2022年04月30日
105号ができました。(白)
只今発送作業中です。連休中なので、少し時間がかかるかもしれませんが定期購読のみなさま、少しお待ちください。
いつも読むだけのtwitterですが、たまにリツィートしたいときがあります。
映画『はりぼて』の五百旗頭幸男(いおきべゆきお)監督のtwitterに「そうだ!そうだ!」
五百旗頭幸男@yukioiokibe
「この30年平均年収がほぼ上がらず、負担する社会保険料や消費税が増え続け、コロナ予算12兆円のうち11兆円が使途不明になる国で、この夏も国民の半数が選挙権を行使しない摩訶不思議現象が起きるのでしょうか」
今年は7月に第26回参議院議員選挙がありますよーー!
2022年04月24日
「憲法映画祭2022」に行ってきました。本日4月24日もあります!(暁)
2月6日(日)に、「第63回 憲法を考える映画の会 ドキュメンタリー映画『標的』」の上映会があり、この作品を観に行ったときに、この上映会を主催した”憲法を考える映画の会”を知りました。
『標的』は、1991年、初めて「私は元慰安婦だった」と名乗り出た金学順(キム・ハクスン)さんのことを報じた元朝日新聞記者の植村隆氏へのバッシングが2014年から始まったことと、それに対して闘い続ける植村さんと支援者の姿を追った西嶋真司監督作品で、その日、二人がゲストだったので、(白)さんは午前、私は午後に行きました。(白)さんによる記事は下記参照。
*スタッフ日記 第63回 憲法を考える映画の会『標的』(白)
*『標的』作品紹介
これがきっかけで、(白)さんと私は、この「憲法を考える映画の会」を知り、主催者の花崎哲さんにインタビューしたのですが、この記事は、4月末発行のシネマジャーナル本誌105号に掲載されます。本誌では花崎哲さんインタビュー記事(白)さん、『標的』の紹介は私が担当しています。ということで本題に。
第64回 憲法を考える映画の会 「憲法映画祭2022」
4月23日(土)〈若い情熱と共に闘う〉
(10時開場・10時20分開会のあいさつ)
10:30〜 『グレダひとりぼっちの挑戦』
13:00〜 『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』
15:00〜 『私たちの生まれた島 OKINAWA2018』
17:45〜 『島がミサイル基地になるか 若きハルサーたちの唄』
19:15〜 『バークレー 市民がつくる町』
4月24日(日)〈改憲=日本軍がまたやってくる〉
(9時半開場)
10:00〜 映画『日本鬼子 リーベンクイズ 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白』
13:30 講演 「緊急事態条項・改憲の危険」
弁護士 永井幸寿さん
15:30 映画 『映画 日本国憲法』
17:15 映画 『コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方』
入場料:一般:一日券2500円 1回券(1作品 or 1講演)1000円
学生・若者(〜30歳)1日券1500円・1回券500円
ところ:武蔵野公会堂ホール
私にとっては地元(武蔵野市)での開催なので、全部行きたいところではありましたが、日曜日がシネマジャーナルHP更新日で、さらに本誌編集にかかりきりでHPの作品紹介が遅れていたので、23日は昼まで作品紹介が終わらず、ひと眠り(2時間半!)しての「憲法映画祭2022」への参加になりました。未見の後半3本を観たかったのですが15時からの『私たちの生まれた島 OKINAWA2018』は起きれずでした。残念。ということで観たのは17:45〜の『島がミサイル基地になるか 若きハルサーたちの唄』と、19:15〜『バークレー 市民がつくる町』。どちらも素晴らしい作品でした。
『島がミサイル基地になるか 若きハルサーたちの唄』
湯本雅典監督作品 (2021年制作 60分 )
※ハルサーとは「畑人」の意味
石垣島では、2019年3月から陸上自衛隊ミサイル基地の建設が始まっていました。防衛省は「中国の脅威」を理由に、自衛隊配備の空白地帯をなくすためといい、南西諸島における基地建設を急ぎ進め、すでに与那国島、宮古島、奄美大島、そして沖縄本島には基地が配備され稼動しているそうです。そして石垣島でもミサイル基地配備のための工事をしています。
住民に説明も合意もなく進められているこの工事に対し疑問を持った若者たちが島の人々の合意が得られていないことに対し住民投票に対する署名運動を始めました。結果、わずか1か月で石垣島の有権者の3分の1以上の署名が集まったのに、「合意のための投票」は議会で否決され、しかも「有権者の4分の1以上の請求で市長は所定の手続きを経て住民投票を実施しなければならない」とされているにもかかわらず、それも市長は拒否。若者たちが大事にしたかったのは「話し合って決めましょう」ということなのに。この状況を受け、若者たちは、裁判に打って出ました。しかし裁判所は地裁、高裁、最高裁と請求を却下、棄却され門前払い。でも闘いは続いています。
湯本雅典監督は沖縄で映画を撮り続けてきた方のようですが、石垣でこの音楽活動をしている「ハルサーズ」のメンバーと出会い撮影を始めたと語っていました。石垣島在住の金城龍太郎さん、伊良皆高虎さん、宮良央さんの3人は高校時代からの仲間で、「ハルサーズ」というバンド名で音楽活動をしていますが、「ハルサー」とはウチナーグチ(沖縄の言葉)で「農民」とのことだそうです。彼らは、マンゴー栽培や牛飼い、ハーブティー加工販売といった農業に従事しています。マンゴー栽培をする金城龍太郎さんの家から数百メートルも離れていないところで自衛隊ミサイル基地建設が始まり、合意を得ての工事なのかどうかということに疑問を持ち、このような活動を始めたようです。それにしてもこの3人のユーモアあふれるキャラクターがいい。そして生活の中から根差した言葉は、地に足がついたものを感じ、胸に響きました。彼らは活動家ではなく生活の中から生まれた疑問を示しているのです。
この映画で描かれていたのは「憲法と地方自治の破壊が日本の西端の島で進んでいる」ということ。この石垣島を始め、南西諸島で進められている自衛隊の基地のことは、全国ニュースではなかなか出てこないし、よほど沖縄のことに関心がある人でなければ知らないことがいっぱい出てきました。私自身、沖縄関係のドキュメンタリー作品はほとんど観ているのに、今まで観てきたのは米軍基地と沖縄の人とのことを描いた作品がほとんどで、自衛隊と沖縄の人とのことを描いたものは映画でもニュースでもほとんど目にしたことがないということに気がつきました。
湯本監督は、対話を求め、地方自治のあるべき姿を追う若者たちの生き方を追っています。石垣市の市長選挙のことも語っていたから、それも撮っているようなので、引き続き次回の状況もぜひ観てみたいです。
『バークレー 市民がつくる町』
取材・構成:松原明 佐々木有美(2002年制作 35分)
これは20年前に作られたドキュメンタリーです。アメリカ西海岸のバークレー市議会で「空爆反対」決議をしたことを描いたもので、それに至ったバークレー市民と市議会のことや「民主主義とはどのように築いていったらいいか」ということに参考になりそうなことが描かれています。9・11事件後、全米世論の9割以上がアフガン空爆を支持する中で、唯一、反対決議をあげた町はバークレーだけでした。なぜ、決議が可能だったのか。民主主義のルールが根づいていた住民参加の町作り。多様な市民が暮らし、長い年月をかけ町を築いてきたことが伝わってきます。
冒頭、アフガン空爆に対する審議の場面が出ます。空爆開始から9日後の2011年10月16日、バークレー市議会の議場は多くの市民で埋まり「ただちにアフガン空爆を停止し、暴力の連鎖を断ち切ることを求める採決をとります」と議長が宣言したアーカイブ映像が流れ、議員が一人づつ「賛成」や「棄権」というシーンが流れます。そして、賛成5、棄権4という結果でした。反対はありませんでしたが、棄権が4もあったんだと思いました。それにしても議員が8人、市長と合わせて9人の市議会だったので思ったより少ない議員数にびっくりしました。
「空爆反対」決議に対して、全米各地、外部の町の人から何千という批判や脅迫じみた脅しが寄せられたことが語られますが、この決議を提案した議員が「決議を上げて良かった。あの時、誰もが言うことを怖れていたから」、そして、決議を提案した理由について「町中で、数千人の市民が空爆反対のデモを行っていた」と語っていました。その方は3,40代の車いすに乗った女性でした。
バークレーの名は、公民権運動、ベトナム反戦運動をリアルタイムで知っている私の世代からすれば、この頃、よく聞いた市の名前だったので、「空爆反対」決議をしたことについては「この町だからこそよね。やっぱりね」という感想を持ちました。
バークレー市議会は、どのようにして市民参加型になっていったか。より多くの市民が参加できるように、市議会は夕方から始まる。議会審議の前に「パブリック・コメント」という、市民が発言できる時間があって市民の誰もが自分の意見や要望を議員や市民に訴えることが出来る制度があるようです。小学生が出てきて意見を言っていましたが、子供でも意見を言うことが可能ということにびっくりしました。24日に上映される『コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方』の中にも、子供が議会かどこかで意見だか提案をするようなシーンがあったような気がします。こうした市議会のやり取りやニュースは、市民による自主運営のKPFAというラジオ局が伝えているのが紹介されていました。スタッフは30人だけど倍以上の市民ボランティアが参加し、運営を支えていました。経営危機も語られ、それを乗り越えて存在していることも出てきました。
議論して決めることが市民の間に保証され活発に続けられている、それを培ったものとして、フリー・スピーチ・ムーブメント(言論の自由運動)や、60年代の公民権運動、ベトナム反戦運動発祥の地として、カリフォルニア大学バークレー校と、その学校の広場が紹介され、市民にとって、この町の民主主義にとっての聖地であることが語られ、そういう場所があったのだと知りました。確かにこの広場のことはこれまで何度も観てきたけど、どこにあるなんという場所だというのは知らず、この映画で知りました。この60,70年代の話で出てきたキング牧師の説教シーンやバックに使われたジョーン・バエズの「私の試練」「勝利を我らに」などの歌も私にとっては懐かしかった。
