おとなの事情 原題: Perfetti Sconociut
監督:パオロ・ジェノヴェーゼ
出演:ジュゼッペ・バッティストン、アルバ・ロルヴァケル、ヴァレリオ・マスタンドレア、カシア・スムトゥニアク
*ストーリー*
ロッコとエヴァ夫妻は3組の友人たちを家でのディナーに招く。新婚のビアンカとコシモ。倦怠期を迎えた夫婦レレとカーロッタ。失業中で仕事を探している独身のぺぺ。彼女を連れてくるはずが、一人で登場。食事も佳境に入り、エヴァが突然、「ゲームをしない?」と提案する。スマホをテーブルに置いて、メールがきたら読み上げる、電話がかかってきたらスピーカーにするというのがルールだ。
面白そうと、全員、スマホをテーブルに置く・・・
2016年/イタリア/96分/ビスタ/5.1ch/
配給:アンプラグド
公式サイト:otonano-jijyou.com
★2017年3月18日(土) 新宿シネマカリテ他全国ロードショー
公開を前に来日したパオロ・ジェノヴェーゼ監督にインタビューの時間をいただいていたのですが、風邪でダウン。オフィシャルインタビューをご提供いただきましたので、ここに掲載します。
◎パオロ・ジェノヴェーゼ監督インタビュー
質問:作品のアイディアはどうやって思いついたのですか? 参考にしたカップルなどいたのでしょうか?
監督:実は知り合いのカップルに起こったことがインスピレーションになっている。男性が事故にあって入院して、女性が病院に向かったとき、彼の携帯を渡された。そこで色んなテキストメッセージをみたらしくて、彼が退院したらすぐに別れたカップルがいたよ。
質問:キャラクターはどのように作り上げたのですか?
監督;イタリア人同士の友情において、知り合った期間が重要だと考えられている。大人でもよく小学校の友人と一緒に時間を過ごしたりする。リッチになった人もいれば、貧乏に苦しんでいる人も。そんな風に色んな人物を登場させたかった。多様性を重視した。ゲイもいれば、結婚して子供もいるカップル、色々触れたかったテーマに沿って、キャラクターを設定した。
質問:中でも印象的なのはビアンカのキャラクターです。
監督:キャラクターに幅を持たせたかった。映画が終わる頃には、7人の誰もが冒頭とは違う場所にいるんだ。ビアンカのキャラクターは、最初は明らかに<善>だが、映画を通して様々な表情をみせることになる。他のキャラクターはどちらかというと白黒の度合いが激しいが、ビアンカは彼女なりに色んな幅がある。そこを描きたかった。
質問:まるで戯曲のような印象を受けます。そうでありながらも決して演劇っぽくはない。どのような工夫がされているのでしょうか?
監督:とにかく脚本のテンポとペースには気を使った。常に動いている躍動感が必要だった。主観のナレーションが入る場合もあれば、他人がその人物について語るときもある。他人に語られることによって、よりキャラクターの輪郭がはっきりしていく。映像も工夫している。テーブルに8人目のスペースがあるように、セットを組んでいる。観客があたかもテーブルに参加している視点で7人の登場人物を撮るために、そこにカメラを設置して撮るようにしたんだ。まるでテーブルの会話に参加しているかのような感覚を生み出すために。観客が実際にテーブルに座って会話に耳を傾けているようにね。それが狙いだった。それ以外は、映像トリックを使う余地はなかった。あからさまに工夫された映像美はこの作品には必要なかったから。
質問:脚本には監督を含め数人がクレジットされています。
監督:脚本を数人で仕上げることにしたのはいいアプローチだった。たくさんのキャラクターがでてきて、たくさんの人生の逸話が交錯する。いろいろな実体験や聞いた話の方が、より印象が鮮明になるのは当然。みんなで色々アイディアを出し合って、そこでベストのものを脚本に取り入れた。1週間に2度集まってアイディアを交換して、集まるたびに執筆した。色々アイディアを整理するために基本的な執筆は自分でやった。そして集まったら原稿を読ませて、色々意見をもらう。色んな意見が聞けるから、作品の内容ともフィットして非常にやりがいのあるプロセスだったね。
質問:会話の中に今のイタリア社会を反映しているようなセリフがでてきますが、これは監督自身のイタリア社会批判ととってもいいのでしょうか?
監督:必ずしもそうではないし、イタリア社会を批判しようと思ったわけではない。ただそういう内容を会話に織り込むことによって、リアリズムを持たせたかった。友達と会話するにあたって、どんなテーマが飛び出すかはわからないからね。
質問:即興は取り入れられているのですか?
監督:ほとんどない。脚本の言葉に忠実なんだ。言葉を慎重に選んで書いているからね。イタリア語は言語として非常に豊かだと思う。同じことを言い表すにも違う表現があるので、どの単語を使うかは非常に重要になってくる。俳優たちには演じる役柄において、長年の友情や親近感を表現するために、多少のかけあいをさせている。その部分のみ即興だ。
質問:人類がテクノロジーにいかに影響されているかというテーマについては?
監督:僕にとってテクノロジーはあくまで人間を描くための手段だ。人間の表と裏という普遍的なテーマを描くために、携帯電話を用いただけだ。普通なら秘密は僕らの頭の中にあるのに、最近では携帯電話というボックスの中に集約されるようになった。決してテクノロジーに危険を感じているのではない。ただ考えてみると、我々がいま常に持ち歩いているものといえば携帯。携帯が与えてくる情報により、我々は解放されるときもある。同時に人間同士のつながり方を変える力を持つし、中毒性さえ引き起こす可能性もある。その点ではどのテクノロジーも同様だ。
質問:近年のイタリア映画についてはどう思いますか?
監督:映画祭に参加させてもらうと、すごくイタリア映画に対して期待度は高いし、実際にとても人気がある。しかし1年を通して、ごくわずかな作品数しか輸出されていないのはとても残念だ。特にコメディは人気がある。ひょっとすると、イタリア国内より海外の方がイタリア製のコメディに期待してくれる傾向があるかもしれない。映画的に注目するべきジャンルとしてみられているようだ。アカデミー賞を受賞したイタリア映画3本『グレート・ビューティー/追憶のローマ』(2013)、『エーゲ海の天使』(1991)、『ライフ・イズ・ビューティフル』(1999)のどれもがコメディだ。娯楽性だけでなくテーマ性も持ち合わせているイタリアンコメディは人気があるようだ。
質問:監督の作品はそんなイタリアンコメディの伝統を引き継いでいるでしょうか?
監督:そうだと思う。ディナーテーブルを中心に話が進んでいくストーリーにしても、特に誇張もされていないごく自然な親密さ、付き合いの長い友人同士の関係性はまさにイタリア独特のものだと言えると思う。ストーリーが展開する設定において非常に説得力のある要素になっているのは間違いない。
posted by sakiko at 22:11|
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