2022年06月26日

『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』をめぐって(暁)

今、公開されている『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』(2022年6月4日公開、7月29日まで)は、岩波ホールで上映される最後の作品。
私は小学生の頃から探検記や冒険小説、20世紀の新発見など未知の世界を知ることが好きで、小学校高学年頃には「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」、アマゾン河をめぐる探検記や冒険旅行などを多く読み、アマゾン河に行ってみたいと思っていた。中学生の時にはジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」や、ダーウインの「ビーグル号航海記」などを読んだのをきっかけに、いつか世界一周をしてみたいと思った。そんなことから、大人になってからは旅行や登山、山スキーなどに出かけるようになった。
1970年に就職した夏、北アルプス燕岳〜槍ヶ岳の「表銀座コース」という登山コースで北アルプスに行った私は、すっかり山登りが好きになり、それから北アルプスや、八ヶ岳、尾瀬、南アルプス、中央アルプス、月山や、鳥海山など東北の山々にも登った。でも私の登山は、山登りそのものが好きというのではなく、高山植物や山で見る景色、下界では見ることがないブロッケン現象など、山の自然の不思議さに興味を持った。そんなこともあり、この『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』はとても興味深い作品で、まさに私自身が興味をもった足跡をたどる旅でもあった。
でもどうして、この作品を観るまで「ブルース・チャトウィン」の名前を知らなかったのだろう。彼が「パタゴニア」で作家デビューしたのが1978年ということで、まさに私が山にかなりハマっていた頃だし、南米にも興味を持っていたのに、彼の名前に見覚えはない。もしかしたら、名前は覚えていなくても、図書館や本屋で本を手に取っていたのかもしれない。世界のあちこちを放浪して本を書くという、私もそんな風にして生きてみたかった。
そんな私が、ピースボートの世界一周の旅に出たのが2018年12月。アフリカと南米に行ってみたかったので、シンガポール→インド洋→アフリカ→南米→太平洋→日本という南まわりのコースにした。この映画の冒頭に出てきた「パタゴニア氷河」にも行った。2月というのは南半球では夏だったのにとても寒く雪も降ったりした。氷河はいくつもあったけど船から見る氷河だったので、ドローンで撮った氷河の上空からの映像は、これまで見たことがないような表情を見せてくれた。
2019年2月20日にアルゼンチンのティエラ・デル・フエゴ島にある人口約7万人の都市ウシュアイアに着いた時は、ここが南極に一番近い都市だったのに、この映画では南極に一番近い都市はアルゼンチンのナバリノ島のプエルト・ウィリアムズが最南端と出てきて、「え!そうなの?」と思い、調べてみたら、2019年3月にナバリノ島のプエルト・ウィリアムズが市になり、ここが最南端の都市になったとのこと。私がウシュアイアに行ってから、1か月もたたないうちに「南極に一番近い都市」は変わっていたということですね(笑)。この記事を書くにあたってネットを調べていたら下記記事をみつけた。この中に「2019年3月プエルト・ウィリアムズが市になり、ウシュアイアに変わり、ここが南極に一番近い最南端の都市になった」とあった。
*死ぬまでに一度は訪れたい、ブルース・チャトウィンも愛したパタゴニア

ウシュアイアでは蒸した蟹を食べに街に行ったけど、4人で食べた大きな蟹のおいしさが忘れられない。そういえばその蟹の写真は撮ってこなかった。残念.。また、ウシュアイアの港からは様々なクルーズ船ツアーが出ていて、ダーウインがビーグル号で通ったという「ビーグル水道」にも行くことができた。いろいろな島があり、オタリアやマゼランペンギン、ウミウのコロニーなどを見ることができた。そして「エクレルール灯台」というのを見たけど、この灯台、ウオン・カーワイ監督の『ブエノスアイレス』に登場した灯台だったというのも、この記事で知った。
ウシュアイアの博物館に行った時、この地に暮らしていたヤーガン族の写真を見たけど、この映画でもヤーガン族のことが出てきて、やはりプエルト・ウィリアムズにも博物館があることを知った。ヤーガン族はこの極寒の地に住んでいたにも関わらずら裸族で、毛皮をまとっていただけとのことだったけど、よく生き延びてきたなと思った。日本人と同じようにモンゴロイドに起源をもつ民族だったらしい。
ここからマゼラン海峡を経て、パタゴニアにたどり着くのだけど、ブルース・チャトウィンが訪ねたトレス・デル・パイネ国立公園にある3102mの岩峰セロ・トーレが見えるところをヘルツォーク監督も訪ねている。私もこの岩峰が見えるところまで行ってみたかった。このセロ・トーレへ挑戦した登山家を描いた作品が『クライマー パタゴニアの彼方へ』で、ここに挑んだ若きクライマーデビッド・ラマにインタビューした記事がシネジャHPにある。ここは世界中の登山家が憧れる岩峰である。
*『クライマー パタゴニアの彼方へ』デビッド・ラマインタビュー

チャトウィンはオーストラリアの原住民アボリジニの神話に魅せられ中央オーストラリアを訪ね「ソングライン」を書きあげたが、私が初めて行った外国がオーストラリアで(1990年)、ここでアボリジニの人たちが「ディジュリドゥ」という尺八を大きくしたような楽器(150pくらい)を吹いているのを見て、思わず買って帰りたいと思ったのでした(笑)。ズン・ズン・ズンとまるで地響きのような音を鳴らすような楽器でしたが、耳に響きました。そんな経験があったので、この「ソングライン」という考え方にも興味を持ったのですが、チャトウィンが調査をしたということを知る前に、『大海原のソングライン』(2019)という作品が2020年に公開され、太平洋を結ぶこのアボリジニの壮大な「ソングライン」のことを知りました。
それにしても、この映画でブルース・チャトウィンのことを知り、私もこんな人生送りたかったなと思ったりしました。今やヨタヨタ歩くような身になってしまったので、もう冒険はできないけど、これからもいろいろなところに出かけて、素晴らしい景色や経験をしたいな。
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2022年06月19日

展示「ありがとう 岩波ホール」 千代田区立図書館

2022年7月、54年の歴史に幕を下ろす岩波ホールですが、これまでに270作以上の映画が公開され、映画の街・神保町を支え、ミニシアターの草分け的存在として、日本全国の映画館文化に多くの影響を与えてきました。
現在、岩波ホール54年の歴史を振り返る展示が千代田区立図書館で行われています。3部に分かれた展示で、すでに第一部は終わっていますが、第二部、第三部と続き、7月23日まで展示されています。興味のあるかた行ってみてはいかがでしょう。

千代田区立図書館 公式HPより
地図

これまでの岩波ホールの歴史を振り返る展示を3期に分けて開催します。また、6月23日(月曜日)からは、9階展示ウォールにも展示会場を拡大し、過去の上映作品の紹介を行います。

展示会場@ 地域連携コーナー
第1部 岩波ホールのはじまり
会期:2022年4月25日(月曜日)〜5月21日(土曜日)

1968年の開館から1974年の「エキプ・ド・シネマ」立ち上げまでの多目的ホール時代の活動を取り上げます。映画、音楽、伝統芸能、演劇などの公演や、それとセットで行われていた講座などの様子を、当時の写真や資料、支配人・岩波律子氏の思い出と共に紹介します。

第2部・第3部では、主に「エキプ・ド・シネマ」や上映作品について紹介します。詳しい内容は、決定次第追記いたします。

第2部:5月23日(月曜日)〜6月25日(土曜日)
第3部:6月27日(月曜日)〜7月23日(土曜日)

展示会場A 展示ウォール
歴代上映作品 観客動員ベスト10
会期:2022年6月27日(月曜日)〜7月23日(土曜日)

岩波ホールの過去の上映作品の中から、観客動員ベスト10を映画ポスターと共に紹介します。

展示では、スタッフの方々の思い出も紹介しています。どんな想いで素晴らしい映画を私たちの届けてくれていたのか、ホールを支えてきた方々の視点をぜひお楽しみください。

※新型コロナウイルス感染症の拡大状況に変化が生じた場合、開催内容などを変更する場合があります。あらかじめご了承ください。

会場 千代田図書館9階 地域連携コーナー/展示ウォール
協力 岩波ホール

〒102-8688 千代田区九段南1-2-1千代田区役所9階・10階
電話番号 03-5211-4290(代表)
開館時間
月曜日〜金曜日 午前10時〜午後10時
土曜日 午前10時〜午後7時
日曜日・祝日・12月29日〜12月31日 午前10時〜午後5時
夏期は午前9時開館となる期間があります。
休館日 第4日曜日、1月1日 〜1月3日、特別整理期間
東京メトロ東西線、半蔵門線・都営新宿線「九段下」駅下車
4番または6番出口から徒歩5分



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岩波ホール、54年の歴史に幕 2022年7月29日に閉館

「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の運営が困難と判断いたしました」という岩波ホール閉館のニュースは、映画ファンのみならず、文化を愛する多くの人たちに驚きをもって受け止められた。
 今年1月11日、試写室で会った友人から「岩波ホールが閉館するんですって」と言われ、閉館することを知った。その方とは岩波ホールで2017年に公開されたパキスタン映画『娘よ』のアフィア・ナサニエル監督の合同インタビューで知り合ったので余計思い入れがあった。このインタビュー自体が岩波ホールの会議室で行われた。

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『娘よ』アフィア・ナサニエル監督

 岩波ホールはミニシアターの草分け。1968年2月に多目的ホールとして開館し、故・川喜多かしこさんと同ホール総支配人の故・高野悦子さんが名作映画上映運動「エキプ・ド・シネマ」をスタート。「エキプ・ド・シネマ」は「日本では上映されることの少ない、アジア・アフリカ・中南米など欧米以外の国々の名作の紹介」「欧米の映画であっても、大手興行会社が取り上げない名作の上映」「映画史上の名作であっても、何らかの理由で日本で上映されなかったもの、またはカットされ不完全なかたちで上映されたもの」「日本映画の名作を世に出す手伝い」という4つの目標を掲げていた。

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岩波ホールで公開された映画の数々

映画の常設館となったのは74年からで、サタジット・レイの『大樹のうた』がその第1回目の公開作だった。そして、現在公開中の『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』6月4日(土)〜2022年7月29日(金)が最後の上映作品となる。岩波ホールでどんな作品を観たか調べてみたら、『大樹のうた』『木靴の樹』『旅芸人の記録』『大理石の男』『八月の鯨』『宋家の三姉妹』『山の郵便配達』など100作品以上は観ていると思う。しかし、私が映画にハマるきっかけになった『芙蓉鎮』は、ここで20週も上映していたにも関わらず観ていない。この作品を観たのは池袋の文芸坐だった。その後27回も観ているのに。原点の岩波ホールでは観ていない。歴代興行1位は『宋家の三姉妹』(97)らしい。この作品、3回は観ているので納得。
岩波ホールは映画館として幅広い認知を得、80年代以降のミニシアター誕生の大きなきっかけになった。「映画は国境を超える」というコンセプトのもと、これまで65カ国・271作品(1月の時点)の作品を上映してきたそう。
1985年5月31日に、第1回東京国際映画祭 女性映画の部門 <映像が女性で輝くとき>が始まり、高野悦子支配人を始め岩波ホールの職員の方たちが、この映画祭を支えた。のちに「東京国際女性映画祭」という名前になり、2012年までの25回開催され、ヘルマ・サンダース・ブラームス監督の『ローザ・ルクセンブルグ』、『ドイツ・青ざめた母』、羽田澄子監督の『AKIKO/あるダンサーの肖像』『痴呆性老人の世界』(86)『安心して老いるために』(90)、ミーラー・ナーイル監督の『サラーム・ボンベイ!』(88)や『ミシシッピー・マサラ』(91)などが上映され、後にこれらは岩波ホールで公開された。
シネマジャーナルとしては「東京国際女性映画祭」には3回目から参加し、高野悦子さんばかりでなく、映画祭ディレクターだった大竹洋子さんとも知り合うことができ、また、岩波ホール現支配人岩波律子さん、原田健秀さん、矢本理子さんなどの職員の方とも知り合うことができた。そんなこともあり、よけい閉館するのが残念でならない。何より、他では上映されそうもない作品を観ることができなくなるのではと、今から心配している(暁)。

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2022年2月に開催されたジョージア映画祭

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2022年06月12日

タラの芽の天ぷらを食べに信州に行ったのに信州にはなくて、銀座にあった!(暁)

*東京で山菜のてんぷらと戸隠蕎麦を食べられる店をみつけた

春には山菜の天ぷらを食べたいと思う私は、コロナ禍になる前の2019年まではかれこれ6,7年くらい、毎年5月連休の次の週に山菜天ぷらと蕎麦を食べるために戸隠に出かけていた。戸隠にはスキーをしに40年以上前から行っていて、白馬村に5年くらい住んでいたので、白馬からも戸隠に蕎麦を食べに行ったこともあり、30回くらいは行っていると思う。
でもコロナ禍で、2020年と2021年は行くことができなくて山菜天ぷらは食べていなかった。今年も行くことができないかもしれないと思い、東京で山菜天ぷらと蕎麦を食べられるところはないかとネットで探してみたら、六本木のEXシアターの裏に「手打ち戸隠そばと信州の食材」を扱っている「戸隠(とがくれ)つきや」という戸隠出身の人がやっている店をみつけ、5月連休直後に山菜天ぷらと蕎麦を食べに行った。期待にたがわずおいしい蕎麦と山菜天ぷらを堪能することができた。

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戸隠つきやの山菜天ぷら

山菜と言えば、やはり一番好きなのはタラの芽の天ぷら。例年4月が最盛期で、だいたい5月中旬には時期を終えるので、タラの芽はその時期を逃さずにしないとありつけない。今年は雪が多かったので、山菜の時期が少し長いと言っていた。その時にはもしかしたら5月3週目に信州に行けるかもしれないと思っていたので、3週目でもタラの芽にありつけるかもと思いちょっと期待。それで、戸隠のお薦めの蕎麦屋さんも聞いておいた。戸隠の蕎麦屋は、すでに十数軒は入ったことがあったけど、この店の人が進めてくれた数件の蕎麦屋には入ったことがなかったので、行けたら行ってみたいと思った。そして「いつも行っている店はどこ?」と聞かれたので「戸隠中社前のうずら家」と言ったら、「ああ、観光客が行く店ね」と言われてしまった(笑)。そういわれても、いろいろ行ったけど、ここがやっぱり私が求めている蕎麦を出してくれる店だなと思っているので、いつも2時間くらい待ってでも入っている。最近は並らばなくてもすむように記帳する形になっているので、その2時間の間に鏡池に行ったり奥社に行ったりすることができるから苦にはならない。それにしても六本木には映画祭の時や映画を観に、しょっちゅう行っていたのにこんな店があるのを知らなかった。今度はキノでの試写の帰りに寄ってみよう。熊や鹿、イノシシなどジビエも扱っているらしいし、キノコの季節もよさそう。

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戸隠つきや(六本木)の山菜料理

*3年ぶりの信州への旅へ
そして5月3週目に信州に行けることになった。およそ3年ぶりの1泊以上の旅行。コロナはまだ去ってくれないけど去るまで待てないので、行けるチャンスがあるときに行ってしまおうと行ってきた。5月20日(金)に東京を出て、23日(月)戻りの2泊3日の旅。東京→戸隠→小布施→志賀高原横手山→草津→蓼科→東京の予定で出かけた。
相棒には、なんとか20日夜中中に小布施の道の駅まで行って車中泊というスケジュールでお願いしたのに、結局東京を出たのが夜中になってしまい、諏訪のサービスエリアでの車中泊になってしまった。あげくに起きたら雨。朝食を食べて諏訪を出発したのは11時すぎ。雨なのでいっそのこと諏訪ICで降りて、諏訪湖のほとりにある原田泰治美術館に行こうかとも思ったけど、やはり今日中に小布施の道の駅にたどりついた方がいいと判断し、長野方面に向かった。以前から行ってみたかった小布施近くの「ヘーゼルナッツ園 ふるフル」でヘーゼルナッツの入った作りたての生のアイスを食べた。ここは自分のところでヘーゼルナッツ(イタリアの品種)を植えていて、その実を収穫しアイスを作っている。ヘーゼルナッツの香りと生アイスのこってりとした濃厚な味わいがとてもおいしい。小雨が降っていたけど、次から次へとお客が絶えない状況だったのもわかる。ヘーゼルナッツというのは日本では「はしばみ」という植物でクヌギの仲間のような感じの実がなる。私は白馬に住んでいた時に、この長野から大町に続く道の居谷里湿原のそばにはしばみの木が続いているのをみつけ、採って食べたことがある。そして密かにここを「はしばみ街道」と呼んでいた(笑)。
この後、小布施に向かい、「フローラルガーデンおぶせ」にタラの芽やほかの山菜がないか行ってみた。タラの芽はなかったけど朝採りの新鮮な根曲り竹があったのでゲット。新聞紙に包み車用冷蔵庫へ。ワラビもあったけど、旅はあと2日あったので、もっと後に道の駅かスーパーで買おうと諦めた。せっかく小布施に来たのだから「栗ご飯」でもと思ったらほとんどの店が17時くらいで閉店。19時閉店の桜井柑精堂本店前の泉石亭に入り、おいしい栗ご飯にもありつけた。その前にフローラルガーデンのそばにあるスーパーツルヤに寄って買い物。小布施ももう10数回行っているので、だいたい買いたいものがどこに売っているかわかっている。いつもここでリンゴジュースを買う。お土産屋で買うと500円くらいするリンゴジュースがここでは300円くらいで買える。それに栗羊羹やほかのお土産も安い。他には韃靼蕎麦茶を買った。ほんとはアスパラがおいしそうだったけど、最終日ではないので諦め。でも、結局、こんなにりっぱで新鮮なアスパラにはそのあと出会わず残念だった。そして2日目にしてやっと小布施の道の駅にたどり着いた。車中泊にしたけど、高速ともつながっていて、一般道からだと階段を上ってトイレに行かなくてはならず、今、階段の上り下りがつらい私にとっては、ここを選んで失敗だった。これまで何度も行ったことがあったのに、トイレが上だったというのを忘れていた。

*やっと戸隠へ
21日(日)の朝は8時出発にしたかったけど、やはり相棒は起きず、出発は8時半すぎ。戸隠に着いたのは9時半すぎで「うずら家」はすでに人がいっぱい、入店できるのは11時半頃と言われ、この日、志賀高原の横手山頂ヒュッテを予約してあり、16時までに渋峠まで行かなくてはならないので、戸隠を12時頃には出ないと間に合わないから「うずら家」はあきらめた。そして「つきや」さんがお薦めしていた蕎麦屋の一つ、「よつかど」に向かった。着いてみたら、戸隠から白馬に向かう道の脇にあった。なんだ、ここは何度も通ったところだと思った。でもそこに蕎麦屋があるということは気がつかなかった。中に入って、山菜の天ぷらと蕎麦を頼んだら、タラの芽の天ぷらはすでになかった。タラの芽のシーズンは終わっているからと、山菜は、山ウドやコゴミ、根曲がり竹の天ぷらだった。こういう時、うずら家はあるんだよね。ま、天然の山菜とは言えず、きっとタラの芽の畑があって供給していると思うけど。そうでなければ、あのたくさんの客に対応できないでしょう。こういうところが「観光客の店ね」と言われても、ここに行きたいと思わせるところではある(笑)。今回、ちょっとのことで行けなくて残念。それでもこの「よつかど」の蕎麦はやはり、通の人が通うだけあって蕎麦も汁もおいしかった。そして客もひっきりなしに入ってくる。中社からかなり下ったところにあるのに、登山スタイルの人もいるからかなり歩いてここまで来ていると思う。待ち時間がほとんどなかったので、11時半頃戸隠を出発することができ、一路、志賀高原横手山に向かった。
途中、「道の駅 北信州やまのうち」に寄り、やはり山菜を探したけど、これというものはなかった。山ノ内町は味噌汁に寝曲り竹をいれ、さらにサバ缶を加えたものが郷土食と何かの番組で紹介していたこともあり、それを缶詰にした「サバタケ」缶というのがこの道の駅で売っていると宣伝していたので寄ったのだけど、環境のことを考え、今はレトルトパックになっていた。この「サバタケ」缶というのは長野県のアンテナショップ銀座NAGANOでも置いていて、2、3回買ったことがある。けっこう高いのでそうは買えないけどおいしい。サバ缶を二つ重ねたくらいの大きさの缶詰で900円くらいしていたんだけど、レトルトになったら1,5倍くらいの量になって1200円になっていた。一人用は半分くらいでいいので、今回買うのはあきらめた。それに銀座NAGANOでも買えるので(笑)。渋峠で山荘にもっていく荷物をまとめるのは雪があって寒いだろうからと、ここで荷物をまとめ、服も用意した。出発すると青空も見えてきた。
志賀高原に入ると、まだ道の脇に雪が残っていた。東京ではすでに半袖なのでまさかと思っていたけど、東京からヒュッテに電話したら、雪がまだあってヒュッテの前までまだ車で入れないと言われ、雪上車で渋峠まで迎えに行きますと言われた。雪のシーズンはいつもリフトで登っていた。今回荷物も多いので、初体験の雪上車に乗ることにした。リフトはまだ動いていて、スキー客もけっこういた。

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雪上車からの風景 2022年5月22日

渋峠には16時少し前に着いたけど、雪上車も早めに来ていたので、下で用意をしていてよかった。雪上車から降りて来た人はパンの袋を抱えていた。地元の人っぽい。この横手山頂ヒュッテ(2307m)は横手山山頂にあって、日本最高地にあるパン屋さんとしても有名。ここには10数回泊まったことがあるけど、いつもロシア料理のつぼ焼ききのこスープが楽しみだったし、朝の焼きたてパンも楽しみだった。この焼きたてパンとワインを持って、『私をスキーに連れてって』のコースを下り、万座温泉上部を経由して草津温泉までのスキーツアーが3月末のシーズンの楽しみだった。

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横手山頂ヒュッテの夕食 つぼ焼ききのこスープも

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横手山頂ヒュッテの朝食 焼きたてパン付

ヒュッテには、前回は10年くらい前に行ったけど、その時はお母さんがいなくて、すでに引退しているかもと思ったら、今回はいて、10数年ぶりの再会。夜ご飯が終わってから30分くらいおしゃべりをした。すでに79歳というのにまだ現役で仕事をしている。すごい! さらにお義母さんも98歳で、このヒュッテで暮らしていると聞いてびっくりした。
この横手山山頂からは、晴れたら北アルプスから八ヶ岳、北信五岳が見えるので、朝も晴れを期待したけど霧の中。山を見ながらの朝食はならずだった。もう一日日程があれば、霧が上がるのを待つ時間があるのだけど、本日中に東京に帰らなくてはならないので、9時半頃には宿を出た。

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横手山頂ヒュッテ入口の看板

*草津から小諸、蓼科へ
一路、草津温泉へ。すごい霧で、ゆっくり降りていった。少し降りたら霧がなくなったけど、まだ雪は残っていた。草津温泉でも山菜天ぷらと蕎麦の店に寄りたかったけど、あまりの道の狭さと坂の多さ。行きたいと思っていた店が草津温泉中心部の湯畑のそばで駐車スペースもなく、お腹もあまりすいてなかったので、草津はパスして下り、草津の道の駅まで行くことにした。ここにも山菜はなくてがっかり。あとは下りながら、軽井沢、小諸方面へと蕎麦屋を探しながらくだった。何か所か良さそうなところはあったのだけど、ちょうど昼時間にあたってしまい、月曜日だというのに北軽、旧軽ともけっこう観光客がいっぱいで諦め。小諸方面に向かった。小諸の蕎麦屋で行ってみたいと思っていたところがあったのを思いだし、丁子庵という店に入った。ここの蕎麦つゆ、クルミのつゆというのがあると聞いていたので頼んでみた。ま、おいしかったけど、やっぱり普通の蕎麦つゆのほうがおいしいかな(笑)。
そのあと、蓼科方面に向かい「道の駅 女神の里 たてしな」に。ここでも以前、タラの芽を買ったことがあったので、期待したんだけど売ってはいなかった。ヤマウドとワラビを買い、ここに寄った目的でもある「ニジマスの唐揚げ」を買った。ほんとは「イワナの唐揚げ」も欲しかったのだけど、今回はなかった。これが意外においしい。ここから南下し、中央高速に出て帰るつもりだったけど、もう16時すぎていたので、それはあきらめ上信越道から帰ることにした。
今回、タラの芽の天ぷらを食べたいと思って、久しぶりに信州に来たのに、結局、タラの芽の天ぷらにはありつけなかった。残念。でも、根曲り竹やワラビも買ったし、リンゴジュースも買えた。それに3年ぶりの信州旅行。やっと出かけられたという喜びを持って帰ってきた。

*なんとタラの芽は銀座にあった!
信州に行く時はいつも「銀座NAGANO」に行って、新しい情報を得てから行くのだけど、ここは1階に長野県の食材やお酒、菓子などを売っているショップがあり、2階に地図や観光情報、時刻表などを置いている。行く前日の19日が京橋での試写だったので、終わってから銀座四丁目の交差点そばにあるこのショップに行くことができた。新しい道の駅のガイドブックや長野の地図、戸隠や小布施の地図と情報、それに山之内町、志賀高原の地図をゲットすることができた。1階のショップではタラの芽やワラビ、山ウドなどの山菜を売っていたけど、次の日から出かけるので、それらを買うのはあきらめた。
信州から帰ってきて、次の日24日も京橋での試写だったので、ダメ元でまた「銀座NAGANO」に行ってみたら、なんとタラの芽が2パック残っていて、さらにコシアブラも売っていたので、両方を買って帰った。信州までタラの芽を求めて行ったのになくて、銀座にあった!
なんてこったでした。次の日、自分で天ぷらに挑戦。山菜の他になすやニンジンなども。しかし、年に1回、久しぶりに天ぷらを揚げたので、しなっとなってしまい、最後になってやっとうまく揚げることができた。そして、26日にも山菜が入る予定と聞いたので、27日にも「銀座NAGANO」に行ったら、またタラの芽があったので、再度買って、天ぷらに挑戦。今回はかなり成長していたし、2日も置いてしまったので(新聞紙にくるんで冷蔵庫には入れていたのだけど)、葉っぱがだいぶダメになっていて散ってしまっていたりで枝だけのタラの芽状態(笑)で硬かった。それにしても天ぷらをうまく揚げるには熟練の技がいる。1年に1回、ちょこっとやるのではうまくできるはずがない。来年こそ信州で食べたい。

●自分で揚げた山菜天ぷら.JPG
自分で揚げた山菜天ぷら


*参考記事
シネマジャーナルHP スタッフ日記
ディープな『土を喰らう十二ヵ月』案内(暁)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/493262568.html
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