そして、市議会でのフリー・スピーチによる政治参加や意思表明の伝統、議論の大切さなど、40年近くたっても世代を超えて伝えられているのがよくわかりました。短い作品でしたが、この町のそういう歴史が、文化や多様性の中で熟成して、バークレーという町は、そういう行動的な町なのだと教えてくれました。20年前に作られた映画だけど、今の私たちにもとても参考になる手がかりをくれる内容だと思いました。
武蔵野市民なので、この2作品を観て、この記事を書くにあたって、2021/12/21の外国籍住民にも門戸を開く東京都武蔵野市の住民投票条例案が否決された記事を見てみました。すると反対14票、賛成11票で否決に至ったとあり、そのキャスティングボートを握ったのは自民党かと思ったら、中立を掲げる2人会派の人の意見だったということを知り、とてもがっかりしました。その方は「今回勇気を持ってブレーキを踏むことを決めました」と語ったそうですが、武蔵野市は選挙などを見ても革新が強く、このバークレーに近いかもと思っていたのに、そうだったんだと思いました。松下玲子市長は「多様な声を市政に反映したいとして、外国籍の住民の参加を認める住民投票条例案」を提案したと語っていますが、反対派の議員は「外国人への投票資格付与には一定の基準が必要」「市民の理解が深まっていない」「外国人参政権を広い意味で与えることになる」などという人もいたようです。しかし、去年(2021)3月の市民アンケートでは外国籍の住民を投票資格者に含めることに73・2%が賛成だったとのことで、少しほっとしました。でも、市民と議員との間の思いのギャップがかなり大きいのはどういうことという気もします。市民の中には「こういう制度がなければ外国籍の方が意見表明する場はない。むしろ必要な制度」という風に語った人もいるようで、こっちのほうがまともな意見だと思う私です。
24 日は〈改憲=日本軍がまたやってくる〉というテーマで映画3本と講演があります。
(宮崎暁美)
『標的』は、1991年、初めて「私は元慰安婦だった」と名乗り出た金学順(キム・ハクスン)さんのことを報じた元朝日新聞記者の植村隆氏へのバッシングが2014年から始まったことと、それに対して闘い続ける植村さんと支援者の姿を追った西嶋真司監督作品で、その日、二人がゲストだったので、(白)さんは午前、私は午後に行きました。(白)さんによる記事は下記参照。
*スタッフ日記 第63回 憲法を考える映画の会『標的』(白)
*『標的』作品紹介
これがきっかけで、(白)さんと私は、この「憲法を考える映画の会」を知り、主催者の花崎哲さんにインタビューしたのですが、この記事は、4月末発行のシネマジャーナル本誌105号に掲載されます。本誌では花崎哲さんインタビュー記事(白)さん、『標的』の紹介は私が担当しています。ということで本題に。
第64回 憲法を考える映画の会 「憲法映画祭2022」
4月23日(土)〈若い情熱と共に闘う〉
(10時開場・10時20分開会のあいさつ)
10:30〜 『グレダひとりぼっちの挑戦』
13:00〜 『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』
15:00〜 『私たちの生まれた島 OKINAWA2018』
17:45〜 『島がミサイル基地になるか 若きハルサーたちの唄』
19:15〜 『バークレー 市民がつくる町』
4月24日(日)〈改憲=日本軍がまたやってくる〉
(9時半開場)
10:00〜 映画『日本鬼子 リーベンクイズ 日中15年戦争・元皇軍兵士の告白』
13:30 講演 「緊急事態条項・改憲の危険」
弁護士 永井幸寿さん
15:30 映画 『映画 日本国憲法』
17:15 映画 『コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方』
入場料:一般:一日券2500円 1回券(1作品 or 1講演)1000円
学生・若者(〜30歳)1日券1500円・1回券500円
ところ:武蔵野公会堂ホール
私にとっては地元(武蔵野市)での開催なので、全部行きたいところではありましたが、日曜日がシネマジャーナルHP更新日で、さらに本誌編集にかかりきりでHPの作品紹介が遅れていたので、23日は昼まで作品紹介が終わらず、ひと眠り(2時間半!)しての「憲法映画祭2022」への参加になりました。未見の後半3本を観たかったのですが15時からの『私たちの生まれた島 OKINAWA2018』は起きれずでした。残念。ということで観たのは17:45〜の『島がミサイル基地になるか 若きハルサーたちの唄』と、19:15〜『バークレー 市民がつくる町』。どちらも素晴らしい作品でした。
『島がミサイル基地になるか 若きハルサーたちの唄』
湯本雅典監督作品 (2021年制作 60分 )
※ハルサーとは「畑人」の意味
石垣島では、2019年3月から陸上自衛隊ミサイル基地の建設が始まっていました。防衛省は「中国の脅威」を理由に、自衛隊配備の空白地帯をなくすためといい、南西諸島における基地建設を急ぎ進め、すでに与那国島、宮古島、奄美大島、そして沖縄本島には基地が配備され稼動しているそうです。そして石垣島でもミサイル基地配備のための工事をしています。
