2023年09月24日
彼岸花(白)
いつまでも続くと思われた残暑もようやく終わりそうです。ほんとに暑い夏でした。それでも彼岸花が暦通りに咲いていて、もうお彼岸と気づきました。
NHKの朝ドラですっかり全国的に浸透した感のある、植物学者の牧野富太郎氏。エピソードは山ほどある人なのに、ドラマは今週までなので名残惜しいです。
先週大泉にある牧野記念庭園に行ってきました。ドラマでも関東大震災後、奥様が「標本と牧野氏を守るために手に入れた」と語っていた場所です。現在は練馬区が管理していて、住宅地の中の小さな植物園といった趣です。ちょうど赤と白の彼岸花が咲いていました。資料室には、晩年まで過ごした書斎が再現されていました(1957年94歳没)。びっしりの本棚も床にも積まれた本に圧倒されます。雑然としているように見えますが、どこに何があるか全て把握されていたそうです。なんという記憶力!
こちらは牧野氏が長い間奉職されていた小石川植物園。施設の老朽化で標本の品質低下が危ぶまれていると朝日新聞記事を読みました。(白)
後援会会員募集中 https://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/common/koenkai/
ご寄付はこちら https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt08
2023年09月10日
札幌行き(白)
コロナ禍で3年お休みしていた高校の同期会がありました。一堂に会して食事をした後、2次会は各クラスに分かれます。
いまだに続いてるの?と驚かれますが、歳をとって仕事をリタイアすると長ーくなってしまった過ぎて来た道を振り返り、「あのときあんなことがあった、こんなことがあった」と懐かしく思い出します。さっき置いた眼鏡の場所は忘れるのに(笑)。
みんな共通の思いなのか出席者は意外に多くて、かくいう私も東京からクラスメートと飛んでいきました。幹事は回り持ちで、今年はまとまりの良いクラスが当番。出席率も一番です。話に花が咲いて、円卓にたくさん並んだ料理はずいぶんと残してしまいました。美味しい物を少しだけの年齢です。
印刷した名簿に出席証書(笑)、懐かしの担任の声や校歌が聞けるQRコードのカード(これは卒業時にもらったソノシートが音源だとか)。ソノシートをどこかから掘り出しても、プレイヤーがないので聞けません。今は亡き担任の先生の若い声にほろりとしました。グッジョブ!幹事さん。
上の画像は昔からの繁華街「狸小路」に7月20日にオープンした「AOAO SAPPORO」という水族館。大小の魚が回遊する大水槽などでなく、小さめの水槽で地味目なお魚にスポットをあてています。脇役が主役。並んでいる関連書籍はあちこちにある椅子に座り、ゆっくり読むこともできます。軽食がとれるコーナーもあり、静かで大人向けかな。
子どもの頃から夏休みの定番「おたる水族館」にも行きました。本館は高台で、海へ降りていくとトドやセイウチ、アザラシなど海獣のゾーンがあります。幼稚園の団体が入っていて賑やかでした。帰りに寄った小樽運河沿いの商店街は、しばらく来ないうちにすっかり街並みが整備されて、川越のようでした。新しい店も古い建築に倣って渋い作りです。こちらは高校生の団体でいっぱい・・・。
お悔やみもありましたが、高齢の母・姉妹・弟は元気です。先がだんだん短くなるので、また来年愛を運ばなくてはと帰京しました。相変わらずポカをやりましたが、ここに書かず一人反省。
暑い熱い夏でした。まだ残暑厳しい日々、皆様お元気で。
2023年09月03日
退院して、少しづつ活動始めています(暁)
5月に入院し心臓弁膜症の手術をし、リハビリを続けてきましたが、8月14日に退院しました。ほんとは7月末までに退院したかったのですがなかなか退院できず、8月になってしまいました。
退院してすぐ17日には手術をした病院の診察があり、18日には『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』の河邑厚徳監督と長倉洋海さんへのインタビューを咲さんがするというので参加させてもらいました。
実はこれがあったので、なんとか8月14日には退院したかったのです。河邑監督には、『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』(2017)の時にインタビューしていますし、前作『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図全14部』(2022)の時は、入院中でインタビューには参加できず残念だったので、こちらの作品ではぜひインタビューしたいと思ったのです。
*参照 シネマジャーナルHP 特別記事
『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』河邑厚徳監督インタビュー
(2017/7/7)
『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図全14部』河邑厚徳監督インタビュー
2023年07月12日
東京都写真美術館ホール2023年09月12日(火)〜09月24日(日)上映
長倉洋海さんに関しては、写真展には何度も行っていたので、このインタビューにはぜひ参加したかったのです。
報道写真を目指したきっかけ、あゆみ、そして故郷釧路で暮らしている現在まで、長倉さんが40年余りに渡って写真を撮ってきた思いについて語ったドキュメンタリーです。
アフガニスタンでのマスードとの出会い、アフリカ南部のローデシア(ジンバエブ)、南アフリカ、ソマリア、レバノン、ソ連軍侵攻下のアフガニスタン、ラオス難民キャンプ、カンボジア、フィリピンなどの取材のこと。
マスード亡きあと彼の意志を引き継ぎ、NGO「山の学校支援の会」を設立し支援。毎年のようにパンシール渓谷の学校を訪問、子供たちの成長を撮り続けている姿を追う。
試写は、8月21日に『マルセル・マルソー 沈黙のアート』に最初に行き、そのあと次の日以降『ヒッチコックの映画術』『ジャン・リュック・ゴダール 反逆の映画作家』『国葬の日』などの作品が続き、退院して31日までに8本の試写を観ることができた。9月1日にはベトナム映画祭に行きベトナム版『パパと娘の7日間』を観て、さらに試写を観ることができなかった『卒業 〜Tell the World I Love You〜』を観た。
土日はシネジャHPの原稿まとめと思っていたら、「GOOD LIFEフェア2023」が開催されている東京ビッグサイトで『カムイのうた』のイベントがあり、主人公を演じている吉田美月喜のアイヌ民族の楽器・ムックリの生演奏! 主人公を演じた島田歌穂がユーカラを生披露!という情報が入り、それは行かねばと思い、出かけた。
全てのものに神が宿ると信じ、北海道の厳しくも豊かな自然と共存してきたアイヌ民族。その生活や文化は和人が入って来て奪われてしまった。生活の糧であった狩猟・サケ漁が禁止され、住んでいた土地も奪われ、アイヌ語が禁止された差別と迫害の歴史。
1903年生まれの知里幸恵さんは差別の中で生きた少女。成績優秀にもかかわらず、アイヌという理由で希望する学校への進学が許されなかった。幼い時からユーカラ(詩物語)を聞いて育ち、アイヌ語学者の金田一京助教授から勧められ、文字を持たないアイヌ文化を初めて日本語に訳したそうです。それは失いつつあったアイヌ文化の文字での継承であり、アイヌ民族に自信と誇りを与えるものでした。そんな知里幸恵さんのことを画いた作品。
幸恵さんは19歳で亡くなってしまったそうですが、その幸恵さんを演じたのは、撮影時同じく19歳の吉田美月喜さん。東京出身ながら、一生懸命アイヌのことを勉強し、ムックリも練習して鳴らせるようになりました。島田歌穂さんはユーカラを奏でる、幸恵の伯母の役だそうです。
お二人の演奏と歌、素晴らしかったです。菅原浩志監督も登壇し、映画の話の後、3人でもユーカラの歌と演奏をしました。
また、知里幸恵の記念館館長の木原仁美さんも登場し、幸恵さんの話の後、ムックリの演奏がありましたが素晴らしかったです。やはり長年修行した人の、音の厚み、響きは全然違いました。
この作品の公開は、11月に北海道で先行公開。他の地方は来年以降の公開のようです。
菅原浩志監督は北海道東川町で毎年開催される写真甲子園を題材に『写真甲子園 0.5秒の夏』(2017)を製作。
この『カムイのうた』は東川町が企画協力し製作している。
『カムイのうた』公式HP
このイベントのあと、いくつかのブースをまわってみましたが、興味深いブースがたくさんありました。
8月14日まで3か月近く入院していたものとしては、今後は宅配便が必要になるかもと思い、パルとか東都生協の宅配システムが気になり、資料をいただきました。また、病気の影響で足がむくんでいるのですが、紅花のコーナーで売っていた紅花グッズを3種類買ってみました。オイルとバームは血流をよくする働きがあるとのこと。また石鹸は肌をすべすべにすると言っていました。高いのでお試し程度のものしか買えませんでしたが、もし効き目があるようなら、来月山形国際ドキュメンタリー映画祭で山形に行くので、また探してみようと思います。
ここにいた方は紅花を栽培して、みずからそれらの製品を作っている方でしたが、『紅花の守人』という映画の話で盛り上がりました。紅花というのは「紅」の色の材料というイメージでしたが、それ以外にも効能が結構あるようです。
以上、有意義なイベントを見せていただきとても参考になりました。
特別記事『カムイのうた』劇場公開前のトークイベント! 記事はこちら