当時、原田さん一家は伊賀良村で開拓農民として農業を営んでいた。そんな少年時代を過ごした原田青年は高校時代に独学で油彩画を描き始め、武蔵野美術短大へ入学。卒業後、諏訪市内でグラフィックデザイナーとして独立。その傍らで少年時代に過ごした故郷信州の里山の光景を描いていた。長野県はやはり「信州」と呼ぶのが好きなので、以下信州と言わせてもらいます。
1982年から朝日新聞日曜版に連載された日本の里山の原風景を描く「原田泰治の世界」で、原田さんの作品を知った私はすっかり原田ワールドのファンになった。特に里山の景色や田んぼの風景などの色使いと里山の人々の生活を描いた情景が好きで、毎週日曜日の原田さんの絵を見るのが楽しみだった。連載は1年の予定で故郷信州の光景が多かったけど好評で延長され、その間、原田さんは日本全国47都道府県の四季折々の風景を描くため旅を続け、連載は2年半続いた。
連載が終わった頃、私は長い間通い続けた信州で暮らし始めた。1970年頃から80年代まで、約10年の間に100回近く、登山やスキーをしに信州のあちこちに出かけていた。そんな経験があったから原田さんの絵にとても親近感を感じていた。北アルプスの山々が好きで、その中でも鹿島槍という双耳峰の山が大好きで、その山の写真を撮るため1984年頃から大町市の鹿島槍高原のホテルで働きながら写真を撮っていた。その後、白馬村にある会社の山荘に移り、延べ5年を信州ですごした。その山荘では信濃毎日新聞を取っていたが、この新聞ではけっこう原田さんの絵や記事が載ることが多くいつも楽しみにしていた。
1998年には、原田さんの作品を集めた「諏訪市原田泰治美術館」が諏訪湖畔にオープン。開館して数年後に美術館を訪ねた私は「わたしの信州」「草ぶえの詩(うた)」などの作品集を買った。
近年、原田泰治さんの絵をほとんど見なかったし、今どうしているのかということも知らなかったが、絵画や絵本、デザインの創作を続ける一方で、2019年に諏訪中央病院名誉院長で作家でもある鎌田實さんらと「らくらく入店の会」というのを創立し、車いすで入店できる店を全国的に増やそうと活動していたらしい。今年(2022年)1月24日に自宅で車いすから落ち、諏訪中央病院でリハビリを続けていたが、容体が急変し亡くなったという。コロナの影響が少なくなったら諏訪にでかけ、久しぶりに「諏訪市原田泰治美術館」に出かけ、あの心温まる原田泰治さんの絵をまた見たい。
ご冥福を祈ります。
公式HPより
諏訪市原田泰治美術館 現在やっている展覧会
展覧会名 原田泰治が描く ふるさと信州の四季
会 期 2022年3月2日(水)〜2023年4月9日(日)
休館日 月曜日(祝日開館)、展示替え日、年末年始
会 場 諏訪市原田泰治美術館 第二展示室
原田泰治氏が“ふるさと”をテーマに全国を取材し、石垣の一つ一つ、野に咲く花の花びら一枚一枚までにも愛情をこめて描きあげた作品の中から、ふるさと「信州」の風景をご覧いただきます。四季折々の自然をはじめ、その土地の生活様式や伝統芸能・工芸品などが描かれた作品に加え、1993年開催の信州博覧会および1998年開催の冬季長野オリンピック招致用ポスターを交えて展示。