2021年07月23日

『親愛なる君へ』 基隆で育った母の最期を想う (咲)

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c 2020 FiLMOSA Production All rights

台湾映画『親愛なる君へ』
莫子儀(モー・ズーイー)が同性愛者の主人公を演じているということだけしか知らずに拝見。映画が始まって程なく、低い山に囲まれた港町が映り、あ、基隆!と、もう感無量でした。

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基隆は、私の母が7歳から終戦の年までの10年間を過ごした町。外国航路の船長をしていた祖父が家族と常に暮らせるようにと見つけたのが、基隆港での水先案内人の仕事でした。基隆は、深い入り江になっていて、天然の良港。祖父は水先案内人として、来港した大型船を迎えるたびにコーヒーを振舞われ、胃を荒らしてしまったらしく、おそらくそれがもとで戦争の終わる少し前に亡くなってしまいました。母と祖母はすぐにでも神戸の家に帰りたかったようですが、戦況悪化で沖縄を経由して本土に戻るのはとても無理。敗戦後、台湾に住む日本人は引き揚げることになり、祖母は早々に9月初めの引揚船に乗れるように手配。祖父が水先案内人だったことから伝手があったようです。祖母があんなに急がなければ、もっとゆっくり荷物の整理ができたのにと母によく聞かされました。
日本に持ち帰れるのは、一人行李一つ。大急ぎで必要なものをまとめて、暑いのに服や靴下は何枚も重ねて身に着けたそうです。内地は甘いものが不足しているらしいと、砂糖をお土産にと缶に入れたのですが、砂糖の入った行李を船に積む時にクレーンが海に落としてしまい、砂糖は塩になってしまったのよと後々まで嘆いていました。
一人っ子だった母は、祖父にとても可愛がられたようです。休みの日に、基隆の港の入り口付近の岩場に釣りに連れていってもらったこと、台湾は果物が豊富だから昼食は果物だけにしようと言ったものの数日しか続かなかったこと、戦争が終わったら世界一周の船旅に連れていってあげると言っていたことなど、ほんとによく聞かされました。母は子ども心に、内地での暮らしが懐かしくて、りんごやみかんが届くのが楽しみだったとか。また、祖母が露店の食べ物は不衛生だからと、台湾の美味しいソウルフードを食べさせてもらえなかったそうです。

さて、映画『親愛なる君へ』

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c 2020 FiLMOSA Production All rights

*まずは物語を公式サイトより*
老婦・シウユーの介護と、その孫のヨウユーの面倒をひとりで見る青年・ジエンイー。
血のつながりもなく、ただの間借り人のはずのジエンイーがそこまで尽くすのは、ふたりが今は亡き同性パートナーの家族だからだ。
彼が暮らした家で生活し、彼が愛した家族を愛することが、ジエンイーにとって彼を想い続け、自分の人生の中で彼が生き続ける唯一の方法であり、彼への何よりの弔いになると感じていたからだ。
しかしある日、シウユーが急死してしまう。
病気の療養中だったとはいえ、その死因を巡り、ジエンイーは周囲から不審の目で見られるようになる。
警察の捜査によって不利な証拠が次々に見つかり、終いには裁判にかけられてしまう。
だが弁解は一切せずに、なすがままに罪を受け入れようとするジエンイー。
それはすべて、愛する“家族”を守りたい一心で選択したことだった…

監督・脚本:チェン・ヨウジエ(鄭有傑)
監修:ヤン・ヤーチェ
出演:モー・ズーイー、ヤオ・チュエンヤオ、チェン・シューファン、バイ・ルンイン
2020年/台湾/カラー/106分/シネマスコープ/5.1ch/華語・台湾語
原題:親愛的房客/英題:Dear Tenant
配給:エスピーオー、フィルモット
配給: エスピーオー、フィルモット
★2021年7月23日(金・祝) シネマート新宿・心斎橋ほか全国順次公開
シネジャ作品紹介


今は亡き同性パートナーの弟は、借金から逃げて上海に住んでいて、旧正月で実家に帰ってきても、母親から「家を売りたいの?」「お金がいるの?」と全く信用されていません。
その弟から、ジエンイーは財産狙いで介護しているのかと問い詰められるのです。ヨウユーは叔父さんより、ジエンイーを二番目のパパと呼んで慕っていて、血縁より心の繋がりが大事だと感じさせてくれます。
“国民のおばあちゃん”と呼ばれる名女優チェン・シューファン(陳淑芳)さん演じるシウユーが「痛い痛い」と苦しむのをなんとかしてあげたいと思うジエンイーや孫。
この場面で、10年前の夏、首に出来た癌が悪化して、「痛いから、なんとかして〜」と叫んでいた母を思い出しました。代わってあげることもできず、私には何もしてあげられなくて歯がゆい思いでした。結局、病院が受け入れてくださることになって、7月下旬の今日のような暑い日に入院。モルヒネを打って痛みは止めてもらうことができましたが、程なく意識がなくなり、9月9日に亡くなりました。
11月に入って、母宛に年賀状をくださっていた方たちに母が亡くなったことをお知らせしたところ、すぐにご連絡をくださったのが、佐賀や石垣島に住む基隆時代のご友人たちでした。敗戦で日本の各地に引き揚げてばらばらになってしまった基隆の同級生たち。70歳を過ぎる頃までは、1年に数回、どこかで集まっていました。台湾人の同級生の方たちとも、ずっと親交が続いていました。母にとっては、神戸に次ぐ故郷。
基隆の風景が美しく映し出された『親愛なる君へ』。母と一緒に観たかったとしみじみ思いました。

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ジエンイーが間借りしているシウユーの家は、少し高台に建っていて、上記の画像で窓から港が見えています。(こんな風に海が見えるところに住みたい♪)
位置はおそらく湾のどん詰まり。左手に基隆駅があるところ。母の暮らしていた家は、この位置から見ると右手の丘の中腹。現在、基隆中正公園のある位置のちょっと下あたりだと思います。当時は、戦争中で港を見下ろせる山の上に登ることは禁止されていたそうです。

ところで、ジエンイーを演じた莫子儀(モー・ズーイー)には、『台北に舞う雪〜Snowfall in Taipei』(霍建起監督)が2009年の東京国際映画祭で上映された折に、宮崎暁美さんがインタビューしています。(シネマジャーナル78号に掲載) 私にも声がかかったのですが、指定の時間に、どうしても優先したい予定があって、同席するのを諦めました。その翌日、東京国際映画祭のオープニング・グリーンカーペットを沿道で取材。霍建起監督が『台北に舞う雪』の出演者一行を引き連れて歩いてきたのですが、監督には前日インタビューしたばかりで顔を覚えていてくださっていて、私の正面に一行を連れてきてくださいました。そうして撮れたのが、この写真です。

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『台北に舞う雪』一行。
左から莫子儀(モー・ズーイー)さん、童瑶(トン・ヤオ)さん、霍建起(フォ・ジェンチイ)監督、陳柏霖(チェン・ボーリン)さん、楊祐寧(トニー・ヤン)さん (撮影:景山咲子)

その時に、一番左端の素敵な彼は誰?と思ったのが、莫子儀(モー・ズーイー)でした。
予定を無視してでもインタビューに同席するべきだったと悔しかった次第です。
あれから時を経て、落ち着いたいい役者さんになったと感慨深いです。


posted by sakiko at 20:00| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月18日

取材2本(白)

7月18日(日)

先週11日は『ある家族』(7月30日公開)主演の川ア麻世さん。西城秀樹さんのモノマネで芸能界入りした10代のころから見ています。1963年生まれというのに、このスタイルの良さはなんということでしょ。最後にミーハーな質問をしましたら、まずは食生活と運動。そして日頃の「意識」が大切と教わりました。取材前にインスタを遡ってみていましたら、86歳になられるお母様が美しい!…こちらはもう取返しがつかないので(?)せめて姿勢を良くすることにします。
川アさんのブログ「麻世仲の猫たち」はこちら。ギャグ入り。

つい一昨日の16日は『ベイビーわるきゅーれ』の阪元裕吾監督にお話を伺いました。前作『ある用務員』のポスターやほかの作品のタイトルなどから、香港映画ファンかなぁと深読みしていきましたら、韓国映画ファンでした。年齢がね、まだ25歳なんです。若っ!
それだと1997年の返還以来少なくなった香港映画よりは、数多く入ってきた韓国映画のほうですわねぇ。

今日は1回目のワクチン接種でした。私はあんまりしたくないんですが、たびたび外出するので免罪符が必要なのです。30分もかからずに終わりましたが、15分待機してから出口へ。針が刺さったところは触れると痛いです。2回目は3週間後、2回目が大変そうなので午後がよかったけど今日と同じ9時から。おとなしくすることにします。
在宅でオンライン試写を観ていますが、早く劇場で観たいよ〜。

(白)
posted by shiraishi at 20:47| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月11日

津軽三味線にひかれて観た映画『いとみち』 (咲)

7月7日(水)、1時から渋谷・映画美学校で『ミッドナイト・トラベラー』の試写。アフガニスタンのハッサン・ファジリ監督が身の危険を察知し、家族と共に難民として3年がかりでドイツにたどり着くまでの過程をスマートフォンで記録したもの。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019で審査員特別賞を受賞した作品で、その折に観ていますが、もう一度拝見。9月11日に公開されます。詳細は、また後日。

さて、この日、試写はこれ1本。何かもう1本映画をと検索したら、試写室と同じビルにあるユーロスペースで3時10分から『いとみち』がありました。

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ちょうど、高校の同級生のT.S.君から、津軽の旅の写真が届いて、その中に津軽鉄道金木駅で撮った『いとみち』のポスターがあったこともあって触発された次第です。
5月末頃に、シネジャのメンバーの中で、津軽三味線が出てくる映画として話題になっていましたが、メイドカフェのメイドが津軽三味線?!と、実は思い切り引いていたのです。でも、観た人たちの評判はいいし、なにより若い頃から何度か訪れた津軽が舞台。青森出身の横浜聡子監督が津軽弁にこだわったことも気になって、思い切って観てみました。

*物語*
相馬いとは弘前市の高校に通う16歳。母方の祖母と、民俗学者の父と3人で五能線沿線の板柳で暮らしている。津軽弁の訛りが激しくて、授業で本を読めば皆に笑われる。祖母や亡き母に仕込まれた津軽三味線は青森大会で審査員特別賞をもらったほどの腕前だが、しまい込んでいたら皮が破れてしまった。修理代の捻出と、引っ込み思案の性格を直したいと、学校や家から離れた青森市の「津軽メイド珈琲店」でバイトを始める。ところがせっかく慣れた頃にオーナーが逮捕され、店は存続の危機に。いとは、一念発起して、店で津軽三味線のライブをさせてくださいと申し出る・・・

公式サイト
シネジャ作品紹介

リンゴ園越しに見える岩木山に、あ〜この景色! と、弘前から五能線に乗った時のことを思い出しました。岩木山の裾野をぐるっとまわりこむように走っている五能線からは、ずっと岩木山が見えて、とても神々しいです。
豊川悦司さん演じる父は、津軽弁の研究もしている民俗学者なのですが、娘に「けっぱれ(頑張れ)」と励ましても、「ちょっと違う」と言われてしまいます。方言って、ネイティブじゃない人が口にすると、どこか違うものなのですね。
同じ青森でも、南部弁や下北弁とも津軽弁は違うそうですが、津軽の中でも城下町弘前の言葉はさらに柔らかい響き。かつて道に迷って尋ねた時に返ってきた言葉が、半分くらいしか意味がわからないながら、とても上品で感激したのを思い出しました。
『いとみち』の台詞も半分以上が津軽弁ですが、話の流れからなんとなくわかるという感じ。テレビの普及で方言がだんだんすたれていく中、方言を大事にした『いとみち』、いいなと思いました。

ところで、いとが板柳駅で料金表を眺める場面があります。青森まで770円! 弘前の高校に通っているので、五能線から奥羽本線に乗り換える川部までは定期券があるとしても、川部から青森まで590円。メイドカフェの時給は、恐らく千円位でしょうし、交通費は全額は支給されないだろうし・・・と余計な計算をしてしまいました。

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こちらは、1998年にT.S.氏が撮影した板柳駅。
私も冬に五能線に乗ったことがありますが、夏とは全く違う風情でした。

そして、『いとみち』の魅力は、なんといっても津軽三味線。いとを演じた駒井蓮さんは、本作のために猛特訓。おばあちゃん役の西川洋子さんは津軽三味線の巨星・高橋竹山氏の最初のお弟子さん。祖母といとの合奏シーンには、ほろりとさせられます。
激しく豪快なイメージのある津軽三味線ですが、魂の響きを感じます。

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T.S.君から送られてきた中に、「居酒屋の店員さんが皆、津軽三味線を弾ける若い人たちでした。変わり身に驚きました」と、こんな勇壮な写真がありました。
お店は、「津軽三味線ライヴハウス 杏」
津軽三味線の若手第一人者である多田あつしさんが代表。多田あつし&夢弦会のメンバーによる生演奏(マイクなし!)が楽しめます。
http://anzu.tsugarushamisen.jp/
次回、弘前に行ったら、ぜひ迫力ある生演奏を味わいたいと思います。津軽の郷土料理も楽しみです♪

さて、映画『いとみち』の最後、いとが父と一緒に岩木山に登ります。頂上は岩場になっていて、私が学生時代に行った時、あと頂上まで数十メートルのところで断念したのを思い出しました。
津軽を再訪しても、岩木山再挑戦は、もう無理ですねぇ・・・


posted by sakiko at 14:01| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする