2024年09月08日
北海道の旅@ 「写真の町」東川町で映画『アアルト』上映会 (咲)
8月30日(金)〜9月4日(水)、ほぼ40年ぶりに北海道を旅してきました。
東川町に移住して6年目になる友人と、稚内のシネジャ読者の方を訪ねての、おんぶに抱っこの旅でした。
まずは、「写真の町」東川町編。
秋田・角館近くのまつばユースホステルの常連仲間Oさんから、定年後、北海道の東川町に移住すると聞いたのは、映画『写真甲子園 0.5秒の夏』(2017年11月公開)を観て、程ない頃でした。 「あ、写真の町?」と言えたのは、そのお陰でした。
毎朝、OさんがFacebookにあげる写真で、すっかりお馴染みになった東川。上京したOさんを囲んでの会で、「いつ来てくれるの?」と言われたのは2月末のことでした。それを真に受け、押しかけることにした次第。
8月30日(金)
東川町のOさんのご自宅は、旭川空港から車で10分! それをいいことに、運賃のお安い羽田17:15発のフライトで-旭川 18:50着。19時半にはご自宅に着きました。日の暮れるのが東京より早くて、もう真っ暗でした。
奥さまの美味しい手料理をいただきながら、東川ライフのあれこれを伺いました。
翌日の午前はちょっと小雨模様でしたが、町を案内してもらいました。
1985年に「写真の町」宣言をした東川町。でも、それだけでない、様々な取り組みをしていることを実感しました。
まずは、教室に壁のない小学校へ。解放感溢れる学びの場。ピアノが置かれた広いスペースは一般に開放されています。
次に、町を見晴らせる「キトウシの森 きとろん」へ。隈研吾氏設計による保養施設。お風呂やレストランが、とてもお洒落。
お昼は、移住してきた方が営むお惣菜とパンのお店「SONOまんま」のバゲットサンド。
午後は、車で15分程の美瑛へ。
セブンスターの木
ケンとメリーの木
クリスマスツリーの木
四季彩の丘
いつもなら、観光客が大勢いるらしいのですが、かろうじて、観光バス2台とすれ違っただけ。
平地の広がる東川と違って、美瑛は起伏のある丘が連なる町。
森の中のパン屋さんでお茶。 パンは売り切れの看板。
夜は、首都圏から東川にUターンした若い店主の営むお洒落なお店「オン・ザ・テーブル」で。
素材にこだわる美味しいお料理♪
9月1日(日)
大雪旭岳源水へ。車で10分ほど。これが上水道のない東川の人たちの水源。水は無料ですが、家を建てる時に井戸を掘ってポンプを設置する初期費用がかかるそう。(どこを掘っても水が出る!)
町に戻って、町民の健康をサポートする「そらいろ」へ。こちらも隈研吾氏が建築に関わった建物。トレーニングルームは町民の使用料一日200円。65歳以上は無料。トレーニングメニューのアドバイスもしてくれるそう。広々としたキッズコーナーも。
次に、複合施設「せんとぴゅあ」へ。元小学校を利用したギャラリーや「東川公立日本語学校」、新設の建物は図書館と「写真文化」「家具デザイン文化」「大雪山文化」の展示スペース。
生まれた赤ちゃんに贈られる「君の椅子」。年度によってデザインが変わります。
そこで、【第94回デザインスクール映画「アアルト」上映&トーク】のポスターに目が留まりました。なんと、この日の3時から。晴れててもったいないと思いつつ、QRコードから申し込み。
午後ゆっくり行くつもりだった東川町文化ギャラリーへ。
第40回写真の町東川賞受賞作家作品展を、ちょうど9月2日まで開催中。
国内作家賞は、ちょうど映画『オキナワより愛を込めて』が公開中の石川真生さん。
お隣の郷土資料館も壁いっぱい写真が飾ってあります。これは写真月間が終わるとはずされるのだそう。
ランチは、ジャム屋さんがやってるカフェTam Jamさんで。
白樺にこだわった建物で、窓からは黄色い稲穂の向こうに大雪山から十勝岳連邦まで一望出来る素晴らしさ。
ランチを食べ終わったら、もう2時半過ぎ。『アアルト』上映&トークの会場、せんとぴゅあTに送っていただきました。
フィンランドを代表する、建築家でデザイナーのアルヴァ・アアルト。彼のドキュメンタリー『アアルト』上映前に、アルテック日本支社を立ち上げた林アンニさんのお話と、東川で白樺プロジェクトに取り組む鳥羽山聡さんのお話。鳥羽山さんから真っ先に名前のあがったのが先ほどランチをいただいたTamJjamさんでした。
上映会&トークに参加して、ちょっと町民になった気分。
歩いて、5分程でOさん宅に到着。徒歩圏内に、人生を豊かにする施設がたくさんあって、確かに移住したくなる町です。
大自然に、美味しいパン屋さんや、おしゃれなお店・・・ 図書館やスポーツジムなども充実した東川ライフを垣間見て、羨ましく思いました。
翌朝は、少し早起きして、旭川9時発の特急宗谷に間に合うよう送っていただきました。
記憶の中の旭川駅とはまったく違う、立派な旭川の駅舎にびっくりでした。
さて、いざ、50年ぶりの稚内へ。
続きはまた!
第29回「あいち国際女性映画祭2024」に来ています(暁)
2024年9月5日(木)〜8日(日)にウイルあいちで開催されている「あいち国際女性映画祭2024」に来ています。1996年から始まったこの映画祭ですが、1回目から参加しています。途中、コロナ禍などもあり、6回くらい参加していませんが、あとは毎年、東京から通っています。会社勤めの頃は土日しか行くことができませんでしたがリタイアし、この10数年は全日滞在しています。
このあいち国際女性映画祭開始2年前の1994年に名古屋で行われた「アジア文化交流祭」に張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督(『青春祭』『おはよう北京』『雲南物語』)が来るというので、初めて名古屋遠征をしたのですが、ここで高野史枝さん(映画ライター)や木全純治さん(元シネマスコーレ支配人)と知り合ったことがきっかけで、名古屋の映画関係の人たちと繋がりができ、1996年に「あいち国際女性映画祭が始まるからぜひ来て」と言われ参加したのがきっかけでした。高野さんは1回目から15回目くらいまでこの映画祭の司会をしていましたし、知り合ったあと、シネマジャーナル本誌に記事を書いてくれるようになりました。あいち国際女性映画祭のレポートも、つい最近まで書いてくれました。木全さんは、第1回目からこの映画祭のディレクターで、出会った頃からシネマスコーレでシネマジャーナル本誌を置いてくれています。そのへんのいきさつは下記記事を参照ください。また、本誌37号に掲載された「第一回あいち国際女性映画祭レポート」がネッにアップされています!
*参照記事 シネマジャーナルHP
(本誌在庫のない号の記事をHPで紹介しています)
・本誌 No.30 1994 September P64 -- 65より
「張暖忻監督に会いに名古屋のアジア文化交流祭に行く」はこちら
・本誌 No.31 1994 December pp. 40 -- 42より
「第三回NAGOYAアジア文化交流祭報告」はこちら
・本誌 No.33 1995 June pp. 48 -- 49より
雲南物語 張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督作品はこちら
・本誌 No.37 1996 June p.34--39
「あいち国際女性映画祭96」記事はこちら
・No.37 目次
それから29年もたちました。時間のたつのは早いです。4日に記者会見があるので、4日から名古屋入りしました。会場のウイルあいちは宿泊施設があるのですが、3日間までしか宿泊できず、名古屋駅そばのミッドランドスクエアシネマ2でも映画祭作品の上映があるので、ここ数年は、前半は駅のそばの東横インに宿を取り、後半をウイルあいちでの宿泊に切り替えています。ウイルあいちは名古屋駅からバスで15分くらいの所にあり、元気な時はバスで行き来をしていましたが、心臓手術をしてからは、歩く速さが人の3倍くらいかかるので、ホテルから名古屋駅のバス停まで10分くらいかかり、ウイルあいちそばのバス停で降りてからウイルあいちまで10分くらい歩くようになってしまったので、駅前のホテルとウイルあいちの移動はタクシー利用が増えました。暑いのもあります。今年も残暑が厳しいです。
4日の記者会見には『ジンセン・ボーイ』のチョ・ハンビョル監督、出演のカン・ジヨン(知英)さん、イ・ジュウォンさん、『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督、『アディクトを待ちながら』のナカムラサヤカ監督、青木さやかさん、『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』の阿部櫻子監督が参加されました。レポートは映画祭報告コーナーに掲載予定です。
*『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督にはインタビューしています。記事はこちら
「寅に翼」のロケ地名古屋市市政資料館
ウイルあいちの道路を挟んだ向いには「名古屋市市政資料館」(「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」として1922(大正11)年に建設された建物)があるのですが、なんとここは、今、NHKで放映されている朝ドラ「寅に翼」のロケ地になっていたのでした。この朝ドラを見ていますが、ロケ地になっていたことは映画祭に行く前日、高野さんに知らされるまで知りませんでした。ここは映画祭の1回目の時に見学に行った記憶はありますが、詳しい造りまでは覚えていなかったので、朝ドラの中で「東京地方裁判所」として出てきたのに気がつきませんでした。記者会見のあと、さっそく29年ぶりに見学に行きました。
ドラマの中では、裁判所の階段のシーンが印象に残っていますが、そこがこの「名古屋市市政資料館」の入ってすぐのところにある中央階段でした。他にも出てきていたのでしょうが、今となってはどの部分だったかはわからずです。
このドラマのモデルになっている三淵嘉子さんは、女性で初めて判事に昇進した人ですが、その時、名古屋地裁へ赴任。実際にこの場所で働いていたそうです。ウイルあいちに来た時、いつもこの建物を見ていたのですが、そこが朝ドラのロケ地になっていたとはびっくりでした。
戦後、新憲法ができ、憲法24条に婚姻の自由や、個人の尊厳、両性の平等が織り込まれ、そのことがこのドラマでも何度も出てきましたが、新憲法ができた最初の話題の中で、主人公寅の友人よねが「ほんとうは日本人で作りたかった」と言うシーンがありました。その言葉だけだったのですが、私はこれにはちょっと補足がほしいと思いました。私もそうは思いますが、あの当時、日本人だけで作ったら、男女平等の考え方が織り込まれた憲法ができていたでしょうか。だから「だけど、日本人だけで作ったら男女平等が織り込まれたものができただろうか」みたいな言葉を補足してほしかったなと思いました。その後の話の中で、旧態然たる家父長制をよしとする法曹界のドンが出てきて、当時の上に立つ人たちの考え方を示し、これじゃだめだとドラマを見ている人にアピールしていたと思うけど、やはり補足はほしかった。
憲法草案にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんのことが『ベアテの贈りもの』(2004)という映画の中で描かれています。ベアテさんは子供の頃を日本で過ごし、戦前の日本女性の地位というのを見て育ちました。戦後、進駐軍の通訳として日本に赴任し、この憲法草案に関わり24条の元を作った方です。シネマジャーナルでは、2004年にこの作品が東京国際女性映画祭で上映された時にベアテ・シロタ・ゴードンさん、公開時に藤原智子監督にインタビューしています。またベアテさんの24条草案にも触れています。よかったら読んでみてください。24条が出来上がった背景がわかると思います。
『ベアテの贈りもの』インタビュー
1. ベアテ・シロタ・ゴードンさんインタビュー
2. 藤原智子監督インタビュー
3. 憲法24条の解説
http://www.cinemajournal.net/special/2005/beate/index.html
【名古屋市市政資料館】資料
〒461-0011名古屋市東区白壁一丁目3番地
開館時間:9:00〜17:00
入館料 :無料
休館日:月曜日(休日の場合は直後の平日)第3木曜日(休日の場合は第4木曜日) 12月29日から1月3日
http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/52-7-4-0-0-0-0-0-0-0.html
長々と「虎に翼」に関連して、憲法にまつわる話を書いてしまいましたが、あいち国際女性映画祭に戻します。
9月4日(水)名古屋市市政資料館を出たあと、このあいち国際女性映画祭が始まった時、来るよう誘ってくれた高野史枝さんの新宅へ。彼女は2年程前、実母の介護の途中で、自身が脳梗塞になり、その後、大腿部骨折もしてしまい、すっかり身体の自由が利かなくなってしまったけど、一生懸命リハビリをして、今では一人で歩けるようにはなったそう。だけど、やはり一人で出かけるのは今は無理とのことで映画祭には参加できないようでした。前の家は名古屋から1時間くらいかかる場所に住んでいましたが、名古屋中心部に近いところに住む友人のマンションに空ができ、1年かかって前の家を片付けたり、売ったりして、今年1月、新しい場所へ引っ越しすることができたそうです。彼女が引越ししたマンションは、名古屋市内になり、友人が訪ねてきてくれたり、マンション内で趣味のグループの集いなどもあり、新生活を楽しんでいました。そして、魚のおいしい店に連れて行ってくれました。おいしいアジフライと新秋刀魚の塩焼きをいただきました。そして、1年ぶりのおしゃべりも。
この高野さん宅訪問は、2018年のあいち国際女性映画祭の時、ウイルあいち宿泊者同士で知り合った上越市で自主上映活動をしている小出優子さんもご一緒しました。知り合った2018年の11月に『ベアテの贈りもの』を上映予定で、その話で意気投合しました。高野史枝さんを紹介したら、高野さんが監督した『厨房男子』の上越市での上映会を企画してくれました。高野さんの監督2作目『おっさんずルネッサンス』の上映会も開催したそうです。
2020年から2023年はコロナ禍でこの映画祭に来ることができませんでしたが、去年(2023)再会。小出さんも今年のあいち国際女性映画祭に参加したのですが、夕食をご一緒できたのは、この時だけでした。同じ映画を観ているのに会えなかったのです。ひとえに私の行動がのろくなっているせいなのですが、「同じ映画を観ているのに会えないって」と、メールと電話でやりとりしました。後半2日、やっと映画祭会場で会えましたが、食事タイムは折り合わず、最終日にランチしただけでした。
*参照記事
『厨房男子』高野史枝監督インタビューはこちら
『おっさんずルネッサンス』高野史枝監督インタビューはこちら
あいち国際女性映画祭で観た作品
9月5日(木)
1年ぶりにこのホテルに泊まったけど、東横インは朝食がついているのをすっかり忘れ、前日、朝食用のパンをたくさん買ってしまいました。2日分くらい買ってしまって、なんてこったです。朝はそれを食べ、9時すぎにホテルを出てウイルあいちへ。
ウイルあいちで『盛夏の聲』と『ジンセンボーイ』を観たあと、名古屋駅のほうに移動し、ミッドランドスクエア シネマ2『ミルクティーを待ちながら』へ。もうひとりのシネジャスタッフであるSさんとは、この日、まるっきり同じ作品を観る予定だったので、ミッドランドスクエア シネマ2まではタクシーで一緒に移動。映画が始まる前に劇場近くのワインと食事の店に入り、しらうお入りのピザとスペイン風オムレツを食べ、18:30からの映画に臨みました。スタッフ同士とはいえ、名古屋と東京ではなかなか会う機会もなく、1年ぶりの再会でした。映画を観たあと、彼女のことを探したけどわからず、1階のロビーにいた時、彼女から声がかかりびっくり。帽子とマスクで最初は誰だかわからない状態。すごく痩せていました。体調が悪いと言っていたけど、そんなに痩せていたとは。映画も以前は年間600本以上観ていたのに、今は半分くらいと言っていた。
6日(金)
この日も朝10時からウイルあいちで上映される『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』を観るために、朝9時半頃、ホテルの前でタクシーに乗ろうと思ったけど、なかなか捕まらず、ちょっとあせりました。
『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』は、4日の記者会見での阿部櫻子監督の話を聞いて、ぜひ観てみたいと思った作品でした。監督は約30年前インドに留学していた時、この主人公と知り合ったそうですが、吟遊行者「バウル」の道に入ったパルバティを追った作品。
2本目の『真昼の女』は、1920年代のドイツで、医師を志すユダヤ人女性が主人公。2つの大戦を背景に力強く生き抜いた女性の半生を描く作品でした。
7日(土)
この日は、ホテルからウイルあいちの宿泊室への移動で荷物をたくさん持って、ウイルあいちへ。映画はオーストラリアの作品『3つのコードと真実』。かつて女性版ボブ・ディランと称されたミュージシャンのアンジーは、3度目のがん宣告を受け、経済的に困窮しながらも最期のアルバムを作ろうとしていた。そんな時、父親の元を飛び出し放浪していた少女ルビーと出会い、心さまよう彼女に曲作りを教える。自身もがん闘病中のジャッキー・マーシャルがアンジーを熱演。
このあと恩田千佐子アナウンサー講演会「すべてが生きる糧」に出席する予定だったけど、映画祭が始まってからのまとめが全然できていなかったので、宿泊室に入れるまで、控室で記者会見で撮った写真の整理。
