2021年12月19日

『再会の奈良』に出演の女優吴彦姝(ウー・イエンシュー)さん(暁)

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c 2020 “再会の奈良” Beijing Hengye Herdsman Pictures Co., Ltd, Nara International Film Festival, Xstream Pictures (Beijing)

この数年、『本がつなげる恋物語(北京遇上西雅图之不二情书)』(16)、『妻の愛、娘の時(相愛相親)』(2017)、『チィファの手紙』(18)、『花椒(ホアジャオ)の味(花椒之味)』(2019)など、日本で公開されたいくつかの映画で印象に残る演技を披露している中国のベテラン女優・吴彦姝(ウー・イエンシュー)さんを紹介します。2022年2月4日には『再会の奈良(又見奈良)』が公開されます。『再会の奈良』では、日本に帰した中国残留孤児の養女・麗華と連絡が取れなくなり、奈良に探しに来たおばあさんの役を演じています。1938年生まれの(1939年説も)83歳。
『本がつなげる恋物語』(16)では愛情深い演技が印象的なおばさん役、同年中国で公開された『搬迁(Relocate)』での演技が評価され、中国でのアカデミー賞と呼ばれる2017年の金鶏奨で最優秀助演女優賞を受賞。『妻の愛、娘の時』では夫の墓を田舎で守る頑固な先妻役を演じ、台湾金馬奨と香港電影金像奨の最優秀助演女優賞にノミネート。『花椒(ホアジャオ)の味』では3女如果のおばあさん役で麻雀に興じるモダンなマダムを演じています。『花椒(ホアジャオ)の味』は2021年11月5日に公開され現在も公開中。「中国国家一級俳優」の称号を持っているそうですが、『妻の愛、娘の時』の時に演じた田舎の貧しい農婦から、『花椒(ホアジャオ)の味』でのモダンなマダム、最初は同一人とは思えませんでした。なんかこのおばあさん見たことあるなと思って、思い起こしてみたら、あの田舎の頑固なおばあさんを演じていた人でした。そして『再会の奈良』では養女麗華を奈良で探し回る役なのです。どんどん若くなっています(笑)。
「1959年に『流水歓歌』で映画初主演を果たし、その後は舞台で活躍し、1990年代にテレビドラマに進出。2003年までは「山西省話劇院」の劇団員として、長年、舞台を中心に活躍。2003年に一度引退し、2011年に復帰。60年に渡って活躍して来た女優さん。そして、中国以外に知られるようになったのは80歳近くなってから。日本で言えば樹木希林さんみたいな存在なのでしょうか。
『妻の愛、娘の時』
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(C)2017 Beijing Hairun Pictures Co.,Ltd.

『花椒(ホアジャオ)の味』
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(C)2019 Dadi Century (Tianjin) Co., Ltd. Beijing Lajin Film Co., Ltd. Emperor Film Production Company Limited Shanghai Yeah! Media Co., Ltd. All Rights Reserved.

母と娘の60年にわたる「絆」と、中国と日本をつなぐ戦争の歴史を今に伝え、問いかける

『再会の奈良』は奈良を舞台にした日中合作映画で、日中の国境を越えた親子の愛を描き、日中の魅力あふれる演技人が出演しています。歴史に翻弄された「中国残留孤児」とその家族がたどる運命、互いを思い合う気持ちを、2005年秋の奈良・御所市を舞台に、切なくもユーモアたっぷりに紡いでいます。監督・脚本は、中国出身の鵬飛(ポンフェイ)監督。ツァイ・ミンリャン監督の現場で助監督・共同脚本などを務め、ホン・サンス監督のアシスタントプロデューサーも務めた。本作は3本目の長編。2作目の『ライスフラワーの香り』が、2018年の「なら国際映画祭」で観客賞を受賞し、“今と未来、奈良と世界を繋ぐ”映画製作プロジェクト「NARAtive2020」の監督に選出され、奈良を舞台にした本作『再会の奈良』を製作した。エグゼクティブプロデューサーは奈良出身で「なら国際映画祭」のエグゼクティブ・ディレクターでもある河瀬直美監督と中国のジャ・ジャンクー監督が務めています。

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c2020“再会の奈良”Beijing Hengye Herdsman Pictures Co.,Ltd,Nara International Film Festival, Xstream Pictures (Beijing)

*シネマジャーナルHP掲載記事
・作品紹介『再会の奈良
・『再会の奈良』ポンフェイ監督インタビュー

ストーリー

中国から陳ばあちゃんが、孫娘のような存在のシャオザーを頼って一人奈良にやって来た。1994年に日本に帰国させた中国残留孤児の養女麗華と数年前から連絡が途絶え心配して探しに来たという。麗華を捜し始めた2人は一雄という男性と知り合い、元警察官だという一雄と麗華捜しを始める。紅葉最中の奈良を舞台に言葉の壁を越えて不思議な縁で結ばれた3人のおかしくも心温まる旅が始まる。日本語ができない陳ばあちゃんのユーモアたっぷりなジェスチャーがおかしい。これだけでも心休まる。異国の地での新たな出会いを通して、陳ばあちゃんは愛する娘との再会を果たせるのか。
麗華探しを手伝う元警察官の一雄を演じるのは、河瀬直美監督の『萌の朱雀』(97)で映画初主演し、『男たちの挽歌』(92)、『哭声/コクソン』(16)、『マンハント』(18)、『MINAMATA-ミナマタ-』(21)など海外作品でも活躍する國村隼。養女探しに来日した養母には中国から参加のウー・イエンシュー。シャオザー役には中国の若手女優イン・ズー。物語の鍵を握る寺の管理人を演じるのは、『あん』(15)、『光』(17)、『Vision(18)』と河P監督と過去3度組んできた永瀬正敏が友情出演。そういえば永瀬正敏も海外の監督作品への出演が多い。シャオザーの元恋人役は、劇団EXILEの秋山真太郎と、豪華な出演者たち。

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c 2020 “再会の奈良” Beijing Hengye Herdsman Pictures Co., Ltd, Nara International Film Festival, Xstream Pictures (Beijing)

『再会の奈良』公式HP
2020年製作/99分/G/中国・日本合作
原題:又見奈良 Tracing Her Shadow
配給:ミモザフィルムズ
共同製作:21インコーポレーション 
後援:奈良県御所市

スタッフ・キャスト
監督・脚本:ポンフェイ
エグゼクティブプロデューサー:河瀬直美、ジャ・ジャンクー
出演:國村隼、ウー・イエンシュー、イン・ズー、秋山真太郎、永瀬正敏
撮影:リャオ・ペンロン
音楽:鈴木慶一 編集:チェン・ボーウェン
照明:斎藤徹 録音:森英司 美術:塩川節子
 
2/4(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開 / 1/28(金)より奈良県にて先行上映

「満蒙平和記念館」を知っていますか? 
長野県阿智村に2013年(平成25年)4月オープン
https://www.manmoukinenkan.com/


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満蒙平和記念館 2016年 撮影 宮崎暁美

1936年に「満州農業移民100万戸移住計画」が国策となり、疲弊した農村の経済の立て直しや食糧増産などを目的に満蒙開拓移民計画が推し進められた。背景には「満州国」の支配、防衛といった軍事的な目的もありました。日本の戦況悪化、ソ連軍侵攻。結果として約27万人の開拓団のうち約8万人がなくなったと言われている。日中双方を含め、多くの犠牲者を出した満蒙開拓の史実を通じて、戦争の悲惨さ、平和の尊さを学び、次世代に語り継ぐと共に国内外に向けた平和発信拠点。
中国残留孤児の肉親捜し、帰国支援に尽力され、「残留孤児の父」と言われる阿智村の名誉村民・山本慈昭さん(阿智村、長岳寺の元住職)。「満蒙平和記念館」は長岳寺のそばにあります。

・満蒙開拓のミニ知識
https://www.manmoukinenkan.com/history/

posted by akemi at 20:37| Comment(0) | 映画雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『チェチェンへようこそ ーゲイの粛清ー』(2月公開) 関連トークイベントが12/21に開催されます  (咲) 

12月18日夜、日本学術振興会カイロ研究連絡センター主催の2021年度第12回定例懇話会で毎日新聞カイロ支局長 真野森作様のご講演「ロシアから見たシリア内戦、そしてチェチェン」を拝聴しました。

★ご講演要旨(講師記)
2011年の「アラブの春」を機に泥沼の内戦に踏み込んだシリア。劣勢のアサド政権を救ったのがロシアでした。プーチン政権はなぜ軍事介入したのでしょうか? ロシア側から見ると「カラー革命阻止」や「イスラム過激派との長い戦い」といった理由が浮かび上がります。また、ロシア連邦南西部のチェチェン共和国に注目したいと思います。シリア内戦の混乱の中で台頭した過激派組織「イスラム国」(IS)には多くのチェチェン人が参加していました。かたやプーチン政権はシリアにチェチェン人憲兵隊を派遣しています。中東とモスクワの間に位置するチェチェンの歴史的、地政学的あり方が影響しているのです。そしてロシアとチェチェンの関係には危うさもつきまといます。私はモスクワ特派員時代の15年にチェチェンを現地取材し、現在はシリア内戦やISの影響について取材しています。今年9月に刊行した著書『ポスト・プーチン論序説 「チェチェン化」するロシア』(東洋書店新社)を基にお話したいと思います。


プーチン政権がシリアに軍事介入した背景、シリアで台頭した「イスラム国」(IS)の構成員のうち約1500人(2014年現在)のロシア人のほとんどがチェチェン出身だったことなど、とても興味深く、わかりやすいご講演でした。
(ちなみに、2014年現在のシリアにおけるイスラム国の構成員は、チュニジア 3000人、サウディアラビア 2500人、ロシア 1500人、ヨルダン 1500人)

チェチェンで独裁者カディロフ首長の体制に閉塞感を抱え過激化した若者たちが、シリアやイラクという行先がなくなり、地元で荒れているという実情も。
イスラームでタブーとされているLGBTQの人たちが、過激派の標的になっていることを描いた映画が、来年2月26日に日本で公開されることを知りました。

『チェチェンへようこそ ーゲイの粛清ー』
原題:Welcome to Chechnya
監督:デイヴィッド・フランス
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ロシア支配下のチェチェン共和国で国家主導の"ゲイ狩り"が横行している。同性愛者たちは国家警察や自身の家族から拷問を受け、殺害され、社会から抹消されている。それでも決死の国外脱出を試みる彼らと、救出に奔走する活動家たちを追った。本作品では、被害者の命を守るため、フェイスダブル技術を駆使し身元を特定不能にしている。世界はこの大罪を止められるか。
2020年製作/107分/アメリカ・イギリス合作
配給:MadeGood Films
公式サイト:https://www.madegood.com/welcome-to-chechnya/


◆関連イベント◆
『チェチェンへようこそ ーゲイの粛清ー』の監督が登壇するPEACE DAY財団主催のイベントが12月21日夜に開催されます。
日本と世界のLGBTQ問題に関して議論するトークイベントです。

日 時:12月21日(木)19:00〜20:30(zoom入室開始 18:55)
参加方法:zoom ONLINE
〇パネリスト:
・杉山文野さん
(トランスジェンダー活動家、東京レインボープライド共同代表理事、
日本フェンシング協会理事、日本オリンピック委員会理事)
・デイヴィッド・フランスDavid France さん
(映画『チェチェンへようこそ-ゲイの粛清-』監督)
○モデレーター:
・土井 香苗 さん
(国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表)
主 催:一般財団法人PEACE DAY

★参加無料ですが、下記のトークイベント案内サイトよりチケットをお申込みください。
https://pdmonthly-2112.peatix.com


*****☆*****☆*****

12月21日、まったく同じ時間にイラン大使館文化参事室(イラン文化センター)主催の冬至を祝う「シャベ・ヤルダー祝祭ウェビナー〜イランの伝統の有り様─冬至の夜とサントゥール演奏〜」が開催されるのです・・・ 
このイランの冬至のオンラインイベントは:
日時:2021年12月21日(火) 19:00〜20:30
ZOOMへのリンク (時間になりましたら、下記にアクセスしてください)
https://us02web.zoom.us/j/8364559495
事前登録不要です。

パソコンは二つあっても、身体は一つ・・・ 
悩ましいです。(景山咲子)

posted by sakiko at 15:00| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月17日

『東洋の魔女』を観に行く(暁)

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(C)UFO Production

『東洋の魔女』の試写を見逃がしてはいけないと思ったのですが、試写を観に行くことができず、オンライン試写でも観ることができず、結局公開されてから観に行きました。今になって1964年の東京オリンピックでのバレーボールのことが映画になるのはなぜ?と思いましたが、あの時リアルタイムでTV観戦体験した私としては、とても懐かしく思い、再度あの興奮の経験を振り返りたいと思いました。そして、もう記憶のかなたになっていたあの時の熱狂を思い出しました。

渋谷ユーロスペースほか全国順次公開中 劇場情報
*作品紹介 シネマジャーナルHP 『東洋の魔女』

監督・脚本:ジュリアン・ファロ
製作:ウィリアム・ジェアナン
撮影:山崎裕
音楽:ジェイソン・ライトル K-Raw
ラインプロダクション:ドキュメンタリージャパン、橋本佳子、角田良子
出演:河西昌枝、松村好子、半田百合子、谷田絹子、宮本恵美子、磯部サタ、松村勝美、篠崎洋子、大松博文

『東洋の魔女』公式HP

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cUFO Production、c浦野千賀子・TMS

1964年の東京オリンピックの時は中学1年で小平1中に通っていました。モータリゼーションの時代が来て車が増え、首都高ができたり、一般道路も整備されたり、ビルがニョキニョキ建ち、このオリンピックに向かって東京の街が様変わりしました。そしてオリンピックに向けTVも家庭に普及しました。御多分にもれず、我が家もこのオリンピックに向け、白黒TV(当時は白黒しかなかったと思います)を買いました。それまではご近所のTVがある家に見に行っていました。そして迎えたオリンピックでした。
今回(2021年開催)のオリンピックは観客なしだったのでなかったと思いますが、1964年の東京オリンピックでは、いろいろな種目で学校からの学生派遣がありました。私は運よく抽選に当たって「体操競技」を見に行くことができ、バス1台に乗って学校から東京体育館に行きました。席は段違い平行棒の前で、そこまでの距離は15mもなかったと思います。そして目の前でチャスラフスカ選手のウルトラCの演技を見ることができました。今でもそのシーンが思い浮かびます。鉄棒の前で体がグルっと一回りして、また鉄棒を掴むという演技をしたのですが、何が何だかわからず、家に帰ってからTVで解説付きの場面を見て、ウルトラcと知りました(笑)。スポーツ観戦が初めてだったので知らなかったのですが、競技を生で見る場合は解説は何もなく目の前では状況がわからなかったのです。その経験から、その後マラソンなどの観戦に行く時にはラジオを持って出るようになりました。
ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア)

そんな1964年の東京オリンピックのなかでも印象に残っている競技が女子バレーボールでした。河西選手を始め、日紡貝塚の選手たちを中心にしたメンバーの大活躍で、決勝戦の時は家族そろってTVにかじり付きでした。優勝はあっさり決まりましたが、あの時の興奮は忘れません。東京オリンピックで一番盛り上がった時でした。その後、バレーボール競技人口も増えましたし、「アタックNo.1」や「サインはV」も見ました。学校でもクラス対抗バレーボール大会などがありました。中学2年(1965年)になって、新しくできた小平4中という学校に移ったのですが、その学校から歩いて15分くらいのところに、「日紡貝塚」のライバル「日立武蔵」があり、バレーボールの練習を見に行ったこともあります。その頃は生沼スミエさんなどが日立武蔵の選手で活躍し始めた頃でした。この原稿を書くにあたって調べていたら、ずっと後の世代ですが大林素子さんも日立武蔵の選手だったことを知りました。しかも小平2中の出身。やはり中学校の時に日立武蔵のバレーボールの練習見学に行った経験があり、その経験が後のバレーボール人生につながったようです。

シネマジャーナル本誌で渋谷昶子監督のこれまでの歩みを連載することになり(2015年)、私は渋谷監督の入院している病院に何度も通いましたが、その時に、渋谷監督が監督した日紡貝塚女子バレーチームを撮ったドキュメンタリー作品『挑戦』(1965年)がカンヌ映画祭短編部門グランプリ作品になったことを知りました。渋谷監督は、この作品の撮影で工夫したことを話してくれました。その中でもあの回転レシーブを撮影するために透明なプラスチック板を通して下から撮影するという方法を編み出したという話が一番印象に残りました。また、最初は女性だからと監督を任せてもらえなくて、この作品を撮るためにいろいろ苦労した話や、やっと監督できることになった話などもしてくれました。そして日紡貝塚に通って、撮影許可をもらった時の話なども話してくれました。ほんとは4話連続で渋谷監督の生きて来た道をご自身で書いてもらう予定だったのに、1話目を書き終わった時に亡くなってしまって残念でした。なので1話限りで、とうとうこの『挑戦』の話を書いてもらうことができませんでした。返す返すも残念です。

*渋谷昶子監督が書いた記事掲載はシネマジャーナル96号(2016 春)

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(C)UFO Production

そして、この1978年生まれのジュリアン・ファロ監督の『東洋の魔女』。なぜフランスの映画監督が、この作品をと思ったけど、現在、フランス国立スポーツ体育研究所(INSEP)の映像管理部門で働き、これまで「個性的で超人的なパワーを持つアスリートたちに焦点を当て、スポーツ、映画、芸術の架け橋となる映像作品を制作してきた」とのことなので、「東洋の魔女」たちに興味を持ったのかもしれないですね。それにしてもイラストの部分、欧米の人たちが持つ日本感という感じがちょっと気になりました。
「東洋の魔女」は、選手引退後もバレーボールの普及をしてきたことが描かれ、彼女たちの今も知ることができました。彼女たちのほとんどは80代になり、今、この記録を残していなかったら、語れる方たちがいなくなってしまう。貴重な記録になりました。
撮影は、是枝裕和監督とのコンビが有名ではありますが、ドキュメンタリー作品を多く撮ってきた山崎裕さんが担当しています。この作品のラインプロダクションを担当しているドキュメンタリージャパンの橋本佳子さん、彼女を『ひろしま 石内都・遺されたものたち』でインタビューした時に、ドキュメンタリージャパンの事務所で山崎さんにお会いしましたが、ドキュメンタリー好きな私としては、「この方がドキュメンタリー作品をたくさん撮った山崎裕さん!」と思い、嬉しかったです。山崎さん自身にはインタビューをしたことがないですが、いつかしてみたい。

*シネマジャーナルで取材した山崎裕さん撮影作品
『ANPO』(2010年) 
安保をアートで語る リンダ・ホーグランド監督インタビュー

『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』(2012年)
長谷川三郎監督インタビュー

『ひろしま 石内都・遺されたものたち』(2013年)
リンダ・ホーグランド監督・橋本佳子プロデューサーインタビュー

まとめ 宮崎暁美
posted by akemi at 07:04| Comment(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月12日

ピースボート世界一周船旅の写真整理(暁)

『街は誰のもの?』に感想と写真を加えるため、2018年12月から2019年3月初めまで行ったピースボートの世界一周の船旅(第100回ツアー)で撮った写真を久しぶりに見た。リオデジャネイロの街中でたくさんの落書きを見たので、その写真があるかなと思ったのでした。あまりにたくさん撮影したので、まだ見ていなかった写真もいっぱい出て来て写真整理に2,3日費やしてしまい、シネマジャーナルHPの原稿どころでははなくなってしまった(笑)。
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チリ・パルパライソ観光地の落書き

*シネマジャーナルHP 作品紹介『街は誰のもの?』
船旅の途中、インド洋の真ん中で右腕を脱臼してしまい、一旦日本に帰って、また2月、リオデジャネイロで船旅に合流した(旅行代金が戻ってこないとのことだったので)。ドバイ空港経由でリオデジャネイロの空港に着き、ホテルまでの車に乗って移動した時の最初の驚きは、空港を出てすぐファベーラ(スラム街)が出てきて落書きだらけの壁壁の連続だったこと。道路の脇にずっとファベーラが続き、街に入っても家々の壁は落書きだらけ。度肝を抜かれた。さすがにホテルの近くや、コルコバードの丘、イパネマ海岸、コパカバーナなどの観光地や、2012年に開かれた「国連持続可能な開発会議 地球サミット2012」の会場近くには、落書きがほとんどなかったけど、街中の一般住宅がある地区は『街は誰のもの?』に出てきたようにほとんど落書きだらけだった。
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コルコバードの丘のキリスト像

