2018年07月06日

釜山の旅 2日目朝 『友へ チング』と国民的画家イジュンソプゆかりの汎一洞を歩く (咲)

7月2日(月)朝、一人で7時半にホテルを出て、『友へ チング』(クァク・キョンテク監督、2001年)の撮影が行われたクルム鉄橋へ。
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地下鉄1号線汎一(ポミル)駅、7番出口をあがったところにある現代百貨店右脇を道なりに歩いていくと細い路地になって、その先に鉄橋が見えてきました。
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鉄橋のたもとには、『友へ チング』の4人の学ラン姿の写真。映画の最初の方で、まだ高校生だったチャン・ドンゴンやオ・ユソンたちが、学ラン学帽姿で走り抜けていくシーンを思い出しました。
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下から10段目位のところに、足とカメラのマーク。ここで写真を撮れという印?
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上って行くときには実は気がつかなかったのですが、戻ってきた時に振り返ったら、階段に4人の顔がプリントされていました。陽にあたって、かなり色あせています。
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鉄道の上にある鉄橋を渡って、川沿いの細道を少し行くと大通り。
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橋の上に、4人の写真と、チャン・ドンゴンとオ・ユソンの手形と足形に、サインも。写真は、鉄橋の側からも見えるよう、両面になっています。この大通りを左のほうに進むと、他の学校の学生と大喧嘩したシーンを撮影した映画館「三一(サミル)劇場」があるのですが、行かずに引き返しました。
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大通りを渡った向こうには小高い丘。大きな教会も見えました。
何気なく撮った写真なのですが、ホテルに戻って、ホテルで貰った「東区観光」の地図を見てみたら、「イ・ジュンソブの汎一洞(ポミルドン)風景」と名付けられた地区だとわかりました。

イ・ジュンソブとは、39歳で非業の死を遂げた国民的画家。日本留学時代に知り合った日本女性と終戦間際に朝鮮北部元山(ウォンサン)で結婚。1950年、朝鮮戦争が起こり釜山へ避難。さらに家族4人で済州島に渡るも、1952年、体調を崩した妻と子供は日本人送還船で日本へ。当時は日韓の正式国交がなく、ジュンソプは韓国に留まり、1956年に39歳の若さで亡くなられました。

私がイ・ジュンソブのことを知ったのは、酒井充子監督の『ふたつの祖国、ひとつの愛 〜イ・ジュンソプの妻〜』を通じてのことでした。
酒井充子監督インタビュー
http://www.cinemajournal.net/special/2014/joongseopswife/index.html

「イ・ジュンソブの汎一洞風景」の高台には、奥様の名前が付けられた”方子(マサコ)展望台”があるそうです。事前にわかっていれば、歩いてみたかったですが、かなりの高台。途中でめげたかも。
朝鮮戦争で釜山に避難してきた人たちが、高台に暮らさざるをえなかったことを思うと、そんな根性なしは申し訳ないですね。
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汎一駅に戻ってきたら、7番出口の現代百貨店前にこんな案内図がありました。
ハングルが読めないので、チングストリートの案内かな?と思ったのですが、案内は二つあって、片方が「イ・ジュンソブの汎一洞風景」だったという次第でした。
また釜山を訪れる機会があったら、ぜひイ・ジュンソブ画伯を偲びながら歩いてみたいものです。





posted by sakiko at 09:08| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする