2024年09月15日
北海道の旅A レスリーを聴きながら最北の町、稚内を満喫♪ (咲)
北海道の旅、東川町の次なる目的地は、日本最北端の稚内。学生時代に訪れて以来、50年ぶりの稚内でした。
まずは、50年ぶりに訪れることになった経緯を!
稚内にお住まいのシネマジャーナルの読者である佐藤延枝さんから、「コロナ禍を経て、3年ぶりに第8回となるわっかない白夜映画祭を開きます」とのお便りをいただいたのは、2022年の5月のことでした。夏至の日、日本で一番夜が短い稚内でオールナイト上映を楽しむ映画祭。
一度、白夜映画祭に行ってみたい! と思いつつ、今年の6月も実現できず、それでも稚内は気になる・・・と、東川とセットでの旅を決行した次第です。
延枝さんが、レスリー・チャンの2008年からの後追いファンと伺っていたのも、一度お会いしたいと思ったきっかけでした。
9月2日(月)旭川9時発の特急宗谷で向かいますとご連絡したところ、手前の豊富で降りて、豊富温泉で一緒に泊まりましょうとのご提案。
車で3日間、フルアテンドしてくださるプランを立ててくださいました。
事前に稚内や豊富のサロベツ湿原の資料をたくさん送ってくださって、準備万端。とはいえ、旅程はすべて延枝さんにおまかせ♪
9月2日(月) 豊富駅に12時到着。
「目印にシネジャを手にしてお待ちしてます」とのことだったのですが、降りたのは私一人!
延枝さんのほか、幌延の法昌寺のご住職の奥様、豊富で町営住宅を借りて湯治中のEさん(なんと、我が家から近い立川のご出身)が一緒に出迎えてくださいました。
豊富温泉は、アトピーに効くので有名と、後から薬剤師の友人から聞きました。
最初に、サロベツ湿原センターへ。
木道を歩くのに、長靴を用意してくださいました。虫よけも兼ねての長靴!
まずは、ここの名物の「いももち」と「あげいも」をいただき、木道へ。
花の季節は終わっていましたが、ところどころに小さな花が。
見渡す限りの湿原!
曇天でしたが、うっすら利尻富士が見えました。
パンケ沼と長沼にもご案内いただき、広大なサロベツ湿原を実感しました。
無人駅の「下沼駅」に立ち寄ってから、幌延の法昌寺でおしゃべりのひと時。 ご住職が最近モンゴルに行かれ、どこまで行っても平原・・・ とのお話も。(どこまでも湿原のそばに暮らしていらしても、その感覚!)
今宵の宿、溫泉閣ホテルへ。
エゾ鹿のローストや、タコしゃぶ、帆立など、この地らしい夕食をいただきながら、おしゃべり。話足りなくて、部屋で11時過ぎまで! レスリーの話や、好きな映画の話等々、とにかく話は尽きません。
どこで明らかになったのか忘れましたが、延枝さんがレスリーにたどり着いたのは、実は、チョン・ウソンにハマったのがきっかけだったのです。(私のウソンさま♪)
それまで欧米系の映画を好んで観ていた延枝さん。韓流ブームの時に友人がたくさん送ってくれたドラマや映画の中から選んで観た『MUSA 武士』で、チョン・ウソンに目が留まり、当時の掲示板のオフ会にも出かけたそうです。
いかにアジア系の映画を観てなかったかに気付いて、2か月、毎日1作、アジア系の映画を観た中で、レスリーに惚れたという次第。
9月3日(火)
昨日、湿原でご一緒したEさんと、やはり湯治にきて豊富が気に入って、この地でヨガのトレーナーをしている、まなみんさんと一緒に朝食。
台風の影響も遠のいて、晴天。
海岸線を利尻富士を眺めながら稚内に向けてドライブ。
稚内に着いて、わっかない白夜映画祭の会場である稚内駅複合商業施設「キタカラ」2階のT・ジョイ稚内へ。 ここで白夜映画祭の実行委員をしている佐々木美穂さんと合流。 白夜映画祭は、T・ジョイ稚内の3つあるスクリーンの内、2つを使って開催するとのこと。
日本最北端の線路。正面は稚内駅や映画館の入った「キタカラ」
ランチは、海鮮市場うろこ市にある「うろこ亭」で。
苦手なイクラを帆立に替えていただいて!
