叔母は2016年の10月頃から介護施設に入所していた。それまでは高齢者向けマンションに暮らしていたけど、その年の7月に夫(叔父)が亡くなり、叔母は3ヶ月後に大腿部骨折をし、介護が必要な生活になっていた。叔母夫婦には子供がなく、姪の私たち姉妹4人と、次男(父の弟)の息子である甥の5人が身内(長男、次男ともすでに亡くなっている)。なので高齢者マンションから介護施設への引っ越し、元に住んでいた家の処分など、叔母と家が近い甥が中心になって、私たち姉妹4人が手伝い、5人で手分けして行った。
叔母夫妻は80歳すぎても自分たちで身辺整理、終活をしていなくて、私たち5人が、結局、元の家と高齢者マンションの片付け、使えるものの振り分け、廃棄処分、引っ越しなどを行った。主には従弟(甥)がやって、私たち4姉妹は必要な時に手伝いをしに行く程度だったけれど、それでも2軒の家の処分、引っ越し作業は大変だった。少しは片付けているかと思ったら、何も廃棄処分などしていなくて、スーパーの袋や紙袋など、そういうものだけでも庭にあった倉庫の中にいっぱいあった。あとで従弟に聞いたら廃棄するものだけで、2トントラック3台分くらいはあったと言っていた。私の家が大きければ、もっと引き受けることができたけど、すでにいっぱいで人からのものを受け入れることはできなかった。叔父の趣味は山登り、クラッシック音楽を聴くことなどで、レコードが山ほどあったけど、きっと同じ趣味の人が見たら貴重なレコードもあったのかもしれないし、オーディオセットも高級なものだったのかもしれないが、それを吟味する間もなく中古品を扱う業者に託すしかなかった。叔母はもっと趣味が多く、お茶、お花などは人に教えるレベルだったし、陶芸は自宅に窯を持つほどだった。なので陶芸品が山ほどあり、どれも素晴らしいできのものだったので、私たちが少しいただき、お茶の生徒さんたちにも分けたけど、それでもまだ山ほどあったので、置いてくれるところを探し30点ほど持っていった。
そんな作業と並行して、叔母の新しい生活のための準備。歩けなくなっていた叔母は車いす生活になってしまったので、病院から退院したあとは介護施設で暮らすことになった。幸い叔父がそういう準備はしてくれていて、高齢者マンションからスライドして介護施設に行ける会社と契約してくれていたので、私たちが介護施設を探すことはなかった。
私たち姪っ子、甥っ子は、2016年からそこに暮らすことになった叔母のところにかわるがわる訪ね、誕生会も毎年していたけど、2016年〜19年の3回の誕生会をしたあと、新型コロナの流行で、面会禁止になってしまったので、2020年と21年の誕生会をすることはできなかった。それに毎年冬になると12月〜2月末くらいまでインフルエンザの予防のため面会禁止で会いにいけず、結局、約2年叔母とは会えぬまま今年の8月初め頃、叔母がだいぶ衰弱したと連絡があり病院に入院。食事もすることができなくなり、胃ろうなどの延命処置をするかどうするかの判断が必要になってしまった。結局、延命処置はせず、命が終わるまでなりゆきに任せることになり、8月中旬、介護施設にもどされた。その時だけは面会を許され、会いに行くことができた。その時はまだ意識があり、私たちが行ったことはわかるようだったけど、あんなに元気だった叔母が弱弱しく横たわっていた。2年会えなかった間の変化に驚いたけど、もう90歳だし、しょうがないかなと思った。
その施設では時々ピアニストの人を呼び、音楽会などを開いていたが、終末期音楽療法というのがあり、そのピアニストの方がリモートで叔母が好きだった曲を聴かせてくれるというのをやるといい、その様子を私たち甥っ子、姪っ子もそれぞれのパソコン、スマホから見ることができると言ってきたので、それが可能なようにZOOMソフトを入れた。やり方がわからず、いろいろ聞いて試して、やっと叔母の「終末期音楽療法」をしているシーンを見ることができるようになったのは2日後くらい。見舞いから帰ってきてから数日後で8月20日すぎだったと思う。相手は見ることができるのに、私は先方からは見ることができず、原因がわからずだったけど、わかってみれば簡単。パソコンのカメラ部分のキャップがしまったままだった。まさかそんなところにカメラのレンズにあたるものがあるとは思ってもみなかった。真っ黒でそんなものがあるとはわからなかった。
パソコンを通して見る叔母の状態は、すでに意識がもうろうとしているように思えた。2日おきくらいの開催で、時間を合わせてその模様を見るということが3,4回。やっと慣れた8月末、とうとう叔母は逝ってしまった。いよいよ危篤という時に連絡が来て、たまたま家にいたのでパソコンを繋いだ。臨終の瞬間もパソコンを通して。まさかパソコンを通しての看取りになるとは思ってもいなかった。リモートが通じてわずか1週間あまり。こんなことなら叔母がまだ元気なうちにリモートでの見舞いというのができたのじゃないかなと思った。元気なうちにやり取りができなくて残念だった。でも、これのおかげでリモートのやり方がわかった。
葬式に関しては、コロナの影響から私たち4姉妹のうち、一人だけが代表で出席。従弟と妹、叔父の家の兄弟から一人で、その3人とお坊さんという4人での葬式になった。また四十九日の納骨は先方の家の事情で墓じまいをして墓を変えることになっていたので、私たち4姉妹は出席できず、従弟と先方の兄弟の一人の二人の出席という寂しい納骨と墓じまいになった。来年になったら、新しいお墓に墓参りに行こうと思っている。それにしてもコロナの影響は、こんなところにも出て、まさかのパソコンを通じてのリモートでの看取り。思わぬ展開だった。
叔母夫婦はたくさんのものを持っていたのに、80歳をすぎても断捨離などをしていなかった。この経験から、「人の振り見て我が振り直せ」と、私ももう断捨離を始めなくてはと思ったのだけど、減るどころか、日々、映画のチラシや、駅でゲットする旅行情報など、紙類が増えるばかり。それどころか2月に買ったパソコンが入っていた箱とか、資料などもあり、その場所が山積みになってしまい、それが道をふさぎ、その奥に入っていけなくなってしまった。おかげで洋服ダンスに近づけず、タンスに入っている服を出すことができずにいる(笑)。気持ちだけは、いつもなんとか整理しなくてはと思っているのだけど…。
やっとこの2,3か月コロナ感染が少なくなり、これで終わるかもと思っていたのに、今度は新型コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」の市中感染が一昨日確認された。あっという間にまた増えるかもしれない。いつになったら、この新型コロナウイルスにふりまわされなくなることやら。歯医者や病院に検査に行くのをもう2年くらい控えているのだけどもう限界。来年になったら、コロナを振り切っていくしかないかもしれない(暁)。