東京外国語大学での大使館や映画配給会社などの支援・協力を受けて世界の諸言語による映画や講演会を行うプロジェクト「TUFS cinema」で、今年は南アジア映画特集。
11月26日にはパキスタン映画『神に誓って』(ショエーブ・マンスール監督、2007年)が上映されました。上映後には先輩の麻田豊氏の解説もあり、何度か観た懐かしい映画に再会したかったのですが、東京フィルメックスの会期中で諦めました。
南アジア映画特集 第二弾として、バングラデシュ映画『テレビジョン』の上映会が12月10日(土)に開かれ、日本初上映とあって、これは見逃せないと行ってきました。
上映前に、モスタファ・サロワル・ファルキ監督のビデオメッセージ。
「上映後には、スタッフが悲鳴をあげるほど質問をいただければハッピー」
『テレビジョン』Television監督:モスタファ・サロワル・ファルキ
2012年/ベンガル語/106分
海辺(川辺?)の村。船の上で新聞の写真部分に白い紙を貼る男。紙をめくって、ちらっと若い女性の写真を覗き見してから糊で貼り付ける。
イスラームの教えに厳格な村長が、一切の画像を禁止したための措置。
テレビ局の女性キャスターにインタビューを受ける村長。
「テレビも禁じるのは? 今はイマームもテレビに出ています。あなたの双子のお兄さんも番組を持っていますよ」
「兄は悪い人間」「ユダヤ教徒の作った箱などいらない」と言い放つ村長。
カメラが上空に引いて、実はこのインタビュー、女性から村長の顔が見えないよう、白い幕越しに行われているのが写しだされます。
村長の家では、息子のスレイマンが母親を介して、父親に携帯電話が欲しいと切願しますが、若者に携帯を与えては堕落すると許しません。恋人コーヒヌールと携帯で連絡を取りたいスレイマンは必死です。いつもそばにいる使用人のモジュヌのお陰で携帯をゲットし、コーヒヌールに携帯を届けさせます。が、このモジュヌもコーヒヌールに恋をしていて、勝負は見え見えなのに告白。
ある日、クマール先生の自宅にテレビがやってきます。
「僕はヒンドゥー教徒だから問題ない」という先生に、「ムスリムには見せるな。天罰が下る」と村長。
クマール先生宅での子どもたち相手の算数教室は大賑わい。大人たちも家の外からなんとか観ようとします。鏡にテレビの画面を写して、外の大人たちに配慮する子どもたち。
そんなこんなの騒動が続く中、村長がメッカ巡礼を決意します。でも、パスポートを取るのに写真がいる! 絶対写真を撮りたくない村長は、「そうだ! 双子の兄の写真で申請しよう!」と、兄のところへ。風格あるイマームの兄は、弟の頼みを却下。しぶしぶ写真を撮り準備も整ったのですが、思わぬことで旅立てなくなり空港近くのホテルに逗留する村長。巡礼の様子が観たいと禁断のテレビをつける・・・
(もっと詳しい内容は、松岡環さんのアジア映画巡礼でどうぞ!)
小さな村の人たちのいろいろな人生模様が、ユーモアたっぷりに描かれた素朴な映画に、会場からは何度も笑いが漏れました。
◆東京外国語大学の非常勤講師渡辺一弘さんによる解説
まずは、
バングラデシュの映画事情。これまでアジアフォーカス福岡国際映画祭でバングラデシュ作品が数本上映されていますが、ある二人の監督(注:モルシェドゥル・イスラム監督とタンビール・モカンメル監督)のもので、モスタファ・サロワル・ファルキ監督作品は今回が日本初上映。
バングラデシュでは、ダッカを中心に映画製作が行われ、「ダリウッド映画」はかつて年100本作られていたことも。
1971年、パキスタンから独立した当時、映画館は168館。80年代になり映画製作が盛んになり、1995年には1235館も。その後、映画産業は衰退し、年間30本位に落ち込み、映画館も300館位に。勧善懲悪や、理不尽な質の悪い映画が増えて、観客を惹きつけなくなったこと、人気のインド映画に似せて作ったことから飽きられたことなどが衰退の理由。
インド映画は人気だが、バングラデシュの映画館では、自国映画保護のため上映禁止。(パキスタン映画も上映禁止)
また、80年代、ビデオが家庭に普及しレンタルビデオが盛んになったことも映画館減少の大きな要因。(これは、どこの国も同じですね)
現在では、ケーブルテレビの普及し、月500円位で、40〜60チャンネルを観ることができ、映画チャンネルでボリウッドやハリウッドの映画も簡単に観れることから、映画館が必要なくなったという事情も世界の趨勢。
映画館で映画を観るのは、人力車や日雇いなど下層の人たちが中心で、彼等の日頃の鬱積を晴らすためセクシーなダンスなどを挿入して上映するようになり、家族連れで行きにくい状況に。特に、女性一人では入りにくいようです。古い映画館は設備も悪く、冷房の効かないところも。
2,004年にダッカのショッピングビルにシネフレックス(シネコンのバングラデシュ流の呼び方)が初めて出来、2013年にも、大きなモールにシネフレックスが誕生。チケット代が従来の映画館が200円位のところ、1000円前後という高い値段ながら家族連れに人気だとか。
『テレビジョン』についてモスタファ・サロワル・ファルキ監督は、1973年生まれ。
大学で演劇を学び、卒業後、テレビでCMやドラマを手がける。
2003年に製作した映画が釜山映画祭で評価を受け、『テレビジョン』も韓国のサポートを受けている。
舞台はベンガル湾の出口に近いところで、川なのか海なのかわからない広さだけど、川とのこと。
Chairman(村長と訳)の住むところは、砂州に出来た村。
コルカタ(旧カルカッタ)付近の標準ベンガル語と違って、この地域のなまりの強い方言を積極的に取り入れ、若い人の支持を受けたそうです。
ちなみに冒頭の女性キャスターの言葉は、標準ベンガル語。
(後に質問したところ、この映画で使われた方言は標準ベンガル語を使っている人に理解できる程度のなまりだそうです。役者も方言を実際に話す人たちではなく、方言指導をしたもの)
宗教を扱っているけれど、正面から批判したものではないことにも注目。
息子は一旦父親に逆らいますが、やはり従う。バングラデシュでは親に従順という標準的な若者の姿。
また、ボリウッドのコピーではない映画。
他国と同様、このようなアート系の映画はそれほど観客が集まらない。
所得が増えて、良い映画館に足を運べるようになればと。
そして主演女優は、監督の奥様!
役名のコーヒヌールは、ペルシア語のkuhe nur(光の山=ダイヤモンド)が起源。
バングラデシュ大使をしていた先輩から聞いた話では、ベンガル語には1万語位のペルシア語起源の語彙が入っているそうです。過去にイランから移民してきたイラン系の名字の方もいるとか。
バングラデシュ映画は、アジアフォーカス福岡国際映画祭でこれまでに4本観たことがあります。どれも素朴な映画でした。
中でも、『テレビジョン』を観て思い出したのが『根のない樹』.。
2002年のアジアフォーカスで上映されたタンビール・モカンメル監督による2001年製作作品。
ある村に人が訪れなくなった墓があると聞きつけた男が、それを聖者の墓に仕立てて一儲けしようとする話。人々にイスラームを説き、村人たちも彼を敬って色々と物や金を届けるようになるのですが、ある日、村に本物のイマームがモスクを作りボロが出るという物語。
とても印象深い映画で、今でもはっきりと覚えています。これぞイスラーム映画祭にぴったりだと思うのですが、福岡からは門外不出とか。
そもそも、聖者崇拝も、厳格なイスラームを守るサウジアラビアなどではご法度。
モカンメル監督にお話をお伺いした時に、撮影用に石に赤いテントを張ったら、翌朝、お賽銭が投げ込まれていたと笑っていました。バングラデシュで一儲けするのは赤い布が1枚あれば良さそうです。
『テレビジョン』にヒンドゥー教徒の先生が出てきたので思い出したのが、2012年のアジアフォーカスで上映された『わが友ラシェド』。1971年の バングラデシュ独立戦争を13歳の少年たちの目を通して描いた物語。原作のある作品ですが、モルシェドゥル・イスラム監督自身、当時13歳。
監督にインタビューした折に、印パ分離独立で「東パキスタン」となった地域では、ヒンドゥー教徒も特にインド側に移住せず、共存していたことを聞きました。独立戦争が勃発した時、西パキスタン政府軍が真っ先に攻撃したのが、東パキスタンに住むヒンドゥー教徒だったとか。
これまでにアジアフォーカス福岡国際映画祭で上映されたバングラデシュ映画
1995年【第5回】 車輪 モルシェドゥル・イスラム監督
1997年【第7回】 苦難の大地 モルシェドゥル・イスラム監督
1998年【第8回】 転校生ディプー モルシェドゥル・イスラム監督
2004年【第14回】 ラロン タンビール・モカンメル監督
2005年【第15回】 ぼくはひとりぼっち モルシェドゥル・イスラム監督
2012年【第22回】 わが友ラシェド モルシェドゥル・イスラム監督
もっともっとバングラデシュ映画を観たいと思ったら、はい、1月の「イスラーム映画祭2」で上映されます!
『泥の鳥』2002年/バングラデシュ、フランス/ベンガル語/98分/原題:Matir Moina/英題:The Clay Bird
監督:タレク・マスゥド
これは楽しみ♪
イスラーム映画祭2、ほかにも魅力的な作品がいっぱい!
詳細は、公式サイトで!
https://t.co/kG9vocQXmR