丘の上にある開基百年記念塔へ。 稚内の町や利尻・礼文など360度見晴らせました。
1〜2階にある稚内市北方記念館には、稚内市や樺太などの郷土資料や、間宮林蔵の足跡をたどる展示、アイヌ民族に関する資料など盛りだくさん。
映画『樺太1945年夏 氷雪の門』の紹介コーナーもありました。主演二木てるみさんにインタビューしたことを懐かしく思い出しました。
http://www.cinemajournal.net/special/2010/karahuto/index.html
樺太島民慰霊碑 氷雪の門
ここには、50年前、礼文島から稚内に戻った時に訪れました。
思えば、50年前に稚内で行ったのは、ここだけでした。
次に、稚内副港市場2階の稚内市樺太記念館へ。
樺太の歩みと稚内の繋がりを知ることのできる資料がたくさん。
その中で、特に目に留まったのが、昭和の大横綱「大鵬関」のことでした。5歳の時、旧樺太から引き揚げてきた際、小樽を目指していたのですが、お母様がひどい船酔いになり、稚内で下船されたのです。乗船していた小笠原丸は、ソ連の潜水艇の魚雷を受け、沈没。お母様の船酔いが幸いした次第。
船酔いといえば、この稚内での心苦しい思い出があります。
礼文島で船に乗って、船底に行ったとたん船酔いに襲われ、甲板にあがりました。介抱してくれた見ず知らずの男子学生の胸ポケットに入れていた周遊券が風で海に・・・ 私のせいのようで申し訳ないけど、風のせい・・と、何のお詫びもせず、お別れしてしまいました。あの後、もうまっすぐ帰ると言っていたのが忘れられません。
船酔いは、ほんとにひどくて、もう海に飛び込みたいとまで思ったものです。
稚内副港市場1階には、かつてあった映画館「稚内劇場」を再現したコーナーも。
旧瀬戸邸へ。
稚内が底曳漁業の前線基地として活気に満ち溢れていた昭和27年に建てられた底曳船の親方「瀬戸常蔵氏」の邸宅。
1964(昭和39)年8月、大相撲巡業の折に大鵬も瀬戸邸を訪れています。
北門神社
子を抱いた狛犬
北防波堤ドーム。山の上に開基百年記念塔が見えてます。
樺太航路の発着場として使われていたとき、道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で作られたもの。樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボル。
野寒布(ノシャップ)灯台のそばで、海に落ちる夕日を眺めました。
白夜映画祭の実行委員会の皆さまにご馳走になりました。
藤田会長、横田実行委員長、田端さん、佐々木さんに延枝さん。
そうそうたる方々にお目にかかれたのに、写真を撮るのを忘れました!
9月4日(水)
いよいよ最終日。
ホテル奥田屋で美味しい朝食をいただいたあと、程近い南稚内駅まで散歩。
9時前に延枝さんが迎えにいらしてくださって、まずは地元のスーパーマーケットへ。
稚内駅のすぐそばにある「食品館あいざわ」。
さすがに海鮮コーナーが充実しています。
稚内市立図書館
ここに延枝さんが朗読した図書のコーナーがあります。素敵な活動♪
一路、宗谷岬へ。
途中で道に大きなタコが・・・
宗谷公園
宗谷厳島神社
神社の隣には、ロシアの脅威に対抗するために北方警備のために動員された東北地方四藩の藩士達の墓があります。
津軽藩士に配給された、浮腫病の薬用としての和蘭コーヒーの記念碑
宗谷丘陵 周氷河地形というそうです。雄大な景色でした。薄っすらと樺太が見えました。
放牧された牛が、谷を越えて道路際まであがってくることもあるそうです。
道に出ないよう、電線が張られています。牛さん、気をつけて〜
宗谷岬を見晴らす「ホタ亭」で帆立ラーメン。
大岬旧海軍望楼
1902年(明治35年)、ロシアを警戒して、宗谷海峡を見張るために建設されたもの。 寒い中、ここで見張りにあたった兵士のことを思い、涙・・・
赤と白の灯台は、現役のフレネルレンズが回る宗谷岬灯台。
毎年海の日に公開されるそうです。一度、観てみたい!
日本最北端の地の碑
ここはさすがに観光客が記念写真の順番待ち
「間宮林蔵渡樺出港の地」から、最北端の地の碑のそばに移設された間宮林蔵さん
北の桜守パーク
2017年に稚内市でロケが行われ、2018年3月10日より全国公開された吉永小百合さん主演の映画「北の桜守」のオープンセットが資料展示施設となっています。
稚内空港のすぐそばにあって、15:10発のフライトに間に合うよう、大急ぎで見学。
延枝さんが、ずっとレスリーの曲をかけてくださって、レスリーとともに稚内を満喫した旅となりました。
忘れられない3日間♪
延枝さん、ありがとうございました!
2024年09月08日
北海道の旅@ 「写真の町」東川町で映画『アアルト』上映会 (咲)
8月30日(金)〜9月4日(水)、ほぼ40年ぶりに北海道を旅してきました。
東川町に移住して6年目になる友人と、稚内のシネジャ読者の方を訪ねての、おんぶに抱っこの旅でした。
まずは、「写真の町」東川町編。
秋田・角館近くのまつばユースホステルの常連仲間Oさんから、定年後、北海道の東川町に移住すると聞いたのは、映画『写真甲子園 0.5秒の夏』(2017年11月公開)を観て、程ない頃でした。 「あ、写真の町?」と言えたのは、そのお陰でした。
毎朝、OさんがFacebookにあげる写真で、すっかりお馴染みになった東川。上京したOさんを囲んでの会で、「いつ来てくれるの?」と言われたのは2月末のことでした。それを真に受け、押しかけることにした次第。
8月30日(金)
東川町のOさんのご自宅は、旭川空港から車で10分! それをいいことに、運賃のお安い羽田17:15発のフライトで-旭川 18:50着。19時半にはご自宅に着きました。日の暮れるのが東京より早くて、もう真っ暗でした。
奥さまの美味しい手料理をいただきながら、東川ライフのあれこれを伺いました。
翌日の午前はちょっと小雨模様でしたが、町を案内してもらいました。
1985年に「写真の町」宣言をした東川町。でも、それだけでない、様々な取り組みをしていることを実感しました。
まずは、教室に壁のない小学校へ。解放感溢れる学びの場。ピアノが置かれた広いスペースは一般に開放されています。
次に、町を見晴らせる「キトウシの森 きとろん」へ。隈研吾氏設計による保養施設。お風呂やレストランが、とてもお洒落。
お昼は、移住してきた方が営むお惣菜とパンのお店「SONOまんま」のバゲットサンド。
午後は、車で15分程の美瑛へ。
セブンスターの木
ケンとメリーの木
クリスマスツリーの木
四季彩の丘
いつもなら、観光客が大勢いるらしいのですが、かろうじて、観光バス2台とすれ違っただけ。
平地の広がる東川と違って、美瑛は起伏のある丘が連なる町。
森の中のパン屋さんでお茶。 パンは売り切れの看板。
夜は、首都圏から東川にUターンした若い店主の営むお洒落なお店「オン・ザ・テーブル」で。
素材にこだわる美味しいお料理♪
9月1日(日)
大雪旭岳源水へ。車で10分ほど。これが上水道のない東川の人たちの水源。水は無料ですが、家を建てる時に井戸を掘ってポンプを設置する初期費用がかかるそう。(どこを掘っても水が出る!)
町に戻って、町民の健康をサポートする「そらいろ」へ。こちらも隈研吾氏が建築に関わった建物。トレーニングルームは町民の使用料一日200円。65歳以上は無料。トレーニングメニューのアドバイスもしてくれるそう。広々としたキッズコーナーも。
次に、複合施設「せんとぴゅあ」へ。元小学校を利用したギャラリーや「東川公立日本語学校」、新設の建物は図書館と「写真文化」「家具デザイン文化」「大雪山文化」の展示スペース。
生まれた赤ちゃんに贈られる「君の椅子」。年度によってデザインが変わります。
そこで、【第94回デザインスクール映画「アアルト」上映&トーク】のポスターに目が留まりました。なんと、この日の3時から。晴れててもったいないと思いつつ、QRコードから申し込み。
午後ゆっくり行くつもりだった東川町文化ギャラリーへ。
第40回写真の町東川賞受賞作家作品展を、ちょうど9月2日まで開催中。
国内作家賞は、ちょうど映画『オキナワより愛を込めて』が公開中の石川真生さん。
お隣の郷土資料館も壁いっぱい写真が飾ってあります。これは写真月間が終わるとはずされるのだそう。
ランチは、ジャム屋さんがやってるカフェTam Jamさんで。
白樺にこだわった建物で、窓からは黄色い稲穂の向こうに大雪山から十勝岳連邦まで一望出来る素晴らしさ。
ランチを食べ終わったら、もう2時半過ぎ。『アアルト』上映&トークの会場、せんとぴゅあTに送っていただきました。
フィンランドを代表する、建築家でデザイナーのアルヴァ・アアルト。彼のドキュメンタリー『アアルト』上映前に、アルテック日本支社を立ち上げた林アンニさんのお話と、東川で白樺プロジェクトに取り組む鳥羽山聡さんのお話。鳥羽山さんから真っ先に名前のあがったのが先ほどランチをいただいたTamJjamさんでした。
上映会&トークに参加して、ちょっと町民になった気分。
歩いて、5分程でOさん宅に到着。徒歩圏内に、人生を豊かにする施設がたくさんあって、確かに移住したくなる町です。
大自然に、美味しいパン屋さんや、おしゃれなお店・・・ 図書館やスポーツジムなども充実した東川ライフを垣間見て、羨ましく思いました。
翌朝は、少し早起きして、旭川9時発の特急宗谷に間に合うよう送っていただきました。
記憶の中の旭川駅とはまったく違う、立派な旭川の駅舎にびっくりでした。
さて、いざ、50年ぶりの稚内へ。
続きはまた!
第29回「あいち国際女性映画祭2024」に来ています(暁)
2024年9月5日(木)〜8日(日)にウイルあいちで開催されている「あいち国際女性映画祭2024」に来ています。1996年から始まったこの映画祭ですが、1回目から参加しています。途中、コロナ禍などもあり、6回くらい参加していませんが、あとは毎年、東京から通っています。会社勤めの頃は土日しか行くことができませんでしたがリタイアし、この10数年は全日滞在しています。
このあいち国際女性映画祭開始2年前の1994年に名古屋で行われた「アジア文化交流祭」に張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督(『青春祭』『おはよう北京』『雲南物語』)が来るというので、初めて名古屋遠征をしたのですが、ここで高野史枝さん(映画ライター)や木全純治さん(元シネマスコーレ支配人)と知り合ったことがきっかけで、名古屋の映画関係の人たちと繋がりができ、1996年に「あいち国際女性映画祭が始まるからぜひ来て」と言われ参加したのがきっかけでした。高野さんは1回目から15回目くらいまでこの映画祭の司会をしていましたし、知り合ったあと、シネマジャーナル本誌に記事を書いてくれるようになりました。あいち国際女性映画祭のレポートも、つい最近まで書いてくれました。木全さんは、第1回目からこの映画祭のディレクターで、出会った頃からシネマスコーレでシネマジャーナル本誌を置いてくれています。そのへんのいきさつは下記記事を参照ください。また、本誌37号に掲載された「第一回あいち国際女性映画祭レポート」がネッにアップされています!
*参照記事 シネマジャーナルHP
(本誌在庫のない号の記事をHPで紹介しています)
・本誌 No.30 1994 September P64 -- 65より
「張暖忻監督に会いに名古屋のアジア文化交流祭に行く」はこちら
・本誌 No.31 1994 December pp. 40 -- 42より
「第三回NAGOYAアジア文化交流祭報告」はこちら
・本誌 No.33 1995 June pp. 48 -- 49より
雲南物語 張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督作品はこちら
・本誌 No.37 1996 June p.34--39
「あいち国際女性映画祭96」記事はこちら
・No.37 目次
それから29年もたちました。時間のたつのは早いです。4日に記者会見があるので、4日から名古屋入りしました。会場のウイルあいちは宿泊施設があるのですが、3日間までしか宿泊できず、名古屋駅そばのミッドランドスクエアシネマ2でも映画祭作品の上映があるので、ここ数年は、前半は駅のそばの東横インに宿を取り、後半をウイルあいちでの宿泊に切り替えています。ウイルあいちは名古屋駅からバスで15分くらいの所にあり、元気な時はバスで行き来をしていましたが、心臓手術をしてからは、歩く速さが人の3倍くらいかかるので、ホテルから名古屋駅のバス停まで10分くらいかかり、ウイルあいちそばのバス停で降りてからウイルあいちまで10分くらい歩くようになってしまったので、駅前のホテルとウイルあいちの移動はタクシー利用が増えました。暑いのもあります。今年も残暑が厳しいです。
4日の記者会見には『ジンセン・ボーイ』のチョ・ハンビョル監督、出演のカン・ジヨン(知英)さん、イ・ジュウォンさん、『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督、『アディクトを待ちながら』のナカムラサヤカ監督、青木さやかさん、『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』の阿部櫻子監督が参加されました。レポートは映画祭報告コーナーに掲載予定です。
*『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督にはインタビューしています。記事はこちら
「寅に翼」のロケ地名古屋市市政資料館
ウイルあいちの道路を挟んだ向いには「名古屋市市政資料館」(「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」として1922(大正11)年に建設された建物)があるのですが、なんとここは、今、NHKで放映されている朝ドラ「寅に翼」のロケ地になっていたのでした。この朝ドラを見ていますが、ロケ地になっていたことは映画祭に行く前日、高野さんに知らされるまで知りませんでした。ここは映画祭の1回目の時に見学に行った記憶はありますが、詳しい造りまでは覚えていなかったので、朝ドラの中で「東京地方裁判所」として出てきたのに気がつきませんでした。記者会見のあと、さっそく29年ぶりに見学に行きました。
ドラマの中では、裁判所の階段のシーンが印象に残っていますが、そこがこの「名古屋市市政資料館」の入ってすぐのところにある中央階段でした。他にも出てきていたのでしょうが、今となってはどの部分だったかはわからずです。
このドラマのモデルになっている三淵嘉子さんは、女性で初めて判事に昇進した人ですが、その時、名古屋地裁へ赴任。実際にこの場所で働いていたそうです。ウイルあいちに来た時、いつもこの建物を見ていたのですが、そこが朝ドラのロケ地になっていたとはびっくりでした。
戦後、新憲法ができ、憲法24条に婚姻の自由や、個人の尊厳、両性の平等が織り込まれ、そのことがこのドラマでも何度も出てきましたが、新憲法ができた最初の話題の中で、主人公寅の友人よねが「ほんとうは日本人で作りたかった」と言うシーンがありました。その言葉だけだったのですが、私はこれにはちょっと補足がほしいと思いました。私もそうは思いますが、あの当時、日本人だけで作ったら、男女平等の考え方が織り込まれた憲法ができていたでしょうか。だから「だけど、日本人だけで作ったら男女平等が織り込まれたものができただろうか」みたいな言葉を補足してほしかったなと思いました。その後の話の中で、旧態然たる家父長制をよしとする法曹界のドンが出てきて、当時の上に立つ人たちの考え方を示し、これじゃだめだとドラマを見ている人にアピールしていたと思うけど、やはり補足はほしかった。
憲法草案にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんのことが『ベアテの贈りもの』(2004)という映画の中で描かれています。ベアテさんは子供の頃を日本で過ごし、戦前の日本女性の地位というのを見て育ちました。戦後、進駐軍の通訳として日本に赴任し、この憲法草案に関わり24条の元を作った方です。シネマジャーナルでは、2004年にこの作品が東京国際女性映画祭で上映された時にベアテ・シロタ・ゴードンさん、公開時に藤原智子監督にインタビューしています。またベアテさんの24条草案にも触れています。よかったら読んでみてください。24条が出来上がった背景がわかると思います。
『ベアテの贈りもの』インタビュー
1. ベアテ・シロタ・ゴードンさんインタビュー
2. 藤原智子監督インタビュー
3. 憲法24条の解説
http://www.cinemajournal.net/special/2005/beate/index.html
【名古屋市市政資料館】資料
〒461-0011名古屋市東区白壁一丁目3番地
開館時間:9:00〜17:00
入館料 :無料
休館日:月曜日(休日の場合は直後の平日)第3木曜日(休日の場合は第4木曜日) 12月29日から1月3日
http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/52-7-4-0-0-0-0-0-0-0.html
長々と「虎に翼」に関連して、憲法にまつわる話を書いてしまいましたが、あいち国際女性映画祭に戻します。
9月4日(水)名古屋市市政資料館を出たあと、このあいち国際女性映画祭が始まった時、来るよう誘ってくれた高野史枝さんの新宅へ。彼女は2年程前、実母の介護の途中で、自身が脳梗塞になり、その後、大腿部骨折もしてしまい、すっかり身体の自由が利かなくなってしまったけど、一生懸命リハビリをして、今では一人で歩けるようにはなったそう。だけど、やはり一人で出かけるのは今は無理とのことで映画祭には参加できないようでした。前の家は名古屋から1時間くらいかかる場所に住んでいましたが、名古屋中心部に近いところに住む友人のマンションに空ができ、1年かかって前の家を片付けたり、売ったりして、今年1月、新しい場所へ引っ越しすることができたそうです。彼女が引越ししたマンションは、名古屋市内になり、友人が訪ねてきてくれたり、マンション内で趣味のグループの集いなどもあり、新生活を楽しんでいました。そして、魚のおいしい店に連れて行ってくれました。おいしいアジフライと新秋刀魚の塩焼きをいただきました。そして、1年ぶりのおしゃべりも。
この高野さん宅訪問は、2018年のあいち国際女性映画祭の時、ウイルあいち宿泊者同士で知り合った上越市で自主上映活動をしている小出優子さんもご一緒しました。知り合った2018年の11月に『ベアテの贈りもの』を上映予定で、その話で意気投合しました。高野史枝さんを紹介したら、高野さんが監督した『厨房男子』の上越市での上映会を企画してくれました。高野さんの監督2作目『おっさんずルネッサンス』の上映会も開催したそうです。
2020年から2023年はコロナ禍でこの映画祭に来ることができませんでしたが、去年(2023)再会。小出さんも今年のあいち国際女性映画祭に参加したのですが、夕食をご一緒できたのは、この時だけでした。同じ映画を観ているのに会えなかったのです。ひとえに私の行動がのろくなっているせいなのですが、「同じ映画を観ているのに会えないって」と、メールと電話でやりとりしました。後半2日、やっと映画祭会場で会えましたが、食事タイムは折り合わず、最終日にランチしただけでした。
*参照記事
『厨房男子』高野史枝監督インタビューはこちら
『おっさんずルネッサンス』高野史枝監督インタビューはこちら
あいち国際女性映画祭で観た作品
9月5日(木)
1年ぶりにこのホテルに泊まったけど、東横インは朝食がついているのをすっかり忘れ、前日、朝食用のパンをたくさん買ってしまいました。2日分くらい買ってしまって、なんてこったです。朝はそれを食べ、9時すぎにホテルを出てウイルあいちへ。
ウイルあいちで『盛夏の聲』と『ジンセンボーイ』を観たあと、名古屋駅のほうに移動し、ミッドランドスクエア シネマ2『ミルクティーを待ちながら』へ。もうひとりのシネジャスタッフであるSさんとは、この日、まるっきり同じ作品を観る予定だったので、ミッドランドスクエア シネマ2まではタクシーで一緒に移動。映画が始まる前に劇場近くのワインと食事の店に入り、しらうお入りのピザとスペイン風オムレツを食べ、18:30からの映画に臨みました。スタッフ同士とはいえ、名古屋と東京ではなかなか会う機会もなく、1年ぶりの再会でした。映画を観たあと、彼女のことを探したけどわからず、1階のロビーにいた時、彼女から声がかかりびっくり。帽子とマスクで最初は誰だかわからない状態。すごく痩せていました。体調が悪いと言っていたけど、そんなに痩せていたとは。映画も以前は年間600本以上観ていたのに、今は半分くらいと言っていた。
6日(金)
この日も朝10時からウイルあいちで上映される『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』を観るために、朝9時半頃、ホテルの前でタクシーに乗ろうと思ったけど、なかなか捕まらず、ちょっとあせりました。
『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』は、4日の記者会見での阿部櫻子監督の話を聞いて、ぜひ観てみたいと思った作品でした。監督は約30年前インドに留学していた時、この主人公と知り合ったそうですが、吟遊行者「バウル」の道に入ったパルバティを追った作品。
2本目の『真昼の女』は、1920年代のドイツで、医師を志すユダヤ人女性が主人公。2つの大戦を背景に力強く生き抜いた女性の半生を描く作品でした。
7日(土)
この日は、ホテルからウイルあいちの宿泊室への移動で荷物をたくさん持って、ウイルあいちへ。映画はオーストラリアの作品『3つのコードと真実』。かつて女性版ボブ・ディランと称されたミュージシャンのアンジーは、3度目のがん宣告を受け、経済的に困窮しながらも最期のアルバムを作ろうとしていた。そんな時、父親の元を飛び出し放浪していた少女ルビーと出会い、心さまよう彼女に曲作りを教える。自身もがん闘病中のジャッキー・マーシャルがアンジーを熱演。
このあと恩田千佐子アナウンサー講演会「すべてが生きる糧」に出席する予定だったけど、映画祭が始まってからのまとめが全然できていなかったので、宿泊室に入れるまで、控室で記者会見で撮った写真の整理。
15時にウイルあいち宿泊室に入れたので、大荷物を開け、必要なものだけにして、また写真整理。17時すぎに授賞式の写真を撮るため、3階の会議室へ行ったけどまだ短編集は終わっていなかった。結局18時頃授賞式が始まったけど、私は勘違いしていて、授賞式のあと『ベイルートの失われた心と夢』を観たいと思っていたけど、これは授賞式の前に上映されてしまっていた。確認すればよかった。
詳細はこちら
このあいち国際女性映画祭開始2年前の1994年に名古屋で行われた「アジア文化交流祭」に張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督(『青春祭』『おはよう北京』『雲南物語』)が来るというので、初めて名古屋遠征をしたのですが、ここで高野史枝さん(映画ライター)や木全純治さん(元シネマスコーレ支配人)と知り合ったことがきっかけで、名古屋の映画関係の人たちと繋がりができ、1996年に「あいち国際女性映画祭が始まるからぜひ来て」と言われ参加したのがきっかけでした。高野さんは1回目から15回目くらいまでこの映画祭の司会をしていましたし、知り合ったあと、シネマジャーナル本誌に記事を書いてくれるようになりました。あいち国際女性映画祭のレポートも、つい最近まで書いてくれました。木全さんは、第1回目からこの映画祭のディレクターで、出会った頃からシネマスコーレでシネマジャーナル本誌を置いてくれています。そのへんのいきさつは下記記事を参照ください。また、本誌37号に掲載された「第一回あいち国際女性映画祭レポート」がネッにアップされています!
*参照記事 シネマジャーナルHP
(本誌在庫のない号の記事をHPで紹介しています)
・本誌 No.30 1994 September P64 -- 65より
「張暖忻監督に会いに名古屋のアジア文化交流祭に行く」はこちら
・本誌 No.31 1994 December pp. 40 -- 42より
「第三回NAGOYAアジア文化交流祭報告」はこちら
・本誌 No.33 1995 June pp. 48 -- 49より
雲南物語 張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督作品はこちら
・本誌 No.37 1996 June p.34--39
「あいち国際女性映画祭96」記事はこちら
・No.37 目次
それから29年もたちました。時間のたつのは早いです。4日に記者会見があるので、4日から名古屋入りしました。会場のウイルあいちは宿泊施設があるのですが、3日間までしか宿泊できず、名古屋駅そばのミッドランドスクエアシネマ2でも映画祭作品の上映があるので、ここ数年は、前半は駅のそばの東横インに宿を取り、後半をウイルあいちでの宿泊に切り替えています。ウイルあいちは名古屋駅からバスで15分くらいの所にあり、元気な時はバスで行き来をしていましたが、心臓手術をしてからは、歩く速さが人の3倍くらいかかるので、ホテルから名古屋駅のバス停まで10分くらいかかり、ウイルあいちそばのバス停で降りてからウイルあいちまで10分くらい歩くようになってしまったので、駅前のホテルとウイルあいちの移動はタクシー利用が増えました。暑いのもあります。今年も残暑が厳しいです。
4日の記者会見には『ジンセン・ボーイ』のチョ・ハンビョル監督、出演のカン・ジヨン(知英)さん、イ・ジュウォンさん、『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督、『アディクトを待ちながら』のナカムラサヤカ監督、青木さやかさん、『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』の阿部櫻子監督が参加されました。レポートは映画祭報告コーナーに掲載予定です。
*『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督にはインタビューしています。記事はこちら
「寅に翼」のロケ地名古屋市市政資料館
ウイルあいちの道路を挟んだ向いには「名古屋市市政資料館」(「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」として1922(大正11)年に建設された建物)があるのですが、なんとここは、今、NHKで放映されている朝ドラ「寅に翼」のロケ地になっていたのでした。この朝ドラを見ていますが、ロケ地になっていたことは映画祭に行く前日、高野さんに知らされるまで知りませんでした。ここは映画祭の1回目の時に見学に行った記憶はありますが、詳しい造りまでは覚えていなかったので、朝ドラの中で「東京地方裁判所」として出てきたのに気がつきませんでした。記者会見のあと、さっそく29年ぶりに見学に行きました。
ドラマの中では、裁判所の階段のシーンが印象に残っていますが、そこがこの「名古屋市市政資料館」の入ってすぐのところにある中央階段でした。他にも出てきていたのでしょうが、今となってはどの部分だったかはわからずです。
このドラマのモデルになっている三淵嘉子さんは、女性で初めて判事に昇進した人ですが、その時、名古屋地裁へ赴任。実際にこの場所で働いていたそうです。ウイルあいちに来た時、いつもこの建物を見ていたのですが、そこが朝ドラのロケ地になっていたとはびっくりでした。
戦後、新憲法ができ、憲法24条に婚姻の自由や、個人の尊厳、両性の平等が織り込まれ、そのことがこのドラマでも何度も出てきましたが、新憲法ができた最初の話題の中で、主人公寅の友人よねが「ほんとうは日本人で作りたかった」と言うシーンがありました。その言葉だけだったのですが、私はこれにはちょっと補足がほしいと思いました。私もそうは思いますが、あの当時、日本人だけで作ったら、男女平等の考え方が織り込まれた憲法ができていたでしょうか。だから「だけど、日本人だけで作ったら男女平等が織り込まれたものができただろうか」みたいな言葉を補足してほしかったなと思いました。その後の話の中で、旧態然たる家父長制をよしとする法曹界のドンが出てきて、当時の上に立つ人たちの考え方を示し、これじゃだめだとドラマを見ている人にアピールしていたと思うけど、やはり補足はほしかった。
憲法草案にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんのことが『ベアテの贈りもの』(2004)という映画の中で描かれています。ベアテさんは子供の頃を日本で過ごし、戦前の日本女性の地位というのを見て育ちました。戦後、進駐軍の通訳として日本に赴任し、この憲法草案に関わり24条の元を作った方です。シネマジャーナルでは、2004年にこの作品が東京国際女性映画祭で上映された時にベアテ・シロタ・ゴードンさん、公開時に藤原智子監督にインタビューしています。またベアテさんの24条草案にも触れています。よかったら読んでみてください。24条が出来上がった背景がわかると思います。
『ベアテの贈りもの』インタビュー
1. ベアテ・シロタ・ゴードンさんインタビュー
2. 藤原智子監督インタビュー
3. 憲法24条の解説
http://www.cinemajournal.net/special/2005/beate/index.html
【名古屋市市政資料館】資料
〒461-0011名古屋市東区白壁一丁目3番地
開館時間:9:00〜17:00
入館料 :無料
休館日:月曜日(休日の場合は直後の平日)第3木曜日(休日の場合は第4木曜日) 12月29日から1月3日
http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/52-7-4-0-0-0-0-0-0-0.html
長々と「虎に翼」に関連して、憲法にまつわる話を書いてしまいましたが、あいち国際女性映画祭に戻します。
9月4日(水)名古屋市市政資料館を出たあと、このあいち国際女性映画祭が始まった時、来るよう誘ってくれた高野史枝さんの新宅へ。彼女は2年程前、実母の介護の途中で、自身が脳梗塞になり、その後、大腿部骨折もしてしまい、すっかり身体の自由が利かなくなってしまったけど、一生懸命リハビリをして、今では一人で歩けるようにはなったそう。だけど、やはり一人で出かけるのは今は無理とのことで映画祭には参加できないようでした。前の家は名古屋から1時間くらいかかる場所に住んでいましたが、名古屋中心部に近いところに住む友人のマンションに空ができ、1年かかって前の家を片付けたり、売ったりして、今年1月、新しい場所へ引っ越しすることができたそうです。彼女が引越ししたマンションは、名古屋市内になり、友人が訪ねてきてくれたり、マンション内で趣味のグループの集いなどもあり、新生活を楽しんでいました。そして、魚のおいしい店に連れて行ってくれました。おいしいアジフライと新秋刀魚の塩焼きをいただきました。そして、1年ぶりのおしゃべりも。
この高野さん宅訪問は、2018年のあいち国際女性映画祭の時、ウイルあいち宿泊者同士で知り合った上越市で自主上映活動をしている小出優子さんもご一緒しました。知り合った2018年の11月に『ベアテの贈りもの』を上映予定で、その話で意気投合しました。高野史枝さんを紹介したら、高野さんが監督した『厨房男子』の上越市での上映会を企画してくれました。高野さんの監督2作目『おっさんずルネッサンス』の上映会も開催したそうです。
2020年から2023年はコロナ禍でこの映画祭に来ることができませんでしたが、去年(2023)再会。小出さんも今年のあいち国際女性映画祭に参加したのですが、夕食をご一緒できたのは、この時だけでした。同じ映画を観ているのに会えなかったのです。ひとえに私の行動がのろくなっているせいなのですが、「同じ映画を観ているのに会えないって」と、メールと電話でやりとりしました。後半2日、やっと映画祭会場で会えましたが、食事タイムは折り合わず、最終日にランチしただけでした。
*参照記事
『厨房男子』高野史枝監督インタビューはこちら
『おっさんずルネッサンス』高野史枝監督インタビューはこちら
あいち国際女性映画祭で観た作品
9月5日(木)
1年ぶりにこのホテルに泊まったけど、東横インは朝食がついているのをすっかり忘れ、前日、朝食用のパンをたくさん買ってしまいました。2日分くらい買ってしまって、なんてこったです。朝はそれを食べ、9時すぎにホテルを出てウイルあいちへ。
ウイルあいちで『盛夏の聲』と『ジンセンボーイ』を観たあと、名古屋駅のほうに移動し、ミッドランドスクエア シネマ2『ミルクティーを待ちながら』へ。もうひとりのシネジャスタッフであるSさんとは、この日、まるっきり同じ作品を観る予定だったので、ミッドランドスクエア シネマ2まではタクシーで一緒に移動。映画が始まる前に劇場近くのワインと食事の店に入り、しらうお入りのピザとスペイン風オムレツを食べ、18:30からの映画に臨みました。スタッフ同士とはいえ、名古屋と東京ではなかなか会う機会もなく、1年ぶりの再会でした。映画を観たあと、彼女のことを探したけどわからず、1階のロビーにいた時、彼女から声がかかりびっくり。帽子とマスクで最初は誰だかわからない状態。すごく痩せていました。体調が悪いと言っていたけど、そんなに痩せていたとは。映画も以前は年間600本以上観ていたのに、今は半分くらいと言っていた。
6日(金)
この日も朝10時からウイルあいちで上映される『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』を観るために、朝9時半頃、ホテルの前でタクシーに乗ろうと思ったけど、なかなか捕まらず、ちょっとあせりました。
『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』は、4日の記者会見での阿部櫻子監督の話を聞いて、ぜひ観てみたいと思った作品でした。監督は約30年前インドに留学していた時、この主人公と知り合ったそうですが、吟遊行者「バウル」の道に入ったパルバティを追った作品。
2本目の『真昼の女』は、1920年代のドイツで、医師を志すユダヤ人女性が主人公。2つの大戦を背景に力強く生き抜いた女性の半生を描く作品でした。
7日(土)
この日は、ホテルからウイルあいちの宿泊室への移動で荷物をたくさん持って、ウイルあいちへ。映画はオーストラリアの作品『3つのコードと真実』。かつて女性版ボブ・ディランと称されたミュージシャンのアンジーは、3度目のがん宣告を受け、経済的に困窮しながらも最期のアルバムを作ろうとしていた。そんな時、父親の元を飛び出し放浪していた少女ルビーと出会い、心さまよう彼女に曲作りを教える。自身もがん闘病中のジャッキー・マーシャルがアンジーを熱演。
このあと恩田千佐子アナウンサー講演会「すべてが生きる糧」に出席する予定だったけど、映画祭が始まってからのまとめが全然できていなかったので、宿泊室に入れるまで、控室で記者会見で撮った写真の整理。
15時にウイルあいち宿泊室に入れたので、大荷物を開け、必要なものだけにして、また写真整理。17時すぎに授賞式の写真を撮るため、3階の会議室へ行ったけどまだ短編集は終わっていなかった。結局18時頃授賞式が始まったけど、私は勘違いしていて、授賞式のあと『ベイルートの失われた心と夢』を観たいと思っていたけど、これは授賞式の前に上映されてしまっていた。確認すればよかった。
詳細はこちら
2024年09月05日
「御書印帖」始めます(白)
2020年3月に始まった「御書印プロジェクト」。47都道府県、北は北海道利尻島、南は沖縄石垣島までの書店が参加しています。現在は506店が加盟しています。リストはこちら。
お遍路さんや信心深い方がお寺を回って集めるのは「御朱印帖」。私がこれから始めるのは「書」
のほうです。「百聞は一見に如かず」なので画像をご覧ください。スタートする書店で「御書印帖」を入手し、御書印代金300円を支払います。裏うつりしない厚手の紙を綴じていて、50件は大丈夫。まず池袋ジュンク堂のサービスカウンターに行って、こちら押印していただきました。
スタンプのほかにおすすめの本や作家からの一文があります。ジュンク堂さんのは江戸川乱歩の「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」でした。この言葉をよく揮毫されたそうです。
なんでもポチれば手に入るこのごろですが、書店に出向いて棚や平積みの本を眺め、思いがけない本に出会うのは楽しいものです。この「御書印帖」は書店の応援になりますよね。店員さんとことばを交わして店を出たら、なんだか充足感があります。2番目は神保町の内山書店さんにしようかな。誰の言葉が選ばれているのか今から楽しみになっています。
★きっかけは朝日新聞「ひととき」欄の69歳・女性の投書。3年前、亡くなった夫が行きたかった利尻島にツアーで出かけました。書店に立ち寄り店主と話して「御書印帖」を知ったとのこと。久しぶりにヤル気が起きて全国を回り、先日那覇市の書店で50店となったそうです。
私もやってみたくなりました。50店回れるように元気でいなくちゃ。映画館巡りもPokémonも同時にできるー。(白)
お遍路さんや信心深い方がお寺を回って集めるのは「御朱印帖」。私がこれから始めるのは「書」
のほうです。「百聞は一見に如かず」なので画像をご覧ください。スタートする書店で「御書印帖」を入手し、御書印代金300円を支払います。裏うつりしない厚手の紙を綴じていて、50件は大丈夫。まず池袋ジュンク堂のサービスカウンターに行って、こちら押印していただきました。
スタンプのほかにおすすめの本や作家からの一文があります。ジュンク堂さんのは江戸川乱歩の「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」でした。この言葉をよく揮毫されたそうです。
なんでもポチれば手に入るこのごろですが、書店に出向いて棚や平積みの本を眺め、思いがけない本に出会うのは楽しいものです。この「御書印帖」は書店の応援になりますよね。店員さんとことばを交わして店を出たら、なんだか充足感があります。2番目は神保町の内山書店さんにしようかな。誰の言葉が選ばれているのか今から楽しみになっています。
★きっかけは朝日新聞「ひととき」欄の69歳・女性の投書。3年前、亡くなった夫が行きたかった利尻島にツアーで出かけました。書店に立ち寄り店主と話して「御書印帖」を知ったとのこと。久しぶりにヤル気が起きて全国を回り、先日那覇市の書店で50店となったそうです。
私もやってみたくなりました。50店回れるように元気でいなくちゃ。映画館巡りもPokémonも同時にできるー。(白)