2017年08月29日

函館にカフェ・プランタールopen!!!  (千)

今から5年前 ドキュメンタリー映画『スケッチ・オブ・ミャーク』大西監督に取材でお会いした時、映画のことよりも自然農とか農的な暮らしのことで大変盛り上がって時間オーバーしたくらい素敵な時間をいただいたのですが
インタビュー記事はコチラ

その時から既に北海道へ移住したい〜 と、お話しされてました(当時、監督は大阪在住) そしたら、とうとう函館に自然農の畑を耕しながらのカフェをopenされました〜☆ おめでとうございます  北海道へは、もう何年も行ってないので… これを機に久しぶりに訪れたいと思いました。
  カフェ・プランタール


『スケッチ・オブ・ミャーク』
(C)Koichi Onishi 2011 pic01.jpg
 


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2017年08月27日

『スノーデン』 なかのZEROで戸舘圭之弁護士の解説付上映会 (9/8)

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米国最大の機密を暴いた男
スノーデンとは英雄か、それとも国家の裏切り者か?

オリバー・ストーン監督の映画『スノーデン』(日本語吹き替え版)の上映会が開かれます。

日時: 9月8日(金)  
1回目 9:30〜11:45 (トークなし)
2回目 13:00〜15;15 上映終了後、弁護士 戸舘圭之氏のトーク(約45分)
上映時間:135分  開場:各30分前

会場:なかのZERO小ホール(507席)
JRまたは東京メトロ東西線「中野駅」南口から徒歩5分
   地図→https://www.nicesnet.jp/access/zero.html

料金:1,000円(高校生以上) *前売券の販売はありません。

主催:中野「スノーデン」上映会  ◆協力:共同映画株式会社

★お問合せ: 藤本さん (090−4738−6168
        折り返しお電話いたしますとのことです。

あの「イスラーム映画祭」主宰の藤本さんの企画です。
Facebookにアクセスできる方は、藤本高之さんで検索して、参加できる方はぜひ表明していただければ幸いです。(咲)

『スノーデン』公式サイト 公式サイト:http://www.snowden-movie.jp

こちらもぜひご参考に!
ミッキーの映画三昧日記



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『海の彼方』黄胤毓監督&『台湾萬歳』酒井充子監督トークショー (暁)

2017年8月13日 ポレポレ東中野
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左 黄胤毓監督 右 酒井充子監督


『海の彼方』上映終了後、黄胤毓(ホアン・インユー/インイク)監督と『台湾萬歳』の酒井充子監督による トークイベントがありました。現在八重山に住んでいる黄監督は、流暢な日本語でのトークでした。

作品内容は下記を参照ください
シネマジャーナルHP『海の彼方』作品紹介
『台湾萬歳』酒井充子監督インタビュー

*八重山の台湾移民
 
黄監督 けっこう長い時間をかけて、台湾移民の一世から三世、四世まで、八重山だけでなく、沖縄、日本各地に住んでいる人、台湾に疎開した人150人くらいにインタビューしました。皆さんの共通点を考えて、いろいろテーマ、大きなテーマは「八重山の台移民」ですが、違うルートで来た人とか、いろいろテーマがあったので3部作にしました。1作目は、なぜ八重山に台湾の人がいるのかという紹介。歴史をまとめて紹介しました。とりあえず家族を中心に主人公を選びました。やはり歴史を語りたいのなら、本人がいないとできないので、一世の方をいろいろ考えて、元気で記憶力が素晴らしい玉木玉代おばあを中心にして、台湾移民の中で、一番家族が多いというのも玉木家を選んだ理由です。

酒井監督 黄監督は日本語が流暢ですが台湾の人です。偶然ですが、次に上映される私の『台湾萬歳』の舞台の台東県の出身です。大学時代に「沖縄の台湾人」というテーマを見つけられて、日本に留学したんですよね。

 ドキュメンタリーに興味を持って大学時代にドキュメンタリー映画を作り始めて、その時に人類学とか民俗学に興味を持ちました。日本人の先生が、日本と台湾の関係あるテーマを教える授業で、日本の中で台湾移民が一番多いは沖縄って知っていますか?と言われ、その時に戦前の台湾移民の話をしてくれました。
日本統治時代の台湾人の話というと、学者だったり、医者、商売人とか、エリートのイメージですが、農民とか労働者の話は初めてでした。それで、印象に残りました。その後、映画の勉強で日本に留学して「日本と台湾」のテーマで、何があるのかと思った時に、自然に八重山の台湾人のことをやってみたいと思いました。

酒井 私たち日本人も、台湾から八重山にあれだけたくさんの農業移民がいるということを知るきっかけとがなくて、この映画を通じて初めて知った方もたくさんいるんじゃないかなと思います。
石垣のパイナップルを、私たちも食べていると思いますが、そのパイナップルを石垣島を根付かせたのが台湾の方たちだったということも含めて、玉代おばあの存在を通して、石垣の台湾移民の歴史を知ることになったのですが、今回、孫の慎吾さんの目線を通して、おばあを見ていくという流れ、とても良かったと思いました。

 私が取材を始めた時「遅すぎる」と言われました。もたくさんの人が亡くなっている。10年、20年前に来ていればと言われました。でも実際は、10年前だったら教えてくれなかったかもしれません。自分たちのアイデンティティや身分、素性を隠していたからです。

*台湾人としてのアイデンティティ

酒井 台湾人だと言えるようになったのは、最近のことだと言っていましたよね。

 私がこの作品を作り始めた2015年の頃、彼たちが直面している問題と向き合っていた。三世、四世になったら、どうやって台湾系であることを考えるかとか、考え始めていること。2013頃から取材しているけど、毎年、毎年、一世の方がなくなっているし、移民が三世越えたら終わり。すっかり日本人になっているとかあります。

酒井 おばあが元気でいてくれるこの時期に出会えてよかったですね。おばあがあってこその映画ですよね。

 はいそうです。あと慎吾さん(ミュージシャン)という存在を得たというのも重要ですね。三世で東京にいて、正々堂々と自分が台湾の血をひいていると認めている。実際、日本生まれ、日本育ちの三世の方たちに何人も会っているのですが、台湾のことを聞かれても、台湾のかけらもないという人もいます。隠したいというのでもなく、日本人になっている。興味もないという人もいます。以前は台湾系を隠さないと就職できないとかということもあったので、台湾の血をひいていることはかくして、日本人として生きている人もいました。台湾から来た一世の人たちは頑張ってここまで来たのに、わからないままという人たちもいる。
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黄胤毓監督と玉木慎吾さん(2017.3大阪アジアン映画祭にて)


*台湾と八重山の繋がり

酒井 黄監督は、台湾でかつて八重山にいたという人には取材したんですか?

 映画の中にも出てきましたが、終戦当時、台湾に疎開した人は2万人くらい。台湾に戻ったまま、八重山には戻らなかった人もいますし、玉代さんのように戻ってきた人もいます。石垣だけでなく、宮古島とかにもいます。
戦前八重山に行った人は90歳前後。港を作ったりしたお年寄りもいます。

酒井 台湾と沖縄というと、当時(日本統治時代)、沖縄から台湾に行った人もけっこういますよね。私が今回取材した台東の漁師のおじいさんは沖縄出身の人の船に乗っていたそうです。ほんとに沖縄と台湾との繋がりは強いですよね。

 私は今も、沖縄を拠点にして取材をしていますが、特に八重山と台湾は近いですよ。沖縄本島より対話のほうが近いほどです。沖縄本島と台湾は時差がありますが、台湾と八重山は同じ時間ですね。八重山の言葉で、「台湾病」というのがあります。八重山は田舎なので台湾に行きたいということなんですが、台湾に行ったら、特に台北に行ったら大都会でした。

酒井 一番近い大都会は台北だったてことですね。

 今の時代、東京に行きたいというのと同じです。

*次作以降の作品について

酒井 3部作の、今回1作目ということですが、このあとは、どういう作品なんですか? もう撮影に入られていると聞いたのですが。

 八重山の台湾移民で、一番多いのは、石垣島のパイナップル農民ですが、それより20年より前、西表島の炭鉱があったんですね。そちらは悲惨な歴史で、台湾だけでなく朝鮮や中国の人を街で募集して連れてきて、非人道的な労働をせさていた。経験者の二世の92歳のおばあさんに集中して西表炭鉱の歴史を聞いています。残された時間が少ないし、悲しい話が続いて、すごい不幸な人生なので、次の作品は、再現シーンは劇映画にしようと思っています。それで、今、クラウドファインディングで資金集めをしています。

酒井 12月まで募集していますので、皆さんよろしくお願いします。3作目は若い人なんですよね。

 3作目は、慎吾と同じ世代の方が2013年から台湾の伝統である龍の舞を行う青年団を石垣で作ったのでづが、その結成から今までを記録しています。若い人中心で、台湾のことはわからないという人もいます。でも台湾との繋がりを保っている。台湾ぽさを出すのではなく「石垣の文化のひとつは台湾系」ということで、台湾移民コミュニティの未来かなと思って動いています。
戦前は地元の人ともめたこともあるけど、日本生まれの三世、四世は、すっかり石垣の人だけど、台湾系というものを出しています。エイサーみたいな感じで、台湾系の舞踊も残したいという思いでやっています。

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*懐かしい台湾語と日本語

酒井 『海の彼方』では、おばあたちが話している台湾語が、今の人たちからすれば、すごく古い、丁寧な台湾語だと聞きました。私が今まで台湾で日本語教育を受けたおじいさん、おばあさんたちに話を聞いた時、すごく丁寧な美しい日本語が台湾に残っていたんです。

 更新していないので、時差があるんですよ。当時学んだ言葉で話しています。けっこう難しくて、私も聞き取れなくて聞き直したりしました。八重山の人たちが話している台湾語は、戦後、台湾の中国語教育とかに影響されていないので、当時のままなんです。私たちの世代は難しい台湾語は北京語(公用語)に置き換えてしゃべったりしています。今回の取材では、私も聞き取れなくてわからない台湾語を親に聞いたりしました。親も久しぶりに、こんな台湾語を聞いたと言っていました。

酒井 そうなんですね。懐かしい台湾語が今も石垣では話されてるということなんですね。

 今の台湾では中国語(北京語)で話していますので、私の世代では基本、台湾語は下手です。聞くことはできても、しゃべるのは難しい言葉は話せません。八重山で取材しているうちに台湾語が上手になりました(笑)。

酒井 台湾語のレッスンになったんですね。

*台湾からの移民について知ってほしい

司会 最後に、観客の皆さんに伝えたいことをお願いします。

 この作品は、去年台湾で公開されたのですが、日本での上映で、八重山の台湾移民のことを知ってほしい。いろいろ取材しても、顔を出せなくて、使えないインタビューもありました。友人にも、自分が台湾系であることを公表していない人もいます。そういう人たちが葛藤も含めて理解してほしい。二世の方は日本社会の中で、自分の生活を守るため、そういう生活を選んだ人もいます。

酒井 そういう思いをしている人たちがいるということが、今の日本社会であるということを考えなくてはいけないということを感じます。

 台湾からの移民の人たちの思いが伝えられたらと思います。

ポレポレ東中野で公開中

『海の彼方』公式HP
『台湾萬歳』公式HP

黄監督次回作『緑の牢獄』支援プロジェクト
クラウドファンディングサイトMotion Gallery
https://motion-gallery.net/projects/greenjail















posted by akemi at 19:51| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本・ミャンマー共同製作映画&ドラマ『My Country My Home』製作発表記者会見  ミャンマーの若き女性監督にお会いする  (咲)

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2017年8月25日(金)、日本とミャンマーの友好の架け橋となる映画『My Country My Home』(2018 年2月上旬ミャンマーで公開予定、日本は未定)と、それに連動するテレビドラマ(2018 年1月下旬ミャンマーで放送)の製作発表記者会見が行われました。

NHKグループの日本国際放送とミャンマーの民間地上波チャンネルMyanmar National Television(MNTV)による共同製作で、映画とドラマを連動させるという初の試み。

映画版の監督がミャンマー女性ということに興味を惹かれ、記者会見に参加してきました。

★チー・ピュー・シン監督
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ミャンマー・アカデミー賞で男優賞、女優賞、脚本賞を受賞するなど、ミャンマーの若年層を中心に広く人気を集めている。2006年にはミャンマーの著名漫画家を追悼するドキュメンタリー『A Sketch of Wathone』を制作し、National Geographic Society(米国)主催の映画祭All Roads Film Festival で最優秀短編映画賞を受賞(2008年)、ミャンマーを代表する女性監督。


◎記者会見

記者会見開始まで、ミャンマーMNTVによるミャンマーの名所や風景を満載した『My Country My Home』宣伝の特別映像とテーマソングを楽しみました。

この日、ミャンマーの製作関係者と出演者の皆さんを乗せたフライトが香港で急病人を降ろしたため、到着が2時間遅れたとのことですが、記者会見は予定の2時から5分遅れただけで始まりました。ミャンマーの皆さんの素敵な民族衣装に目を奪われます。

会見の最初に、司会の日本国際放送 杉浦隆統括部長より映画とドラマの概要が紹介されました。

映画『My Country My Home』
監督:チー・ピュー・シン
リトル・ヤンゴンと呼ばれる東京・高田馬場で暮らす女子高生、ナン(ウィッ・モン・シュエ・イー)。父(ヤン・アウン)は民主化運動に参加したことから、30年前に国を逃れて日本で暮らしてきたが、ようやく祖国に帰れる日がきたという。両親はミャンマー人だけど、日本に生まれ育ったナンは自分を日本人と思って暮らしてきた。日本とミャンマー、二つの祖国の狭間で悩むナン。そんな彼女の前に、二人の男性が現われる。一人はミャンマーからの留学生トゥラ(アウン・イェ・リン)。もう一人は、ミャンマー人でありながら、日本でJ−POPアーティストとして活躍する木村アウン(森崎ウィン)。二人のミャンマー男性との出会いが、二つの祖国で絡み合ったナンの心を少しずつ解きほぐしていく・・・

ドラマ版
監督:雑賀俊朗
映画公開に先立ち、映画と連動するドラマを制作、2018年1月下旬、MNTVでミャンマー全国放送を予定。
子供時代に日本に来て、現在はJ-POPアーティスト、俳優として活躍している森崎ウィンの生い立ちをヒントにしたオリジナル脚本のドラマ。今年10月に日本とミャンマーで撮影予定。

◆来賓・主催者挨拶
まずは、海外との共同製作を支援する事業を担当する総務省情報流通行政局 情報通信作品振興課の神谷征彦氏の挨拶。

次に、ミャンマー側主催者Myanmar National Television(MNTV)社長 ナン・マウッ・ラウ・サインさんの挨拶。
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総務省に対する支援へのお礼に続いて、ドラマが両国の友好を基礎にしたものであること、映画は日本人の文化も鮮明に描いたもので、かつ、ミャンマーの人も観たことのないようなミャンマーの景色を見せるものにしたいと語りました。

また、日本側主催者 日本国際放送 代表取締役社長 冷水仁彦氏からは、「日本での公開も決まっていない映画の製作発表に起こしいただきありがとうございます」と満杯の会場に向かってお礼。MNTVさんに対しては、3年前からNHKの大河ドラマや朝の連続ドラマ「あまちゃん」をゴールデンタイムに放映していただいていることへのお礼が述べられました。一足早くミャンマーで開催された記者会見には、40社が参加し、スーチーさんと共に民主化運動をしてきたヤンゴンの首相(地域の知事にあたる)も出席されたことも報告されました。
ここで、ミャンマーで行われた成功祈願のお祈りの会と記者会見の模様が映像で紹介されました。


◆監督・出演者によるトークセッション


映画とドラマ、それぞれの監督と出演者の皆さんが登壇。

映画版 チー・ピュー・シン監督:
サポートしてくださっている日本の関係者の方、そして、ミャンマーMNTVのミン社長にお礼を。映画は両国の友好の証です。ミャンマーの映画好きの方たちから期待されています。映画を大成功させるよう頑張ります。

ナン役 ウィッ・モン・シュエ・イー
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私の役は、日本を愛するミャンマーの女の子です。そういう役をできることを光栄に思います。子どもの時からずっと日本のドラマを見てきましたので、撮影を通じて日本の文化に触れるのが楽しみです。
(日本語で)一生懸命頑張ります。よろしくお願いします。

父親役 ヤン・アウン
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『祖国』(ミャンマーでの原題)にミャンマーの人たちは大いに期待しています。日本の皆さんにも喜んでいただけるものにしたいです。

留学生トゥラ役 アウン・イェ・リン
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日本ミャンマー友好の映画に出演することができるのを光栄に思います。
全力を尽くします。

木村アウン役 森崎ウィン
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ミャンマーで生まれ、小学校4年生のときに日本に来ました。ミャンマーも日本も祖国だと思っています。二つの国の架け橋になれると思います。ミャンマーでは、おばあちゃんと暮らしていました。おばあちゃん孝行にもなるお話をいただけてうれしく思っています。

ドラマ版 雑賀俊朗監督:
話をいただくまでミャンマーと縁がなく、決まってから本を読んだり、在日のミャンマーの人に接し、ミャンマー料理を食べて、ミャンマー愛が生まれてきました。小さい時から、外国のドラマや映画で、その国のことを知ってきました。この映画とドラマを通じて、ミャンマー、そして日本を好きになっていただければと思います。


☆会場との質疑応答
― チー監督に。一番のみどころは?

チー監督:1988年の民主化運動に参加して、日本に逃れてきたミャンマー人の話です。国が民主化して、国に帰る人たちが各国にいます。祖国に帰りたいけど、子どもたちにとって、育った国が祖国で、ミャンマーは外国です。そういう子どもたちの心を描くのが魅力です。これは日本だけでなく世界に通じる話です。

― 主演女優の方に。役作りで難しそうだと感じている点は? 

女優:日本で育った日本語ペラペラの役で、日本語を勉強しないといけないけれど、数日で頑張らないといけないのが大変です。

― (ミャンマーの方より)難しい点は?  1988年の民主化運動に参加して逃れてきた人を描いていますが・・・

チー監督:難しい点は特にないのですが、助監督が日本人で、いろんなぶつけ合いをして、やっと今、スムーズになってきました。(日本人とミャンマー人の時間に対する感覚などの違いがあるようです)

― 大半は日本での撮影ですか? 撮影場所は? また、スタッフの構成は?

監督:3分の2が日本、3分の1がミャンマーです。高田馬場以外に、大仏のある鎌倉と、茶畑と工場を静岡で撮影します。
ミャンマーではプロデューサーをシューティングマネージャーというのですが、それは日本人です。

― 森崎さんに。おばあちゃん孝行できるチャンスですね。

森崎:記者会見でミャンマーに弾丸で帰ることになって、「映画に出ることになった」と言ったら、「焼けた? 痩せた?」と聞かれ、自分のことを心配してくれているのだなと思いました。今度、ちゃんと報告したいと思います。

― スピルバーグ監督の新作にも出演されて、国際的な作品で活躍する心境は?

森崎:海外で色々経験させていただけるチャンス、嬉しいです。英語もペラペラにはしゃべれないのに、スピルバーグ監督のオーディションに受かって、正直、現場ではつらかったことのほうが多いのですが、周りの人に支えられて、国を越えても人は同じ、感謝の気持ちを忘れてはいけないなと感じています。
ミャンマーに帰ると、ミャンマー語と日本語がごちゃまぜになって、頭の中の切り替えが追いつかないところがあります。コンサートもたくさんやらせていただいて、ほんとに感謝しかありません。普段はマイクを持つのは歌う時なので、話すことが得意じゃありません。ぜひライブにきてください。

記者会見は終了し、フォトセッション。
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女性の衣装も素敵でしたが、男性の民族衣装も凛々しくて、ぐっと頼もしく見えました。

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フォトセッションが終ってから監督に、ミャンマーで現在何人くらいの女性監督がいるのか伺ってみました。4〜5人との答えでした。
今回、ミャンマー側の主催者MNTVの社長も貫禄ある女性。
そして、ミャンマーといえば、なんといっても、民主化運動を率いたスーチーさんが思い浮かびます。
私が1975年に商社に就職した際、半年間、隣の席にいたのが、まだミャンマーと名前の変わる前のビルマの女性でした。スーチーさんにも似た色白の美人。ビルマで貿易商を営む一族のお嬢様で、日本に修行に来ていたのですが、帰国して采配を奮い、駐在員の日本人のおじさまたちもたじたじだったとか。今は貿易のほか、ビジネススクールを経営したりしているようです。
彼女を思い出しながら、ミャンマーの女性たちの活躍ぶりを再認した記者会見でした。
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2017年08月22日

アフリカ映画『ヴァタ 〜箱あるいは体〜』過酷でも充実した撮影の日々!!! (千)

前作の音楽ドキュメンタリー映画『ギターマダガスカル』の亀井岳監督がマダガスカル映画第二弾『ヴァタ〜箱あるいは体〜』を制作中です。マダガスカルロケ残り1週間、工程は帰国ギリギリまで続きます。制作支援クラウドファンディングが進行中《残り約一カ月》 特典で前作『ギターマダガスカル』がご覧いただけます☆
https://motion-gallery.net/projects/flyingimage2017

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