2019年08月29日

『この星は、私の星じゃない』完成披露試写会に行ってきました(暁)

2019年 10月26日(土)から渋谷ユーロスペースで公開される、『この星は、私の星じゃない』の完成披露試写会に行ってきました。

2019年7月3日(水)会場:ユーロライブ
上映終了後に原一男監督と田中美津さんによるトークライブ
 (原一男監督:『極私的エロス・恋歌1974』『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』『ニッポン国VS泉南石綿村』などで知られる映画監督)
@konohoshi2019

『この星は、私の星じゃない』
 監督:吉峯美和

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久高島へのフェリーで

この作品は1970年代初頭、「女性解放」を唱えて始まった日本のウーマン・リブ運動を牽引した田中美津さんの歩んできた道、鍼灸師として働く姿、そして、沖縄に通う彼女の今を4年に渡り追ったドキュメンタリー映画。吉峯美和監督はNHK番組制作の際に田中さんを取材したことが、本作の製作動機になったと語っている。吉峯さんが初めて田中さんに会ったのは、2015年にNHKで放送された「日本人は何をめざしてきたのか 女たちは平等をめざす」という、戦後70年の女性史ドキュメンタリーの制作に映像ディレクターとして参加したのがきっかけだった。
「戦後、活躍したいろいろな女性の方にお目にかかったのですが、田中美津さんはその中でも特別で、強く心に残りました」と田中美津さんに魅力を感じ、映画化を考えたそう。

1970年、ビラに書いた「便所からの解放」が多くの女性の共感を呼び、日本におけるウーマンリブ運動を牽引した田中美津さんはウーマンリブ運動のカリスマ的存在だった。昨今、話題になっている“Me Too運動”の先駆けともいえる。女性が「母性=母」か「性欲処理=便所」の二つのイメージに分断されているととなえ、その解放の呼びかけに「便所からの解放」という言葉が使われた。
「便所からの解放」とは、家庭、性産業、学生運動、社会運動など、社会の中で、男性の性欲処理の対象とされていた女性たち。自尊心を取り戻し、それらからの解放を訴えた彼女の「便所からの解放」は、当時、良くも悪くも時代を象徴する言葉だった。当時高校生だった私はメディアなどから悪意を持って伝えられる「便所からの解放」の言葉を見て「何を言っているの、この人たち」とリブの人たちに反発を感じていた。しかし、その後リブの女たちと知り合い、直接話を聞いて納得したという経験がある。主婦と性産業で働く女性たちは、こういう男社会の意識の中で分断されていて、お互いを敵のように思っていたところもあった。

日本でウーマンリブ運動が始まった1970年代当時は、女性のあり方について、儒教などの影響で「女性は子供のときは父親や兄に従い、結婚したら夫に従い、年老いた後は子(息子)に従うのがよい」という考え方が根深く残っていて、「女性は男性のいうことを聞いていればよい」とか、「結婚したら女性は家庭に入り、家で家事と子育てに従事するのがよい」という考え方があたり前だった。
そういう考え方に反発する女性も多かったが、そんな中、田中さんの「自分の思いに忠実に生きる」「ありのままの自分でいい」「女性自身の思いを大切にして、他者からもそういう生き方が尊重されるべき」というような主張は、多くの女性たちの共感を得た。今ではこういう考え方はあたり前になっているが、当時はそういうことを言うと「女らしくない」「女らしく」などと釘をさされたりした。

田中美津さんはウーマンリブ運動の先駆者となり「ぐるーぷ闘うおんな」や「リブ新宿センター」を設立。同センターは女性の駆け込み寺として、中絶や避妊などの相談センターとしても兼ねていた。こうした活動の中で勇ましい美津さんというイメージがあったけど、ほんとうは体が弱かったらしい。そういうこともあって鍼灸師になったようだ。1975年の国際婦人年メキシコ会議の時にメキシコに渡り、数年滞在した後、帰国。帰国後から、76歳の現在まで鍼灸師をしている。ほかにも講演や執筆、ライフワークでもある沖縄の基地問題に精力的に取り組む姿など、今なお忙しい日々を送っている。
特に今、力をそそいでいるのが沖縄の問題。足しげく沖縄に通っているようだ。きっかけは、嬉野京子さんの「ひき殺された少女(1965年)」の写真を見たことと、この映画で語っていた。私も1970年頃、この写真を見て、米軍に占領されている沖縄の現実を知ったけど、このドキュメンタリーの中で沖縄の人の中には、この写真を見たくないという人がいるということを知った。それだけ沖縄の人の心にグサリと現実を突きつける写真ということだろう。美津さんは辺野古へと通い、支援活動を続けている。その活動も紹介されている。辺野古の美津さんの姿は活動家としての顔を見せていたけど、久高島を訪ねる船上の美津さんの姿は、遠くニライカナイを見つめているようだった。

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今まで田中美津さんのことは、活動家としての部分しか知らなかったけど、この作品ではウーマンリブの活動家だけではない生活者としての美津さんの姿も映し出されていた。そして、鍼灸師として仕事や、自宅で息子さんと接する姿など、これまで知ることのなかった美津さんの姿を観ることができて、私としてはとても興味深かった。
この完成披露試写会は、クラウドファンディングで支援した方たちを中心に行われ、あの頃、リブ運動に参加した人たちも大勢参加していた。会場はほぼ満員。私としては見知った顔があちらこちらに。
上映会の後、原一男監督とのトークセッションがあったけど、これまたバトル状態。
二人のかみ合わないトークに苦笑い。私自身は、田中美津さんの活動家としての姿だけでなく、日常の姿や日々の暮らしなどの映像、息子さんも出てきて、彼女のそういう暮らしを見てほっとしたのだけど、原監督は活動家としての美津さんの姿だけを観たかったらしい。
私は原監督の『極私的エロス・恋歌1974』を観ていないけど、これは原監督の以前の恋人の生き様や出産光景などを追った作品とのことだけど、この相手の女性、武田美由紀さんは、なんとリブ新宿センターで活動していた女性で、田中さんたちの仲間だったとのこと。この作品を巡っても、やはり二人の見方が違って意見がかみ合わない。そして、決定的だったのは、彼女を「ウーマンリブのリーダー」という視点で見ていたこと。この運動に参加した女性たちは、男たちの運動の中の、頂点にリーダーがいてピラミッド型になっている構造に反発を感じていたので、そういう視点で美津さんを見たことはなかった。私もこの考え方を知ったときなるほどと思った。この時は会場からもブーイング。男の考え方と女の考え方の違い、発想の違いを久々に感じた。

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パワフルウィメンズブルースを歌う

私とウーマンリブというか女性解放運動との出会いは、1975年の国際婦人年だった。会社に勤めて5年目、日々の暮らしや会社の仕事の中や仲間との人間関係で生き難さを感じていた。家族からは「女らしくしろ」と言われ、会社では「女のくせに」と言われもんもんとしていた。そして迎えた国際婦人年。いろいろな女性解放のグループを知った。
実はウーマンリブの活動については、それまで反発しかなかった。当時、リブの女たちはブラジャーを焼き払うという行動などを、エキセントリックにマスコミが報じていて、その突飛な行動のわけなどはちゃんと伝わらず、「何やっているの彼女たち」みたいな感じだった。でも、その彼女たちと知り合い「目からウロコ」だった。女のくせに、女らしくから、自分のために自分らしくへの解放や、体を締め付けるものからの解放とか、その行動の元にあるものを知ってからは、自分らしく生きていいんだと、彼女たちに共感し生きてきた。彼女たちに出会わなかったら、自分の生きたいようには生きてはこられなかったかもしれない。
そして、この映画を観てなつかしかったのは、「パワフルウーマンブルース」を久しぶりに聴けたこと。この歌は当時、いろいろな集会で歌ったり踊ったりしていて、とても勇気をもらった曲だった。でも田中美津さんが作った歌だとは知らなかった。今回、この作品で知った。また美津さんが沖縄、辺野古に通っていることも知らなかった。彼女が今も、行動する人であることが心強かった。
私は1978年頃、新宿にあった悠文社という写真製版の会社に勤めていた。そこに、新宿リブセンターにいた米津さんが製版を依頼しに来ていたのだけど、その米津さんもこの作品に出ていた。大きなバイクに乗って颯爽とやってきていたけど、あの頃はまだ、大きなバイクに乗っている女の人は少なかったので、そんな彼女のことを「かっこいい!」と思っていた。その彼女の元気な姿も見ることができて嬉しかった。上映会の後に、その米津さんとも会えた。でも、今回調べてみたら、1978年頃はすでにリブ新宿センターは活動を休止していたことを知った。あの頃は、同じ場所で印刷所のようなことをやっていたのかな。今度、会ったら聞いてみたい。
上映会の後の打ち上げにも参加したけど、そこの場で若い人と出会った。その時に「ウーマンリブ運動はいつ終わったの?」と言われ、ふと「終わったのかな?」と思った。そして「女たちの運動は終わったのではなく、新しい形になって現在につながっているのでは」と答えた。あの頃掲げていた「自分らしく生きたい」ということを、自分の生活の中に取り入れて実践して生きてきた。あの頃の仲間は、そういう風に生きてきた人が多い。当時言われていた「結婚して、夫や子供のために生きるのが女の幸せ」ということを押し付けられることも、ほとんどなくなったし、少しは女性にとって生きやすくなっているのではとは思う。でも、まだまだ女性であることが不利なことは多い。これからも、まだ闘いは続く。


『この星は、私の星じゃない』
2019年10月26日(土)〜渋谷ユーロスペースにて公開予定
あいち国際女性映画祭2019(9月5日 ウイルホールで10:00から上映)
(製作・配給:パンドラ+ BEARSVILLE)
公式サイトhttp://www.pan-dora.co.jp/konohoshi/

ウーマンリブ運動関連 ドキュメンタリー作品

『ルッキング・フォー・フミコ 女たちの自分探し』
  栗原奈々子監督 1993年
 シネマジャーナル31号掲載(31号の在庫がないためHPに掲載)
 http://www.cinemajournal.net/bn/31/talk.html

『30年のシスターフッド ウーマンリブの女たち』
  山上千恵子・瀬山紀子監督 女たちの歴史プロジェクト 2004年
 シネマジャーナル64号で紹介

『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』2015年 松井久子監督 
 シネマジャーナル93号で松井久子監督インタビュー掲載
 シネマジャーナルHP 松井久子監督インタビュー記事
 http://www.cinemajournal.net/special/2015/feminism/index.html

posted by akemi at 06:44| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする