今年の東京国際映画祭では、インド映画が2本上映されましたが、いずれも女性監督の作品でした。
*「アジアの未来」部門 国際交流基金アジアセンター特別賞◆ブルカの中の口紅 監督:アランクリター・シュリーワースタウ
2016年 インド
被ったブルカの中に口紅を万引きする女子大生。ブルカを脱ぎ捨てジーンズ姿で夜の町へ。彼女の夢はポップシンガー。そして白馬の王子様を待っている。
モールを建設するからと、立ち退きを迫られている古い市場の店を切り盛りする50代の未亡人。有毒ガス事故で亡くなった夫が遺した店を売るわけにはいかない。寂しさを紛らすため、息子の水泳の先生に身元を隠して電話で恋愛を楽しんでいる。
美容師の女性は親の薦める金持ちの男と婚約するが、しがない写真屋の男と出来ている。「ダイヤモンドをあげても石炭を選ぶのね」と母。
3人の子持ちの主婦。セールスウーマンとして頑張っている最中、夫の浮気を知ってしまう。「お前は女、ズボンを穿こうとするな」と浮気夫は仕事に励む妻に言い捨てる。
年齢も環境も違う4人の女性たちが、それぞれの自由と夢を求めてもがく姿を描いたのは、本作が長編2作目となるアランクリター・シュリーワースタウ監督。自分を信じて夢を追ってきた監督。現実から脱け出せない人たちに手を差しのべたくて本作を作ったと語りました。
舞台ボパールの町では、1984年に化学工場から有毒ガスが漏れ2万人前後の死者が出ている。50代の未亡人の夫はその犠牲者。
人口の約4割がイスラーム教徒。ブルカは、親族以外の男性に髪の毛や肌を見せないというイスラームの教えに沿って女性たちが被っているもの。女子大生の家は、ブルカを作って生計を立てている。 『ブルカの中の口紅』というタイトルに、束縛されている女性が自由を求めるイメージを感じて期待していたのですが、求める自由がちょっと下品で引いてしまいました。
ジーンズ禁止に抗議集会を開く場面なども出てくるし、意欲はわかりますが、もう少し知的な自由を求めてほしかったところ。インドで公開できるよう頑張っているとのことでしたが、公開して、果たして共感を得られるでしょうか
登壇した二人の女優さんは、演じた映画の中の女性たちとは違って、自分たちはかなり自由。インドでも、大都市と農村部では女性のおかれている状況も違うし、小さな村では同性の友達と話すこともできない人もいる。でも、今、インドは変格の時期を迎えていて、男性と女性が話し合っていける状況にもなっていると語りました。

10/26 Q&A:左からプラビター・ボールタークル(女優)、アランクリター・シュリーワースタウ(監督/原作/脚本)、アハナー・クムラー(女優)
ワールドフォーカス
◆ファイナル・ラウンド監督:スダー・コーングラー 2016年 インド
スダー・コーングラー監督は、南インドの社会派映画の巨匠マニラトナム監督のもとで助監督を6年間務めた女性。ぜひ観たいと思ったのですが、時間を調整結果、諦めた作品。
10月31日の夜11時近く、『私に構わないで』を観終わって出てきたら、真っ暗な六本木ヒルズのテラスのところに長蛇の列。インド映画好きの友人が並んでいて、『ファイナル・ラウンド』主演のR・マーダヴァンさんで、『きっと、うまくいく』のメガネのちょっとダサい感じのともだち役だった方と教えてくれました。
今回は、ボクシングのワールドチャンピオンをめざす17歳の少女を厳しく指導する鬼コーチ役。
1日、映画は観られなかったのですが、Q&Aを取材。

R・マーダヴァン(左)と、シャシカーント・シヴァージー(プロデューサー)
上映されたのは、タミル語版でしたが、同時に製作したヒンディー語版もあるとのこと。インドではよくあることなのですが、別の言語の吹替え版を作るほか、評判がいいと別の言語でリメイクも行われます。この『ファイナル・ラウンド』は、最初から二つの言語のバージョンを同時進行で撮影。主役はそのままで、脇役をそれぞれの言語の出来る人に変えて同じ場面を撮るという形。
監督は演技経験のある女優にボクシングを習わせて主役にしようとしたけれど、ワールドチャンピオンを目指す位だから、実際のボクサーを選んだ方がいいと、マーダヴァンがキックボクサーであるリティカー・シンを見つけてきたとのこと。彼女はタミル語もヒンディー語も出来たので、ラッキーだったとマーダヴァン。
会場の女性から、マーダヴァンの詳しい経歴を述べた上での質問も飛び出しました。

Q&A終了後のサイン会には、この日も多くのファンが並びました。笑顔で対応するマーダヴァンでした。
次の機会には、スダー・コーングラー監督にも是非お会いしたいものです。
posted by sakiko at 21:50|
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