2019年03月24日

『蹴る』初日(白)

3月23日(土)
先日インタビューを掲載した中村監督『蹴る』の初日で、ポレポレ東中野へ。
やっぱり大きな画面で観たいもん〜。
シニア価格1200円+パンフレット800円。
このドキュメンタリーのヒロイン永岡真理さん(電動車椅子サッカー選手)がお母さんと一緒に入り口近くにいらっしゃいました。
初日昼の回なので混む予想はしていました。
見回すと空席がほとんどありません。スタッフの案内で中ほど左寄りへ。
上映前に原博実氏(Jリーグ副理事長)、中村監督、永岡 真理さんのご挨拶がありました。
このころはもう満席。
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「映画を観終わった瞬間、外に行って練習したくなる。Jリーグでも選手や指導者たちに見てもらいたい。自分たちの甘さや可能性を感じられる映画。何かの形でサポートしていきたい」と原副理事長。中村監督は撮影に6年余り、「着手して8年にしてここにたどり着きました。感慨深いものがあります」と感無量。永岡さんは劇場入り口から(階段がせまいので車椅子ごと降りられなかったらしい)。「観た後に電動車椅子サッカーの存在や、この『蹴る』という映画のことをいろんな人にひろめていただけたら嬉しいです」とご挨拶。
中村監督の言葉どおり、最後まで画面にくぎづけになる1時間58分のドキュメンタリーです。

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終了後、監督にパンフへサインいただきました。なんだか空気の違う方が3ショットを撮影していて、帰宅して探したらサッカー選手の播戸竜二さんでした。(白)
posted by shiraishi at 19:47| Comment(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イスラーム映画祭4と、イランのお正月で大忙しの1週間 (咲)

3月16日(土)から、待ちに待った「イスラーム映画祭4」が始まりました。
主宰する藤本高之さんから日程を聞いた時、あ〜今年もまたイランの新年ノウルーズ(春分の日が元旦)とバッティング! お正月イベントと重ならなければいいけど・・・と危惧していたのが大当たり。苦渋の選択を迫られました。
上映後のトークは、どれも興味津々で全部聴いてみたかったけど、半分は諦めました。
映画は、なんとか8本拝見。未見のもので観られなかったのは、『乳牛たちのインティファーダ』のみ。BS世界のドキュメンタリーで50分の短縮版は観ていますが、75分の全長版、観たかったです。
『僕たちのキックオフ』『幸せのアレンジ』『西ベイルート』は、かつて観た作品でした。『西ベイルート』は、ほんとに観たのか?という位、忘れていて、でも、はっきり覚えているシーンがあったので、やっぱり観ているのよねと。よく覚えていると思っていた『僕たちのキックオフ』『幸せのアレンジ』も、新たな発見があって、映画って、ほんとに観るたびに違って面白い!

『僕たちのキックオフ』のシャウキャット・アミン・コルキ監督に、10年ぶりに映画を観たことと2008年のインタビューをWebに掲載したことをメールでお伝えしたら、さっそく「ノウルーズおめでとう」のメッセージと共に、今、新しい作品を作っているので、ぜひそれを携えて東京を再訪したいとお返事がありました。 藤本さん、ぜひ次回のイスラーム映画祭で上映してください♪
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イスラーム映画祭 主宰 藤本高之さん
ほんとに、ありがとうございました! お疲れさまでした。 
また次回を期待しています。頑張ってください♪

さて、イランのお正月の催し。
イラン・イスラム共和国大使館文化参事室 イラン文化センター主催で、イランより、イラン伝統音楽団「ビーストゥン・ケルマンシャー」が招かれ、「ノウルーズ元旦伝統音楽祭」が開かれました。
大晦日にあたる3月20日には、イラン大使館のホールで、しっとりとした音楽会。

元旦3月21日には、上野の東京国立博物館平成館大講堂で、華やかな祝賀会。
半分近くは、在住のイランの方たち。「ノウルーズおめでとう」の挨拶が飛び交って、まさにお正月ムード。
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(ノウルーズの飾り物)
家族連れでいらした方も多く、子どもたちが最前列の大使や来賓の前を走り回っていたのも愛嬌でした。
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国歌に始まり、最高指導者ハメネイ師やロウハーニー大統領の新年の挨拶、イランのお正月ノウルーズの紹介動画などが1時間15分ほど続き、やっと伝統音楽の演奏。最後は、「エィ イラン」の歌で盛り上がり、予定の4時を20分越えて終わりました。
退場の列が滞っていると思ったら、イランのお菓子やナッツ、ジュースにバナナのお土産を一人一人に手渡ししていました。本来なら、終わってから飲み物や食べ物を提供したいところ、ここの会場では出来ないからと、イランらしいおもてなしです。

22日の夜には、白金プラチナ通りのペルシア絨毯ミーリーコレクションで、ノウルーズを祝う会。
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岩崎和音さんのサントゥールと、蔡レオさんのトンバックの演奏に酔いしれたあと、美味しいイラン料理に舌鼓。
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その後、イランの友人宅に行き、ロサンジェルスやロンドンから発信されているペルシア語放送のお正月番組を見せてもらいました。どれも華やかな番組。女性たちは派手な化粧やドレス。もちろん髪の毛も出して。 踊るのが大好きなイランの人たち。男女一緒に踊る姿も。
イラン国内でも、これらの番組は、youtubeや他の方法で観られるので、イスラームの規範に則った国営放送の番組よりも人気だそう。1979年のイラン革命から40年。国外に出たイランの人たちの間で脈々と築かれている独自の文化。イランの国営放送の番組とは対極にあって、くらくらします。 これからのイラン、そして、イランの人たち、どんな方向に向かうのでしょう・・・

経済制裁でイラン国内では、物価が高騰。特に、イラン名産のピスタチオの値段は半端じゃなく高くなっています。お正月番組での面白いジョークを友人が教えてくれました。

ピスタチオの中古品 あります!

お年寄りが皮が固くて割れないので、まわりの塩をなめたもの。

ピスタチオの格安の飾り物 あります!

中身を食べたあとの皮だけを盛ったもの。

どんな境遇にあっても、したたかで、ユーモアを忘れないイランの人たち、大好きです!



posted by sakiko at 18:26| Comment(0) | 映画祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月19日

『パパは奮闘中』監督取材のお陰で、思い出の場所を訪ねました (咲)

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『パパは奮闘中』が4月27日より公開されるのを前に、ギョーム・セネズ監督が来日。インタビューの時間をいただきました。

試写状の紹介文から、ママが家出して、パパが子育てに奮闘する物語とイメージして観てみたら、もう一つの物語の軸が、職場でリストラが始まり、組合側につくか、会社側につくかという選択を迫られる話で、がぜん興味を持ちました。
原題『Nos Batailles』は、「私たちの戦い(複数)」という意味で、人生や社会におけるいろいろな場での戦いを描いたと監督。インタビューの詳細は、後日お届けします。

実は、私自身、20年ほど前に、勤めていた会社の経営が悪化して、500人が希望退職という事態になりました。それまで一緒に仲良くカラオケやお酒を飲みに行っていた上司が、部下に希望退職を打診する(つまりクビを切る)立場になり、内心、さぞつらかったことと、この映画を見て思い出した次第でした。

取材場所は、溜池山王駅直結のザ・キャピトルホテル東急。
(キャピトル東急ホテルが2006年11月30日に建て替えのため営業を休止、2010年10月に名前を変えて再開業していたのですね。知りませんでした。)
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で、ロビーのある3階の玄関を出ると、すぐ左手に日枝神社の本殿。長い階段を上がらずに行けました。
この日枝神社の本殿、思い出のある場所でした。
かつて勤めていた商社で、西アフリカのマリ共和国領事館業務を担当していたことがあって、マリの大統領が来日した折、日枝神社の本殿で極真空手の奉納試合をしたのです。
日枝神社とのやりとりや、ホテルからの移動のミニバスの手配など、事前準備が大変だっただけに、神聖な場所での奉納試合に感無量でした。

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日枝神社の階段を降りて、左手に少しあがると、日比谷高校。
これまた思い出の場所。
神戸の中学校2年の時、同級生だった男子が横浜に引っ越し。越境して日比谷高校に通ってました。私は1年後の高校入学の時に横浜に引っ越し。
文化祭の時に誘われて日比谷高校に行ったのを懐かしく思い出しました。
それも人生の1ページ♪
posted by sakiko at 21:42| Comment(0) | 取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月16日

イランのショーレ・ゴルパリアンさんが日本映画ペンクラブ賞特別功労賞受賞 (咲)

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昨年暮れ、日本映画ペンクラブの会員の方たちから、ショーレ・ゴルパリアンさんが2018年の特別功労賞に決まったと教えていただき、授賞式の行われる3月12日を心待ちにしていました。

ショーレさんは、多くのイラン映画を日本に紹介してくださっただけでなく、アミール・ナデリ監督やアッバス・キアロスタミ監督などのイラン人監督の日本での撮影を実現させたり、日本映画をイランに紹介したりと、多岐にわたって日本とイランの架け橋となってきた方。2018年には外務大臣表彰も受けていらっしゃいます。

私は1995年のアジアフォーカス・福岡映画祭でイラン映画特集が組まれた時に、初めてショーレさんにお目にかかりました。それ以来、イランから映画人来日の折の取材で散々お世話になってきました。

3月12日(火)夜、ショーレさんの晴れ舞台を取材する!と、ウキウキしながら会場のコートヤード・マリオット銀座東武ホテルに駆け付けました。

宴会場の壁際真ん中に低いステージが作られていて、その脇に受賞者7名の方のための椅子が並べられていました。ようやくショーレさんが着席されたので、ご挨拶に。
で、ショーレさんのお隣りに可愛い男子がいる・・・とは思ったのですが、授賞式が始まって、齋藤工さんと判明! 日本映画ペンクラブ賞 特別奨励賞を監督として受賞されたのです。
去年の東京国際映画祭で『家族のレシピ』が上映された折のトークも取材していたのに、雰囲気が違っていて、工さんとわからなかった次第。
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ショーレさん以外に、どなたが受賞するのか事前に調べなかったばかりか、受付でいただいた式次第も見てなかったという、取材者としては失格のオオボケな私でした。

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2018年日本映画ペンクラブ賞ほか授賞式の模様は、こちらでどうぞ!

◆2018年日本映画ペンクラブ賞
独立行政法人 国立美術館 国立映画アーカイブ

◆2018年日本映画ペンクラブ賞 特別功労賞
字幕翻訳・プロデューサー ショーレ・ゴルパリアン

◆2018年日本映画ペンクラブ賞 特別奨励賞
映画監督・俳優 齊藤工

◆2018年日本映画ペンクラブ60周年記念特別賞
岩波ホール


posted by sakiko at 22:30| Comment(0) | 取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

天井のない監獄ガザから来日した3人の画家 (咲)

パレスチナ自治区のガザ地区から3名の画家が来日し、帰国前日の2月28日(木)、東京大学東洋研究所でギャラリー・トークが開催されました。
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来日された3人の画家(写真 左から)
Mohammad Al-Hawajri(モハンマド・ハワージリ)氏:1976年、ガザの難民キャンプ生まれ
Sohail Salem(ソヘイル・サーレム)氏:1974年、ガザ生まれ。
Raed Issa(ラーエド・イーサ)氏:1976年、ガザの難民キャンプ生まれ

3人は、画家 上條陽子氏が代表を務める「パレスチナのハート・アートプロジェクト」の招聘により来日されたのですが、実現したのはまさに奇跡。イスラエルの占領下にあるパレスチナの中でも、ガザ地区は壁に囲まれ、2か所の検問所からしか外に出ることができないのです。
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(写真:ガザ地区の模型。状況がよくわかる優れものでした。)
ビザを取得するのに、本人がテルアビブの日本領事館に行くこともできず、人に頼んで4か月かかって取得。エジプト側のラファハゲートが10日ぶりに開いて、ようやく出国。シナイ半島からカイロ空港まで、実に40か所もの検問所を通過し、深夜に到着。翌日のフライトで日本へ。
元々、1月17日よりの相模原での交流展期間中に来日するべく航空券も用意して送っていたのに、ビザが間に合わず無効になり、買いなおしたとのこと。

映像で3人の作品が紹介されました。
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「レッドカーペット」のタイトルで、ガザの様々な場所にレッドカーペットを敷いた絵を描いているハワージリさん。ガザの海辺に建てたドアとレッドカーペットには、外国からのお客様を歓迎する意味と、殉教した方たちを追悼して送り出す意味を持たせているとのこと。
また、イスラエルの爆撃で瓦礫となった自宅のアトリエで、絵を描き続けるイーサさんの姿からは、何があっても屈しない精神を感じさせられました。

その後の3人の長いトークからも、物資も人も出入りが厳しく制限されているガザの実態がひしひしと伝わってきました。もはや人間性を保つのは限界にきていると感じました。

質疑応答の時に、『オマールの壁』『歌声にのった少年』などの映画を観たかどうか、観たならば、どう思われたか?と質問してくださった方がいました。
この問いに対しては、サーレム氏が代表して、「実はガザには映画館はなくて、新三日月社のホールで上映されることはあります。私はネットで観ました。『歌声にのった少年』は、ちょっと誇張があって事実と違うところがあります。『オマールの壁』は、気に食わないところもあります。でも、ハニ・アブ=アサド監督がパレスチナの映画人として世界で評価されていることはとても嬉しく思っています」と答えました。

最後に、「明日また自由のないガザに帰ります」という言葉でトークは終了しました。
いろいろなことを考えさせられた3時間でした。

彼らの発言をもっとちゃんとレポートしたかったのですが、結局、時間だけが経ってしまいました。これ以上、遅くなってもと、簡単ですが報告させていただきました。



posted by sakiko at 22:25| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする