2021年12月31日

相米監督『夏の庭 The Friends』を観て故郷神戸に思いを馳せた年の瀬でした (咲)

コロナに明け暮れた2021年も大晦日となりました。
年賀状もやっと出し終えて、黒豆を煮ながら、今年最後の日記です。
この1年も、シネマジャーナルのサイトを覗いてくださいまして、ありがとうございました。

さて、今年最後に劇場で鑑賞した映画は、中央アジア今昔映画祭で、29日(水)午後3時から上映されたウズベキスタンの『40日間の沈黙』と『彼女の権利』でした。

会場のユーロスペースのあるビルの1階で、K枝さんにばったり。先日も東京ドキュメンタリー映画祭で会ったばかり。思えば、彼女とは今年4回映画館で偶然会いました。そもそも半世紀以上前に日本パーキスターン協会の泊まり込みのシンポジウムで知り合った友人。注目する映画は重なります。座席も偶然すぐ近くでした。
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『彼女の権利』(2020年/15分 監督:サオダート・イスマイロワ)は、1920年代から1980年代にかけての女性たちの映像を繋いだ15分の短編。観終わって、「斬新すぎたね」と。

この3時からの映画の前に観られる映画はないかと検索したら、下高井戸シネマでの特集「没後20年 作家主義 相米慎二 アジアがみた、その映像世界」で、12時から『夏の庭 The Friends』(1994年)が上映されるのを見つけました。神戸で撮影した映画で、神戸弁にこだわったとあり、これは観なくては!と。
 
冒頭、雨の中、少年たちがサッカーをしている背景にあるのは、まぎれもなく六甲山! 
物語は・・・ サッカー仲間の3人の少年。そのうちの一人が祖母の死で、火葬場で人が骨になることを体験。人はいつか死ぬと、学校近くのあばら家に住む老人が死ぬのを見届けようと、草ぼうぼうの家を覗き込むうち、そこに住む老人・傳法(でんぽう)喜八との交流が始まります。好奇心旺盛な少年たち。一人暮らしの傳法に、結婚したことはないのか?と迫ります。戦前、古香弥生という女性と結婚したけれど、戦争に行き、南方のジャングルでやむを得ず身重の女性を殺してしまい、生きて日本に帰ったものの妻に会いに行かなかったことを、ぽつりぽつりと語ります。この弥生さんを少年たちは見つけ出すのですが、なんと担任の先生が弥生さんの孫だった・・・という話。喜八は妻の妊娠を知らずに出征したのでした。こんな風に戦争に翻弄された人たちは大勢いたのだろうなぁ〜としみじみ。
喜八を演じたのは三國連太郎さん。撮影当時、70歳そこそこでしょうか・・・ しっかり老人でした。
三國連太郎さんも、まぁそれなりの神戸弁で話していましたが、少年たちはまさしく神戸弁! 同じ神戸でも地域によって微妙に違うのですが、小中学校で同級生の男の子たちが話していた神戸弁でした。(女の子はまた少し違う) 見覚えのある天井川が出てきて住吉川かなと。帰宅して検索してみたら、住吉川や六甲川(こちらは天井川ではない)が出てきたようです。老人の住む家は三菱重工の社宅敷地内(灘区?)、学校は魚崎小学校で東灘区。
私が住んでいた頃には、まだ海だったところに出来た六甲アイランドから六甲ライナーに少年たちが乗っている場面もありました。
映画の公開されたのが、1994年。その翌年1995年1月には、阪神淡路大震災があって、ロケ地の六甲道や住吉川界隈は、被害のひどかったところではないかと思います。あのあたりに住んでいた方たちにとっては、映画で懐かしい風景に出会えるのではないでしょうか・・・

コロナ禍で神戸にもなかなか帰れない今、私にとっても故郷を懐かしむ映画となりました。

黒豆もやっと出来上がりました。

それでは、どうぞ良いお年をお迎えください。
posted by sakiko at 19:11| Comment(0) | 日々のできごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月26日

コロナ禍での看取り(暁)

もう2年近く続く新型コロナ禍での生活。私の叔母(長男である父の妹)が今年(2021)8月末に亡くなった。コロナの影響で叔母が入所している介護施設に見舞いに行くことはできず、なんとリモートでの看取りだった。
叔母は2016年の10月頃から介護施設に入所していた。それまでは高齢者向けマンションに暮らしていたけど、その年の7月に夫(叔父)が亡くなり、叔母は3ヶ月後に大腿部骨折をし、介護が必要な生活になっていた。叔母夫婦には子供がなく、姪の私たち姉妹4人と、次男(父の弟)の息子である甥の5人が身内(長男、次男ともすでに亡くなっている)。なので高齢者マンションから介護施設への引っ越し、元に住んでいた家の処分など、叔母と家が近い甥が中心になって、私たち姉妹4人が手伝い、5人で手分けして行った。
叔母夫妻は80歳すぎても自分たちで身辺整理、終活をしていなくて、私たち5人が、結局、元の家と高齢者マンションの片付け、使えるものの振り分け、廃棄処分、引っ越しなどを行った。主には従弟(甥)がやって、私たち4姉妹は必要な時に手伝いをしに行く程度だったけれど、それでも2軒の家の処分、引っ越し作業は大変だった。少しは片付けているかと思ったら、何も廃棄処分などしていなくて、スーパーの袋や紙袋など、そういうものだけでも庭にあった倉庫の中にいっぱいあった。あとで従弟に聞いたら廃棄するものだけで、2トントラック3台分くらいはあったと言っていた。私の家が大きければ、もっと引き受けることができたけど、すでにいっぱいで人からのものを受け入れることはできなかった。叔父の趣味は山登り、クラッシック音楽を聴くことなどで、レコードが山ほどあったけど、きっと同じ趣味の人が見たら貴重なレコードもあったのかもしれないし、オーディオセットも高級なものだったのかもしれないが、それを吟味する間もなく中古品を扱う業者に託すしかなかった。叔母はもっと趣味が多く、お茶、お花などは人に教えるレベルだったし、陶芸は自宅に窯を持つほどだった。なので陶芸品が山ほどあり、どれも素晴らしいできのものだったので、私たちが少しいただき、お茶の生徒さんたちにも分けたけど、それでもまだ山ほどあったので、置いてくれるところを探し30点ほど持っていった。
そんな作業と並行して、叔母の新しい生活のための準備。歩けなくなっていた叔母は車いす生活になってしまったので、病院から退院したあとは介護施設で暮らすことになった。幸い叔父がそういう準備はしてくれていて、高齢者マンションからスライドして介護施設に行ける会社と契約してくれていたので、私たちが介護施設を探すことはなかった。
私たち姪っ子、甥っ子は、2016年からそこに暮らすことになった叔母のところにかわるがわる訪ね、誕生会も毎年していたけど、2016年〜19年の3回の誕生会をしたあと、新型コロナの流行で、面会禁止になってしまったので、2020年と21年の誕生会をすることはできなかった。それに毎年冬になると12月〜2月末くらいまでインフルエンザの予防のため面会禁止で会いにいけず、結局、約2年叔母とは会えぬまま今年の8月初め頃、叔母がだいぶ衰弱したと連絡があり病院に入院。食事もすることができなくなり、胃ろうなどの延命処置をするかどうするかの判断が必要になってしまった。結局、延命処置はせず、命が終わるまでなりゆきに任せることになり、8月中旬、介護施設にもどされた。その時だけは面会を許され、会いに行くことができた。その時はまだ意識があり、私たちが行ったことはわかるようだったけど、あんなに元気だった叔母が弱弱しく横たわっていた。2年会えなかった間の変化に驚いたけど、もう90歳だし、しょうがないかなと思った。
その施設では時々ピアニストの人を呼び、音楽会などを開いていたが、終末期音楽療法というのがあり、そのピアニストの方がリモートで叔母が好きだった曲を聴かせてくれるというのをやるといい、その様子を私たち甥っ子、姪っ子もそれぞれのパソコン、スマホから見ることができると言ってきたので、それが可能なようにZOOMソフトを入れた。やり方がわからず、いろいろ聞いて試して、やっと叔母の「終末期音楽療法」をしているシーンを見ることができるようになったのは2日後くらい。見舞いから帰ってきてから数日後で8月20日すぎだったと思う。相手は見ることができるのに、私は先方からは見ることができず、原因がわからずだったけど、わかってみれば簡単。パソコンのカメラ部分のキャップがしまったままだった。まさかそんなところにカメラのレンズにあたるものがあるとは思ってもみなかった。真っ黒でそんなものがあるとはわからなかった。
パソコンを通して見る叔母の状態は、すでに意識がもうろうとしているように思えた。2日おきくらいの開催で、時間を合わせてその模様を見るということが3,4回。やっと慣れた8月末、とうとう叔母は逝ってしまった。いよいよ危篤という時に連絡が来て、たまたま家にいたのでパソコンを繋いだ。臨終の瞬間もパソコンを通して。まさかパソコンを通しての看取りになるとは思ってもいなかった。リモートが通じてわずか1週間あまり。こんなことなら叔母がまだ元気なうちにリモートでの見舞いというのができたのじゃないかなと思った。元気なうちにやり取りができなくて残念だった。でも、これのおかげでリモートのやり方がわかった。
葬式に関しては、コロナの影響から私たち4姉妹のうち、一人だけが代表で出席。従弟と妹、叔父の家の兄弟から一人で、その3人とお坊さんという4人での葬式になった。また四十九日の納骨は先方の家の事情で墓じまいをして墓を変えることになっていたので、私たち4姉妹は出席できず、従弟と先方の兄弟の一人の二人の出席という寂しい納骨と墓じまいになった。来年になったら、新しいお墓に墓参りに行こうと思っている。それにしてもコロナの影響は、こんなところにも出て、まさかのパソコンを通じてのリモートでの看取り。思わぬ展開だった。
叔母夫婦はたくさんのものを持っていたのに、80歳をすぎても断捨離などをしていなかった。この経験から、「人の振り見て我が振り直せ」と、私ももう断捨離を始めなくてはと思ったのだけど、減るどころか、日々、映画のチラシや、駅でゲットする旅行情報など、紙類が増えるばかり。それどころか2月に買ったパソコンが入っていた箱とか、資料などもあり、その場所が山積みになってしまい、それが道をふさぎ、その奥に入っていけなくなってしまった。おかげで洋服ダンスに近づけず、タンスに入っている服を出すことができずにいる(笑)。気持ちだけは、いつもなんとか整理しなくてはと思っているのだけど…。
やっとこの2,3か月コロナ感染が少なくなり、これで終わるかもと思っていたのに、今度は新型コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」の市中感染が一昨日確認された。あっという間にまた増えるかもしれない。いつになったら、この新型コロナウイルスにふりまわされなくなることやら。歯医者や病院に検査に行くのをもう2年くらい控えているのだけどもう限界。来年になったら、コロナを振り切っていくしかないかもしれない(暁)。





posted by akemi at 20:30| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バングラデシュの写真展とイランの絵本展でほっこり♪ (咲)

12月24日(金) 
西新宿のオリンパスギャラリーで27日(月)まで開催中の「寺本雅彦 写真展」へ。
【〜命は循環し、魂は巡礼する〜 血となり祈となる】の副題がついたバングラデシュで撮影した犠牲祭や、列車にてんこ盛りの人たちの写真展でした。
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ダッカの犠牲祭で犠牲にされているのは牛。
かつてはヒンドゥー教徒の人も共に暮らしていたベンガルの地で、ヒンドゥーが崇める牛をイスラームの犠牲祭で屠るのかと、ちょっとびっくり。
★2012年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で上映された『わが友ラシェド』(モルシェドゥル・イスラム監督)で、1947年の印パ分離独立後も、実はベンガルの地では、インド側に移民しなかったヒンドゥー教徒も多く、イスラーム教徒と共存していたことを知りました。独立戦争の時に、パキスタン政府軍はヒンドゥー教徒を真っ先に攻撃対象にしたそうです。

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寺本雅彦さんは、横浜・綱島でカフェ pointweather を営みながら写真を撮っていらっしゃるとのこと。
こちらの写真は、食材を購入する東京ジャーミィや、牛にちなんで吉備の鼻ぐり塚など国内で撮ったもの。
テーマにあわせて、展示の仕方を変えていて、なかなかユニークな写真展でした。

列車にてんこ盛りの人たちの写真は、よく見ると、いろいろなドラマが。
客車内に座っている男性が、屋根の上にいる人にペットボトルを渡している姿も捉えていました。
寺本さんにお話を伺ったところ、やっと確保した座席を、女性にさっと譲ってあげる潔い男性も見たとのこと。

微笑ましいエピソードに、ほっこりしながら写真展をあとにして、原宿のカフェSEE MORE GLASSさんで開かれている「イランの絵本と靴下展」へ。(12月27日まで開催)

お昼時で混んでいたのですが、奥の本棚の前の席がなんとか空いてました。
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雑穀米にのせた豆やお肉のやさしい味のカレーをいただきながら、のんびりイランの絵本を眺めました。

今回は、絵本『ボクサー』日本語訳刊行を記念しての催し。
『ボクサー』は、2019年のブラチスラバ世界絵本原画展でグランプリを受賞した作品で、力強い中に、どこか哀愁のあるボクサーの姿が大胆に描かれています。
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『ボクサー』
作・絵: ハサン・ムーサヴィー 訳: 愛甲恵子
出版社: トップスタジオHR
https://salamx2.exblog.jp/29764160/

こちらも、ほっこりした気持ちであとにして、3時半からの試写へ。
何を観たかは、あえて明かしませんが、今の日本の若い監督さんの作った映画は、どうも年を重ねた私にはよくわからんというものでした。

新宿に着き、小田急のデパ地下、ケーキやチキン&サラダのお店に長蛇の列ができているのを横目に毎週金曜日に680円で売っている海鮮丼めざしてまっしぐら。
いつもよりたくさん残ってました。クリスマスイブだから、作る量を考えないと!

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クリスマスにチキンは食べないと決めている私ですが、素敵なクリスマスツリーには名残を惜しみました♪





posted by sakiko at 16:16| Comment(1) | 日々のできごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月25日

『夫とちょっと離れて島暮らし』舞台挨拶取材(白)

12月25日(土)
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雨が上がって洗濯物を干してから新宿へ。
K’sシネマでの初日舞台挨拶です。
奄美群島の加計呂麻島(かけろまじま)で1年間の期間限定で移住したイラストレーターのちゃずさん離れがたくて延長した後、東京に戻って先月ご長男を出産したばかりだそうです。國武綾監督はちゃずさんと入れ替わりのようにご夫君と奄美市の名瀬へ移住、現地で完成させました。名瀬でご近所だという中孝介さんが応援に登壇しました。奄美出身の方々がたくさん観客席にいらしたようです。
中さんは出演した『海角七号 君想う、国境の南』(2008/台湾)が”第4回アジア海洋映画祭イン幕張”で グランプリ(最優秀賞)を受賞したときにお目にかかって以来。主演の范逸臣(ファン・イーチェン)と田中千絵さん、魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督の写真が残っています。もう13年も前です。関連記事はこちら

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ロビーではちゃずさんのイラスト入りTシャツや絵葉書も販売しています。
パンフレット(500円)お買い上げの方に、その場でちゃずさんが似顔絵を描いてくれます。
今日から1月7日まで(1/1のみお休み)毎日朝10時から1回の上映です。HPにイベントのお知らせがありますので、お確かめください。(白)

HPはこちら
作品紹介はこちら
●舞台挨拶ほぼ書き起こしはこちら
posted by shiraishi at 21:27| Comment(0) | 取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『フタリノセカイ』飯塚花笑監督取材(白)

12月24日(金)
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自身もトランスジェンダーの飯塚花笑(かしょう)監督が、幸せを願うフタリの10年間の軌跡を描いています。
主演のピュアな2人を見守る人々にもそれぞれの人生があり、感情移入して観られます。
この日の最後の取材だったことに安心して、映画の感想をいっぱい語ってしまいました。
お喋りじゃなくて質問をしなさい>自分(汗)。
これからまとめて、聞き忘れたところをいっぱい(?)足していただきますね(汗)。

2022年1月14日(金)新宿シネマカリテ他全国順次公開1月14日公開予定

クリスマスイブですが、子どもたちが大きくなってしまうと特にイベントもない普通の1日です。
孫が小さいとき、家には煙突がないのでサンタさん宛に、「こちらです→」と矢印つきの案内を作って貼っていました。
迷わずに来てゲームを置いていってくれたようです(笑)。(白)
posted by shiraishi at 20:26| Comment(0) | 取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする