2013年01月17日

1月15日火曜「ミッキーの映画日記」『故郷よ』


カチンコ『故郷よ』ミハル・ボガニム監督/フランス、ウクライナ、ポーランド、ドイツ/シネスイッチ銀座他にて2月9日公開/http://kokyouyo.ayapro.ne.jp/

 1986年4月26日。チェルノブイリの隣町プリピャチで、アーニャとピョートルは結婚式を挙げていた。その同じころ、ヴァレリー少年は原子力発電所の技師である父アレクセイと林檎の木を川べりに植えていた。その近くの森の管理人が草木の異変に気付くが・・・。

これ3回目。観るたびに結末がわかっているのに「事故が起こりませんように」と祈り、「百万本のバラ」を涙なしでは聴けなくなる・・・そんな感情がだんだん高まってくる作品。

どうして技師であった父は妻子のところに戻らず、放浪して、あう人あう人に名前と出身地を聞いているのか、その疑問を解きたいがために3回目を観た。が、はっきりとはわからなかった。

妻の実家や親戚の場所を知らないわけじゃないのに・・・記憶喪失か?それとも自分の家族だけヨードを飲ませ遠くに行かせた責苦で「二度と家族に会わない」と神に誓ったのか・・・。

妻はもう十年になるから諦めから「もう死んだのよ」と言っているが、高校生くらいに成長したヴァレリーは、危険を承知で元住んでいたプリピャチの家に戻り「父さん、○○にいるよ」と書置きしている。

このヴァレリー少年そのものを監督さんは「希望」として描いているように感じた。
posted by mikiko at 01:40| Comment(1) | TrackBack(0) | ミッキーの映画日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そうそう、あのお父さんの存在はすごくミステリアスで、私もわからなかった。傘を買い込んで、雨に濡れないでと子どもや、行き過ぎる人に差し出していたのは印象的なシーン。自分の妻子だけ逃がした自責の念なのかな。奥さんは死んだと思って生活のために前を向いて生きなければならないし、息子は、割り切れない子どもの苦しみ。被害者だけでなく、原発関係者の苦悩もえがいている部分かもしませんね。
Posted by 海 at 2013年01月18日 11:58
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