15時にウイルあいち宿泊室に入れたので、大荷物を開け、必要なものだけにして、また写真整理。17時すぎに授賞式の写真を撮るため、3階の会議室へ行ったけどまだ短編集は終わっていなかった。結局18時頃授賞式が始まったけど、私は勘違いしていて、授賞式のあと『ベイルートの失われた心と夢』を観たいと思っていたけど、これは授賞式の前に上映されてしまっていた。確認すればよかった。
詳細はこちら
このあいち国際女性映画祭開始2年前の1994年に名古屋で行われた「アジア文化交流祭」に張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督(『青春祭』『おはよう北京』『雲南物語』)が来るというので、初めて名古屋遠征をしたのですが、ここで高野史枝さん(映画ライター)や木全純治さん(元シネマスコーレ支配人)と知り合ったことがきっかけで、名古屋の映画関係の人たちと繋がりができ、1996年に「あいち国際女性映画祭が始まるからぜひ来て」と言われ参加したのがきっかけでした。高野さんは1回目から15回目くらいまでこの映画祭の司会をしていましたし、知り合ったあと、シネマジャーナル本誌に記事を書いてくれるようになりました。あいち国際女性映画祭のレポートも、つい最近まで書いてくれました。木全さんは、第1回目からこの映画祭のディレクターで、出会った頃からシネマスコーレでシネマジャーナル本誌を置いてくれています。そのへんのいきさつは下記記事を参照ください。また、本誌37号に掲載された「第一回あいち国際女性映画祭レポート」がネッにアップされています!
*参照記事 シネマジャーナルHP
(本誌在庫のない号の記事をHPで紹介しています)
・本誌 No.30 1994 September P64 -- 65より
「張暖忻監督に会いに名古屋のアジア文化交流祭に行く」はこちら
・本誌 No.31 1994 December pp. 40 -- 42より
「第三回NAGOYAアジア文化交流祭報告」はこちら
・本誌 No.33 1995 June pp. 48 -- 49より
雲南物語 張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督作品はこちら
・本誌 No.37 1996 June p.34--39
「あいち国際女性映画祭96」記事はこちら
・No.37 目次
それから29年もたちました。時間のたつのは早いです。4日に記者会見があるので、4日から名古屋入りしました。会場のウイルあいちは宿泊施設があるのですが、3日間までしか宿泊できず、名古屋駅そばのミッドランドスクエアシネマ2でも映画祭作品の上映があるので、ここ数年は、前半は駅のそばの東横インに宿を取り、後半をウイルあいちでの宿泊に切り替えています。ウイルあいちは名古屋駅からバスで15分くらいの所にあり、元気な時はバスで行き来をしていましたが、心臓手術をしてからは、歩く速さが人の3倍くらいかかるので、ホテルから名古屋駅のバス停まで10分くらいかかり、ウイルあいちそばのバス停で降りてからウイルあいちまで10分くらい歩くようになってしまったので、駅前のホテルとウイルあいちの移動はタクシー利用が増えました。暑いのもあります。今年も残暑が厳しいです。
4日の記者会見には『ジンセン・ボーイ』のチョ・ハンビョル監督、出演のカン・ジヨン(知英)さん、イ・ジュウォンさん、『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督、『アディクトを待ちながら』のナカムラサヤカ監督、青木さやかさん、『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』の阿部櫻子監督が参加されました。レポートは映画祭報告コーナーに掲載予定です。
*『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督にはインタビューしています。記事はこちら
「寅に翼」のロケ地名古屋市市政資料館
ウイルあいちの道路を挟んだ向いには「名古屋市市政資料館」(「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」として1922(大正11)年に建設された建物)があるのですが、なんとここは、今、NHKで放映されている朝ドラ「寅に翼」のロケ地になっていたのでした。この朝ドラを見ていますが、ロケ地になっていたことは映画祭に行く前日、高野さんに知らされるまで知りませんでした。ここは映画祭の1回目の時に見学に行った記憶はありますが、詳しい造りまでは覚えていなかったので、朝ドラの中で「東京地方裁判所」として出てきたのに気がつきませんでした。記者会見のあと、さっそく29年ぶりに見学に行きました。
ドラマの中では、裁判所の階段のシーンが印象に残っていますが、そこがこの「名古屋市市政資料館」の入ってすぐのところにある中央階段でした。他にも出てきていたのでしょうが、今となってはどの部分だったかはわからずです。
このドラマのモデルになっている三淵嘉子さんは、女性で初めて判事に昇進した人ですが、その時、名古屋地裁へ赴任。実際にこの場所で働いていたそうです。ウイルあいちに来た時、いつもこの建物を見ていたのですが、そこが朝ドラのロケ地になっていたとはびっくりでした。
戦後、新憲法ができ、憲法24条に婚姻の自由や、個人の尊厳、両性の平等が織り込まれ、そのことがこのドラマでも何度も出てきましたが、新憲法ができた最初の話題の中で、主人公寅の友人よねが「ほんとうは日本人で作りたかった」と言うシーンがありました。その言葉だけだったのですが、私はこれにはちょっと補足がほしいと思いました。私もそうは思いますが、あの当時、日本人だけで作ったら、男女平等の考え方が織り込まれた憲法ができていたでしょうか。だから「だけど、日本人だけで作ったら男女平等が織り込まれたものができただろうか」みたいな言葉を補足してほしかったなと思いました。その後の話の中で、旧態然たる家父長制をよしとする法曹界のドンが出てきて、当時の上に立つ人たちの考え方を示し、これじゃだめだとドラマを見ている人にアピールしていたと思うけど、やはり補足はほしかった。
憲法草案にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんのことが『ベアテの贈りもの』(2004)という映画の中で描かれています。ベアテさんは子供の頃を日本で過ごし、戦前の日本女性の地位というのを見て育ちました。戦後、進駐軍の通訳として日本に赴任し、この憲法草案に関わり24条の元を作った方です。シネマジャーナルでは、2004年にこの作品が東京国際女性映画祭で上映された時にベアテ・シロタ・ゴードンさん、公開時に藤原智子監督にインタビューしています。またベアテさんの24条草案にも触れています。よかったら読んでみてください。24条が出来上がった背景がわかると思います。
『ベアテの贈りもの』インタビュー
1. ベアテ・シロタ・ゴードンさんインタビュー
2. 藤原智子監督インタビュー
3. 憲法24条の解説
http://www.cinemajournal.net/special/2005/beate/index.html
【名古屋市市政資料館】資料
〒461-0011名古屋市東区白壁一丁目3番地
開館時間:9:00〜17:00
入館料 :無料
休館日:月曜日(休日の場合は直後の平日)第3木曜日(休日の場合は第4木曜日) 12月29日から1月3日
http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/52-7-4-0-0-0-0-0-0-0.html
長々と「虎に翼」に関連して、憲法にまつわる話を書いてしまいましたが、あいち国際女性映画祭に戻します。
9月4日(水)名古屋市市政資料館を出たあと、このあいち国際女性映画祭が始まった時、来るよう誘ってくれた高野史枝さんの新宅へ。彼女は2年程前、実母の介護の途中で、自身が脳梗塞になり、その後、大腿部骨折もしてしまい、すっかり身体の自由が利かなくなってしまったけど、一生懸命リハビリをして、今では一人で歩けるようにはなったそう。だけど、やはり一人で出かけるのは今は無理とのことで映画祭には参加できないようでした。前の家は名古屋から1時間くらいかかる場所に住んでいましたが、名古屋中心部に近いところに住む友人のマンションに空ができ、1年かかって前の家を片付けたり、売ったりして、今年1月、新しい場所へ引っ越しすることができたそうです。彼女が引越ししたマンションは、名古屋市内になり、友人が訪ねてきてくれたり、マンション内で趣味のグループの集いなどもあり、新生活を楽しんでいました。そして、魚のおいしい店に連れて行ってくれました。おいしいアジフライと新秋刀魚の塩焼きをいただきました。そして、1年ぶりのおしゃべりも。
この高野さん宅訪問は、2018年のあいち国際女性映画祭の時、ウイルあいち宿泊者同士で知り合った上越市で自主上映活動をしている小出優子さんもご一緒しました。知り合った2018年の11月に『ベアテの贈りもの』を上映予定で、その話で意気投合しました。高野史枝さんを紹介したら、高野さんが監督した『厨房男子』の上越市での上映会を企画してくれました。高野さんの監督2作目『おっさんずルネッサンス』の上映会も開催したそうです。
2020年から2023年はコロナ禍でこの映画祭に来ることができませんでしたが、去年(2023)再会。小出さんも今年のあいち国際女性映画祭に参加したのですが、夕食をご一緒できたのは、この時だけでした。同じ映画を観ているのに会えなかったのです。ひとえに私の行動がのろくなっているせいなのですが、「同じ映画を観ているのに会えないって」と、メールと電話でやりとりしました。後半2日、やっと映画祭会場で会えましたが、食事タイムは折り合わず、最終日にランチしただけでした。
*参照記事
『厨房男子』高野史枝監督インタビューはこちら
『おっさんずルネッサンス』高野史枝監督インタビューはこちら
あいち国際女性映画祭で観た作品
9月5日(木)
1年ぶりにこのホテルに泊まったけど、東横インは朝食がついているのをすっかり忘れ、前日、朝食用のパンをたくさん買ってしまいました。2日分くらい買ってしまって、なんてこったです。朝はそれを食べ、9時すぎにホテルを出てウイルあいちへ。
ウイルあいちで『盛夏の聲』と『ジンセンボーイ』を観たあと、名古屋駅のほうに移動し、ミッドランドスクエア シネマ2『ミルクティーを待ちながら』へ。もうひとりのシネジャスタッフであるSさんとは、この日、まるっきり同じ作品を観る予定だったので、ミッドランドスクエア シネマ2まではタクシーで一緒に移動。映画が始まる前に劇場近くのワインと食事の店に入り、しらうお入りのピザとスペイン風オムレツを食べ、18:30からの映画に臨みました。スタッフ同士とはいえ、名古屋と東京ではなかなか会う機会もなく、1年ぶりの再会でした。映画を観たあと、彼女のことを探したけどわからず、1階のロビーにいた時、彼女から声がかかりびっくり。帽子とマスクで最初は誰だかわからない状態。すごく痩せていました。体調が悪いと言っていたけど、そんなに痩せていたとは。映画も以前は年間600本以上観ていたのに、今は半分くらいと言っていた。
6日(金)
この日も朝10時からウイルあいちで上映される『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』を観るために、朝9時半頃、ホテルの前でタクシーに乗ろうと思ったけど、なかなか捕まらず、ちょっとあせりました。
『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』は、4日の記者会見での阿部櫻子監督の話を聞いて、ぜひ観てみたいと思った作品でした。監督は約30年前インドに留学していた時、この主人公と知り合ったそうですが、吟遊行者「バウル」の道に入ったパルバティを追った作品。
2本目の『真昼の女』は、1920年代のドイツで、医師を志すユダヤ人女性が主人公。2つの大戦を背景に力強く生き抜いた女性の半生を描く作品でした。
7日(土)
この日は、ホテルからウイルあいちの宿泊室への移動で荷物をたくさん持って、ウイルあいちへ。映画はオーストラリアの作品『3つのコードと真実』。かつて女性版ボブ・ディランと称されたミュージシャンのアンジーは、3度目のがん宣告を受け、経済的に困窮しながらも最期のアルバムを作ろうとしていた。そんな時、父親の元を飛び出し放浪していた少女ルビーと出会い、心さまよう彼女に曲作りを教える。自身もがん闘病中のジャッキー・マーシャルがアンジーを熱演。
このあと恩田千佐子アナウンサー講演会「すべてが生きる糧」に出席する予定だったけど、映画祭が始まってからのまとめが全然できていなかったので、宿泊室に入れるまで、控室で記者会見で撮った写真の整理。
15時にウイルあいち宿泊室に入れたので、大荷物を開け、必要なものだけにして、また写真整理。17時すぎに授賞式の写真を撮るため、3階の会議室へ行ったけどまだ短編集は終わっていなかった。結局18時頃授賞式が始まったけど、私は勘違いしていて、授賞式のあと『ベイルートの失われた心と夢』を観たいと思っていたけど、これは授賞式の前に上映されてしまっていた。確認すればよかった。
詳細はこちら