住民に説明も合意もなく進められているこの工事に対し疑問を持った若者たちが島の人々の合意が得られていないことに対し住民投票に対する署名運動を始めました。結果、わずか1か月で石垣島の有権者の3分の1以上の署名が集まったのに、「合意のための投票」は議会で否決され、しかも「有権者の4分の1以上の請求で市長は所定の手続きを経て住民投票を実施しなければならない」とされているにもかかわらず、それも市長は拒否。若者たちが大事にしたかったのは「話し合って決めましょう」ということなのに。この状況を受け、若者たちは、裁判に打って出ました。しかし裁判所は地裁、高裁、最高裁と請求を却下、棄却され門前払い。でも闘いは続いています。
湯本雅典監督は沖縄で映画を撮り続けてきた方のようですが、石垣でこの音楽活動をしている「ハルサーズ」のメンバーと出会い撮影を始めたと語っていました。石垣島在住の金城龍太郎さん、伊良皆高虎さん、宮良央さんの3人は高校時代からの仲間で、「ハルサーズ」というバンド名で音楽活動をしていますが、「ハルサー」とはウチナーグチ(沖縄の言葉)で「農民」とのことだそうです。彼らは、マンゴー栽培や牛飼い、ハーブティー加工販売といった農業に従事しています。マンゴー栽培をする金城龍太郎さんの家から数百メートルも離れていないところで自衛隊ミサイル基地建設が始まり、合意を得ての工事なのかどうかということに疑問を持ち、このような活動を始めたようです。それにしてもこの3人のユーモアあふれるキャラクターがいい。そして生活の中から根差した言葉は、地に足がついたものを感じ、胸に響きました。彼らは活動家ではなく生活の中から生まれた疑問を示しているのです。
この映画で描かれていたのは「憲法と地方自治の破壊が日本の西端の島で進んでいる」ということ。この石垣島を始め、南西諸島で進められている自衛隊の基地のことは、全国ニュースではなかなか出てこないし、よほど沖縄のことに関心がある人でなければ知らないことがいっぱい出てきました。私自身、沖縄関係のドキュメンタリー作品はほとんど観ているのに、今まで観てきたのは米軍基地と沖縄の人とのことを描いた作品がほとんどで、自衛隊と沖縄の人とのことを描いたものは映画でもニュースでもほとんど目にしたことがないということに気がつきました。
湯本監督は、対話を求め、地方自治のあるべき姿を追う若者たちの生き方を追っています。石垣市の市長選挙のことも語っていたから、それも撮っているようなので、引き続き次回の状況もぜひ観てみたいです。
『バークレー 市民がつくる町』
取材・構成:松原明 佐々木有美(2002年制作 35分)
これは20年前に作られたドキュメンタリーです。アメリカ西海岸のバークレー市議会で「空爆反対」決議をしたことを描いたもので、それに至ったバークレー市民と市議会のことや「民主主義とはどのように築いていったらいいか」ということに参考になりそうなことが描かれています。9・11事件後、全米世論の9割以上がアフガン空爆を支持する中で、唯一、反対決議をあげた町はバークレーだけでした。なぜ、決議が可能だったのか。民主主義のルールが根づいていた住民参加の町作り。多様な市民が暮らし、長い年月をかけ町を築いてきたことが伝わってきます。
冒頭、アフガン空爆に対する審議の場面が出ます。空爆開始から9日後の2011年10月16日、バークレー市議会の議場は多くの市民で埋まり「ただちにアフガン空爆を停止し、暴力の連鎖を断ち切ることを求める採決をとります」と議長が宣言したアーカイブ映像が流れ、議員が一人づつ「賛成」や「棄権」というシーンが流れます。そして、賛成5、棄権4という結果でした。反対はありませんでしたが、棄権が4もあったんだと思いました。それにしても議員が8人、市長と合わせて9人の市議会だったので思ったより少ない議員数にびっくりしました。
「空爆反対」決議に対して、全米各地、外部の町の人から何千という批判や脅迫じみた脅しが寄せられたことが語られますが、この決議を提案した議員が「決議を上げて良かった。あの時、誰もが言うことを怖れていたから」、そして、決議を提案した理由について「町中で、数千人の市民が空爆反対のデモを行っていた」と語っていました。その方は3,40代の車いすに乗った女性でした。
バークレーの名は、公民権運動、ベトナム反戦運動をリアルタイムで知っている私の世代からすれば、この頃、よく聞いた市の名前だったので、「空爆反対」決議をしたことについては「この町だからこそよね。やっぱりね」という感想を持ちました。
バークレー市議会は、どのようにして市民参加型になっていったか。より多くの市民が参加できるように、市議会は夕方から始まる。議会審議の前に「パブリック・コメント」という、市民が発言できる時間があって市民の誰もが自分の意見や要望を議員や市民に訴えることが出来る制度があるようです。小学生が出てきて意見を言っていましたが、子供でも意見を言うことが可能ということにびっくりしました。24日に上映される『コスタリカの奇跡 積極的平和国家のつくり方』の中にも、子供が議会かどこかで意見だか提案をするようなシーンがあったような気がします。こうした市議会のやり取りやニュースは、市民による自主運営のKPFAというラジオ局が伝えているのが紹介されていました。スタッフは30人だけど倍以上の市民ボランティアが参加し、運営を支えていました。経営危機も語られ、それを乗り越えて存在していることも出てきました。
議論して決めることが市民の間に保証され活発に続けられている、それを培ったものとして、フリー・スピーチ・ムーブメント(言論の自由運動)や、60年代の公民権運動、ベトナム反戦運動発祥の地として、カリフォルニア大学バークレー校と、その学校の広場が紹介され、市民にとって、この町の民主主義にとっての聖地であることが語られ、そういう場所があったのだと知りました。確かにこの広場のことはこれまで何度も観てきたけど、どこにあるなんという場所だというのは知らず、この映画で知りました。この60,70年代の話で出てきたキング牧師の説教シーンやバックに使われたジョーン・バエズの「私の試練」「勝利を我らに」などの歌も私にとっては懐かしかった。
そして、市議会でのフリー・スピーチによる政治参加や意思表明の伝統、議論の大切さなど、40年近くたっても世代を超えて伝えられているのがよくわかりました。短い作品でしたが、この町のそういう歴史が、文化や多様性の中で熟成して、バークレーという町は、そういう行動的な町なのだと教えてくれました。20年前に作られた映画だけど、今の私たちにもとても参考になる手がかりをくれる内容だと思いました。
武蔵野市民なので、この2作品を観て、この記事を書くにあたって、2021/12/21の外国籍住民にも門戸を開く東京都武蔵野市の住民投票条例案が否決された記事を見てみました。すると反対14票、賛成11票で否決に至ったとあり、そのキャスティングボートを握ったのは自民党かと思ったら、中立を掲げる2人会派の人の意見だったということを知り、とてもがっかりしました。その方は「今回勇気を持ってブレーキを踏むことを決めました」と語ったそうですが、武蔵野市は選挙などを見ても革新が強く、このバークレーに近いかもと思っていたのに、そうだったんだと思いました。松下玲子市長は「多様な声を市政に反映したいとして、外国籍の住民の参加を認める住民投票条例案」を提案したと語っていますが、反対派の議員は「外国人への投票資格付与には一定の基準が必要」「市民の理解が深まっていない」「外国人参政権を広い意味で与えることになる」などという人もいたようです。しかし、去年(2021)3月の市民アンケートでは外国籍の住民を投票資格者に含めることに73・2%が賛成だったとのことで、少しほっとしました。でも、市民と議員との間の思いのギャップがかなり大きいのはどういうことという気もします。市民の中には「こういう制度がなければ外国籍の方が意見表明する場はない。むしろ必要な制度」という風に語った人もいるようで、こっちのほうがまともな意見だと思う私です。
24 日は〈改憲=日本軍がまたやってくる〉というテーマで映画3本と講演があります。
(宮崎暁美)
2022年04月03日
満開の桜の日に観た『母へ捧げる僕たちのアリア』(咲)
あっという間に満開になった桜。
シネジャ本誌105号の原稿の追い込み中で、あまり外出しないようにしていたのですが、桜吹雪にならないうちにと、3月30日(水)、試写一本観ることにして、都内の桜を巡ってきました。
都営の1日乗車券で、まずは九段下で降りて千鳥ヶ淵へ。いろいろ思い出のあるところではずせません。
特に忘れられないのは2003年4月2日。前日、レスリー・チャンが自ら旅立ってしまい、追っかけ仲間と満開の桜の下で肩を寄せ合って泣きました。レスリーが玉三郎さんと一緒に千鳥ヶ淵の桜を愛でたことがあるので、選んだ場所でした。
次に、九段下〜(地下鉄)本所吾妻橋〜バスで浅草〜(地下鉄)宝町。
京橋の試写室でフランス映画『母へ捧げる僕たちのアリア』。
寝たきりで意識のないお母さんに、少年がいつもオペラを大きな音で聴かせているのですが、小学校の同級生のM子さんがクモ膜下出血で意識不明になり、お見舞いに行った時に、息子さんが人工呼吸器につながれた彼女に、好きだったオペラを聴かせていたのを思い出して涙でした。
少年が夏休みの清掃の奉仕作業中に声楽の先生に出会って、歌ってみてと言われ、1曲しか知らない歌を歌うのですが、それが亡くなったお父さんが、お母さんを落とした時の歌。先生から素質があるといわれ声楽のクラスに参加するようになるというひと夏の物語。
いい映画でした♪
『母へ捧げる僕たちのアリア』原題:Mes freres et moi
(C)2021 Single Man Productions Ad Vitam JM Films
監督:ヨアン・マンカ
配給:ハーク
2022年6月 シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
公式サイト:https://hark3.com/aria/
試写が3時前に終わって、宝町〜(地下鉄)東銀座、歌舞伎座の地下から地上にあがって東劇前からバスで有楽町駅前へ、日比谷〜(地下鉄)西巣鴨〜(バスで1停留所)掘割〜滝野川の桜並木を眺めて板橋駅近くのイラン人宅 〜掘割(バス)〜西巣鴨〜(地下鉄)内幸町〜(バス)アークヒルズ 裏手をぐるっとまわる桜坂へ。ここは静かで大好き。やっぱりはずせません。残念ながらもう夜桜になってしまいました。さらにバスで六本木へ。ほんとは、けやき通りや、ミッドタウンの桜も観たかったのですが、家で待ってる人(って、父ですが)がいるので諦めました。
桜は命がはかないから、追いかけたくなるのですね・・・
来年も桜を観ることができますように!
シネジャ本誌105号の原稿の追い込み中で、あまり外出しないようにしていたのですが、桜吹雪にならないうちにと、3月30日(水)、試写一本観ることにして、都内の桜を巡ってきました。
都営の1日乗車券で、まずは九段下で降りて千鳥ヶ淵へ。いろいろ思い出のあるところではずせません。
特に忘れられないのは2003年4月2日。前日、レスリー・チャンが自ら旅立ってしまい、追っかけ仲間と満開の桜の下で肩を寄せ合って泣きました。レスリーが玉三郎さんと一緒に千鳥ヶ淵の桜を愛でたことがあるので、選んだ場所でした。
次に、九段下〜(地下鉄)本所吾妻橋〜バスで浅草〜(地下鉄)宝町。
京橋の試写室でフランス映画『母へ捧げる僕たちのアリア』。
寝たきりで意識のないお母さんに、少年がいつもオペラを大きな音で聴かせているのですが、小学校の同級生のM子さんがクモ膜下出血で意識不明になり、お見舞いに行った時に、息子さんが人工呼吸器につながれた彼女に、好きだったオペラを聴かせていたのを思い出して涙でした。
少年が夏休みの清掃の奉仕作業中に声楽の先生に出会って、歌ってみてと言われ、1曲しか知らない歌を歌うのですが、それが亡くなったお父さんが、お母さんを落とした時の歌。先生から素質があるといわれ声楽のクラスに参加するようになるというひと夏の物語。
いい映画でした♪
『母へ捧げる僕たちのアリア』原題:Mes freres et moi
(C)2021 Single Man Productions Ad Vitam JM Films
監督:ヨアン・マンカ
配給:ハーク
2022年6月 シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
公式サイト:https://hark3.com/aria/
試写が3時前に終わって、宝町〜(地下鉄)東銀座、歌舞伎座の地下から地上にあがって東劇前からバスで有楽町駅前へ、日比谷〜(地下鉄)西巣鴨〜(バスで1停留所)掘割〜滝野川の桜並木を眺めて板橋駅近くのイラン人宅 〜掘割(バス)〜西巣鴨〜(地下鉄)内幸町〜(バス)アークヒルズ 裏手をぐるっとまわる桜坂へ。ここは静かで大好き。やっぱりはずせません。残念ながらもう夜桜になってしまいました。さらにバスで六本木へ。ほんとは、けやき通りや、ミッドタウンの桜も観たかったのですが、家で待ってる人(って、父ですが)がいるので諦めました。
桜は命がはかないから、追いかけたくなるのですね・・・
来年も桜を観ることができますように!
東京高円寺 薔薇亭のこと(暁)
シネマジャーナル本誌105号の編集が佳境のこの数日ですが、シネジャHPの更新も日曜日で、本日はバッティング。ずっとパソコンの前です。いつもTVの録画映像を流しながらパソコンに向かっているのですが、数か月前からTVの画面が時々出てこなくなり、「アンテナの接続不良」と出てきていろいろ触ってみたけど、アンテナの接続不良ということがよくわからなくて(アンテナがない)、そのままにしていました。TVの画面は見れたり、見れなかったり状態でした。でもTVの画面を見ることができなくても番組録画はできて、録画映像は見ることができるので毎日録画を見るのに手いっぱいで、リアルタイムでのTVはほとんど見ていなかったので不便は感じませんでした。でも一昨日(4月1日)ぐらいから録画の方も調子悪くなり、「USBメモリーがみつかりません」と出て、録画映像も見ることができなくなってしまいました。それで、昨日はTVも録画も見ることができませんでした。電源を切ったり、接続を入れなおしたりもしたのですが、昨日はすべてだめでした。日曜日がHP更新日なので、TVのことにかかりきりになるわけにはいかず、30分ほどであきらめパソコンに向かいました。そして時々TVをつけてみたのですが昨日は復活せずでした。しょうがないから、無音のままでパソコン作業をしていましたが、途中でやっぱり音がないのは寂しいのでCDでもかけようと思ったら、CDデッキの上に物がいっぱい乗っかっていて、これまた片付けるのに時間がかかるとあきらめ、昨日はYouTubeから音楽を流しながら作業をしていました。
今日(4/3)は、TVをつけたら画面が出ました。でも録画のところにはたどりつかずでした。そのうちTV画面も見れなくなってしまったので、スイッチを切って、ご飯を食べたり、他の用事を済ましてから机の前に座り、またパソコンに向かいTVをつけたら、今度は画面が出ました。そしてやっていたのが「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ)でした。新聞の番組欄をみたら「火事で全焼した洋食店 生きがいを失った夫婦」となっていたので、そのままつけていたのですが、マスクをしていたので最初は気がつかなかったけど、高円寺に行った時に時々寄っていた洋食屋「薔薇亭」の夫婦の話でした。びっくりして思わずTVに引き寄せられました。二人の姿を久しぶりに見て懐かしかった。お元気そうで安心しました。でも火事で被災していたんですね。
コロナ禍で、もう2年くらい薔薇亭には行っていなかったのですが、去年12月、映画祭シーズンが終わったあと、シネジャスタッフ咲さんと、シネジャ開始メンバーSさんを誘って高円寺のイラン料理の店 BolBol(ボルボル)に行きました。その店がこの薔薇亭の斜め向かいにあったのです。それで薔薇亭は元気にやっているかなと思ってみたら店がなくなっていました。お二人は80歳くらいだったから引退しちゃったんだなと思い、薔薇亭がなくなる前に食べに来たかったなと思ったのですが、布で覆われていて、まさか火事で全焼していたとはわかりませんでした。この番組を見てネットで調べてみたら、火事は一昨年(2020年末)あったのだとわかり、私が行った時はすでに1年近くたっていました。
「薔薇亭」には20年以上前から通っていました。ここのエビフライが好きで、高円寺に行くと寄っていました。定期券があった時は途中下車して、年に3,4回は行っていたと思います。カキフライ(すごく大きな牡蠣です!)やポークジンジャー、シチューなど、ほかにもたくさんのメニューがあり、昭和の洋食屋さんという雰囲気でした。マスターが作る料理はどれもおいしかったけど、しょっちゅうは行かないので、私は行くとほとんどエビフライでした。皿に大きなエビフライが2本乗ってボリュームがあるのですが、それにもましてキャベツが食べきれないくらい山のようにあって、まず、このキャベツの山を少なくするのが先でした。そしてご飯もおいしくて、いつも黒胡麻をかけたご飯と、これまた具だくさんの味噌汁。若い男性にはちょうど良い量かもしれないけど、私は残さずに食べるのにけっこう苦労しました。それでもおいしいので通っていました。のちにキャベツの量を半分にしてもらったり、ご飯の量も少なくしてもらいましたが、それでもけっこうな量でした。そしてかいがしく接客をするお母さんとのおしゃべりも好きでした。時々、おまけと言ってお母さんがフルーツなどを最後に皿に置いてくれました。
店はそんなに広くはなく、壁には手書きのメニューの外、お客さんが旅行(日本、外国)に行った時のお土産などが所せましと飾ってあり、それこそごちゃごちゃした内観ですが、見るのが楽しく好きでした。意外なものがけっこう並んでいました。私はだいたいマスターが料理している前の席に座りましたが、マスターは無口だけど、話しかけるといろいろ話してくれて、時々いたづらっぽく笑っていました。マスターはいつも洋食屋さんの白い服でしたが、お母さんは、いつもいろいろな模様や極彩色の服を来て、髪に赤いリボンをつけ、いつも派手な格好をしていましたが、あそこまで行くとあっぱれでした。TVではお母さんは当時のままでしたが、マスターも粋な服を着ていて白いコック服?以外の服を着ているマスターを初めて見ました。
いつも元気でパワフルなお母さんが店の焼け跡を見て涙して落胆している姿が印象的でした。二人は営業再開を目指し動きだしましたが、家賃の高さや、適した物件がなかったり、揚げ物屋は敬遠されたりで、なかなか物件がみつけられません。そんな姿が映し出されていました。火災後、常連客が有志で再建プロジェクトを立ち上げたりもしたようですが、なによりマスターの体に異変が。肩の具合が悪くなり、フライパンを振れないと判断したマスターは店の再開をあきらめ、趣味の絵を描いたりしていましたが、お母さんはあきらめきれず再開を願っていました。仲良かった二人の間に溝ができ、二人の思いが違う方向を向いたりと、店をなくし生きがいを失ってしまった老夫婦がどう立ち直っていくのかが描かれていました。そこには常連の人たちの活躍がありました。終わりは希望がある方向性になっていたと思いますが、果たしてまたマスターの料理を食べられる日は来るのか。またエビフライを食べてみたい!。いつもエビフライばかり頼んでいた私のことを覚えているといいな。
この番組の途中で画面がなくなって見れなくなったらいやだなと思っていたけど、幸い全部見ることができました。このあと違う番組を流していたら、途中でTVの画面が消えました。まるでこの番組を見せてくれるために神様が采配してくれたような気分になりました。
今回のことで、ここは「グルメハウス薔薇(ローズ)亭」というのが正式名称であることを知りました(笑)。
今日(4/3)は、TVをつけたら画面が出ました。でも録画のところにはたどりつかずでした。そのうちTV画面も見れなくなってしまったので、スイッチを切って、ご飯を食べたり、他の用事を済ましてから机の前に座り、またパソコンに向かいTVをつけたら、今度は画面が出ました。そしてやっていたのが「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ)でした。新聞の番組欄をみたら「火事で全焼した洋食店 生きがいを失った夫婦」となっていたので、そのままつけていたのですが、マスクをしていたので最初は気がつかなかったけど、高円寺に行った時に時々寄っていた洋食屋「薔薇亭」の夫婦の話でした。びっくりして思わずTVに引き寄せられました。二人の姿を久しぶりに見て懐かしかった。お元気そうで安心しました。でも火事で被災していたんですね。
コロナ禍で、もう2年くらい薔薇亭には行っていなかったのですが、去年12月、映画祭シーズンが終わったあと、シネジャスタッフ咲さんと、シネジャ開始メンバーSさんを誘って高円寺のイラン料理の店 BolBol(ボルボル)に行きました。その店がこの薔薇亭の斜め向かいにあったのです。それで薔薇亭は元気にやっているかなと思ってみたら店がなくなっていました。お二人は80歳くらいだったから引退しちゃったんだなと思い、薔薇亭がなくなる前に食べに来たかったなと思ったのですが、布で覆われていて、まさか火事で全焼していたとはわかりませんでした。この番組を見てネットで調べてみたら、火事は一昨年(2020年末)あったのだとわかり、私が行った時はすでに1年近くたっていました。
「薔薇亭」には20年以上前から通っていました。ここのエビフライが好きで、高円寺に行くと寄っていました。定期券があった時は途中下車して、年に3,4回は行っていたと思います。カキフライ(すごく大きな牡蠣です!)やポークジンジャー、シチューなど、ほかにもたくさんのメニューがあり、昭和の洋食屋さんという雰囲気でした。マスターが作る料理はどれもおいしかったけど、しょっちゅうは行かないので、私は行くとほとんどエビフライでした。皿に大きなエビフライが2本乗ってボリュームがあるのですが、それにもましてキャベツが食べきれないくらい山のようにあって、まず、このキャベツの山を少なくするのが先でした。そしてご飯もおいしくて、いつも黒胡麻をかけたご飯と、これまた具だくさんの味噌汁。若い男性にはちょうど良い量かもしれないけど、私は残さずに食べるのにけっこう苦労しました。それでもおいしいので通っていました。のちにキャベツの量を半分にしてもらったり、ご飯の量も少なくしてもらいましたが、それでもけっこうな量でした。そしてかいがしく接客をするお母さんとのおしゃべりも好きでした。時々、おまけと言ってお母さんがフルーツなどを最後に皿に置いてくれました。
店はそんなに広くはなく、壁には手書きのメニューの外、お客さんが旅行(日本、外国)に行った時のお土産などが所せましと飾ってあり、それこそごちゃごちゃした内観ですが、見るのが楽しく好きでした。意外なものがけっこう並んでいました。私はだいたいマスターが料理している前の席に座りましたが、マスターは無口だけど、話しかけるといろいろ話してくれて、時々いたづらっぽく笑っていました。マスターはいつも洋食屋さんの白い服でしたが、お母さんは、いつもいろいろな模様や極彩色の服を来て、髪に赤いリボンをつけ、いつも派手な格好をしていましたが、あそこまで行くとあっぱれでした。TVではお母さんは当時のままでしたが、マスターも粋な服を着ていて白いコック服?以外の服を着ているマスターを初めて見ました。
いつも元気でパワフルなお母さんが店の焼け跡を見て涙して落胆している姿が印象的でした。二人は営業再開を目指し動きだしましたが、家賃の高さや、適した物件がなかったり、揚げ物屋は敬遠されたりで、なかなか物件がみつけられません。そんな姿が映し出されていました。火災後、常連客が有志で再建プロジェクトを立ち上げたりもしたようですが、なによりマスターの体に異変が。肩の具合が悪くなり、フライパンを振れないと判断したマスターは店の再開をあきらめ、趣味の絵を描いたりしていましたが、お母さんはあきらめきれず再開を願っていました。仲良かった二人の間に溝ができ、二人の思いが違う方向を向いたりと、店をなくし生きがいを失ってしまった老夫婦がどう立ち直っていくのかが描かれていました。そこには常連の人たちの活躍がありました。終わりは希望がある方向性になっていたと思いますが、果たしてまたマスターの料理を食べられる日は来るのか。またエビフライを食べてみたい!。いつもエビフライばかり頼んでいた私のことを覚えているといいな。
この番組の途中で画面がなくなって見れなくなったらいやだなと思っていたけど、幸い全部見ることができました。このあと違う番組を流していたら、途中でTVの画面が消えました。まるでこの番組を見せてくれるために神様が采配してくれたような気分になりました。
今回のことで、ここは「グルメハウス薔薇(ローズ)亭」というのが正式名称であることを知りました(笑)。
授賞式シーズン
訃報が続いて寂しかったこのごろ、アカデミー賞では濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞受賞。国内ではシネジャで取材させていただいた『海辺の彼女たち』藤元明緒監督が、新藤兼人賞の金賞(小島央大監督は銀賞)、大島渚賞(記念上映会は今日4/3でした)、日本映画批評家大賞では阪元裕吾監督と一緒に新人監督賞と受賞続きです。春本雄二郎監督は各地の映画祭で、俳優さんたちも受賞多し。
ちょっとでも関わった方にいいことがあると嬉しいし、逆に残念だった方もいます。ああ。
石川梵監督は前作『世界でいちばん美しい村』(2017)で取材した後、監督の愛犬十兵衛君の似顔(写真を見て描いた)をさしあげたら、十兵衛君と並べて撮影してfacebookにアップしてくれました。いつか会えたらいいなぁと思っていたのですが、つい先日ガンのため15歳の誕生日の翌日虹の橋を渡りました(泣)。誕生日まで頑張ろうな、と言う監督に約束を果たして静かに逝ったそうです。
日本映画批評家大賞ドキュメンタリー枠で石川監督の『くじらびと』が受賞。ちょっとでも気持ちが上がったかな。十兵衛君と一緒の映像がいつか発表されるのを楽しみに待っています。(白)
ちょっとでも関わった方にいいことがあると嬉しいし、逆に残念だった方もいます。ああ。
石川梵監督は前作『世界でいちばん美しい村』(2017)で取材した後、監督の愛犬十兵衛君の似顔(写真を見て描いた)をさしあげたら、十兵衛君と並べて撮影してfacebookにアップしてくれました。いつか会えたらいいなぁと思っていたのですが、つい先日ガンのため15歳の誕生日の翌日虹の橋を渡りました(泣)。誕生日まで頑張ろうな、と言う監督に約束を果たして静かに逝ったそうです。
日本映画批評家大賞ドキュメンタリー枠で石川監督の『くじらびと』が受賞。ちょっとでも気持ちが上がったかな。十兵衛君と一緒の映像がいつか発表されるのを楽しみに待っています。(白)