この作品はブラジルでもサンパウロが舞台だったけど、リオデジャネイロはファベーラが多い分、落書きだらけの街という印象だった。それどころか、その後、まわったウルグアイやアルゼンチン、チリなど、南米の街は落書きが多く、それが印象に残っている。
それにしても、このピースボートの旅でたくさんの写真を撮ったのに、もう3年近く写真整理もできずにいて、撮ったことも忘れていた写真がいっぱい出てきた。さらに失敗写真(ブレボケなど)の削除などしていたら時間がかかってしまった。それでもまだ最後の方の写真整理が終わらないうちに本日日曜日の更新日になってしまったので、残りは後回しにして、とりあえずここまでにして『街は誰のもの?』に掲載する写真を探した。
とはいえ、街中で落書きはたくさん見かけたものの、船から降りて目的地に行くまでがバスの中なので、写真はほとんど撮れていなかった。バスに乗るのも早い者勝ちで窓際に行かないと街中の写真は撮れず、障害者でもある私は走ることができなくて、バスにたどり着いた時には内側の席しか残っていず、時には補助席で、街中の写真は全然撮れなかったのを思いだした。バスを降りたら目的地に一目散だし、他の人についていけない私は写真どころではなく、止まったところでしか写真を撮れなかった。今、思い出しても悔しい思い出だ。まだ走れる時に、この旅に行くことができれければよかったなあと思った。
それでも船の中や観光地や目的地ではたくさん撮っていたのを思いだした。もう3年もたつので早く整理しなくては。いつまでたっても写真整理も思い出整理も終わらない。断捨離もしなくてはいけないけど、まずは新しいパソコンに写真を取り入れなくては。以前のウインドウズ7ではパソコン容量が少なくて写真を取り入れることができなかったのだ。新しいパソコンは、写真をたくさん保存できるよう、1Tera Byteという大容量のヨドバシカメラ仕様のものにした。それでも、この数日、だいぶ削除し整理した写真をダウンロードしたものを見てみたら、このピースボートツアーの写真だけで10GB近い。まだ残っている写真を加えたら完全に10GBを超しそうだ。船上で撮った朝日と夕日の写真がそれこそ無数にあるのだけど、どれを削除しようか、これが一番悩ましい。同じような写真が何十カットもあって、どれがいいのかわからない(笑)。船に乗っている間、ほとんど毎日朝夕の海と空を撮っていたのだから、ほんとうに無数の数になる。まだまだ写真整理は続く。
撮影した写真を何枚か掲載します。

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ご来光を撮る マラッカ海峡(2019.1)

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大きな雲 インド洋(2019.1)

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ご来光と貨物船 インド洋(2019.1)

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大聖堂のステンドグラス リオデジャネイロ(2019.2)

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ブエノスアイレス エビータの墓(2019.2)

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地球最南端のまちウシュアイア(2019.2)

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パタゴニア氷河 マゼラン海峡(2019.2)

撮影:宮崎暁美
posted by akemi at 20:12| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

師走はおばちゃんも走る(白)

12月6日(月)
社宅時代からの友人と銀座へ。クリスマスの飾り付けが綺麗。和光地下でシュタイフ社のぬいぐるみ展を見て、教文館へ。4階で「小さなクリスマス展」と6階で絵本「こうさぎとおちばおくりのうた」原画展を見る。次に手芸材料の問屋のある浅草橋へ。久しぶりに来た友人は大喜びで材料を物色。私は9日の絵手紙教室で使う材料を買い増し。

12月7日(火)
六本木12:30からの試写にタッチの差で入れず、そのままヒルズのTOHOシネマズへ。ちょうど間に合って滑り込んだのがディズニー60作品目の『ミラベルと魔法だらけの家』。中南米が舞台、家族の中でたった一人ギフト(魔法の力)のないミラベルが危機を救うお話でした。空いた時間で鑑賞後お歳暮も出して、転んでもただでは起きない私でした。

12月9日(木)
月一回の絵手紙教室。年末に近づくと主婦は忙しいので、1週繰り上げ。午前中に師走恒例のいわさきちひろ美術館へ。毎年買うカレンダーに入館券がついていて、その期限が年末なのです。
最寄り駅の西武線・上石神井駅前にはガンダム像があります。

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ちひろ美術館では「ピエゾグラフによる わたしの好きなちひろ展」開催中。
ぐるっとパスでも入場できます。発売当時は毎年のように買って1日乗車券で回っていました。だんだん試写やイベントで忙しくなって、最近買っていませんが、加盟施設が99にもなったんです!2ヶ月間有効ですが、とても全部は観られそうもありません。
絵手紙教室なのに、なぜかフェルト手芸をする我々。6月に近所でフェルト製のマトリョーシカの展覧会を見て、寒くなったらやろう!と計画していたもの。生活に役立たなくても可愛いものはなごみます。それが役割。1作目で針目が揃っていません(リボンと底もまだ)が、並ぶと可愛い。

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12月10日(金)
7日に見逃した作品の追加試写。今度は早めに家を出ました。地下鉄に乗ってしばらくたってから、すぐそばにシネジャスタッフの(堀)さんがいるのに気づきました!こっちもむこうも吃驚。マスクしてるとわかりにくいんですよね。
作品もわかりにくかったんですが、これは理解しようじゃなく、感じなさいなんだと思う。ブルース・リーか。

12月11日(土)
オンラインで観なおしながら(ありがたい)作品紹介を書き続けています。(白)



posted by shiraishi at 14:57| Comment(0) | 日々のできごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする