
1986年4月26日。チェルノブイリの隣町プリピャチで、アーニャとピョートルは結婚式を挙げていた。その同じころ、ヴァレリー少年は原子力発電所の技師である父アレクセイと林檎の木を川べりに植えていた。その近くの森の管理人が草木の異変に気付くが・・・。
これ3回目。観るたびに結末がわかっているのに「事故が起こりませんように」と祈り、「百万本のバラ」を涙なしでは聴けなくなる・・・そんな感情がだんだん高まってくる作品。
どうして技師であった父は妻子のところに戻らず、放浪して、あう人あう人に名前と出身地を聞いているのか、その疑問を解きたいがために3回目を観た。が、はっきりとはわからなかった。
妻の実家や親戚の場所を知らないわけじゃないのに・・・記憶喪失か?それとも自分の家族だけヨードを飲ませ遠くに行かせた責苦で「二度と家族に会わない」と神に誓ったのか・・・。
妻はもう十年になるから諦めから「もう死んだのよ」と言っているが、高校生くらいに成長したヴァレリーは、危険を承知で元住んでいたプリピャチの家に戻り「父さん、○○にいるよ」と書置きしている。
このヴァレリー少年そのものを監督さんは「希望」として描いているように感じた。