イスラームと欧米社会との共生を考える映画のオンライン上映会。
1月30日(土)は、内戦を逃れてアメリカに移住したシリアの少女の成長を追ったドキュメンタリーでした。
『Dalya's Other Country』
ジュリア・メルツァー監督
2017年、75分
◆高橋 圭さん(東洋大学)より趣旨説明と映画の登場人物等について紹介
昨日のフランスに亡命したアルジェリア女性のドキュメンタリー『マダム・ラ・フランス』に続き、欧米におけるムスリムと非ムスリムの共生を考える上映会。
本日の映画『Dalya's Other Country』は、アメリカで抑圧されているムスリムの話ではない。
2012年、内戦を逃れてシリアのアレッポからアメリカのロスアンゼルスに移住した家族を追ったドキュメンタリー。
少女ダリヤの高校生活から卒業までを追った成長物語でもある。
両親はかつてアメリカで10年暮らしたことがあって、市民権も持っており経済的に裕福。シリア難民の「着の身着のまま」というイメージではない。
ダリヤの家族構成:
母 ルダイナ シリアでは専業主婦
兄 ムスタファ 内戦前にアメリカの大学に進学し、そのままアメリカに住んでいる。大学を出て映画製作をしている。
父 ムハンマド・ハサン 現在、一緒に暮らしていない。アレッポではオリーブオイルの工場を経営していた。
ジュリア・メルツァー監督について:
ドキュメンタリー作家。かつて、ダマスカスで女子クルアーン学校のドキュメンタリーを撮るため、シリアに長期滞在していたことがある。内戦でシリアに行けなくなり、前作の時に一緒にやっていた兄ムスタファと本作を共同製作。ジュリアは非ムスリムだが、ムスリムであるムスタファの視線も入っている。
*映画*
2012年、戦争が勃発し、ダリヤは母ルダイナと共にアレッポからロサンゼルスに避難。
父は二人目の妻をルダイナに内緒で娶ったことが判明。アメリカには一緒に来ず、トルコのメルスィンに逃れた。
ダリヤは私立の聖家族カトリック高校に入学し、スカーフを被って登校する。ムスリマはダリヤ一人。
2014年、スカーフを被ってバスケットボールをするダリヤ。かつてはスカーフを被ってスポーツができると思っていなかった。
母ルダイナは息子の勧めで大学に通うようになる。
兄が父をアメリカに呼ぶ。二人目の妻とは別れたというが、ルダイナはもう彼を愛してない。
父に、「死んだらどこに埋めてほしい?」と尋ねるダリヤ。
「メルスィンは自分にとってアレッポのようになっている」と答える父。
2015年 学校に東欧出身のムスリマの女性が来て話をしてくれる。
「イスラームについて何も知らなかったけれど、アメリカに来て学んだ」と語る彼女に、ダリヤは感化される。
2017年1月 トランプが大統領就任早々、ムスリムの多い特定の国からの入国を禁止する。
「パリが美しくないのはムスリムのせい」とトランプがテレビで語るのを聞いて、母ルダイナが偏見を持っているとつぶやく。「一部のムスリムの行動なのに。キリスト教徒が悪いことをしても、彼はキリスト教徒皆が悪いとは言わない」
母、スカーフの代わりに帽子を被って外出する。スカーフを見て攻撃されると困るからと。
ダリヤ「ヒジャーブは私の人生。自分がどこから来たのか、自分がどういう人なのかを表すもの」
卒業式に父が来る。
「近い将来、結婚するつもりはない。父の悪い部分をほかの男性も持っていると思ってしまう」と語るダリヤ。
その後、父はトルコのメルスィンで3人目の妻を娶る・・・・
********
アメリカに来たばかりの頃は、あまり英語も出来なかったダリヤが、学校で多様な民族の同級生たちと学び、アメリカ社会に馴染んでいきます。トランプのムスリム排除の言葉にもめげず、ヒジャーブ姿を貫き、生き生きと将来の夢を語る姿が眩しかったです。
イスラームでは、4人まで妻を娶っていいとはいえ、第一夫人の了解も得ないで、第二夫人と結婚してしまったお父さんに、娘としては複雑な思い。男性不信にもなるでしょう。そんな娘の思いも知らず、懲りずに3人目と結婚してしまうお父さん!
ムハンマドが4人まで娶ってもいいと言った意図は別だったはず!
それはともかく、バイデン大統領が無事就任し、トランプの出した特定のムスリムの多い国からの入国制限を撤廃する大統領令に署名してくれて、ほっとしました。 トランプの4年間に、ムスリムへの攻撃がより組織化したらしいのですが、ムスリムに限らず人種差別的なムードを高揚させた功罪は大きいです。 お互いに違いを認めて共生する社会になってほしいものです。 (景山咲子)
++++++++++++++++++++++++
巣ごもり上映会
2021年1月30日(土)14:00〜17:00
『Dalya’s Other Country』
ジュリア・メルツァー監督(2017年、75分)
詳細:http://islam-gender.jp/news/189.html
主催/共催
◆科研費基盤研究(A)「イスラーム・ジェンダー学と現代的課題に関する応用的・実践的研究」(代表:長沢栄治)
◆科研費新学術領域研究「グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて:関係性中心の融合型人文社会科学の確立」B03班「文明と広域ネットワーク:生態圏から思想、経済、運動のグローバル化まで」(代表:酒井啓子)
◆中東映画研究会
巣ごもり上映会@『マダム・ラ・フランス』 ★アルジェリア出身の女性監督作品(咲)
1月29日(金)30日(土)と2日続けて、イスラームと欧米社会との共生を考える映画のオンライン上映会が開催されました。研究者による解説付き。
まずは、29日の上映作品から。
★30日の『Dalya’s Other Country』上映会はこちらで!
『マダム・ラ・フランス』 原題:Madame la France, ma mère et moi
監督:サミア・シャラ 2012年、52分
アルジェリア出身で、1994年にフランスに亡命したサミア・シャラ監督による自伝的ドキュメンタリー。2013年、フランスで公開。
アルジェリア独立2年後の1964年にアルジェで生まれたシャラさん。学生時代の1980年代、イスラーム復興を目指す民衆運動が起こり、シャラさんはそれに反対し、女性の権利を擁護する運動に加わる。
1990年からの暗黒の10年。多くの人が殺され、10万人が国外へ。シャラさんも1994年にフランスに亡命。「イスラーム原理主義と闘うアラブ人フェミニスト」として歓迎される。
だが、2001年の9.11事件を契機に、敵意がすべてのムスリムに向けられるようになる。彼女はフランス人のイスラームへの偏見やアラブ人女性への差別意識を肌で感じるようになる。スカーフ問題も浮上する。
亡き母の生まれ育ったカビール地方の村を訪れるシャラさん。
叔母がフランスの植民地時代の蛮行を語る詩を口ずさむ。
♪土地を奪われ、女性が連れ去られた・・・
叔母、「私は免れたけど、レイプされたために結婚できない娘がたくさんいた」と語る。
シャラさんが子どもの頃、母の抵抗の歌を聴いて育ったのを思い出す。戦争の恐怖も語っていた。
♪フランス人は恥じてないのか・・・と叔母の歌は続く。
◆解説
森 千香子さん(同志社大学)
タイトルの『マダム・ラ・フランス』は、フランスを擬人化したもの。
原題:Madame la France, ma mère et moi マダム・ラ・フランスの後に「私の母と私」。
私の母はアルジェリアを象徴している。
作品の中では、「私たちの母たち」の表現も多い。
フランスにおけるベール問題は、1989年から続いている。
移民2世が学校に行くようになり問題視されるようなった。
2004年 登校時のスカーフ禁止の法律ができる。
その後も論争が続いている。
アラブ移民とフランス人の間の論争だけでなく、アラブ移民内部での論争も。
アラブコミュニティーの男と女の間も引き裂いている。
アラブ女性当人の言葉に耳を傾けてくれることはない。
フランス社会のアラブ移民の女性に向ける見下した目がある。
アルジェリアでベール着用に反対することと、フランスでベール着用を擁護することは矛盾しない。女性の自主的な選択を擁護することであるから。
******
シャラさんの「フランスにきてからムスリマになった」という言葉が象徴的でした。
アルジェリアにいた頃には、スカーフを被ることもなかったシャラさんが、鏡の前でスカーフを様々な形で被ってみる場面がありました。
本人は世俗化した人間だと語っているのですが、スカーフを被ることでムスリマであるというよりも、アルジェリア出身の女性としての誇りをアピールしているように思えました。
映画の中で、1958年、アルジェリアで「美しい女性はスカーフを取りましょう」と将軍の夫人たちがスカーフ撲滅の儀式を行ったという場面がありました。スカーフなしでの外出は考えられない時代。(注:スカーフというより、アルジェリアなので、ハイクと呼ばれる布で頭からすっぽり覆う形だと思います。)
この場面を見て思い起こしたのが、イランで、パフラヴィー朝の王レザー・シャー1世が、1936年に出したチャードル禁止令。西洋的な近代化を目指そうとしたものですが、路上で無理やりチャードルを取られるという事態に、保守的な女性たちは困惑したそうです。スカーフ着用を強制するのも、被るなと強制するのも、どちらも人権無視です。本人の意思に任せる社会であってほしいものです。(景山咲子)
アルジェリア女性を描いた映画として、下記もご参考に。
『ラシーダ』 監督:ヤミーナ・バシール=シューイフ
2月20日からの「イスラーム映画祭6」で上映されます。
『パピチャ 未来へのランウェイ』2020年10月30日公開
***********
巣ごもり上映会
『マダム・ラ・フランス(Madame la France, ma mère et
moi)』(サミア・シャラ監督)
2021年1月29日(金)17:00〜19:00 Zoomを用いたオンライン開催
詳細:http://islam-gender.jp/news/200.html
■主催
・科研費基盤研究(A) イスラーム・ジェンダー学と現代的課題に関する応用的・実践的研究(代表:長沢 栄治)
・科研費新学術領域研究「グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて:関係性中心の融合型人文社会科学の確立」B03班「文明と広域ネットワーク:生態圏から思想、経済、運動のグローバル化まで」(代表:酒井 啓子)
まずは、29日の上映作品から。
★30日の『Dalya’s Other Country』上映会はこちらで!
『マダム・ラ・フランス』 原題:Madame la France, ma mère et moi
監督:サミア・シャラ 2012年、52分
アルジェリア出身で、1994年にフランスに亡命したサミア・シャラ監督による自伝的ドキュメンタリー。2013年、フランスで公開。
アルジェリア独立2年後の1964年にアルジェで生まれたシャラさん。学生時代の1980年代、イスラーム復興を目指す民衆運動が起こり、シャラさんはそれに反対し、女性の権利を擁護する運動に加わる。
1990年からの暗黒の10年。多くの人が殺され、10万人が国外へ。シャラさんも1994年にフランスに亡命。「イスラーム原理主義と闘うアラブ人フェミニスト」として歓迎される。
だが、2001年の9.11事件を契機に、敵意がすべてのムスリムに向けられるようになる。彼女はフランス人のイスラームへの偏見やアラブ人女性への差別意識を肌で感じるようになる。スカーフ問題も浮上する。
亡き母の生まれ育ったカビール地方の村を訪れるシャラさん。
叔母がフランスの植民地時代の蛮行を語る詩を口ずさむ。
♪土地を奪われ、女性が連れ去られた・・・
叔母、「私は免れたけど、レイプされたために結婚できない娘がたくさんいた」と語る。
シャラさんが子どもの頃、母の抵抗の歌を聴いて育ったのを思い出す。戦争の恐怖も語っていた。
♪フランス人は恥じてないのか・・・と叔母の歌は続く。
◆解説
森 千香子さん(同志社大学)
タイトルの『マダム・ラ・フランス』は、フランスを擬人化したもの。
原題:Madame la France, ma mère et moi マダム・ラ・フランスの後に「私の母と私」。
私の母はアルジェリアを象徴している。
作品の中では、「私たちの母たち」の表現も多い。
フランスにおけるベール問題は、1989年から続いている。
移民2世が学校に行くようになり問題視されるようなった。
2004年 登校時のスカーフ禁止の法律ができる。
その後も論争が続いている。
アラブ移民とフランス人の間の論争だけでなく、アラブ移民内部での論争も。
アラブコミュニティーの男と女の間も引き裂いている。
アラブ女性当人の言葉に耳を傾けてくれることはない。
フランス社会のアラブ移民の女性に向ける見下した目がある。
アルジェリアでベール着用に反対することと、フランスでベール着用を擁護することは矛盾しない。女性の自主的な選択を擁護することであるから。
******
シャラさんの「フランスにきてからムスリマになった」という言葉が象徴的でした。
アルジェリアにいた頃には、スカーフを被ることもなかったシャラさんが、鏡の前でスカーフを様々な形で被ってみる場面がありました。
本人は世俗化した人間だと語っているのですが、スカーフを被ることでムスリマであるというよりも、アルジェリア出身の女性としての誇りをアピールしているように思えました。
映画の中で、1958年、アルジェリアで「美しい女性はスカーフを取りましょう」と将軍の夫人たちがスカーフ撲滅の儀式を行ったという場面がありました。スカーフなしでの外出は考えられない時代。(注:スカーフというより、アルジェリアなので、ハイクと呼ばれる布で頭からすっぽり覆う形だと思います。)
この場面を見て思い起こしたのが、イランで、パフラヴィー朝の王レザー・シャー1世が、1936年に出したチャードル禁止令。西洋的な近代化を目指そうとしたものですが、路上で無理やりチャードルを取られるという事態に、保守的な女性たちは困惑したそうです。スカーフ着用を強制するのも、被るなと強制するのも、どちらも人権無視です。本人の意思に任せる社会であってほしいものです。(景山咲子)
アルジェリア女性を描いた映画として、下記もご参考に。
『ラシーダ』 監督:ヤミーナ・バシール=シューイフ
2月20日からの「イスラーム映画祭6」で上映されます。
『パピチャ 未来へのランウェイ』2020年10月30日公開
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巣ごもり上映会
『マダム・ラ・フランス(Madame la France, ma mère et
moi)』(サミア・シャラ監督)
2021年1月29日(金)17:00〜19:00 Zoomを用いたオンライン開催
詳細:http://islam-gender.jp/news/200.html
■主催
・科研費基盤研究(A) イスラーム・ジェンダー学と現代的課題に関する応用的・実践的研究(代表:長沢 栄治)
・科研費新学術領域研究「グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて:関係性中心の融合型人文社会科学の確立」B03班「文明と広域ネットワーク:生態圏から思想、経済、運動のグローバル化まで」(代表:酒井 啓子)
2021年01月24日
映画に出てくるお弁当(暁)
出てくる映画
『燕 Yan』『フォーの味』『461個のおべんとう』『さくら』『チャンシルさんには福が多いね』
●その国独自の食文化や人間関係を表した弁当
『燕 Yan』
2020大阪アジアン映画祭 一般公開
お弁当を作った母と息子の思いとのギャップ
監督:今村圭佑
脚本:鷲頭紀子
出演:水間ロン(早川燕)、山中崇(林龍心)、一青窈(母)、テイ龍進(龍心の友人)、平田満(父)
2019年/日本
2020年6月5日から全国公開
『フォーの味』
2020大阪アジアン映画祭
ベトナム人の父が作ったお弁当とポーランド人女性とのハーフの娘の思いのギャップ
監督:ボブリックまりこ
出演
タン・ロン・ドー、レナ・グエン、アレクサンドラ・ドマニスカ、ボグスワヴァ ・パヴェレツ、ザー・カイ・トン
2019年/ドイツ・ポーランド
http://www.oaff.jp/2020/ja/program/c11.html
お弁当が出てくる映画はけっこうあると思うけど、去年(2020)ほどお弁当が出てくる作品を多く観た年はないかもしれない。あるいは認識したというべきか。お弁当そのものがテーマの作品もあるけど、多くは映画のちょっとしたエピソード、調味料的に出てくる。これまでもいろいろな映画の中に弁当は出てきていたけど、そんなに認識していなかったのかもしれないが、去年は、映画の中のお弁当に意識が行っていたのかも。きっかけは、3月に大阪アジアン映画祭で観た『燕 Yan』と『フォーの味』。この中で親と子供の思いの隔たり、アイデンティティをあらわすのに弁当が使われていて印象的だった。『燕 Yan』はお母さんが台湾人(一青窈が演じていた)で、日本人の夫(平田満)と結婚。日本で生まれた息子燕(Yan/イエン、次男:水間ロン)の母との葛藤が描かれていた。母との幼い頃の記憶。たぶん小学校1,2年生くらいまで一緒暮らしていたけど夫と別れ、長男(山中崇)を連れて台湾に帰ってしまった。その母との思い出のシーンの中にお弁当がでてきた。周りの日本人の母親が作ったお弁当はカラフルで、自分の母親が作ったお弁当は全体的に茶色が多い弁当(魯肉飯/ルーローファンなど)で、みんなと違うのがなんだか恥ずかしく、学校でお弁当を開けるのがいやだったというシーンで出てきた。
そして、『燕 Yan』に続いて観たのが『フォーの味』(ボブリックまりこ監督)。ポーランドが舞台の映画だったけど、日本人の監督が作った作品。ベトナム難民でポーランドに渡った人が結構いて、ベトナム人コミュニティがポーランドにもあることを知った。そのベトナムからポーランドに渡った男性(ベトナム料理店の雇われシェフ)とポーランドの女性が結婚し女の子が生まれたけど、母親は女の子が学校に入る前に死んでしまい、団地に住む父と娘の生活が描かれていた。父は小学校に通い始めた娘のために食事を作り、スカートのアイロンかけをしたりとかいがしく面倒を見て、お弁当も作ってくれるのだけど、そのお弁当がご飯(お米を使った弁当)ばかり。学校ではほとんどの生徒がパン食(ポーランドでもお弁当があることを知った)。娘はみんなと同じようなお弁当だといいのにと思う。そんな父と娘の葛藤が描かれていた。この『燕 Yan』と『フォーの味』に出てくる子供たちは、住んでいる国でない国出身の人が作るお弁当が周りの同級生たちと自分のお弁当が違うことで仲間はずれになるのを嫌がっていた。いろいろな国との交流出会いの中で、他国の人との結婚でハーフの子も増えているが、その中で文化習慣の違いによる子供の葛藤があることが描かれていた。
スタッフ日記「第15回大阪アジアン映画祭へ行ってきました」参照
http://cinemajournal.seesaa.net/article/474046141.html
●お弁当の存在感を表した映画
『461個のおべんとう』一般公開
監督:兼重淳
原作:渡辺俊美
脚本:清水匡、兼重淳
主題歌:井ノ原快彦、道枝駿佑
出演:井ノ原快彦(鈴本一樹)、道枝駿佑(鈴本虹輝)
2019年/日本 2020年11月6日(金)公開
公式HP
弁当そのものが重要な意味を持ち、タイトルにもなっている『461個のおべんとう』。井ノ原快彦が弁当を作るお父さん役で出ているというのと、お父さんが高校生になった息子に3年間、お弁当を作った話ということを知り、面白そうと観にいった。実話を元に作った作品とのこと。
ミュージシャンのお父さんと高校生の息子のお弁当物語。離婚して男手ひとつで息子を育てている父と、高校受験に失敗して一浪して高校に入った息子。中学と違って給食がない。虹輝の希望は「お父さんのお弁当」。父一樹は「卒業まで3年間、毎日お弁当を作ること」、虹輝は「一日も休まず高校に行くこと」を約束する。以来、地方に行って遅く帰っても、二日酔いでも、井ノ原快彦扮する父親は、朝早く起きて毎日お弁当を作り続けた。同じものが続かないよう工夫し、作った様々な卵焼きは見事だった。私はワンパターンの卵焼きしかできないから、真似してみたいと思った。
1歳下の同級生の中で、虹輝は最初孤独だったが、お弁当のおかげで、同級生たちと仲間になっていく姿を見てほっとした。なにがきっかけになるかわからない。ここでは『燕 Yan』や『フォーの味』と違って、お弁当は仲間はずれではなく、仲間になるものとして出てきた。私の学生時代はどうだったろうか。もう50年以上も前のことでよく覚えていないが、私の学生時代はまだ給食が完全ではなく年下の世代からだった。小学6年生の数ヶ月だけ給食だった。なので小学校から高校まで給食はなかったのだけど、中学まではお弁当を持っていった気がする。でも、机を囲んでお弁当を食べたという記憶はないので、きっと授業の時の机の並びで、それぞれ黙々と食べていた気がする。それに物が豊富にあった時代でないから、みんなで一緒にだとちょっと恥ずかしかったような記憶がある。それに、今みたいなたくさんのおかずとカラフルなお弁当は、そんなになかったと思う。それにしても、一樹お父さんの作る弁当はすごい! 卵のバリエーションが半端ない。ちょっとした工夫でバリエーション豊富になるんだと思った。そして人間関係を豊かにしてくれるお弁当に感謝。
●大事な一場面としてお弁当が出てくる映画
『さくら』 一般公開
恋人が兄に作ったお弁当
監督:矢崎仁司
原作:西加奈子「さくら」(小学館刊)
脚本:朝西真砂
出演:北村匠海(長谷川薫)、小松菜奈(妹:美貴)、吉沢亮(兄:一)、寺島しのぶ(母:つぼみ)、永瀬正敏(父:昭夫)
2019年/日本/配給:松竹
c2020「さくら」製作委員会
公式HP
2020年11月13日(金)公開
『チャンシルさんには福が多いね』
2020大阪アジアン映画祭 一般公開
チャンシルさんが、恋した?フランス語講師(韓国人)に作ったお弁当
監督・脚本:キム・チョヒ
製作:ソ・ドンヒョン キム・ソンウン
カン・マルグム(イ・チャンシル)、ユン・ヨジュン(ポクシル)、キム・ヨンミン(レスリー・チャンらしき男)、ユン・スンア(ソフィ)
2019年製作/96分/韓国
劇場公開 2021年1月8日 公式HP
『さくら』と『チャンシルさんには福が多いね』では、お弁当が出てくるシーンは一瞬だったけど、出てくる場面は少なくても、映画の中で大きな役割をしていた。『さくら』では、吉沢亮演じる兄、一の恋人が励ましのためにお作ったお弁当。何気ないシーンだったけど、この場面があるだけで悲しさが倍増する。『チャンシルさんには福が多いね』では、チャンシルさんがバイト先で知り合ったフランス語講師と仲良くなり、「彼は私に気がある?」と勘違いして、彼に恋心を持ってしまったがゆえに作ったお弁当。お弁当を持って彼がいる公民館?に行って、一緒にお弁当を食べるシーンはちょっとユーモラス。ここに彼女のユニークな側面が出てきた。
それにしても「日本のお弁当文化」、世界で注目されていますね。NHKの「BENTO」という番組があり世界中の弁当が紹介されていますが、「BENTO」とタイトルがついているように、世界のあちこちで「BENTO」と言われているようです。各家庭のお弁当も魅力ですが、昔は弁当が旅の楽しみでした。最近は旅に出られないので、京橋での試写の帰りに東京駅構内にある「祭」という日本全国の弁当を集めたショップに寄るのが楽しみです。その地方に行かなくてもどんなお弁当があるのかわかります。そして日本全国のお弁当をそこで買うことができます(暁)。
『燕 Yan』『フォーの味』『461個のおべんとう』『さくら』『チャンシルさんには福が多いね』
●その国独自の食文化や人間関係を表した弁当
『燕 Yan』
2020大阪アジアン映画祭 一般公開
お弁当を作った母と息子の思いとのギャップ
監督:今村圭佑
脚本:鷲頭紀子
出演:水間ロン(早川燕)、山中崇(林龍心)、一青窈(母)、テイ龍進(龍心の友人)、平田満(父)
2019年/日本
2020年6月5日から全国公開
『フォーの味』
2020大阪アジアン映画祭
ベトナム人の父が作ったお弁当とポーランド人女性とのハーフの娘の思いのギャップ
監督:ボブリックまりこ
出演
タン・ロン・ドー、レナ・グエン、アレクサンドラ・ドマニスカ、ボグスワヴァ ・パヴェレツ、ザー・カイ・トン
2019年/ドイツ・ポーランド
http://www.oaff.jp/2020/ja/program/c11.html
お弁当が出てくる映画はけっこうあると思うけど、去年(2020)ほどお弁当が出てくる作品を多く観た年はないかもしれない。あるいは認識したというべきか。お弁当そのものがテーマの作品もあるけど、多くは映画のちょっとしたエピソード、調味料的に出てくる。これまでもいろいろな映画の中に弁当は出てきていたけど、そんなに認識していなかったのかもしれないが、去年は、映画の中のお弁当に意識が行っていたのかも。きっかけは、3月に大阪アジアン映画祭で観た『燕 Yan』と『フォーの味』。この中で親と子供の思いの隔たり、アイデンティティをあらわすのに弁当が使われていて印象的だった。『燕 Yan』はお母さんが台湾人(一青窈が演じていた)で、日本人の夫(平田満)と結婚。日本で生まれた息子燕(Yan/イエン、次男:水間ロン)の母との葛藤が描かれていた。母との幼い頃の記憶。たぶん小学校1,2年生くらいまで一緒暮らしていたけど夫と別れ、長男(山中崇)を連れて台湾に帰ってしまった。その母との思い出のシーンの中にお弁当がでてきた。周りの日本人の母親が作ったお弁当はカラフルで、自分の母親が作ったお弁当は全体的に茶色が多い弁当(魯肉飯/ルーローファンなど)で、みんなと違うのがなんだか恥ずかしく、学校でお弁当を開けるのがいやだったというシーンで出てきた。
そして、『燕 Yan』に続いて観たのが『フォーの味』(ボブリックまりこ監督)。ポーランドが舞台の映画だったけど、日本人の監督が作った作品。ベトナム難民でポーランドに渡った人が結構いて、ベトナム人コミュニティがポーランドにもあることを知った。そのベトナムからポーランドに渡った男性(ベトナム料理店の雇われシェフ)とポーランドの女性が結婚し女の子が生まれたけど、母親は女の子が学校に入る前に死んでしまい、団地に住む父と娘の生活が描かれていた。父は小学校に通い始めた娘のために食事を作り、スカートのアイロンかけをしたりとかいがしく面倒を見て、お弁当も作ってくれるのだけど、そのお弁当がご飯(お米を使った弁当)ばかり。学校ではほとんどの生徒がパン食(ポーランドでもお弁当があることを知った)。娘はみんなと同じようなお弁当だといいのにと思う。そんな父と娘の葛藤が描かれていた。この『燕 Yan』と『フォーの味』に出てくる子供たちは、住んでいる国でない国出身の人が作るお弁当が周りの同級生たちと自分のお弁当が違うことで仲間はずれになるのを嫌がっていた。いろいろな国との交流出会いの中で、他国の人との結婚でハーフの子も増えているが、その中で文化習慣の違いによる子供の葛藤があることが描かれていた。
スタッフ日記「第15回大阪アジアン映画祭へ行ってきました」参照
http://cinemajournal.seesaa.net/article/474046141.html
●お弁当の存在感を表した映画
『461個のおべんとう』一般公開
監督:兼重淳
原作:渡辺俊美
脚本:清水匡、兼重淳
主題歌:井ノ原快彦、道枝駿佑
出演:井ノ原快彦(鈴本一樹)、道枝駿佑(鈴本虹輝)
2019年/日本 2020年11月6日(金)公開
公式HP
弁当そのものが重要な意味を持ち、タイトルにもなっている『461個のおべんとう』。井ノ原快彦が弁当を作るお父さん役で出ているというのと、お父さんが高校生になった息子に3年間、お弁当を作った話ということを知り、面白そうと観にいった。実話を元に作った作品とのこと。
ミュージシャンのお父さんと高校生の息子のお弁当物語。離婚して男手ひとつで息子を育てている父と、高校受験に失敗して一浪して高校に入った息子。中学と違って給食がない。虹輝の希望は「お父さんのお弁当」。父一樹は「卒業まで3年間、毎日お弁当を作ること」、虹輝は「一日も休まず高校に行くこと」を約束する。以来、地方に行って遅く帰っても、二日酔いでも、井ノ原快彦扮する父親は、朝早く起きて毎日お弁当を作り続けた。同じものが続かないよう工夫し、作った様々な卵焼きは見事だった。私はワンパターンの卵焼きしかできないから、真似してみたいと思った。
1歳下の同級生の中で、虹輝は最初孤独だったが、お弁当のおかげで、同級生たちと仲間になっていく姿を見てほっとした。なにがきっかけになるかわからない。ここでは『燕 Yan』や『フォーの味』と違って、お弁当は仲間はずれではなく、仲間になるものとして出てきた。私の学生時代はどうだったろうか。もう50年以上も前のことでよく覚えていないが、私の学生時代はまだ給食が完全ではなく年下の世代からだった。小学6年生の数ヶ月だけ給食だった。なので小学校から高校まで給食はなかったのだけど、中学まではお弁当を持っていった気がする。でも、机を囲んでお弁当を食べたという記憶はないので、きっと授業の時の机の並びで、それぞれ黙々と食べていた気がする。それに物が豊富にあった時代でないから、みんなで一緒にだとちょっと恥ずかしかったような記憶がある。それに、今みたいなたくさんのおかずとカラフルなお弁当は、そんなになかったと思う。それにしても、一樹お父さんの作る弁当はすごい! 卵のバリエーションが半端ない。ちょっとした工夫でバリエーション豊富になるんだと思った。そして人間関係を豊かにしてくれるお弁当に感謝。
●大事な一場面としてお弁当が出てくる映画
『さくら』 一般公開
恋人が兄に作ったお弁当
監督:矢崎仁司
原作:西加奈子「さくら」(小学館刊)
脚本:朝西真砂
出演:北村匠海(長谷川薫)、小松菜奈(妹:美貴)、吉沢亮(兄:一)、寺島しのぶ(母:つぼみ)、永瀬正敏(父:昭夫)
2019年/日本/配給:松竹
c2020「さくら」製作委員会
公式HP
2020年11月13日(金)公開
『チャンシルさんには福が多いね』
2020大阪アジアン映画祭 一般公開
チャンシルさんが、恋した?フランス語講師(韓国人)に作ったお弁当
監督・脚本:キム・チョヒ
製作:ソ・ドンヒョン キム・ソンウン
カン・マルグム(イ・チャンシル)、ユン・ヨジュン(ポクシル)、キム・ヨンミン(レスリー・チャンらしき男)、ユン・スンア(ソフィ)
2019年製作/96分/韓国
劇場公開 2021年1月8日 公式HP
『さくら』と『チャンシルさんには福が多いね』では、お弁当が出てくるシーンは一瞬だったけど、出てくる場面は少なくても、映画の中で大きな役割をしていた。『さくら』では、吉沢亮演じる兄、一の恋人が励ましのためにお作ったお弁当。何気ないシーンだったけど、この場面があるだけで悲しさが倍増する。『チャンシルさんには福が多いね』では、チャンシルさんがバイト先で知り合ったフランス語講師と仲良くなり、「彼は私に気がある?」と勘違いして、彼に恋心を持ってしまったがゆえに作ったお弁当。お弁当を持って彼がいる公民館?に行って、一緒にお弁当を食べるシーンはちょっとユーモラス。ここに彼女のユニークな側面が出てきた。
それにしても「日本のお弁当文化」、世界で注目されていますね。NHKの「BENTO」という番組があり世界中の弁当が紹介されていますが、「BENTO」とタイトルがついているように、世界のあちこちで「BENTO」と言われているようです。各家庭のお弁当も魅力ですが、昔は弁当が旅の楽しみでした。最近は旅に出られないので、京橋での試写の帰りに東京駅構内にある「祭」という日本全国の弁当を集めたショップに寄るのが楽しみです。その地方に行かなくてもどんなお弁当があるのかわかります。そして日本全国のお弁当をそこで買うことができます(暁)。
2021年01月17日
2020年最後に観た映画『越年 Lovers』と2021年最初に観た映画『きらめく拍手の音』(暁)
2020年最後に観た映画は、京橋の試写室で観た『越年 Lovers』(郭珍弟/グオ・チェンディ監督・脚本。劇場公開 2021年1月15日)でした。
岡本かの子の短編小説集を元に、3組の不器用な男女の「恋の行方」と「年越し」が、台湾、山形、マレーシアを舞台に描かれていた。3話オムニバス。
何も考えず、事前にプレスシートも見ずに観た作品だったけど、思いかけず、私が行ったところがいっぱい出てきてうれしかった。
第一話は台北、マレーシアが舞台。会社の帰りに、社内で男性の同僚にいきなりビンタをくらった女性。次の日、その男性の部署に行くと彼は昨日でやめたという。なぜ彼がそんなことをしたのか、わけがわからないまま、目撃していた同僚の女性に連れられ、彼が住んでいるという迪化街(ディホアチエ)へ。台湾の下町で問屋街という雰囲気の街。実は去年2月春節の頃に台湾の「平渓天燈祭り」に行ったのだけど、その時に迪化街も訪ねた。コロナで海外渡航ができなくなるぎりぎりのタイミングで、前日まで行くのを迷ったけど、この天燈祭りは10年以上前から行きたかった祭りだったので台湾行きを決行した。そして迪化街にある、日本軍慰安婦にされた台湾女性たちの資料館「阿媽の家」も訪ねた。その時にこの問屋街を歩いたので、この映画に迪化街が出てきた時には、こういう感じだったな、私が歩いた所かもしれないないと思いながら観た。乾燥食品が多く並んでいたけど、さすがに問屋街。干しシロキクラゲを買おうと思ったら、最低単位だけで、スーツケース半分くらいになりそうだったので、1個単位で買えるか掛け合ってみた。Okだったので3個買ってきたけど、まだまだ残っている。もう1年たつので早く食べてしまわなくては(笑)。
第二話は山形が舞台。2015年以来、山形国際ドキュメンタリー映画祭に3回行っているけど、行った場所や名物が出てきてうれしかった。山形駅前の風景、山形交通のバスセンター、蔵王温泉、ロープウェイ、蔵王スキー場地蔵岳山頂、樹氷、玉こんにゃくと稲花(いが)餅などなど。しかもこの稲花餅を食べていた喫茶店は、私も入った喫茶店「コーヒーショップさんべ」だった。そこで私も稲花餅を食べた。稲花餅を食べたいなと探したけど、蔵王温泉のバス停のそばで食べられるのはここしかなかった。5年前だったけど懐かしい。そして映画祭会場である美術館がある霞城(かすみじょう)公園。山形市内。そういえば雪の時期の山形には、ずいぶん行ってない。また樹氷を見に行きたいと思った。
第三話に出てきた彰化は行ったことがないけど、台湾中部の町のよう。牡蠣の養殖が盛んな地方なのか、ここに出てきた、亡くなった母がやっていた店では「牡蠣そうめん」が名物だったらしい。牡蠣というのはこんなに暑い地方でもあるのかと思った。実は今、けっこう生牡蠣にはまっていて、ここ数年、7月には千葉県旭市の磯牡蠣祭りに行っているけど、これまでに食べた生牡蠣で一番おいしいと思ったのは、10年くらい前に台湾に行った時、基隆の夜市で食べた「味噌で味付けした生牡蠣」。日本の牡蠣と台湾の牡蠣は何か種類が違うのかも。もっとも、私が初めて生牡蠣を食べたのは30年くらい前で、竹富島(沖縄八重山諸島)の沖合いの干潟。大潮の時に行き、岩に生育している牡蠣をほじって食べた。思えば、ここは基隆に近いかも。この時に初めて「牡蠣って生で食べられるんだ。なんて美味しいんだ」と思ったから、南の地方のものですね。
この作品は、東京では1月15日から新宿バルト9で公開されている。
・『越年 Lovers』 シネマジャーナルHP 作品紹介
・『越年 Lovers』公式HP
そして、2021年、最初に観た作品は『きらめく拍手の音』。これは山形国際ドキュメンタリー映画祭2015でアジア特別賞を獲った作品だったけど観る機会がなかった作品。1月9日から15日までの1週間限定上映会がポレポレ東中野であるというので出かけた。日本公開されていないと思ったら2017年に公開されていた。
この作品は聾唖の両親を持ったイギル・ボラ監督が両親を撮ったドキュメンタリー。聾唖という障害があり、社会の中でいろいろ闘い、苦労しながら、試行錯誤しながら二人の子供を育ててきた両親の姿を追っていた。両親のために、小さい頃から社会との通訳者をしてきたイギル・ボラ監督自身のたどってきた道を示したものでもあった。ほんとに大変だったと思うけど、しかし、この家族は明るい。観ているこちらも希望が湧いてくる。正月早々いい作品を観た。
でも今、街はまだ新型コロナで特別警戒中。1月8日から1ヶ月は、また自粛生活をと言っている。でも去年4月の自粛生活のようにというわけにはいかない。東京では、今は1日2000人を超える新規感染者がある状態にもなっているので、前より感染率は高い。それでもずっと家にこもっていると身体に悪い。去年は4〜6月の2ヶ月の自粛生活で、身体の調子が悪くなったり、食欲もなくなってしまった。それを踏まえて今度は、違う形で乗り越えていかなくては。それにしても、もう1週間近く映画に出かけていない。試写も観たい作品もあるのに、やはり電車に乗って出かけるのに躊躇している(暁)。
今年秋(2021年)、イギル・ボラ監督にインタビューする機会がありました。
『記憶の戦争』イギル・ボラ監督インタビュー
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/483996221.html
岡本かの子の短編小説集を元に、3組の不器用な男女の「恋の行方」と「年越し」が、台湾、山形、マレーシアを舞台に描かれていた。3話オムニバス。
何も考えず、事前にプレスシートも見ずに観た作品だったけど、思いかけず、私が行ったところがいっぱい出てきてうれしかった。
第一話は台北、マレーシアが舞台。会社の帰りに、社内で男性の同僚にいきなりビンタをくらった女性。次の日、その男性の部署に行くと彼は昨日でやめたという。なぜ彼がそんなことをしたのか、わけがわからないまま、目撃していた同僚の女性に連れられ、彼が住んでいるという迪化街(ディホアチエ)へ。台湾の下町で問屋街という雰囲気の街。実は去年2月春節の頃に台湾の「平渓天燈祭り」に行ったのだけど、その時に迪化街も訪ねた。コロナで海外渡航ができなくなるぎりぎりのタイミングで、前日まで行くのを迷ったけど、この天燈祭りは10年以上前から行きたかった祭りだったので台湾行きを決行した。そして迪化街にある、日本軍慰安婦にされた台湾女性たちの資料館「阿媽の家」も訪ねた。その時にこの問屋街を歩いたので、この映画に迪化街が出てきた時には、こういう感じだったな、私が歩いた所かもしれないないと思いながら観た。乾燥食品が多く並んでいたけど、さすがに問屋街。干しシロキクラゲを買おうと思ったら、最低単位だけで、スーツケース半分くらいになりそうだったので、1個単位で買えるか掛け合ってみた。Okだったので3個買ってきたけど、まだまだ残っている。もう1年たつので早く食べてしまわなくては(笑)。
第二話は山形が舞台。2015年以来、山形国際ドキュメンタリー映画祭に3回行っているけど、行った場所や名物が出てきてうれしかった。山形駅前の風景、山形交通のバスセンター、蔵王温泉、ロープウェイ、蔵王スキー場地蔵岳山頂、樹氷、玉こんにゃくと稲花(いが)餅などなど。しかもこの稲花餅を食べていた喫茶店は、私も入った喫茶店「コーヒーショップさんべ」だった。そこで私も稲花餅を食べた。稲花餅を食べたいなと探したけど、蔵王温泉のバス停のそばで食べられるのはここしかなかった。5年前だったけど懐かしい。そして映画祭会場である美術館がある霞城(かすみじょう)公園。山形市内。そういえば雪の時期の山形には、ずいぶん行ってない。また樹氷を見に行きたいと思った。
第三話に出てきた彰化は行ったことがないけど、台湾中部の町のよう。牡蠣の養殖が盛んな地方なのか、ここに出てきた、亡くなった母がやっていた店では「牡蠣そうめん」が名物だったらしい。牡蠣というのはこんなに暑い地方でもあるのかと思った。実は今、けっこう生牡蠣にはまっていて、ここ数年、7月には千葉県旭市の磯牡蠣祭りに行っているけど、これまでに食べた生牡蠣で一番おいしいと思ったのは、10年くらい前に台湾に行った時、基隆の夜市で食べた「味噌で味付けした生牡蠣」。日本の牡蠣と台湾の牡蠣は何か種類が違うのかも。もっとも、私が初めて生牡蠣を食べたのは30年くらい前で、竹富島(沖縄八重山諸島)の沖合いの干潟。大潮の時に行き、岩に生育している牡蠣をほじって食べた。思えば、ここは基隆に近いかも。この時に初めて「牡蠣って生で食べられるんだ。なんて美味しいんだ」と思ったから、南の地方のものですね。
この作品は、東京では1月15日から新宿バルト9で公開されている。
・『越年 Lovers』 シネマジャーナルHP 作品紹介
・『越年 Lovers』公式HP
そして、2021年、最初に観た作品は『きらめく拍手の音』。これは山形国際ドキュメンタリー映画祭2015でアジア特別賞を獲った作品だったけど観る機会がなかった作品。1月9日から15日までの1週間限定上映会がポレポレ東中野であるというので出かけた。日本公開されていないと思ったら2017年に公開されていた。
この作品は聾唖の両親を持ったイギル・ボラ監督が両親を撮ったドキュメンタリー。聾唖という障害があり、社会の中でいろいろ闘い、苦労しながら、試行錯誤しながら二人の子供を育ててきた両親の姿を追っていた。両親のために、小さい頃から社会との通訳者をしてきたイギル・ボラ監督自身のたどってきた道を示したものでもあった。ほんとに大変だったと思うけど、しかし、この家族は明るい。観ているこちらも希望が湧いてくる。正月早々いい作品を観た。
でも今、街はまだ新型コロナで特別警戒中。1月8日から1ヶ月は、また自粛生活をと言っている。でも去年4月の自粛生活のようにというわけにはいかない。東京では、今は1日2000人を超える新規感染者がある状態にもなっているので、前より感染率は高い。それでもずっと家にこもっていると身体に悪い。去年は4〜6月の2ヶ月の自粛生活で、身体の調子が悪くなったり、食欲もなくなってしまった。それを踏まえて今度は、違う形で乗り越えていかなくては。それにしても、もう1週間近く映画に出かけていない。試写も観たい作品もあるのに、やはり電車に乗って出かけるのに躊躇している(暁)。
今年秋(2021年)、イギル・ボラ監督にインタビューする機会がありました。
『記憶の戦争』イギル・ボラ監督インタビュー
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/483996221.html
2021年01月10日
初映画『ノッティングヒルの洋菓子店』座席選び大失敗の巻 (咲)
コロナの感染がますます心配な中で2021年を迎えました。
遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願いします。
元旦には、密を避けて近くの百草八幡様に、数えで百歳を迎えた父と一緒に初詣。大正11年9月生まれの満98歳ですが、自分で歩けるし、おせちもお餅もしっかり食べて元気なので、ほんとに有難いことです。
3が日はテレビやオンラインでも映画は見ないで過ごし、4日、初映画に選んだのは12月4日に公開されて以来、なかなか観に行けなかった『ノッティングヒルの洋菓子店』。
劇場は、ヒュ―マントラストシネマ有楽町のシアター2(63席)。端っこの席に座りたいとネット予約しました。月曜日は「テアトルシルバーデー」で千円! ラッキー♪
で、いつもの好みで左端のF2を選んだのですが、これが大失敗。
エンドロールが流れ始めたら、中の席の人が次々、私の前を通って出ていったのです。
クレジットされていることで確認したいことがあったのに・・・・
プレス試写なら、エンドロールの途中で出ていく人はまずいないのですが・・・
昔、一般試写に応募して読売ホールなどでよく映画を観たのですが、その時にも、エンドロールが流れ始めると、先を争うように出ていく人たちがいたのを思い出します。
もっとも香港の映画館では、エンドロールが流れ始めると明るくなって、幕まで閉まり始めるので、それを思えばマシ?! (ジャッキー・チェンが映画の最後にNG集を流すのは、香港の映画館で最後まで観てもらうためという話も聞いたことがあります。)
ま、それはともかく、どの席がいいのかメモしておかなければ・・・と思ったら、スマホのメモ帳に1年ほど前に行ったときにちゃんとメモしてました。トホホです。
★メモより★
ヒュ―マントラストシネマ有楽町のシアター2
前から3番目 Cまでは、右端も通路、EからGまでは右端の脇に棚。
Dの右端は壁
D列から段差
スクリ―ンが小さいから、D.Eが良い。Eの右端が棚も使えてベスト。
Fの左端はドアのそば。帰りを急ぐ時にはいいけど、落ち着かないです。
その落ち着かない席を取ってしまったという次第。
肝心の『ノッティングヒルの洋菓子店』ですが、世界のスイーツを作るお店というので興味津々だったのですが、中東のスイーツは、ロクムらしきものがちらっと見えただけ。予告編でインドの女性たちが作り方を教えているらしい姿が出ていたので期待していたのですが、実際のインドのスイーツが何だったかは本編を見てもわからず・・・
(製作陣の中に、Shahの名字の人が4人いて、インド系に違いないと! 彼らの知人が出演していたのではと思った次第)
良い映画でしたが、ちょっと期待と違いました。
映画を観終わってから、浅草の川向こうの都内自宅に年賀状など郵便物を取りにいって、帰りに浅草でお詣りしてきました。浅草神社も浅草寺も検温という検問! もう夕方だったので、ソーシャルディスタンスは問題なく・・・ でも、浅草神社境内の猿回しのまわりには人垣が・・・。お猿さんにとっては書き入れ時だから許してあげなくちゃ・・ですね。
密になるのを気にせず暮らせる日が早く来ることを祈るばかりです。
遅ればせながら、今年もどうぞよろしくお願いします。
元旦には、密を避けて近くの百草八幡様に、数えで百歳を迎えた父と一緒に初詣。大正11年9月生まれの満98歳ですが、自分で歩けるし、おせちもお餅もしっかり食べて元気なので、ほんとに有難いことです。
3が日はテレビやオンラインでも映画は見ないで過ごし、4日、初映画に選んだのは12月4日に公開されて以来、なかなか観に行けなかった『ノッティングヒルの洋菓子店』。
劇場は、ヒュ―マントラストシネマ有楽町のシアター2(63席)。端っこの席に座りたいとネット予約しました。月曜日は「テアトルシルバーデー」で千円! ラッキー♪
で、いつもの好みで左端のF2を選んだのですが、これが大失敗。
エンドロールが流れ始めたら、中の席の人が次々、私の前を通って出ていったのです。
クレジットされていることで確認したいことがあったのに・・・・
プレス試写なら、エンドロールの途中で出ていく人はまずいないのですが・・・
昔、一般試写に応募して読売ホールなどでよく映画を観たのですが、その時にも、エンドロールが流れ始めると、先を争うように出ていく人たちがいたのを思い出します。
もっとも香港の映画館では、エンドロールが流れ始めると明るくなって、幕まで閉まり始めるので、それを思えばマシ?! (ジャッキー・チェンが映画の最後にNG集を流すのは、香港の映画館で最後まで観てもらうためという話も聞いたことがあります。)
ま、それはともかく、どの席がいいのかメモしておかなければ・・・と思ったら、スマホのメモ帳に1年ほど前に行ったときにちゃんとメモしてました。トホホです。
★メモより★
ヒュ―マントラストシネマ有楽町のシアター2
前から3番目 Cまでは、右端も通路、EからGまでは右端の脇に棚。
Dの右端は壁
D列から段差
スクリ―ンが小さいから、D.Eが良い。Eの右端が棚も使えてベスト。
Fの左端はドアのそば。帰りを急ぐ時にはいいけど、落ち着かないです。
その落ち着かない席を取ってしまったという次第。
肝心の『ノッティングヒルの洋菓子店』ですが、世界のスイーツを作るお店というので興味津々だったのですが、中東のスイーツは、ロクムらしきものがちらっと見えただけ。予告編でインドの女性たちが作り方を教えているらしい姿が出ていたので期待していたのですが、実際のインドのスイーツが何だったかは本編を見てもわからず・・・
(製作陣の中に、Shahの名字の人が4人いて、インド系に違いないと! 彼らの知人が出演していたのではと思った次第)
良い映画でしたが、ちょっと期待と違いました。
映画を観終わってから、浅草の川向こうの都内自宅に年賀状など郵便物を取りにいって、帰りに浅草でお詣りしてきました。浅草神社も浅草寺も検温という検問! もう夕方だったので、ソーシャルディスタンスは問題なく・・・ でも、浅草神社境内の猿回しのまわりには人垣が・・・。お猿さんにとっては書き入れ時だから許してあげなくちゃ・・ですね。
密になるのを気にせず暮らせる日が早く来ることを祈るばかりです。