C)2015「母と暮せば」製作委員会

かくして、府中TOHOシネマズの満席のプレミアスクリーンで父と並んで観た『母と暮らせば』。原爆で一瞬にして溶けてしまう二宮くん演じる医学生のインク瓶。そして、十字架のお墓の並ぶ墓地で、対岸を指して、あのあたりにキノコ雲があがったと語っている場面で、どっと涙が・・・ 
戦争で家族や親しい人を亡くして取り残されてしまった人たちの思いがしみじみと伝わってくる物語でした。
観終わって、「いい映画だったね」と父。 自身も戦争の時代を経験しているのに、昨日は戦時中のことはほとんど語りませんでした。

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伊勢丹の食堂で食事をした後、けやき通りに面した建物の脇で猿回しに出くわしました。最前列で見物。父と一緒に大いに笑いました。

思えば、父と一緒に映画を観るのは、ほんとに久しぶりでした。亡き母とは中国映画をよく一緒に観にいったものですが、大人になってから父と一緒に観たのは、『犬神家の一族』(1976年)が最後だったような気がします。神戸で暮らした小中学生の頃には、母よりも、父に連れられて映画を観に行ったことのほうが多かった記憶があります。歩いて行ける小路市場近くの映画館で観た『モスラ』や『マタンゴ』、神戸・朝日会館で観た『101匹わんちゃん』、阪急三宮駅隣接の阪急文化で観た『ローマの休日』・・・ 思い出は映画の内容と共に心に強く残っています。『母と暮らせば』も、この日に食べた天丼&おそばや猿回しと共にいつまでも記憶に残る映画になりそうです。
posted by sakiko at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする