2016年12月31日

冬コミケ 美形のお客様はポーランドのゲームThe Witcher 3のヴァーノン・ロッシュ様 (咲)

あっという間に1年が過ぎゆき、もう明日は来年ですね。
今年もシネジャのサイトを覗いてくださいまして、ほんとうにありがとうございました。

報告遅くなりましたが、29日は、年末恒例の冬コミケでした。
シネジャの配置場所、東地区“ヒ”ブロック 37aは、角っこ。
ふくよかな私たちには、ゆったり座れて嬉しい♪

お隣りは、インド映画のマサラ上映を楽しんでいる大阪の男性。もちろん顔見知り。
机上には、『この世界の片隅に』のチラシ。6年前の製作当初から応援しているとのこと!
『この世界の片隅に』は、いろんな人からよかったと聞いて、先日、観ようと思って上映50分前に映画館に行ったのに、満席。ほんとに評判いいですね〜
お隣りとひとしきりお話ししてから、セッティング。
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いつも名古屋から助っ人に駆け付けてくださるミッキー副店長。
10時の開始までおしゃべり。といっても、1週間前から喉を痛めて美声が出ません。(これで売り子できるのか?)

コミケのボランティアスタッフでレスリー・チャンのファンの写真家・島津美穂さんも、いつもの通り差し入れを持ってきてくださいます。

10時。開始のアナウンスと共に、静かな拍手が大きな会場に広がります。
あ〜今年もコミケに来たなという瞬間。

開店ほどなくして、夏にお見かけしなかった広島の映画青年。
その後もお馴染みさんや、初めての方など適度に覗いてくださる方たちがいて、映画談議。
今はなき渋谷のシアターNでシネジャを見たことがあると言う方がいたと思ったら、キネカ大森で働いていて売り場にありましたという方。(お世話になりました!)
香港映画がお好きなご夫婦、なかなかお見えにならないなと思ったら、ご自身もフィギュアスケート本で出店していて、お昼過ぎにいらしてくださいました。

そして、この日のハイライト!
コスプレの美形のお客様!
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ボリウッド映画に興味があって・・・と覗いてくださったのですが、ポ―ランドのゲ―ムThe Witcher3の愛国心溢れる指揮官ヴァーノン・ロッシュのコスプレとのこと。日本では、まだあまり知られてないそうですが、通りかかった西洋人のジャ―ナリストの方がそれとわかって声をかけてきて、写真をパチリ。便乗して、私もしっかり撮らせていただきました!
快く、ブログにも載せてOKと!

もう今日はこれで閉店してもいいというほど、幸せな気持ちになったところに、読者のNさまが山手線20キロウォーキングを終えていらしてくださいました。差し入れの塩饅頭などを頬張って、店じまい。

お買い上げくださった方、覗いてくださった方、ほんとうにありがとうございました。

冬コミケの一日、ミッキー副店長のブログもどうぞ!
http://mikki-eigazanmai.seesaa.net/article/445339823.html

さて、この日、妹も姪も私も用事があって、姪の息子の子守をしたのは父。
家に帰ったら、「曾じいちゃんに買ってもらった!」と、ドラゴンボールのゲームに夢中の小学校2年生。いずれはゲームも作ってみたいらしいです。そのうち、コミケにも足を運ぶかな?
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2016年12月24日

『私の少女時代-OUR TIMES-』トークイベント(暁)

〜ボクらの青春時代-傑作台湾青春映画によせて〜 

12月9日、『私の少女時代-OUR TIMES-』の上映後、映画評論家松崎健夫さん、映画解説者中井圭さん(司会)、『桐島、部活やめるってよ』宮部実果役の女優清水くるみさんが登壇して「ボクらの⻘春時代-傑作台湾⻘春映画によせて-」と題してトークショーが開催されました。そのレポートを。

90年代台湾を舞台にした青春ラブストーリー『私の少女時代-OUR TIMES-』。
イケメン男子に片思いしている平凡な女子高生、林真心。彼が学校のマドンナと付き合っていると勘違いして、マドンナのことを好きな学校一のワル徐太宇と組み、二人を別れさせる作戦に出る。80年代後半〜90年代に学生時代を送った台湾の30代、40代の女性たちの青春の甘酸っぱい記憶と成長を描いた。香港や日本の芸能が台湾の学生たちにも広がっていた状況が描かれ、香港映画ファン、特に劉徳華(アンディ・ラウ)ファンにとっては笑えるエピソードがいっぱい。アンディ映画のパロディシーンが出てきたり、真心の部屋はアンディの写真やグッズだらけ(笑)。最後には本物のアンディ・ラウやジェリー・イェンも登場。
シネマジャーナルHP 作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/444370560.html

トークショー
登壇者 清水くるみ/松崎健夫/中井圭
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左から中井さん、清水さん、松崎さん

*「あの頃映画」の数々

『サニー 永遠の仲間たち』『建築学概論』『あの頃、君を追いかけた』に続く恋物語『私の少女時代-OUR TIMES-』。「あの頃映画」といわれるジャンルについて語っていただきました。

中井圭(司会) 映画いかがでしたか? (会場 拍手)
アジアの青春映画が大好きというくるみちゃんはどういうところが気に入ったんですか?
      
清水くるみ 台湾映画の「かなわなかった恋が輝かしい」みたいな描き方が本当に好き。日本の青春ラブストーリーって、そういうのがないなとも思います。水風船のシーンとかめっちゃくちゃ好きです。水風船を買って、大学の友人に「お湯風船やろ」と誘ったけど、却下されました(笑)

松崎健夫 台湾の最近の青春映画でいいものって『あの頃君を追いかけた』がありますが、今年は『若葉のころ』がありましたね。あれがすごく好きなんですが、韓国の『建築学概論』もそうですが、アジアの傑作青春映画って共通項があって、「大人の視点からかつての自分を見ている」というものが多くないですか。青春映画だと若い人に向けているというのが多数だけど、最近傑作と呼ばれて日本に入ってくる青春映画は「大人の視点から過去を見ているものがあるので、若い人だけでなく大人が見てもキュンキュンするものがある感じがしています。

中井 日本の青春映画との違いとか感じますか?

清水 『桐島』とかは、あまりラブに寄せてない。でもあれはあれで、現場はすごく青春ぽかった。私は女子高出身なので、「こういうのも、ああいいなあ」って思います。私は『桐島〜』のメンバーと水風船とかもやったことあるんです。そういうのを思い出して懐かしいなと思いました。

松崎 『桐島〜』も原作は若者視点で書いていますが、でも吉田大八監督の視点が大きいなと思います。あの映画の中で、最後、東出昌大さんが「映画監督になるっ」て言って、「いやあ、映画監督なんてなれないよ」ていうじゃない。あれって原作にはなくて大人側の視点で、もっと夢を語っていいのに、ちょっと達観したものが入ることによって、高校生活の話だけど、わかるという部分があるのが『桐島』だった気がする。だから、こういう作品群に関連しているなという気がするんです。

中井 まさにそう部分はあって、『あの頃君を追いかけた』は90年代と現代、『若葉のころ』は80年代と現代、『私の少女時代-OUR TIMES-』も90年代と現代という風に、別の視点が入ることによって本質的な光りを放つと。青春時代の最中にいると青春の輝きというか、真っ只中にいると眩しすぎて見えてないことが多いんだけど、10年もすると「あの頃、良かったな」気持ちになるんですよね。「もう帰ってこない青春の輝き」という視点が映画の中に入っているかどうかが非常に重要なんですよ。同時代のものを同時代の形で写しこむというよりは、同時代ではなく「かつて輝いていたもの」という視点で、映画全体をとらえているということが青春映画の要件として重要だと思います。
台湾に関していうと、そもそも80年代後半くらいまでは戒厳令がひかれていたんですよ。90年代半ばくらいに一党独裁が変わったから、自由な作品が出てきたといのがあります。80年代はその影が色濃い。韓国映画も80年代の青春を描いている『サニー 永遠の仲間たち』とかみたいのだと、暴動とかも描かれていましたよね。
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中井圭さん


*台湾の文化とアンディ・ラウ

清水 台湾の独特な文化もすごく面白かったですね。でもアジアだからですかね、すんなり入ってきました。日本の文化の影響も入っているのも面白いなと思いました。

中井 ケロッピーとかも写っていましたよね。台湾の作品って、日本の文化が好きというのもあって、日本由来のものがけっこう出てきて、僕らとしても違和感なく観ることができるというのがありますよね。

松崎 『藍色夏恋』の中に、好きな人の名前をボールペンのインクが無くなるまで書くと、「恋が成就する」というのがあって、失恋してしまった主人公の友達はずっと「チャン・シーハオ」って書いていたのに、途中から「木村拓哉」って書きだすんですよ。その名前を書いて誰かわかるっていうことじゃないですか。
この映画の中では日本ではなく、香港ですが「アンディ・ラウ」のことが出てきて、最後本人も出てきますけど、当時、台湾ではどういうポジションにいたのかな。青春スターっぽいポジションで描かれていますが、アンディ・ラウって日本はそこまでではないんです。日本ではもう少し年いってから知られるようになったので、こういとらわれ方していたんだなというのが面白かったです。歌とかまでは知らなかった。

中井 アンディ・ラウって香港映画をたくさん観ているし、アンディ・ラウがいろいろな映画に出ていて人気があるのは知ってはいたし、インタビューもしたことがあるのですが貴重な感じでした。

松崎 昔、四天王と言われていた時ありますね。

中井 そうですね。アジア圏でめちゃくちゃ人気があるんですが、日本ではそこまでじゃないから、台湾での受け入れ方というのと、僕ら日本人が「ああ、アンディ・ラウが出ているな」と観ている感覚と、全然印象が違うんだろうなとも思いますね。

清水 へえ〜。そうなんだ。

中井 この映画でいうと、時間軸が20年とかたっているじゃですか。その長い期間スターであるという、不動の人気が保たれているということを考えると、アンディ・ラウというのはそういう位置づけなんだなって思います。この映画の製作にも入っていますし。そういう協力の仕方というのもあるのかなと思います。

*切ない映画が好き

中井 他に好きなシーンとか、共感したポイントとかありますか。

清水 恋がかなわない、切ないのが好きです。
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清水くるみさん

中井 切ないのが好きないのが好きなの?(笑)恋がかなうというより、かなわない系が好き?
  
清水 切ないの好きです。恋がかなわない男の子とかに「頑張れ!」ってやりたくなります。

中井 かなわない感のほうが残るという感じなんですね。僕は、恋なんて始まったら終わると思っていている人間だし、始まらなかったら終わらないみたいなものに、キュンとする(笑)。100の恋があったとして、上手くいくケースは1か0しかない。失恋を描いている方が人は共感できるんじゃないですかね。

清水 女の子って追いかけてるのが好きじゃないですか。追いかけてて、振り向いたら、もうツマラナイなというの多くないですか?

中井 そうなんですか?

清水 追いかけている時って楽しくないですか。振り向いてくれなくて切なくて
切なくて苦しい、でも振り向いてほしい!みたいなときが一番楽しい時で、女子トークが弾むときですね

中井 昔、CHAGE and ASKAのチャゲさんがマルチマックスというソロでやっているユニットを組んでいたんですが、その曲の中に「Mr.Jの悲劇は岩より重い」というのがあるんですが、その歌詞に「男は1時間後、女は1年後考えている」という歌詞があったんですね。今の「付き合うまでがピーク」という話を聞きながら思うのは、男性と女性では装置が違うんだなと思ったのは、男性は「付き合ってからピークが来るんじゃないか」と思っている節があるんだろうなて思いました。

松崎 そういう意味では、今回の作品『私の少女時代-OUR TIMES-』は「あの頃映画」の中は、珍しくハッピーになるかもしれないというラストになっていたんじゃないかな。

清水 そうですね。

中井 『私の少女時代-OUR TIMES-』は、ハッピーになるかもしれないと予期させるような終わり方をしていて、特殊かもしれませんね。

松崎 時代がそれだけ飛んでも「想い続けていた」っていうこと自体も、他の作品とも違うのかなと思いますね。それによって思い出して、過去を振り返るという作品が多い中で、これはお互いずっと想っていたということが違うかも知れませんね。そこがぐっとくるところかもしれませんね。
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松崎健夫さん

*輝いていた青春時代と現実

中井 10代、20代の頃に思っていた未来と違う現実になっていて、現実の厳しさというのがあるから、「あの頃夢見ていたものになっていない」こうじゃないはずだったのにという状況から、あの頃を振り返るから青春が輝いて見えて、自分の感覚を取り戻していく話だと思うんです。頭に、社会人の姿を見せることによって、かなわない姿を見せることによって反映されていますよね。

松崎 大体の映画が若い頃を思い出しながら苦味というのを感じて終わっていくんですが、この映画は最後で、夢を与えているという形で終わっているのが受け入れられた部分もあるんだろうなと思いますね。

清水 めっちゃ社会学だなと思って聞いていました。私、社会学科なんで。

中井 くるみちゃんは、まだまだ青春映画ってやってみたいと思いますが、いかがですか。

清水 やってみたいです。

中井 アジアでこういうのが出てくるんですから、日本の青春映画でもこういうのが出てきてもおかしくないと思いますね。くるみちゃん自身はアジア進出はどう考えていますか?

清水 できることなら。でも、台湾のヒロインってめちゃくちゃ可愛いじゃないですか。できるかな…。

中井 アジア圏というのは近い感じがするので、これからアジアと一緒に仕事をしていくというのが日本の映画界の中でも重要になってくると思うので、くるみちゃんぜひ架け橋になってもらいたいです。

中井 最後一言づつお願いします。

松崎 夢はなかなかかなわないと思いながら生きてきたんですが、一歩踏み出すと自分もこの仕事をやれるようになったので、自分から何か変えないと物事かなわないなと、ヒロインが会社を辞めるところ観て思い出しました。夢があるのに何だろうなと思ってる方がいたら一歩踏み出してみて、この映画を観て考えてもらえたらいいなと思います。

清水 さっきも言ったんですが、かなわなかった恋は輝かしいなと思う。また10年後に観たらまた違う風に思うのかなと思いました。あと、はやく水風船やりたいなと思いました(笑)

『私の少女時代-OUR TIMES-』公式HP
http://maru-movie.com/ourtimes.html

編集部(暁)
トークの中で「アンディ・ラウって日本はそこまでではない」とありましたが、どうしてどうして。1993年の東京国際ファンタスティック映画祭 アンディ・ラウ特集でのフィーバーぶりはすごかったです。シネマジャーナル27号(1993年)レポートをごらんください。

東京国際ファンタスティック映画祭'93より
劉徳華(アンディ・ラウ)がやってきた
http://www.cinemajournal.net/bn/27/andy.html#fanta

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93.9.30ファンタスティック映画祭でのアンディ・ラウ


『私の少女時代-OUR TIMES-』シネマジャーナル本誌掲載 
●シネマジャーナル97号 大阪アジアン映画祭レポートで紹介
http://www.cinemajournal.net/bn/97/contents.html
●シネマジャーナル98号 新作紹介
http://www.cinemajournal.net/cj/newcj.html
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2016年12月23日

一家4世代でハウステンボスの旅 〜戦争中、特攻艇の訓練をした大村湾に思いを馳せる父〜  (咲)

この19日〜21日の3日間、父、妹、姪、姪の息子(小学校2年生)の一家4世代でハウステンボスと長崎に行ってきました。
妹が、震災復興割でハウステンボスのパスポートも付いた激安ツアーを見つけてくれたのですが、何より喜んだのは父でした。戦争中、海軍に所属し震洋という特攻艇の訓練をしていたのが、長崎の大村湾。訓練所のあった川棚はハウステンボスのすぐ隣の町。4年前に一緒にその訓練所跡を訪ねたことがあるのですが、また大村湾を訪ねる機会ができて感無量のようでした。
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長崎空港に着き、船でハウステンボスへ。7ヶ月間にわたって魚雷艇を乗り回していた大村湾を船で行くのは格別の思いがあるようでした。そも、空港のある島自体、訓練中に目標としてよく使ったところだそう。曾孫に一生懸命説明する父。
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ハウステンボスの一番高いタワーの上からの眺め。いくつかの入り江の向こうが父のいた川棚。ハウステンボスのあるところには、海兵団があったそうで、こんなお洒落な場所になるとは思いもよらなかったと!

父の海軍時代のことは、戦後70年特集を組んだシネジャ94号で、“『筑波海軍航空隊』に父を思う”という記事に書いたことがあります。
父は話し好きなので、小さい頃から海軍時代のこともよく聞かされてきたのですが、94号の記事を書くにあたって、父にあらためて色々聞きました。今回の旅の間にもまた、これまでに聞いたことのなかった話を聞くことができました。
今や東京から2時間で飛んで行ける長崎。横須賀にあった武山海兵団から、任地・川棚へは、長崎行きの列車の後部に専用車を連結して300名が大船から乗車。途中の駅で面会に来た家族たちからの差し入れの食べ物が飛び交ったそうです。父も、大阪で義兄と小さな甥たちが会いにきて、デッキで話している内に列車が発車。義兄たちは神戸まで一緒に行ったとか。大船を夕方に出て、2夜を列車で過ごし、2日後の早朝に川棚に着いたそうです。隔世の感があります。
家族面会指定日に母親が疎開先から訪ねてきてくれたのですが、皇族の方が慰問に来られ、面会日が一日先延ばしになり、面会にきた母親たちは嬉野温泉に泊まりにいったという話も。もしかしたら、息子との今生の別れになるかもしれない面会日。母親たちは、どんな思いだったでしょう。

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ハウステンボスのイルミネーションを観ながら、ほんとに平和な時代に私たちは育って、それだけで幸せだと思いました。でも、世界の各地で、今も戦争に巻き込まれている人たちが大勢いることを忘れてはならないですね。

長崎の写真もちょっと!
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長崎・出島で、飽きもせずじっと説明をみる姪の息子。真面目で探究心の強い性格。「いったい誰に似たのかしらね」と言いながら、「あ、曾爺ちゃんか」と妹。

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グラバー邸で曾孫と一緒で嬉しそうな父。
posted by sakiko at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゲリン監督来日記念「ゲリン・アカデミー」開講!! (千)

ホセ・ルイス・ゲリン監督の『ミューズ・アカデミー』が来年1月7日から公開。来日したゲリン監督のトーク・イベント「ゲリン・アカデミー」に参加させていただきました(トークの前にゲリン監督の未公開短編作品『尾道の記憶』の特別上映)2016年9月にリニューアルOPENした東京都写真美術館のスタジオにて開催、スタジオはほぼ満席。ストーカーみたいな映画をつくるひとだから(失礼)もっとオタクなイメージを持っていたのですが、想像してた人物像とは違って、のっぽさんみたいなステキな監督でした。

2017年1月7日(土)〜 ホセ・ルイス・ゲリン監督特集上映
『ミューズとゲリン』 ゲリン監督来日記念「ゲリン・アカデミー」開講

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(C)P.C. GUERIN & ORFEO FILMS


日時:2016年11月17日(木)19時〜
場所:東京都写真美術館1Fスタジオ
登壇者:ホセ・ルイス・ゲリン監督、月永理絵さん(聞き手:映画酒場編集室)
比嘉 世津子さん(通訳)

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司会:この短編はどういうきっかけで…?

監督:何か考えていたわけではなく、たまたまPCに『東京物語』の映像が入っていて。尾道に向かう列車の中で、車窓の風景とこれを組み合わせてみたらどうか、と思ったんです。実際にそのとき自分が撮っている電車のスピードと、映画で残してくれたもの… 笠智衆さんや原節子さんが映っているわけですが…それがピッタリ合って、どんどん感情が高まりました。

司会:この作品は、2012年『シルビアのいる街で』公開時に開催されたゲリン監督の特集上映を記念して来日された時のものだと思うんですが、尾道の他には何処か行かれましたか…?

監督:この時のことはよく覚えていませんが… 最初にお願いしたのは、良寛さん縁の地へ行きたいと。それから鴨長明や小津監督『浮草物語』に関する場所。そして今回は松尾芭蕉の縁の地へ行きましたが、芭蕉の場合3回ぐらいに分けないと廻りきれませんね(笑)松尾芭蕉も自分が尊敬する人たちの跡を辿って諸国を巡っていたわけです。そして”場所の記憶”というものを信じていました。私もそれを信じていますので、芭蕉とは兄弟愛のような、何かでつながっているような感じがします。

司会:小津監督も俳句をされていて、映画の編集は連句をつくるようにやれば簡単だ、というようなことをおっしゃったと伺いましたが

監督:小津監督の隠れた俳句が密かに発表されることを期待しますが…

司会:自筆の原稿が少し残っていたかと…

監督:小津監督は自分をアーティストとは言わず、常に謙虚であり、前に出ることがなかったのですが、それでも誇り高い作品をつくりました。ベネチアでの話ですがホテルの部屋から奇妙な匂いの煙が漂ってきて、大騒ぎになったことがあって、それは溝口健二監督と主演女優が最優秀作品賞を取るためのお祈りの儀式をやっていたと。そのおかげで彼らは受賞しましたが(笑)、そういうことを小津監督は決してやらないと思います(笑)

司会:小津監督をほんとうに敬愛されていますが、好きな小津作品は…?

監督:『生まれてはみたけれど』『晩春』『お早よう』『秋刀魚の味』『宗方姉妹』『麦秋』… 小津監督の作品はすべて好きです。ひとつだけドキュメンタリー作品があるんですが、他の作品に比べてそれだけはちょっと…

司会:女優さんでは…

監督:いつも言ってますが、原節子は私の妻であり母であり妹であると思っています。小津映画の中で彼女がどんどん成長していく姿を見ました。小津監督作品が他の日本の映画監督作品と違うのは、まるで家族のように同じ人たちで構成されているということです。

司会:ゲリンさんの作品にも魅力的な女優がたくさん登場しますが、最初の作品『ベルタのモチーフ』でエリック・ロメール監督映画の常連女優アリエル・ドンバールを起用したのは… どういったオファーを?

監督:若い頃は非常に無邪気で… 気に入った女優に手紙を書いて映画に出てくれないか、と。ハイ、と返事が来たので出てもらいました。同じ頃パリに行って、電話番号があったのでブレッソンの家に電話して、今から行ってもいいかと訊いたら、いいよ、と言うので行ったこともあります(笑)外国の女優が必要だったということと、彼女が一本監督したものにモノクロ作品があって、私もその時モノクロで撮ろうと思っていたので、きっと彼女とは上手くいく、一緒に闘えると思いました。初めての作品で、彼女はギャラを要求しませんでした。私がロメールを尊敬していたというのも大きな理由です。当時22歳で、たいへん若かったな、と思います。みなさんが初めて私の作品を観る時は、どうかこれではないようにと祈っております(笑)

司会:後に短編『思い出』にも出演している、ベルタ役のシルビア・グラシアは…

監督:彼女は本物の女優ではないのですが、目線、目力に非常に特徴があって、そこに惹かれました。彼女は特に美しいわけでもありませんが、不思議なことに写真では効かない美しさが、映画では彼女の目線に現れて、たいへん魅力がありました。そういう内なるリズム、呼吸のリズムが表に現れてくる、そういう魅力を持っている人しか映画では輝かないと思います。

司会:映画の中で描く基準として、目というのが非常に大事だと…

監督:もちろんそうです。私の中では、フォトジェニックという言葉をまだ使いたいと思うのですが、今は、モデルのように単に綺麗で写りが良いという意味で使われますが、私はちょっと違う意味で使いたいと思っています。それは映画のカメラの前に立った瞬間、それがその場のすべてのモラルに変わってしまうような、すべてを制するような…カメラを捕らえて離さない魅力が、フォトジェニックだと思っています。それはその時の顔の表情かもしれないし、”氣”かもしれない。写真とは違って、映画の中のフォトジェニックとは標準的な美しさ、単なる美しさではないと言いたいのです。

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司会:写真と映画は違うということですが、『シルビアのいる街の写真』は実際に街で撮った写真を使った作品で、『シルビアのいる街で』は俳優を使った映画になっていますが… この二作品については…?

監督:私は人物の写真に興味があって… たとえば二つの写真を並べて見る時に、一枚目から二枚目を見るまでの間、その欠落した部分を埋めるのは見る人、観客です。その欠落した部分とは、時間の経過であったりするのですが、それを埋めていく作業は、観客にとっても映画をつくる側にとっても、たいへん貴重なものです。西洋の素描、デッサンに似ているかもしれません。非常に少ない線で描かれていて、その足りない部分を見る人が埋めていく… 日本の版画や日本画にも共通しているかもしれません。映画のデッサンを描くということも好きなのです。この二作品は音楽の違うバージョンのようなものです。若い男性が女性を追い求めるというところだけは同じですが、そこから派生したまったく違う別の作品です。二作品とも観ていただけるなら、ぜひ、『シルビアのいる街で』を先に観ていただきたいですが…

司会:新作の『ミューズ・アカデミー』について伺いたいのですが… フィクションとドキュメンタリーとの境界線がわからなくなるような作品です。監督自身、これはフィクションだとおっしゃっていますが、こういう作品になると想定して撮り始めたのでしょうか?

監督:みなさんまだ観ていないのに何かを言うのは心苦しいですし… フィクションかドキュメンタリーかということも、ぜひ、みなさんの目で観て感じていただきたいと思います。ただ、これはワーキング・プログレス…つまり撮りながらつくっていった作品です。先に脚本があったわけではなく、みんなの即興の会話を作品化していったのです。


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司会:出演しているみなさんは女優さんなのですか?

監督:とても良い女優さんたちですが、プロではありません。言葉で人を惹きつける力を醸し出す…その能力がたいへん高い人たちばかりでした。私が一人で撮影し、私の他には録音技師が一人いただけです。それ以外でその場にいたのは、プロではないけれど、自らダイアローグを醸し出してくれる女優たちでした。

司会:プロの女優さんとそうではない人たちとの演出方法の違いは…?

監督:プロであろうがなかろうが、それは同じです。役者も人間です。プロでもそうでなくても、ステレオタイプに”演じる”ということに私は興味がなく、そのいちばん人間らしい部分、その内なる真実をいつも引き出したいのです。いわゆるアクターズ・スタジオから出たような、マーロン・ブランドとかロバート・デ・ニーロとかローレンス・オリビエとかいった人たちは、とても良い役者さんたちですが、絶対に自分の内側は見せません。なので好きではありません(笑)私が好きなのは笠智衆です。彼は演じていても、自分の人間性という、非常に深いところにあるものをさらけ出しています。私はそういう内側を見せてくれる俳優が好きです。

司会:大学で先生をされているということですが、どのようなことを…?

監督:私は映画人であり、外から見たら映画について教えているということかもしれませんが、教える側だと思ったことはなく、同じ映画人として同じ目線で、一緒に短編をつくったりしています。ワークショップの中で短編をつくり、いろんなところで上映したりしているので、少しは映画に貢献できたかと…。『工事中』という作品はドキュメンタリーの学生たちと一緒に撮った作品で、私の映画の中ではいちばん観客が入って、みんなに知られた作品です。

観客:原節子さんの訃報を知って、いかがでしたか?

監督:がっくりしました。日本に来るたびに北鎌倉に行って、バッタリ会うのをいつも期待していました。できれば抱きしめて、妻であり母であり妹になってくれてありがとうと言いたかった。その可能性がなくなって、北鎌倉から足が遠のくでしょう。

司会:初めての小津作品は…?

監督:スペインでは当時、『東京物語』しか観ることができなかったのですが… たぶん18歳の時だと思います。でもそれはあまり問題ではなく、その後1990年に開催されたレトロスペクティブで全作品を二回ずつ観ました。それで小津監督と原節子さんへの思いが決定的になりました。小津監督は映画を撮るに連れてどんどん成長していった監督だと思います。単に一本一本の監督ではなく、私の中では小津監督は映画人、シネアストであって、それは一連の作品に対するものです。これは写真家にも言えることですが、一枚だけ見ても判断できません。一連の作品を見るとこういう写真家なんだとわかるようになります。映画も同じです。

観客:最新作にはミューズが出てくるということですが、異性である女性を描くときに心がけていることは…?

監督:この作品に出てくるのはミューズじゃなくて、生身の女性たちです。『シルビアのいる街で』では、どんな女性であるかというような人物像はほとんど描かれておらず、女性の存在だけが描かれていますが、『ミューズ・アカデミー』では生身の女性としか言いようのないものが出ています。ヨーロッパの文学の中では、ミューズは芸術的なインスピレーションを与えてくれる女性ということになっています。たとえそれが古い感覚であったとしても、男性女性かかわらず、ものをつくる人にとって、その原動力になるものが何か必ずあるはずです。それが”他者”です。それは女性かもしれないし、風景かもしれない。誰か知らない人、知らないことが自分にとってのミューズになるかもしれない。それは、白い紙があって… そこに何かを書かなければならない、という衝動に駆られるような他者です。『影の列車』という映画をつくったことがあるんですが、それは、なぜ彼女はああいう目線をするのだろうか?ということを解明するためだけにつくったものです。それが何だったかというのは、秘密です。映画のテーマというのは別にあるんですが、映画をつくる原動力になるのは自分の個人的な神秘というか、なぜだかわからないが突き動かされる… そういうものです。

司会:最後にこれから監督の作品をご覧になるみなさんにひとことお願いします。

監督:この映画には詩や詩人の名前がたくさん出てきますが、まず、そこで引かないでください(笑)テーマは別にあり、文学というのはひとつの言い訳です。テーマになってくるのは人と人との関係、力関係であるとか人を操ること、誘惑、嫉妬など… 私の中には常に人に対する好奇心があります… ドモアリガト(拍手)

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ゲリン・アカデミーを終えて

ゲリン監督の話はとてもおもしろく、人柄含め、全体的な印象も好感度が高かったです。日本のことや小津作品のこともたいへんよく理解してくれて、なんか日本人として?… うれしかったりして。小津監督のドキュメンタリー作品って、何のことか最後までわからなかったのですが… まさかヴェンダースの『東京画』のこと??? ゲリン監督ファンになりそうだっちゃー! (せ)

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(C)P.C. GUERIN & ORFEO FILMS


★2017年1月7日(土)〜1月29日(日) 東京都写真美術館ホールにて
ホセ・ルイス・ゲリン監督最新作『ミューズ・アカデミー』
ホセ・ルイス・ゲリン監督特集上映「ミューズとゲリン」公開!!
公式サイト



取材協力 せこ三平



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2016年12月18日

東京外国語大学でバングラデシュ映画『テレビジョン』  村長の厳格なイスラームの解釈に翻弄される村人たちの姿に大笑い (咲)

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東京外国語大学での大使館や映画配給会社などの支援・協力を受けて世界の諸言語による映画や講演会を行うプロジェクト「TUFS cinema」で、今年は南アジア映画特集。
11月26日にはパキスタン映画『神に誓って』(ショエーブ・マンスール監督、2007年)が上映されました。上映後には先輩の麻田豊氏の解説もあり、何度か観た懐かしい映画に再会したかったのですが、東京フィルメックスの会期中で諦めました。

南アジア映画特集 第二弾として、バングラデシュ映画『テレビジョン』の上映会が12月10日(土)に開かれ、日本初上映とあって、これは見逃せないと行ってきました。

上映前に、モスタファ・サロワル・ファルキ監督のビデオメッセージ。
「上映後には、スタッフが悲鳴をあげるほど質問をいただければハッピー」

『テレビジョン』Television

監督:モスタファ・サロワル・ファルキ
2012年/ベンガル語/106分

海辺(川辺?)の村。船の上で新聞の写真部分に白い紙を貼る男。紙をめくって、ちらっと若い女性の写真を覗き見してから糊で貼り付ける。
イスラームの教えに厳格な村長が、一切の画像を禁止したための措置。

テレビ局の女性キャスターにインタビューを受ける村長。
「テレビも禁じるのは? 今はイマームもテレビに出ています。あなたの双子のお兄さんも番組を持っていますよ」
「兄は悪い人間」「ユダヤ教徒の作った箱などいらない」と言い放つ村長。
カメラが上空に引いて、実はこのインタビュー、女性から村長の顔が見えないよう、白い幕越しに行われているのが写しだされます。

村長の家では、息子のスレイマンが母親を介して、父親に携帯電話が欲しいと切願しますが、若者に携帯を与えては堕落すると許しません。恋人コーヒヌールと携帯で連絡を取りたいスレイマンは必死です。いつもそばにいる使用人のモジュヌのお陰で携帯をゲットし、コーヒヌールに携帯を届けさせます。が、このモジュヌもコーヒヌールに恋をしていて、勝負は見え見えなのに告白。

ある日、クマール先生の自宅にテレビがやってきます。
「僕はヒンドゥー教徒だから問題ない」という先生に、「ムスリムには見せるな。天罰が下る」と村長。
クマール先生宅での子どもたち相手の算数教室は大賑わい。大人たちも家の外からなんとか観ようとします。鏡にテレビの画面を写して、外の大人たちに配慮する子どもたち。

そんなこんなの騒動が続く中、村長がメッカ巡礼を決意します。でも、パスポートを取るのに写真がいる! 絶対写真を撮りたくない村長は、「そうだ! 双子の兄の写真で申請しよう!」と、兄のところへ。風格あるイマームの兄は、弟の頼みを却下。しぶしぶ写真を撮り準備も整ったのですが、思わぬことで旅立てなくなり空港近くのホテルに逗留する村長。巡礼の様子が観たいと禁断のテレビをつける・・・
(もっと詳しい内容は、松岡環さんのアジア映画巡礼でどうぞ!)

小さな村の人たちのいろいろな人生模様が、ユーモアたっぷりに描かれた素朴な映画に、会場からは何度も笑いが漏れました。

◆東京外国語大学の非常勤講師渡辺一弘さんによる解説
まずは、バングラデシュの映画事情。
これまでアジアフォーカス福岡国際映画祭でバングラデシュ作品が数本上映されていますが、ある二人の監督(注:モルシェドゥル・イスラム監督とタンビール・モカンメル監督)のもので、モスタファ・サロワル・ファルキ監督作品は今回が日本初上映。
バングラデシュでは、ダッカを中心に映画製作が行われ、「ダリウッド映画」はかつて年100本作られていたことも。
1971年、パキスタンから独立した当時、映画館は168館。80年代になり映画製作が盛んになり、1995年には1235館も。その後、映画産業は衰退し、年間30本位に落ち込み、映画館も300館位に。勧善懲悪や、理不尽な質の悪い映画が増えて、観客を惹きつけなくなったこと、人気のインド映画に似せて作ったことから飽きられたことなどが衰退の理由。
インド映画は人気だが、バングラデシュの映画館では、自国映画保護のため上映禁止。(パキスタン映画も上映禁止)
また、80年代、ビデオが家庭に普及しレンタルビデオが盛んになったことも映画館減少の大きな要因。(これは、どこの国も同じですね)
現在では、ケーブルテレビの普及し、月500円位で、40〜60チャンネルを観ることができ、映画チャンネルでボリウッドやハリウッドの映画も簡単に観れることから、映画館が必要なくなったという事情も世界の趨勢。
映画館で映画を観るのは、人力車や日雇いなど下層の人たちが中心で、彼等の日頃の鬱積を晴らすためセクシーなダンスなどを挿入して上映するようになり、家族連れで行きにくい状況に。特に、女性一人では入りにくいようです。古い映画館は設備も悪く、冷房の効かないところも。
2,004年にダッカのショッピングビルにシネフレックス(シネコンのバングラデシュ流の呼び方)が初めて出来、2013年にも、大きなモールにシネフレックスが誕生。チケット代が従来の映画館が200円位のところ、1000円前後という高い値段ながら家族連れに人気だとか。

『テレビジョン』について
モスタファ・サロワル・ファルキ監督は、1973年生まれ。
大学で演劇を学び、卒業後、テレビでCMやドラマを手がける。
2003年に製作した映画が釜山映画祭で評価を受け、『テレビジョン』も韓国のサポートを受けている。
舞台はベンガル湾の出口に近いところで、川なのか海なのかわからない広さだけど、川とのこと。
Chairman(村長と訳)の住むところは、砂州に出来た村。
コルカタ(旧カルカッタ)付近の標準ベンガル語と違って、この地域のなまりの強い方言を積極的に取り入れ、若い人の支持を受けたそうです。
ちなみに冒頭の女性キャスターの言葉は、標準ベンガル語。
(後に質問したところ、この映画で使われた方言は標準ベンガル語を使っている人に理解できる程度のなまりだそうです。役者も方言を実際に話す人たちではなく、方言指導をしたもの)

宗教を扱っているけれど、正面から批判したものではないことにも注目。
息子は一旦父親に逆らいますが、やはり従う。バングラデシュでは親に従順という標準的な若者の姿。
また、ボリウッドのコピーではない映画。
他国と同様、このようなアート系の映画はそれほど観客が集まらない。
所得が増えて、良い映画館に足を運べるようになればと。

そして主演女優は、監督の奥様!
役名のコーヒヌールは、ペルシア語のkuhe nur(光の山=ダイヤモンド)が起源。

バングラデシュ大使をしていた先輩から聞いた話では、ベンガル語には1万語位のペルシア語起源の語彙が入っているそうです。過去にイランから移民してきたイラン系の名字の方もいるとか。

バングラデシュ映画は、アジアフォーカス福岡国際映画祭でこれまでに4本観たことがあります。どれも素朴な映画でした。

中でも、『テレビジョン』を観て思い出したのが『根のない樹』.。
2002年のアジアフォーカスで上映されたタンビール・モカンメル監督による2001年製作作品。
ある村に人が訪れなくなった墓があると聞きつけた男が、それを聖者の墓に仕立てて一儲けしようとする話。人々にイスラームを説き、村人たちも彼を敬って色々と物や金を届けるようになるのですが、ある日、村に本物のイマームがモスクを作りボロが出るという物語。
とても印象深い映画で、今でもはっきりと覚えています。これぞイスラーム映画祭にぴったりだと思うのですが、福岡からは門外不出とか。
そもそも、聖者崇拝も、厳格なイスラームを守るサウジアラビアなどではご法度。
モカンメル監督にお話をお伺いした時に、撮影用に石に赤いテントを張ったら、翌朝、お賽銭が投げ込まれていたと笑っていました。バングラデシュで一儲けするのは赤い布が1枚あれば良さそうです。

『テレビジョン』にヒンドゥー教徒の先生が出てきたので思い出したのが、2012年のアジアフォーカスで上映された『わが友ラシェド』。1971年の バングラデシュ独立戦争を13歳の少年たちの目を通して描いた物語。原作のある作品ですが、モルシェドゥル・イスラム監督自身、当時13歳。
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監督にインタビューした折に、印パ分離独立で「東パキスタン」となった地域では、ヒンドゥー教徒も特にインド側に移住せず、共存していたことを聞きました。独立戦争が勃発した時、西パキスタン政府軍が真っ先に攻撃したのが、東パキスタンに住むヒンドゥー教徒だったとか。


これまでにアジアフォーカス福岡国際映画祭で上映されたバングラデシュ映画
1995年【第5回】 車輪 モルシェドゥル・イスラム監督
1997年【第7回】 苦難の大地  モルシェドゥル・イスラム監督
1998年【第8回】 転校生ディプー モルシェドゥル・イスラム監督
2004年【第14回】 ラロン  タンビール・モカンメル監督
2005年【第15回】 ぼくはひとりぼっち モルシェドゥル・イスラム監督
2012年【第22回】 わが友ラシェド モルシェドゥル・イスラム監督

もっともっとバングラデシュ映画を観たいと思ったら、はい、1月の「イスラーム映画祭2」で上映されます!

『泥の鳥』

2002年/バングラデシュ、フランス/ベンガル語/98分/原題:Matir Moina/英題:The Clay Bird
監督:タレク・マスゥド

これは楽しみ♪
イスラーム映画祭2、ほかにも魅力的な作品がいっぱい!
詳細は、公式サイトで!
https://t.co/kG9vocQXmR
posted by sakiko at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする