2022年10月23日
亡き人たちを思いながら、川越を歩きました (咲)
秋田のユースホステルの常連仲間のS氏が天国に召されたとの悲しいお知らせが届き、10月21日、埼玉県坂戸でのご葬儀へ。東京や埼玉だけでなく、山形、高崎、福島などからもお仲間が駆け付けました。
私がS氏に初めてお会いしたのは、実は秋田ではなく、川越でした。常連仲間の京都のM氏が川越祭に来るというので、7〜8人が集まって、川越に程近い坂戸に住むS氏が川越を案内してくださったのでした。もう45年程前のことです。京都のM氏も昨年亡くなりました。
ご葬儀のあと、川越で降りて、思い出を胸に川越の古い町並みを歩きました。
今は、道幅がすごく広くなりましたが、45年前は半分の幅。空を見上げると、電柱と、張り巡らされた電線がとても邪魔だったのを思い出します。道幅を広げた時に地中に。でも、道幅は本来の狭いほうがいいですね・・・
川越市政百周年のポスターが目に留まりました。この8月に亡くなった父と、初めて川越に来たのが、市政90周年の時でした。父、90歳の時のことで、川越まつり会館は、川越市と同い年ということで無料で入れていただきました。(同行の私も!)
父とは、その後、2018年9月10日にも川越を散策しています。
その時に入った「元町珈琲店ちもと」の芋ソフトクリームがとても美味しかったので、食べたかったのですが、その前に、川越駅ビルでお仲間とお茶してお腹いっぱいだったので、ショーウィンドゥだけ眺めてきました。(写真は、2018年のもの。芋餡と芋の甘露煮が添えてあって、500円でした♪)
コロナ禍で、秋田のお仲間との恒例の新年会も、秋の角館での集まりも出来ないでいるのですが、S氏と最後にお話ししたのは、昨年4月初めのことでした。
シネジャのサイトで連絡先の「東京都練馬区上石神井4-9-2」という住所を見て、びっくりしてお電話くださったのです。実家のご住所が、最後の番地が違うだけのすぐ近くで、高校生の頃から29歳で結婚するまで住んでいて、今もお兄様ご夫妻がお住まいとのこと。このシネジャの住所は、創設者の一人Iさんのご自宅の住所。さっそくIさんにお電話したら、お兄様のことはよく知っているとのこと。
「お兄様、背が高くてハンサムと言ってきましたよ~」と、さっそくS氏にお電話したら、スピーカーにしていたらしく、隣から奥さまが「そう! お兄さんの方がハンサムなの。背はうちの方が高いけど!」と。
(S氏は、190cm位あって、お仲間にもう一人背の高い人がいて、毎年、新年会の時に東京駅で集合するのですが、S氏とそのもう一人が目印なのです。)
「コロナが収まったら、上石神井でお会いしたいですね」と言って電話を切ったのですが、その機会がないまま旅立たれてしまいました。
いつまでも収まらないコロナがうらめしいです。
(それにしても、シネジャのサイトを見てくださっていたことに感謝!)
川越スカラ座の看板が目に留まったのですが、「コロナ禍で、上映情報を更新していませんので劇場等で確認ください」とありました。
コロナで、ほんとに社会が様変わりしましたね。(看板の更新ができないことまでコロナのせいにしている??)
会いたい人には、会える時に会っておくことが、とにかく大事だなと、しみじみ思った川越散策でした。
2022年10月16日
映画祭チケット争奪戦! (暁)
「2022東京・中国映画週間 10月18日(火)〜10月25日(火)」「第35回東京国際映画祭10月24日(月)〜11月2日(水)」「第23回東京フィルメックス / TOKYO FILMeX 202210月29日〜11月5日」と、いよいよ東京での映画祭シーズンが始まります。そして昨日10月15日(土)は東京国際、16(日)はフィルメックスの一般上映のチケット発売が始まりました。
微妙に重なっていて、重なっている部分はどちらの映画祭に行くか、どれを優先するかをチケット発売の前に把握しないといけないのだけど、私はいつも後手後手に回っていて、何が上映され、何が重なっているから、どれを優先するかをチケット発売の前に把握できないで来た。今回も、前日まで東京国際映画祭で見たい作品は何か、フィルメックスで見たい作品は何か、重なっているのはどれか把握できないまま、チケット発売日を迎えてしまった。
私の場合は、もう20年以上、一般上映とプレス上映との兼ね合わせで映画祭作品を見てきたが、以前は中国映画週間と東京国際映画祭の上映作との調整だけで済んだのに、フィルメックスが同時開催になってからは、こちらと重なっている作品は何かも考えなくてはならずだけど、今回はフィルメックスの上映スケジュールもなかなか出てこないし、何よりも東京国際映画祭のプレス試写日程がチケット発売の前に出てこなかったので、一般上映はどれを買うかの判断に迷った。さらにネットでの発売になってしまったので、ネット購入が苦手な私は困っている。それでも徹夜して、なんとか購入日の15日朝8時頃に、どうしても買っておいたほうがいい作品を確認した。最近は当日にならないと体調がわからずで、予約しても当日いけないということが増えてきたので、あまり前売りは買いたくないけど、売り切れ必至の作品は買っておくしかない。
朝10時の発売分はなかったので、13時からの発売に備えた。チケット発売の15分くらい前には東京国際映画祭サイト内の、一番最初に買う作品のチケット発売にすぐアクセスできるページを開け準備はできた。それは、シルヴィア・チャン&サイモン・ヤムの『消えゆく燈火』。2回上映のうち、28日の21時台の上映に挑戦することにした。
他にもフィルメックスとか中国映画週間のサイトも立ち上げておいて、重なっているものの確認とかに備えて13時開始を待った。13時になって、このサイトのオンラインチケットショップにアクセスしたけど、何度挑戦しても☝マークにならず入っていけない。かれこれ20回くらい試したけど、全然反応せず、私にはそれ以上どうすることもできず、ラインで映画仲間(山形国際ドキュメンタリー映画祭仲間とアンディ・ラウファン仲間)にSOS。そうするとどちらのメンバーからも「アクセスできず」ときたので、入れないのは私だけではないということが分かった。さらに、「チケット発売日であることを忘れていた。私も挑戦してみる」と、以前、分担で映画祭チケットを買っていたTさんからも連絡が来た。30分くらいすぎて、『消えゆく燈火』のチケットとれたと2人の友人からの連絡。一人は平日の15時からの上映なので、そちらのほうは、まだアクセスが集中していなかったのかもしれない。
あまりアクセスができないので、別枠で東京国際映画祭サイトを立ち上げたら、アクセスが集中していてホームページでさえたどりつかなかった。何度も挑戦したけど、20分以上HPにさえたどり着けなかった。
Tさんもなかなか入れないと言っていたけど、1時間くらいたって「オンラインに入っていけて、チケット発売にたどりついた」と言ってきたので、チケット取れたら私の分もよろしくと伝える。私のほうもさらにアクセス続けたけどアクセスできず。結局、Tさんがチケットをとれたので一安心。
さらに、ラウ・チンワン主演の『神探大戦』に挑戦。これは3回上映があり、Tさんとは見たい日程が違ったので、なんとか自分でゲットしたいと思ったけど、やはり、オンラインチケット発売に入っていけない。20分以上挑戦したけど全然だめなので、Tさんの状況を尋ねたら「オンラインに入って行けたけど一緒に買う?」と来たので、11月1日18:50からの回のチケットを一緒に買ってもらうことにした。この日はフィルメックスの14:40〜17:12の『石門』を見る予定だったし、場所も近いのでちょうどいいかもしれないと思った。ここまでで、すでに14時半すぎ。あとの見たい作品はプレス試写日程が出てから考えることにして、当日売りでチケットがまだある作品を買うことにして、ネットでの映画祭チケット購入挑戦を終えた。
それにしても、結局私は、オンラインチケット販売の中に入っていくこともできずだった。とってくれたTさんは日常的にオンラインでチケットを買っているし、他のチケットがとれたメンバーもチケットを買い慣れている。混み合うネット回線の中に入っていくには、何か技があるのかな? と思った。パソコンでチケットを買いながら、グループラインでチャットをしていたら、ほかのラインメンバーにも影響を与えたらしく、買う予定のなかった人も2人チケット買ったと連絡が来たので、少しは観客動員の役にたったかな。
そのあと、すでに10月5日に発売が始まっていた10月18日からの中国映画週間のチケットをまだ買ってなかったので買うことにした。すでに『月ではじまるソロライフ』は売り切れとのことだった。去年も2作品くらい売り切れだったけど、ま、買えるものだけでいいかという感じ。中国映画に詳しい友人たちの話によると、映画祭期間中のチケットはすでに買えるとのことだったけど、なぜだか私のパソコンでは、上映会場のTOHO日本橋のチケット売りの条件と同じで3日前までしか買えず、20日以降には「>」印を押しても先に進めずだった。なんでだろう。いろいろ教えてくれるのに、皆さんのようにはスムーズにいかず状態。
明日以降に、今回の映画祭で見たい作品の予定表を作ってみて、また、追加で買えるチケットを買おうと思う。それにしても各映画祭会場は日本橋、有楽町、銀座周辺になったものの、映画館自体の間が離れすぎていて、なかなか映画の組み合わせがしにくい。私は障害者になってしまっていて、皆さんの歩く速さの倍以上かかるので、よけい余裕を持って組まなくてはならないので、今年もプレスセンターや一般上映の会場には行きにくいかも。
微妙に重なっていて、重なっている部分はどちらの映画祭に行くか、どれを優先するかをチケット発売の前に把握しないといけないのだけど、私はいつも後手後手に回っていて、何が上映され、何が重なっているから、どれを優先するかをチケット発売の前に把握できないで来た。今回も、前日まで東京国際映画祭で見たい作品は何か、フィルメックスで見たい作品は何か、重なっているのはどれか把握できないまま、チケット発売日を迎えてしまった。
私の場合は、もう20年以上、一般上映とプレス上映との兼ね合わせで映画祭作品を見てきたが、以前は中国映画週間と東京国際映画祭の上映作との調整だけで済んだのに、フィルメックスが同時開催になってからは、こちらと重なっている作品は何かも考えなくてはならずだけど、今回はフィルメックスの上映スケジュールもなかなか出てこないし、何よりも東京国際映画祭のプレス試写日程がチケット発売の前に出てこなかったので、一般上映はどれを買うかの判断に迷った。さらにネットでの発売になってしまったので、ネット購入が苦手な私は困っている。それでも徹夜して、なんとか購入日の15日朝8時頃に、どうしても買っておいたほうがいい作品を確認した。最近は当日にならないと体調がわからずで、予約しても当日いけないということが増えてきたので、あまり前売りは買いたくないけど、売り切れ必至の作品は買っておくしかない。
朝10時の発売分はなかったので、13時からの発売に備えた。チケット発売の15分くらい前には東京国際映画祭サイト内の、一番最初に買う作品のチケット発売にすぐアクセスできるページを開け準備はできた。それは、シルヴィア・チャン&サイモン・ヤムの『消えゆく燈火』。2回上映のうち、28日の21時台の上映に挑戦することにした。
他にもフィルメックスとか中国映画週間のサイトも立ち上げておいて、重なっているものの確認とかに備えて13時開始を待った。13時になって、このサイトのオンラインチケットショップにアクセスしたけど、何度挑戦しても☝マークにならず入っていけない。かれこれ20回くらい試したけど、全然反応せず、私にはそれ以上どうすることもできず、ラインで映画仲間(山形国際ドキュメンタリー映画祭仲間とアンディ・ラウファン仲間)にSOS。そうするとどちらのメンバーからも「アクセスできず」ときたので、入れないのは私だけではないということが分かった。さらに、「チケット発売日であることを忘れていた。私も挑戦してみる」と、以前、分担で映画祭チケットを買っていたTさんからも連絡が来た。30分くらいすぎて、『消えゆく燈火』のチケットとれたと2人の友人からの連絡。一人は平日の15時からの上映なので、そちらのほうは、まだアクセスが集中していなかったのかもしれない。
あまりアクセスができないので、別枠で東京国際映画祭サイトを立ち上げたら、アクセスが集中していてホームページでさえたどりつかなかった。何度も挑戦したけど、20分以上HPにさえたどり着けなかった。
Tさんもなかなか入れないと言っていたけど、1時間くらいたって「オンラインに入っていけて、チケット発売にたどりついた」と言ってきたので、チケット取れたら私の分もよろしくと伝える。私のほうもさらにアクセス続けたけどアクセスできず。結局、Tさんがチケットをとれたので一安心。
さらに、ラウ・チンワン主演の『神探大戦』に挑戦。これは3回上映があり、Tさんとは見たい日程が違ったので、なんとか自分でゲットしたいと思ったけど、やはり、オンラインチケット発売に入っていけない。20分以上挑戦したけど全然だめなので、Tさんの状況を尋ねたら「オンラインに入って行けたけど一緒に買う?」と来たので、11月1日18:50からの回のチケットを一緒に買ってもらうことにした。この日はフィルメックスの14:40〜17:12の『石門』を見る予定だったし、場所も近いのでちょうどいいかもしれないと思った。ここまでで、すでに14時半すぎ。あとの見たい作品はプレス試写日程が出てから考えることにして、当日売りでチケットがまだある作品を買うことにして、ネットでの映画祭チケット購入挑戦を終えた。
それにしても、結局私は、オンラインチケット販売の中に入っていくこともできずだった。とってくれたTさんは日常的にオンラインでチケットを買っているし、他のチケットがとれたメンバーもチケットを買い慣れている。混み合うネット回線の中に入っていくには、何か技があるのかな? と思った。パソコンでチケットを買いながら、グループラインでチャットをしていたら、ほかのラインメンバーにも影響を与えたらしく、買う予定のなかった人も2人チケット買ったと連絡が来たので、少しは観客動員の役にたったかな。
そのあと、すでに10月5日に発売が始まっていた10月18日からの中国映画週間のチケットをまだ買ってなかったので買うことにした。すでに『月ではじまるソロライフ』は売り切れとのことだった。去年も2作品くらい売り切れだったけど、ま、買えるものだけでいいかという感じ。中国映画に詳しい友人たちの話によると、映画祭期間中のチケットはすでに買えるとのことだったけど、なぜだか私のパソコンでは、上映会場のTOHO日本橋のチケット売りの条件と同じで3日前までしか買えず、20日以降には「>」印を押しても先に進めずだった。なんでだろう。いろいろ教えてくれるのに、皆さんのようにはスムーズにいかず状態。
明日以降に、今回の映画祭で見たい作品の予定表を作ってみて、また、追加で買えるチケットを買おうと思う。それにしても各映画祭会場は日本橋、有楽町、銀座周辺になったものの、映画館自体の間が離れすぎていて、なかなか映画の組み合わせがしにくい。私は障害者になってしまっていて、皆さんの歩く速さの倍以上かかるので、よけい余裕を持って組まなくてはならないので、今年もプレスセンターや一般上映の会場には行きにくいかも。
2022年10月09日
日本初の女性報道写真家 笹本恒子さんは107歳まで生きた!(暁)
日本初の女性報道写真家として知られ、100歳を超えても撮影を続けていた写真家の笹本恒子さんが8月15日、老衰のため亡くなりました。107歳でした。2016年には写真界のアカデミー賞と言われるルーシー賞(アメリカ)の長年写真界に貢献した人に贈られる「ライフタイム・アチーブメント部門賞」を受賞。2018年には東京都の名誉都民に選ばれたそうです。
笹本恒子さんは1914年(大正3年)、東京生まれ。高等専門学校家政科に通っていたけど、絵の勉強をしたかったため、父親に内緒で絵の研究所と洋裁学校に通ったそう。それが、その後の人生に影響を与えたようです。画家を志し、東京日日新聞(現在の毎日新聞)の挿絵アルバイトをした後、東京日日新聞・社会部長の小坂新夫(恒子さんが子供のころ、笹本家の離れを借りて住んでいた)にすすめられ、1939年東京日日新聞に仮入社し、1940年(昭和15年)に財団法人・写真協会に入り、女性報道写真家第1号になりました。海外使節団の動向、著名人や文化人の活動などを海外に紹介するなどの国内で起こった出来事を世界に配信する仕事をし、日独伊三国同盟の婦人祝賀会をはじめ、さまざまな国際会議などを撮影し、戦後はフリーの報道写真家として安保闘争や厳しい時代を生きる女性などを撮影していたそう。
約20年の沈黙のあと、1985年に71歳で、日本国内の著名な女性を集めた写真展「昭和史を彩った人たち」で、再び写真家として復帰。
90歳すぎには、その年でもカメラを持ち撮影を続ける姿や、おしゃれ大好きで明るい性格、的を得た発言などが注目され、テレビや雑誌に引っ張りだこに。著作も多数。長寿の秘訣を聞かれると、「年をとっても健康でいられるのは食事。人工甘味料、保存料、化学調味料などの添加物を一切とらず、冷凍でない肉や魚、野菜中心の生活。そして好きなのはお肉とワイン」と答えていたのが忘れられません。70代で写真家に復帰するまで、洋裁の知識を生かして、そういう関係の仕事をしていたとのことでおしゃれなのもうなづけます。100歳を超えても撮影を続けていましたが、101歳の時にはドキュメンタリー映画も撮影されました。
『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』監督・脚本:河邑厚徳(かわむら・あつのり)という作品。日本初の女性報道写真家笹本恒子と伝説のジャーナリストむのたけじ。カメラとペン、ふたりの101歳の生き方をみつめたドキュメンタリーです。この作品は、2016年の東京国際映画祭で上映され、監督と笹本さんも舞台挨拶で登壇。
その後、一般公開されましたが、シネマジャーナルでは河邑厚徳監督にインタビューしています。
シネマジャーナルHP 特別記事 2017年
『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』河邑厚徳監督インタビュー
記事はこちら。
笹本恒子さんは1914年(大正3年)、東京生まれ。高等専門学校家政科に通っていたけど、絵の勉強をしたかったため、父親に内緒で絵の研究所と洋裁学校に通ったそう。それが、その後の人生に影響を与えたようです。画家を志し、東京日日新聞(現在の毎日新聞)の挿絵アルバイトをした後、東京日日新聞・社会部長の小坂新夫(恒子さんが子供のころ、笹本家の離れを借りて住んでいた)にすすめられ、1939年東京日日新聞に仮入社し、1940年(昭和15年)に財団法人・写真協会に入り、女性報道写真家第1号になりました。海外使節団の動向、著名人や文化人の活動などを海外に紹介するなどの国内で起こった出来事を世界に配信する仕事をし、日独伊三国同盟の婦人祝賀会をはじめ、さまざまな国際会議などを撮影し、戦後はフリーの報道写真家として安保闘争や厳しい時代を生きる女性などを撮影していたそう。
約20年の沈黙のあと、1985年に71歳で、日本国内の著名な女性を集めた写真展「昭和史を彩った人たち」で、再び写真家として復帰。
90歳すぎには、その年でもカメラを持ち撮影を続ける姿や、おしゃれ大好きで明るい性格、的を得た発言などが注目され、テレビや雑誌に引っ張りだこに。著作も多数。長寿の秘訣を聞かれると、「年をとっても健康でいられるのは食事。人工甘味料、保存料、化学調味料などの添加物を一切とらず、冷凍でない肉や魚、野菜中心の生活。そして好きなのはお肉とワイン」と答えていたのが忘れられません。70代で写真家に復帰するまで、洋裁の知識を生かして、そういう関係の仕事をしていたとのことでおしゃれなのもうなづけます。100歳を超えても撮影を続けていましたが、101歳の時にはドキュメンタリー映画も撮影されました。
『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』監督・脚本:河邑厚徳(かわむら・あつのり)という作品。日本初の女性報道写真家笹本恒子と伝説のジャーナリストむのたけじ。カメラとペン、ふたりの101歳の生き方をみつめたドキュメンタリーです。この作品は、2016年の東京国際映画祭で上映され、監督と笹本さんも舞台挨拶で登壇。
その後、一般公開されましたが、シネマジャーナルでは河邑厚徳監督にインタビューしています。
シネマジャーナルHP 特別記事 2017年
『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』河邑厚徳監督インタビュー
記事はこちら。