2022年07月29日

岩波ホールより閉館のご挨拶をいただきました

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いよいよ、岩波ホール閉館の日が来てしまいました。
最終日に駆け付けることができなかったのですが、遠くから、最後の上映に思いを馳せていました。
一つの映画館がなくなるという以上に、大切な文化が消えてしまったと、ぽっかり心に穴が空いたようです。

閉館に先立ち、昨日、岩波ホールの広報担当の方から支配人の岩波律子さまのご挨拶が届きました。
今でしたら、ご挨拶を動画で見ることもできます。
いつか見られなくなるかもしれないと思い、全文を転載させていただきます。

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平素よりお世話になっております。
まもなく、7月29日をもちまして、岩波ホールは閉館となります。
閉館に際して、支配人の岩波律子よりご挨拶を申し上げますので、
下記リンクよりご覧ください。
https://www.iwanami-hall.com/topics/greeting/5323

これまで、当館の活動にご注目いただき、誠にありがとうございました。
ご理解ご協力いただけましたことに、深く感謝申し上げます。
7月末をもって、当館スタッフも退職となります。
末筆ではございますが、
これからのみなさまのご健康、益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
今まで本当にありがとうございました。

矢本理子/田澤真理子
岩波ホール 

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(岩波ホール 公式サイトより転載)

皆さま、こんにちは。岩波ホールの岩波律子でございます。私どもは今年の7月29日に閉館することになりました。そこで、本日は最後のご挨拶をいたします。

多目的ホール時代
岩波ホールは1968年2月に開館しました。当時、地下鉄が3線乗り入れることになる神保町に、ぜひ文化的施設を、という千代田区からの要請もあり、多目的ホールとしてスタートいたしました。2月9日のホール開きでご挨拶してくださった野上彌生子さんが、「小さな空間だからこそ、大きなところでは出来ない、質の高い催し物ができる」と仰って下さいました。開館時に総支配人に就任した野悦子が、フランスのイデックというパリ高等映画学院で映画を学んできたこともあり、当初は「映画講座」をはじめ、「学術講座」、「音楽サークル」、「古典芸能シリーズ」の4つの柱を中心に、様々な催しものを、日々、行っておりました。

総支配人野悦子
野悦子は、私の母の妹で、叔母にあたります。旧満州生まれの野は、当時は“大陸的”とよばれた、常識にとらわれない自由な発想ができる女性でした。日本女子大学を卒業後、東宝株式会社に入社し、映画を調査分析する仕事をしていました。現在のマーケティングにあたると思います。その際、映画が男性監督によってしか作られていないこと、女性の描き方が現実を反映していないことに疑問を抱いた野は、監督を目指そうとしましたが、日本では女性は監督の勉強ができないことが分かり、フランスに留学するのです。外貨持ち出し額にまだ制限があった、1950年代のことでした。フランスから帰国した後、映画監督を目指してテレビの脚本を書いたり、色いろと動くのですが、やはり女性ということで、なかなか上手くいかず、そんななか、岩波ホールが1968年に開館することになり、総支配人となったのです。

野は非常に好奇心が強く、また行動力のある女性でした。初期の多目的ホール時代の様々な催しものは、岩波書店の執筆者とともに、多くが野の人脈によって成り立っていたように思います。実際、映画上映のみならず、生涯にわたり、様々な仕事に携わった人でした。おかげで、そのもとで働く社員は、時に大変な目にあいましたが、岩波ホール以外の活動として、東京国際女性映画祭のゼネラルプロデューサーとして、多くの女性監督の作品を日本にご紹介したことを、一つの例としてあげておきます。

エキプ・ド・シネマ
1974年に、川喜多かしこさんからご相談があり、インドのサタジット・レイ監督の「大樹のうた」を上映することになりました。これが、岩波ホールが映画館としての活動を開始するきっかけとなった作品です。いま思うと、最初に上映した映画が、インドの作品であったことが象徴的であると思います。当時の日本の映画界をとりまく状況は、現在とは全く異なり、欧米の商業的な作品の興行が一般的でした。そこで、当初より、4つの目標を掲げて、世界の埋もれた名画を世に出す運動として、エキプ・ド・シネマを開始しました。

その目標とは
日本では上映されることのない第三世界の名作の紹介
欧米の映画であっても、大手興行会社が取り上げない名作の上映
映画史上の名作であっても、なんらかの理由で日本で上映されなかったもの、
または、カットされ不完全なかたちで上映されたものの完全版の紹介

日本映画の名作を世に出す手伝い
岩波ホールがこれまでに上映してきた作品リストを、いま改めて見てみますと、初期の10年間はヴィスコンティやベルイマン、フェリーニ、タルコフスキー、アンゲロプロス、ブニュエルといった、映画界の巨匠たちの名作を中心に上映していた気がいたします。その後、1980年代半ばからは、中南米やアフリカ、東欧など、作品の多様化が進みました。1980年代後半から1990年代にかけては、世はミニシアターブームだったわけですが、岩波ホールでは、中国や東南アジアの映画、老人問題、女性監督の作品がどっと増えた時代でもありました。代表的な監督としては、サタジット・レイ、アンジェイ・ワイダ、羽田澄子、黒木和雄などがあげられると思います。また、私の個人的な思い出としては、セネガルのウスマン・センベーヌ監督の作品を上映できたことを、大変光栄に思っております。また、ここ数年はジョージア映画祭を2回開催いたしましたが、過去には、ポルトガル映画祭や「自由と人権」国際映画週間など、色々な国や地域の映画を、映画祭という形式でご紹介しておりました。そういう訳で、1974年以降、今年の2022年7月まで、名作上映活動としては48年間続いたエキプ・ド・シネマですが、現在上映中の「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」まで、66の国と地域の274作品を上映してまいりました。

岩波ホールの資料について
さて、岩波ホールがこれまで上映してきた作品のパンフレットやポスター、また、私どもの活動を記録した広報誌である「友」についてですが、既に、国立映画アーカイブ図書室をはじめとして、東京や地方の幾つかの図書館や資料館などに収蔵していただくことになりました。今後、岩波ホールの軌跡について調べたい方がいらっしゃいましたら、ぜひ、ご利用いただければと思います。

以上、簡単ではございますが、岩波ホールのこれまでの活動について、お話しいたしました。多目的ホール時代を含めますと、54年間となりますが、これまで、私どもの活動を見守り、劇場に足を運んでくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。

岩波ホール支配人 岩波律子 2022.7.27


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1976年の春に会社の同期の男性にサタジット・レイの『大樹のうた』を観に連れてきてもらったのが岩波ホールを知るきっかけでした。その後、何度も通った岩波ホール。ほんとうにたくさんの素敵な映画をありがとうございました。 景山咲子 (写真撮影も)


posted by sakiko at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月24日

久しぶりに暑い夏のSKIPシティ国際Dシネマ映画祭 (咲)

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SKIPシティ国際Dシネマ映画祭は、毎年7月中旬に開催されて、暑い夏の到来を感じさせてくれる風物詩でした。それが、2020年の第17回は、オリンピック&パラリンピックのため、9月下旬に開催日程が変更され、さらに新型コロナウイルス感染拡大でオンライン配信に。オリ・パラがコロナ禍で2021年に延期され、去年の第18回も9月開催でした。19回目となった今年の映画祭は、日程も7月に戻り、3年ぶりに観客を会場に入れての開催になりました。大きなスクリーンで観る映画は格別です。
コロナ禍で始まったオンライン配信も同時に行われ、SKIPシティに行かなくても、全国どこにいても映画祭出品作を楽しめるのは、とても有難いことです。

かくいう私、ほんとは、SKIPシティの会場でできるだけたくさんの作品を観たかったのですが、蒸し暑さですっかり気力をなくし、SKIPシティに出かけたのは、7月20日(水)1日だけでした。
それでも、久しぶりに川口駅に降り立った時から、あ〜SKIPシティの映画祭!と、胸が高鳴りました。
無料送迎バスの乗り場が変わって、ちょっと戸惑いました。かつては、暑い中、「乗り場はこちら」の看板を持ったボランティアの方が立っていたのですが、それもなくて、地図を頼りに「キュポ・ラ広場」を探しました。
行きのバスで、第一次審査委員をしている、まつかわゆまさんとご一緒になりました。
今年も秀作揃いと伺いました。
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20日は、抜けるような青空で(雲が夏らしい!)、まさに夏の到来を感じさせる暑い日でした。
SKIPは、これでなくちゃ!
11時から、映像ホールで1948年のパレスチナを舞台に描いた『ファルハ』を鑑賞。上映後には、ダリン・J・サラム監督のQ&Aもあって、充実のひと時でした。平日のためか、観客が少ないのが残念でした。
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詳細は、こちらで!
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭『ファルハ』 1948年のパレスチナ 少女が隙間から覗いた惨劇 (咲)

映画の合間に、持ち込み可能の休憩室で、出品作の紹介映像を見ながら一息つきました。
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せっかくSKIPシティまで行ったので、1時50分からウクライナ&トルコ合作の『ラブ・ミー』も観てきました。2014年に上映された映画で、ウクライナのマリナ・エル・ゴルバチ監督にインタビューした懐かしい作品です。
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SKIPシティ国際Dシネマ映画祭でトルコとウクライナが出会う『ラブ・ミー』(咲) (2014年07月23日)
こんな物語だったか〜と思う一方、今のウクライナ情勢を思うと複雑な気持ちになりました。監督、どうされているでしょうか・・・

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SKIPシティの無料送迎バス乗り場

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川口駅の送迎バス乗り場は、行きも帰りも同じ場所でした。
以前は、帰りはそごうの脇に着いたので、そごうの地下で買い物したり、食堂街で食事をしたりしていたのでした。そのそごうも、来なかった3年の間に閉店してしまって、ちょっと寂しかったです。

今日、クロージング・セレモニーが開かれて、受賞作が発表されました。
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022 受賞結果

なんと、1作品しか観てなかった・・・
オンライン配信が27日迄ですので、受賞作だけでなく、ほかの作品もできるだけたくさん観たいと思います。

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posted by sakiko at 18:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月20日

『ウクライナから平和を叫ぶ〜Peace to You All〜』取材(白)

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7月20日(水)
今日は2016年ウクライナの紛争を撮影したスロバキアのドキュメンタリー監督ユライ・ムラヴェツJr.さんのリモート取材でした。
うちのPCにはカメラもマイクもないので、配給会社さんへお邪魔してセットアップしたところに座って喋るだけ。
監督はうちの息子たちより若くて、つい口がすべって「日本のおばさん」という位置につけてもらいました(笑)。
スロバキアの方を取材するなんて人生最初で最後かも。月末までにまとめなくては。
話している方の顔がPC画面に出ると、自分が実母にそっくりで(もちろん同じ年頃の)げ、年取ったと我ながら(汗)。
いったいいつまで取材に出歩けることやら。いや、弱気はやめて自分を鼓舞しないと。(白)

★2022年8月6日(土)よりユーロスペースにて
(C) All4films, s.r.o, Punkchart films, s.r.o., RTVS Rozhlas a televízia Slovenska(ENTAME next)
posted by shiraishi at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 取材 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月18日

映画宣伝の篠さんの著作発売(白)

2022年7月18日

いつも試写でお世話になる宣伝会社MUSAの篠友子さんが小説家デビュー!
小説のネタになりそうな人生を送ってきたの?と発売されたばかりの本を読み始めました。なんと、全く予想もしなかった政治のストーリーでありました。面白かった。
「首都機能」を東京一極集中でなく、関西に分散させようと京阪神の知事たちが話し合います。そこで活躍するのがヒロインの坂本龍子。高知県の県庁職員ですが、その頭の切れと胆力は龍馬の末裔かと思ってしまうほど。
登場する知事たちのおひざ元、特に京都の描写が詳しく思わずグーグルマップを開いてしまいました。それと全国知事ファイルなんかも見たりして(笑)。篠さんは高知出身なんでしょうか?それとも京阪神?今度聞いてみようっと。キャラが立っていて、背景も浮かび映画向きなんですよ。誰がいいかなぁと妄想も楽しいです。
*篠さんは高知出身で、やはり龍馬ファンでした。京都にも長く住んだそうです。
コロナで自宅にいた間に、土地の記憶をたよりに書き上げたとは!

「うえから京都」篠友子著(角川春樹事務所刊)
四六判 340ページ
定価 1,700円+税


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紹介文
京都駅に降り立った女性の名は坂本龍子。彼女は高知県の県庁職員でありながら、政治の世界で数々の難問を解決し「交渉人」と呼ばれ、その名を馳せていた。
ある日、龍子の元に京都府知事の桂大吾から、低迷した日本経済を救うため、経済の拠点や首都を東京から関西へ移したいという依頼が入った。
この法外とも思える構想を実施すべく、京都・大阪・兵庫の三府県が手を組み、西の統一をはかるため、龍子に力を貸してほしいのだという。
しかしその裏には京都が国の政治を司る拠点として返り咲き、そして遷都までをも実現するという思惑があった――。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784758414197
篠さん動画も作成していました!
https://www.youtube.com/watch?v=mdt3dSeTd3g

posted by shiraishi at 14:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々のできごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月17日

岩波ホールの7月29日閉館をずっしり感じてきました (咲)

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岩波ホールが今年7月29日で閉館という衝撃のニュースが発表されたのは1月11日のことでした。あっという間に、半年が過ぎ、現在上映中のヴェルナー・ヘルツォーク監督作品『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』が最後の作品となってしまいました。

もう岩波ホールには伺うことはないかもしれないと思っていたら、特集上映「ヴェルナー・ヘルツォーク・レトロスペクティブー極地への旅」が組まれ、7月14日(木)に『ウォダベ 太陽の牧夫たち』と『ガッシャーブルーム 輝ける山』の2本立てを観てきました。

上映は4時半からですが、3時半に行って、まずチケットを購入。整理番号51番でした。
平日なのに、やっぱり出足が早いです。

土砂降りの雨でしたが、千代田区立図書館での展示「ありがとう 岩波ホール」を観に行きました。 
現在、「第3部 エキプ・ド・シネマ 名画を発掘し続けた岩波ホールA」が開催中。
7月23日(土曜日)までです。
詳細は、こちらで!

5月23日〜6月25日に開催された、第2部 エキプ・ド・シネマ 名画を発掘し続けた岩波ホール@では、年代別に話題作・ヒット作をピックアップして展示されていました。
第3部では、「日本」「南米」「アジア」「アフリカ・中東」「戦争」「女性監督」のテーマごとに作品をピックアップ。
第2部も第3部も、支配人の岩波律子さんやスタッフの方々、宣伝の方などの思い出と共に作品が紹介されていて、どれも懐かしく思い出しました。
写真撮影は、許可をいただかないといけなかったので撮りませんでした。胸の中にしっかり焼き付けました。

4時15分に岩波ホールに戻ると、ロビーは人で満杯。
51番で好きな席は取れるかしら・・・と心配していましたが、最前列の左端が奇跡的に空いていました。

4時半になり、これまでの予告編に代わり、岩波ホールの変遷が映し出されました。最初に出てきたのは、壁に何も貼られていないまっさらな岩波ホール。出来立ての頃の映像でしょうか・・・ 上映された作品のチラシの数々が紹介され、最後に「ありがとうございました」の言葉だったと思うのですが、その頃には胸がいっぱいでよく覚えていません。

◆『ウォダベ 太陽の牧夫たち』Wodaabe-Die Hirten der Sonne/Herdsmen of the Sun
1989年/ドキュメンタリー/49分/ドイツ語・英語・フラ語/西ドイツ/DCP 
*日本初上映
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サハラ砂漠に住むフラニ族系の遊牧民ウォダベの風習や文化を映したドキュメンタリー。「ゲレウォール」という祭で、男たちが女性に選ばれるよう、懸命に化粧をして、白い歯を見せ、背を高く見せようと背伸びする姿は、以前、どこかで観ているのですが、この映画ではなかったような気がします。(なんといっても、日本初上映)

◆『ガッシャーブルーム 輝ける山』Gasherbrum-Der leuchtende Berg/Gasherbrum-The Dark Glow of the Mountains
1985年/ドキュメンタリー/45分/ドイツ語/西ドイツ/DCP 
*新訳版上映
1984年に、ヒマラヤのカラコルム山脈にある8000メートル級のガッシャーブルームT峰とガッシャブルームU峰の登山に臨んだ、伝説的な登山家ラインホルド・メスナーとハンス・カンマーランダーを記録したドキュメンタリー。
行ってみたかった町スカルドゥが少し映って、嬉しかったです。

「どうして山に登るのか?」と聞かれて、答えられないラインホルド。(そこに山があるからとは言わなかった・・・)
弟と一緒に登山して、弟を見失い、結局遭難死してしまったことについて尋ねられ、さらに突っ込んで、お母さんは?と聞かれたとたん泣き崩れる姿が胸に迫りました。
死と背中合わせの登山・・・ 
1997年にカラコルムのスキルブルム峰(7360m)に登頂後、雪崩で亡くなられた広島三朗さんを思い出して涙でした。前年の日本パキスタン協会の泊りがけのシンポジウムの折の集合写真を撮るときに隣にいらして、「登山の仲間だと、来年いない奴がいるんだよな」とおっしゃったのですが、ご本人がいなくなってしまったのです。あ〜涙。

しみじみとなったところで映画が終わり、岩波ホールに別れを告げながら家路を急ぎました。

素敵な映画をたくさんありがとうございました!


posted by sakiko at 19:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする