『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念で開催されていた桑原史成さんと石川武志さんの写真展に行ってきたことを、スタッフ日記に書きたいと思いながら、時が過ぎてしまいました。でも、これは書き留めておきたいし、告知したい情報も入ってきたので、遅ればせながら報告します。
10月16日(土)、『友だちのうちはどこ?』中村獅童さん登壇初日舞台挨拶取材が渋谷のユーロスペースで1時過ぎに終わるので、さて、その後どこに行こうと思いめぐらしていたときに目に留まったのが、(暁)さんのスタッフ日記。
『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念 桑原史成・石川武志写真展・ユージン・スミスとアイリーンが写した「MINAMATA」作品展&ユージン・スミス集大成写真展のお知らせ
桑原史成 写真展「MINAMATA」は、なんと最終日!
しかも、
*桑原史成プロフィール
1936年島根県津和野町生まれ。
と紹介されていて、津和野といえば、父方の祖母と、母方の祖父母の故郷。これは行かねば!と。
会場のギャラリー イー・エム西麻布に着くと、大勢の人が詰めかけていました。
桑原史成さんが、お客様に汽車を撮る人たちの写真を見せながら、津和野に汽車を撮りに来る人が多いことをお話しされてました。人がいなくなったのを見計らって、祖父母が津和野出身であることをお伝えしたら、東京つわの会の会報「津和野」をくださいました。桑原さんが 『黄色焼田(かなやけだ)』というタイトルで寄稿されていて、大学と写真学校を出た桑原さんが報道写真家を目指し、テーマを模索する中で、「水俣」に注目された過程が詳しく書かれていました。1960年、帰省する時に見送りにきた友人が差し入れてくれた週刊朝日に掲載されていた「水俣を見よ」という特集。桑原さんの故郷・木部村(今は津和野町に併合)では、隣接する笹ケ谷銅山から流れ出た鉱毒の砒素の被害に苦しめられていたので、他人事と思えず、「水俣」を撮ろうと決意されたのです。その後の行動力が凄くて、人生を切り開くというのはこういうことなのだと、消極的な私は猛省するばかりです。
写真を撮らせていただきました。
会場には韓国の民主化運動、ベトナム戦争などの写真集も置いてあって、桑原さんの幅広いご活動を今さらながら知りました。(お恥ずかしい・・・)
そして、さらに、桑原さんは1988年に1か月にわたりアフガニスタンに滞在されていたことも知りました。桑原さんの水俣の写真集に触発されて水俣病を追ったドキュメンタリー映画を撮られている土本典昭監督が、『よみがえれカレーズ』の撮影でアフガニスタンを訪れた際に同行取材されているのです。
2021年8月のターリバーンによるカーブル陥落を受け、津和野にある桑原史成写真美術館で、写真展「アフガニスタン崩壊」が開かれています。
桑原史成写真展「アフガニスタン崩壊」
http://www.town.tsuwano.lg.jp/kuwabara_photo/index.html
会場:桑原史成写真美術館 (JR山口線・津和野駅すぐ)
https://www.all-iwami.com/spot/detail_1052.html
期間:2021年10月.22日〜2022年.1月19日 9:00〜17:00
12月の第3木曜日(12/16)休館
ところで、桑原さんの故郷・旧木部村は、実は私の母方の祖父の故郷!
一度、両親と一緒に村の神社の境内で地芝居が行われたときに訪れたことがあります。祖父は、大阪商船に務めて、ブラジルやインドネシアなど世界各地を航行した後、定住して家族と暮らすため、台湾の基隆で水先案内人をしていました。こんな山奥から、よくぞ世界に飛び出たものだと思ったのでした。
もうずいぶん長い間、祖父母のお墓参りにも行っていません。
「アフガニスタン崩壊」の会期中に津和野を訪れたくなりました。
話は、10月16日に戻ります。
同じ日、新宿での石川武志写真展に先に行った(暁)さんとは逆コースにしたのですが、桑原史成写真展でゆっくりしてしまい、石川武志写真展には閉まる10分前に駆け込みました。
『MINAMATA ―ミナマタ―』の公式サイトに掲載されているユージン・スミスとアイリーンさんの素敵なショットは、石川武志さんが撮ったものだとわかりました。映画の中のアイリーンさんと違って、もっとおきゃんな感じだとおっしゃっていました。
後日、石川武志さんが『ヒジュラーーインド第三の性』の写真集を出されていた方と、先輩・麻田豊さんがfacebookで紹介されていて、そうだったのか・・・と!
ほんとに名前が覚えられない私! 情けない。
ちなみに、桑原さんの「アフガニスタン崩壊」も先輩の麻田豊さん情報! 感謝です。
2021年10月31日
水俣病をテーマにした桑原史成さんと石川武志さんの写真展に行ってきました。 原一男監督の『水俣曼荼羅』も11月27日から公開されます(暁)
『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念で開催されていた桑原史成さんと石川武志さんの写真展に行ってきました。桑原さんの写真展は9月15日〜10月16日だったのですが、期間中に行く機会がなく、結局、最終日の16日(土)に行きました。前日の15日に石川さんの写真展の情報を知り(10月7日〜10月25日)、スタッフ日記に書いた写真展情報に追加したのですが、この16日に石川武志さんの写真展も行くことにしました。
*スタッフ日記参照
『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念 桑原史成・石川武志写真展・ユージン・スミスとアイリーンが写した「MINAMATA」作品展&ユージン・スミス集大成写真展のお知らせ
http://cinemajournal.seesaa.net/article/483705121.html
●水俣病を撮り続けて60年 桑原史成さん写真展
9月15日(水)〜10月16日(土)
桑原史成 写真展「MINAMATA」
ギャラリー イー・エム 西麻布
水俣病を撮り続け60年。水俣病患者を撮り続けた桑原さんの写真のうち、初期の1960年代に撮影した写真を中心にモノクロの写真34枚が展示されていました。東京総合写真専門学校を卒業し、写真家を志していた1960年に週刊朝日の水俣病特集記事を見て衝撃を受け、写真で記録しようと熊本県水俣市に入ったそうです。水俣病の被害者が入院している病院を手始めに、患者家族の信頼を得て撮影を続け、のちに胎児性患者と認定された患者さんや家族の暮らしを撮影。それらの記録は写真展で展示されたり写真集になり、多くの人に水俣病の被害を伝えましたが、私も何度も桑原さんの写真展に行きました。
水俣の写真だけでなく、ベトナム、韓国など、報道写真の分野で活躍していた桑原さんの写真の影響を受け、私も報道写真を目指していました。残念ながら、そちらの道に進むことはできませんでしたが、後に西麻布にあるプロラボに勤めた時、その会社に桑原さんはポジフィルムで撮った写真の現像を出しに来ていました。私は受付ではなく技術部門にいたので、桑原さんと直接話したことはなかったですが、桑原さんが出したフィルムを現像したことはありました。今回、そのことを伝えたら懐かしがっていただきました。今回、久しぶりに西麻布に行くので、勤めていた会社がどうなっているか訪ねてみようと思い調べてみたら、その会社は解散していました。今はデジタル写真の時代。時の流れを感じました。
桑原さんは現在84歳とのことで、今はほとんど写真を撮っていないと言っていましたが、桑原さんが撮った写真の数々は、時代を記録した貴重なもので、残念ながらまだ解決していない水俣病の様子を物語っていました。患者の方、胎児性の患者さんの姿、当時のチッソの姿、運動に参加していた人たちの行動など、その時代を知らない人たちにも伝わるものだと思います。11月28日から公開される原一男監督の『水俣曼荼羅』の中でも、桑原史成さんが撮った写真が使われています。
写真展も終わり近くに、お母さんが小学生の子供を連れて訪れ、写真を見ながら水俣病のことを語っていました。こうして後の世代にもぜひ伝えていってほしいと思いました。
●「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」
石川武志写真展
2021年10月7日(木)〜10月25日(月)
会場 リコーイメージングスクエア東京 ギャラリーA
こちらの会場も新宿で働いていたころ、会社の行き帰りによく通った場所でした。かつてはペンタックスサロンと言っていました。その後、リコーと合併して、写真展会場の名前が変わったようですが、私は今回行くまで知らず、やはり写真業界の様変わりを感じました。
石川武志さんはユージン・スミス夫妻が水俣病の撮影のために日本に滞在中の1971年から3年に渡ってアシスタントをしていましたが、夫妻と共に生活をしながらユージン・スミス本人や水俣病患者を撮影した写真の数々でした。今回の写真展では夫妻の共著「MINAMATA」にも掲載していない水俣の生活や撮影シーンなど貴重な作品も展示されていて、作家自らがプリントしたゼラチンシルバープリント31点で構成されていました。
展示されていた写真はユージン・スミス夫妻の水俣での姿を捉えた写真も多かったのですが、その中にユージンさんが、水溶液の入ったバットに手を入れている写真もあり、映画の中で疑問に感じていたことを石川さんに聞いてみました。「写真のプリントは石川さんがほとんどやっていたと思うのですが、たまにはユージンさんがプリントしたこともあったのですか。これは水洗の段階で仕上がりを見ている写真ですよね?」と聞いてみました。写真のプリントというのは、現像→停止→定着→水洗という工程で行われるのですが、普通、水洗まではトングを使い、素手で作業することはしないはずなのに、映画の中では、現像から定着までの間に素手で作業をしているシーンが何回かあって、化学薬品を素手で触るというのは通常ありえないと思い作品紹介にもそのことを書いたので聞いてみました。もし、その作業をほんとに素手でやっていたとしたら、この水俣病という化学薬品の被害を追求する写真を撮っているのに、それはないなと思ったのです。やはり水洗まではトングを使っていたと言っていたので安心しました。
それに、タバコを吸いながらネガフィルムを見るシーンも気になっていたのですが、それもフィルムにタバコの火が燃え移ったら大変なことになるから、そういうことはあり得ないと言っていたので納得しました。フィルム時代を知っている人たちはそういうことが気になります(笑)。
*シネマジャーナル 作品紹介『MINAMATA ―ミナマタ―』
かつて私は1か月に数回、写真展に通っていたのですが、最近は1か月に1回程度しか行かなくなっていたし、新宿での写真展や、西麻布などは、もう数年行ってなかったので、街の変わりようにびっくりしました。ふたりの写真展は終わってしまいましたが、11月5日から、フジフイルム スクエア(ミッドタン六本木内)で、「フォト・ジャーナリスト W. ユージン・スミスの見たもの― 写真は真実を語る」が開催されます。水俣だけではないユージン・スミスの写真も見ることができます。
詳細は下記に
*スタッフ日記参照
『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念 桑原史成・石川武志写真展・ユージン・スミスとアイリーンが写した「MINAMATA」作品展&ユージン・スミス集大成写真展のお知らせ
http://cinemajournal.seesaa.net/article/483705121.html
『水俣曼荼羅』
原一男監督の『水俣曼荼羅』が11月27日に公開されます。原監督が15年かけて撮ったドキュメンタリー作品です。
公式HP
*スタッフ日記参照
『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念 桑原史成・石川武志写真展・ユージン・スミスとアイリーンが写した「MINAMATA」作品展&ユージン・スミス集大成写真展のお知らせ
http://cinemajournal.seesaa.net/article/483705121.html
●水俣病を撮り続けて60年 桑原史成さん写真展
9月15日(水)〜10月16日(土)
桑原史成 写真展「MINAMATA」
ギャラリー イー・エム 西麻布
水俣病を撮り続け60年。水俣病患者を撮り続けた桑原さんの写真のうち、初期の1960年代に撮影した写真を中心にモノクロの写真34枚が展示されていました。東京総合写真専門学校を卒業し、写真家を志していた1960年に週刊朝日の水俣病特集記事を見て衝撃を受け、写真で記録しようと熊本県水俣市に入ったそうです。水俣病の被害者が入院している病院を手始めに、患者家族の信頼を得て撮影を続け、のちに胎児性患者と認定された患者さんや家族の暮らしを撮影。それらの記録は写真展で展示されたり写真集になり、多くの人に水俣病の被害を伝えましたが、私も何度も桑原さんの写真展に行きました。
水俣の写真だけでなく、ベトナム、韓国など、報道写真の分野で活躍していた桑原さんの写真の影響を受け、私も報道写真を目指していました。残念ながら、そちらの道に進むことはできませんでしたが、後に西麻布にあるプロラボに勤めた時、その会社に桑原さんはポジフィルムで撮った写真の現像を出しに来ていました。私は受付ではなく技術部門にいたので、桑原さんと直接話したことはなかったですが、桑原さんが出したフィルムを現像したことはありました。今回、そのことを伝えたら懐かしがっていただきました。今回、久しぶりに西麻布に行くので、勤めていた会社がどうなっているか訪ねてみようと思い調べてみたら、その会社は解散していました。今はデジタル写真の時代。時の流れを感じました。
桑原さんは現在84歳とのことで、今はほとんど写真を撮っていないと言っていましたが、桑原さんが撮った写真の数々は、時代を記録した貴重なもので、残念ながらまだ解決していない水俣病の様子を物語っていました。患者の方、胎児性の患者さんの姿、当時のチッソの姿、運動に参加していた人たちの行動など、その時代を知らない人たちにも伝わるものだと思います。11月28日から公開される原一男監督の『水俣曼荼羅』の中でも、桑原史成さんが撮った写真が使われています。
写真展も終わり近くに、お母さんが小学生の子供を連れて訪れ、写真を見ながら水俣病のことを語っていました。こうして後の世代にもぜひ伝えていってほしいと思いました。
●「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」
石川武志写真展
2021年10月7日(木)〜10月25日(月)
会場 リコーイメージングスクエア東京 ギャラリーA
こちらの会場も新宿で働いていたころ、会社の行き帰りによく通った場所でした。かつてはペンタックスサロンと言っていました。その後、リコーと合併して、写真展会場の名前が変わったようですが、私は今回行くまで知らず、やはり写真業界の様変わりを感じました。
石川武志さんはユージン・スミス夫妻が水俣病の撮影のために日本に滞在中の1971年から3年に渡ってアシスタントをしていましたが、夫妻と共に生活をしながらユージン・スミス本人や水俣病患者を撮影した写真の数々でした。今回の写真展では夫妻の共著「MINAMATA」にも掲載していない水俣の生活や撮影シーンなど貴重な作品も展示されていて、作家自らがプリントしたゼラチンシルバープリント31点で構成されていました。
展示されていた写真はユージン・スミス夫妻の水俣での姿を捉えた写真も多かったのですが、その中にユージンさんが、水溶液の入ったバットに手を入れている写真もあり、映画の中で疑問に感じていたことを石川さんに聞いてみました。「写真のプリントは石川さんがほとんどやっていたと思うのですが、たまにはユージンさんがプリントしたこともあったのですか。これは水洗の段階で仕上がりを見ている写真ですよね?」と聞いてみました。写真のプリントというのは、現像→停止→定着→水洗という工程で行われるのですが、普通、水洗まではトングを使い、素手で作業することはしないはずなのに、映画の中では、現像から定着までの間に素手で作業をしているシーンが何回かあって、化学薬品を素手で触るというのは通常ありえないと思い作品紹介にもそのことを書いたので聞いてみました。もし、その作業をほんとに素手でやっていたとしたら、この水俣病という化学薬品の被害を追求する写真を撮っているのに、それはないなと思ったのです。やはり水洗まではトングを使っていたと言っていたので安心しました。
それに、タバコを吸いながらネガフィルムを見るシーンも気になっていたのですが、それもフィルムにタバコの火が燃え移ったら大変なことになるから、そういうことはあり得ないと言っていたので納得しました。フィルム時代を知っている人たちはそういうことが気になります(笑)。
*シネマジャーナル 作品紹介『MINAMATA ―ミナマタ―』
かつて私は1か月に数回、写真展に通っていたのですが、最近は1か月に1回程度しか行かなくなっていたし、新宿での写真展や、西麻布などは、もう数年行ってなかったので、街の変わりようにびっくりしました。ふたりの写真展は終わってしまいましたが、11月5日から、フジフイルム スクエア(ミッドタン六本木内)で、「フォト・ジャーナリスト W. ユージン・スミスの見たもの― 写真は真実を語る」が開催されます。水俣だけではないユージン・スミスの写真も見ることができます。
詳細は下記に
*スタッフ日記参照
『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念 桑原史成・石川武志写真展・ユージン・スミスとアイリーンが写した「MINAMATA」作品展&ユージン・スミス集大成写真展のお知らせ
http://cinemajournal.seesaa.net/article/483705121.html
『水俣曼荼羅』
原一男監督の『水俣曼荼羅』が11月27日に公開されます。原監督が15年かけて撮ったドキュメンタリー作品です。
公式HP
まとめ&写真 宮崎暁美
TIFF2日目(白)
10月31日(日)
今年は上映会場も多いですが、プレス試写の会場も数か所。六本木ならTOHOシネマズのビル内を移動していればよかったのですが、今年はビルが違うので、早めに移動しなくてはならないのでその分空き時間は多めになりました。去年のようにキツキツのスケジュールは組めません。一日に見られる本数が減って2,3本ずつです。夜は帰宅。それで本日は2本。
あとでうまく組み合わせればもう1本観られたなぁとわかりましたが遅し。
●『ザ・ドーター』(スペイン)コンペ部門
更生施設に入っているイレーネ。妊娠3ヶ月で、子どもの父親は服役中の窃盗犯。指導員のハビエルには子どもがなく、生まれた子をひきとる条件でイレーネの出産まで自宅で世話をする。脱走とその援助は罪になるので、警察も動き出す。
ハビエル夫妻やイレーネに「それは間違ってる」「不可能と思う」と言いたかった。
●『牛』(イギリス)ユース部門
ナレーションも解説もなく、牛に密着。ときどき人間たちの会話が聞こえます。
「牛って大きいなぁ」と今更ながら。牛乳は本来産んだ子牛のためのものです。実際に子どもを産むシーンあり、すぐに母子は離されて(互いに鳴いています)パンパンに張った乳房には子牛でなく搾乳機が吸い付きます。放牧してストレスを少なくすれば長生きするはずですが、狭いところでつなぎ飼育を続けると牛乳製造機と化し、ライフサイクルは短くなります。せいぜい5〜6年くらい? 牛の大きな黒い目を見ると、なんだか申し訳なくなります。もっと感謝して無駄にすることなく、いただきます。(白)
今年は上映会場も多いですが、プレス試写の会場も数か所。六本木ならTOHOシネマズのビル内を移動していればよかったのですが、今年はビルが違うので、早めに移動しなくてはならないのでその分空き時間は多めになりました。去年のようにキツキツのスケジュールは組めません。一日に見られる本数が減って2,3本ずつです。夜は帰宅。それで本日は2本。
あとでうまく組み合わせればもう1本観られたなぁとわかりましたが遅し。
●『ザ・ドーター』(スペイン)コンペ部門
更生施設に入っているイレーネ。妊娠3ヶ月で、子どもの父親は服役中の窃盗犯。指導員のハビエルには子どもがなく、生まれた子をひきとる条件でイレーネの出産まで自宅で世話をする。脱走とその援助は罪になるので、警察も動き出す。
ハビエル夫妻やイレーネに「それは間違ってる」「不可能と思う」と言いたかった。
●『牛』(イギリス)ユース部門
ナレーションも解説もなく、牛に密着。ときどき人間たちの会話が聞こえます。
「牛って大きいなぁ」と今更ながら。牛乳は本来産んだ子牛のためのものです。実際に子どもを産むシーンあり、すぐに母子は離されて(互いに鳴いています)パンパンに張った乳房には子牛でなく搾乳機が吸い付きます。放牧してストレスを少なくすれば長生きするはずですが、狭いところでつなぎ飼育を続けると牛乳製造機と化し、ライフサイクルは短くなります。せいぜい5〜6年くらい? 牛の大きな黒い目を見ると、なんだか申し訳なくなります。もっと感謝して無駄にすることなく、いただきます。(白)
2021年10月30日
TIFF開幕 1日目(白)
地下鉄へ抜ける通路のポスター
10月30日(土)
第34回東京国際映画祭が本日より11月8日(月)まで開催されます。
今年の会場は六本木から変わって日比谷、有楽町、銀座となりました。
Filmexも同時開催なので両方に参加の方は大変、体調に気をつけてくださいませ。
公式HP https://2021.tiff-jp.net/ja/
youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCORSyZr9pmBD1iKJDf3RtNw
オープニングレッドカーペット&セレモニー
https://www.youtube.com/watch?v=hhWk9LyQI38&t=1463s
デイリーニュースも復活しました。
各上映会場、有楽町駅前広場のTIFFインフォメーションブースにあります。
公式HPでは毎日1面のみpdf画像で見られます。
https://2021.tiff-jp.net/download/TIFF_TIMES_1030-1.pdf
今日は渋谷の『芸術家・今井次郎』初日舞台挨拶から回りましたので、プレス試写は午後からの1本のみ。(白)
●『テロライザーズ』(台湾)ワールドフォーカス部門
若者の群像劇。駅構内で起きた通り魔事件。加害者も被害者もみんなが少しずつ繋がっていました。(白)
2021年10月28日
『JOINT』小島央大監督インタビュー
10月22日(金)
渋谷のユーロスペースのビルには映画美学校、試写室があって毎月何度も出かけます。コロナ禍でしばらくオンライン試写ばかり見ていましたが、今日は『JOINT』監督取材があるので出かけました。
先日取材の『ベイビーわるきゅーれ』阪元裕吾監督も若かったですが、小島監督も制作時は25歳。公開間近になった今は27歳です。
日本で生まれて4歳でアメリカ・NYに移り住み、第一言語は英語。10年後日本に戻って東大建築学科卒という経歴です。そのあたりから聞きたがりおばちゃんはいろいろ根掘り葉掘りと。取材後写真を撮らせていただき(ファッション誌みたいじゃないですか?)、書き起こしまとめ中です。
11月20日公開なので、ちょっとのんびり。
できました!こちらです。
次はドキュメンタリー映画『テレビで会えない芸人』試写へ。
『誰がために憲法はある』で取材させていただいた松元ヒロさんを、故郷の鹿児島テレビが追っかけて番組に。全国でも見てもらいたいと映画化になったものです。ヒロさんのご自宅での奥様との会話や、ライブ前の練習風景、故郷での恩師との再会など貴重な映像がたくさんでした。テレビで会えないヒロさんに映画館で会いましょう。
1月下旬公開予定(白)