2月14日、カシミール地方のインド側で、治安部隊を乗せたバスに車が突っ込む自爆テロで治安要員44人が死亡したとのニュースが飛び込んできました。パキスタンを拠点とするイスラム過激派組織「ジェイシュ・ムハンマド」が犯行声明を出しています。
1947年の英国からの分離独立以来、インドとパキスタンが領有権を争っているカシミール。度々、死者の出る事件が起こっていますが、あ〜また・・・と暗澹たる気持ちになりました。
このテロで思い起こしたのが、1月26日(土)、満席の新宿ピカデリーで観たインド映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』。
口のきけないパキスタンのイスラーム教徒の女の子が、インドで迷子になって、ヒンドゥー教徒のインド人の男性がその子を連れてパキスタンまで親を探しに行く物語。
感動の美談として、印パ和解の一助になればと思った作品ですが、一筋縄ではいかない両国の関係もしっかり描いていました。
女の子がパキスタンの子だとわかって、パキスタンに送り届けようとするのですが、ちょうど両国の関係が悪くてビザを発給してもらえず、やむを得ず、沙漠を越えて密入国することになります。
そして、女の子を送り届けて、インドに戻る場面でも印パの緊張感がたっぷり。
鉄条網の柵が張り巡らされた国境を、両サイドで人々が見守る中、バンジュラギおじさんが銃で撃たれそうになりながら、歩いていくのです。
実は、2月14日のテロのニュースを聞くもっと前から、この映画のことを少しずつ書いていました。まったく違うことを気にしての紹介文だったのですが、それはそれで、書き残しておきたいので、ここからトーンが変わりますが、どうぞご了承を!
『バジュランギおじさんと、小さな迷子』は、1月18日から公開されていて、Facebookで、少女の名前の表記が「シャヒーダー」となっているのは間違いとウルドゥー語研究者の麻田豊氏が指摘していました。
シャヒード(殉教者)の女性形でシャヒーダだとしたら、末尾の長母音が余計かなと思っていました。それにしても、生まれたばかりの子に、殉教者なんて名前を付けるかなぁ〜と。
でも、映画を観て、すぐにクリケット選手シャーヒド・アフリーディーにちなんだ名前と判明。殉教者ではありませんでした。
物語はパキスタンの雄大な山岳地帯にあるスルタンプール村で始まります。戸外にしつらえたテレビの前に集まって、パキスタンとインドのクリケットの試合に見入る人たち。臨月の妊婦が、「名前は何にする?」と聞かれて、ちょうど試合で活躍していた選手シャーヒド・アフリーディーにあやかって、男ならシャーヒドにすると答えるのです。生まれてきたのは女の子。女性形にしてシャーヒダと名付けられた次第。なるほど、字幕は長母音の位置が間違っているとわかりました。
さて、この女の子、6歳になってもしゃべることができなくて、インドのデリーにあるニザームッディーン廟にお参りすれば話せるようになると言われ、お母さんはシャーヒダを連れて行く決意をします。村の人たちがお金を出し合っていて、ほろりとさせられます。
(ちなみに、公式サイトでは、「イスラム寺院」と紹介されていて、これも間違い。モスクではなくて、ニザームッディーンという聖者を祀った廟です。)
ニザームッディーン廟で無事願掛けを済ませて帰る途中、国境の手前で列車が停車した時、シャーヒダは、窓の外に可愛い山羊の子を見つけて列車を下ります。お母さんが寝ていて気がつかないうちに列車が発車してしまいます。そうして、シャーヒダは迷子になってしまうのでした。いなくなったのに気が付いたお母さん、「シャーヒダー!」と末尾を伸ばして叫んでいます。
で、女の子は別の列車に乗るのですが、それがデリー行き。列車を降りたところで、人の良さそうな男性を選んでついていきます。それが、サルマーン・カーン演じるバンジュラギおじさん。ヒンドゥーのハヌマーン(猿の顔をした神様)の信奉者で、菜食主義者。それなのに女の子はお肉を食べたがります。
口のきけない女の子が色白なので上位カーストのお嬢様かと推測するのですが、実はパキスタンの子だとわかるのは、テレビでインドとパキスタンのクリケットの試合を観ていた時に、パキスタンを応援したから。
律儀なバンジュラギおじさんは、ビザを取ってパキスタンに行こうとするのですが、ちょうど両国の関係が悪くて、領事館で発給してもらえず、やむを得ず、密入国することに。ラージャ―スターン州のジャイサルメールの町の向こうに広がるタール沙漠を越えていきます。そのまま越えていけるのかと思ったら、沙漠に掘られた穴を抜けて行くのです。沙漠のど真ん中の国境にもどうやら鉄条網が張られているようです。この沙漠には2度行ったことがあって、そのまま数10キロ行けばパキスタンと思うと不思議な気がしたものです。そのままは行けなかったのですね。
映画では、無事パキスタンに入り、パンジャーブ州からカシミールへと長い旅をするのですが、実際に撮影が行われたのはインド。 今は違う国になっているけれど、分離独立で国境線が引かれただけのこと。パキスタン部分をインドで撮影しても違和感はありません。
パンジャーブの聖者廟で宗教音楽カウワーリーを奏でる場面がありますが、これはデリーのニザームッディーン廟でも奏でられていました。
英国統治の前のムガル王朝がイスラームを信奉していたことから、この映画でもデリーの大きなジャーメ・マスジド(金曜モスク)が映し出されます。ラール・キラー(赤い城)やフマーユーン廟もムガル時代のイスラーム建築。一方で、バンジュラギおじさんの信じるヒンドゥー寺院も出てきます。大都市デリーで、ムスリムとヒンドゥーが隣人として、それぞれの文化を守りながら暮らしている姿も描かれています。
パキスタンの人気ロック歌手アーティフ・アスラムの歌声も聴けるのも嬉しい配慮です。
もともとは同じ文化圏の両国。熱く戦うのはクリケットだけにしてほしいと願うばかりです。
posted by sakiko at 22:09|
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