7月27日夜以来、夏風邪を引いて絶不調。8月8日・9日の「イラン 平和と友好の映画祭」には絶対参加したいと、ひたすら家でじっとしていた甲斐があって、微熱もおさまり、無事5本の映画を観てきました。
この10年程、毎年、広島の平和記念式典にイラン・イラク戦争の化学兵器や毒ガス被害者の方たちがイランから来日して参列されているのですが、今回、それにあわせて広島の八丁座で8月2日〜8日の期間、「広島イラン 愛と平和の映画祭」が開催されました。広島では、7作品が上映されたのですが、その内、日本で公開された『母ギーラーネ』と『風の絨毯』を除く5作品が東京でも上映されたという次第。
8日、2時半からのオープニングセレモニーには、この日、広島から移動してきたイランのご一行が全員参列。在京イラン・イスラム共和国 臨時代理大使による開幕の挨拶の後、名優パルヴィーズ・パラストゥーイーさんが登壇。スピーチの初めにガザで爆撃被害を受けた子どもたちへの黙祷を呼びかけました。その後、この映画祭への思いなどを語り、化学兵器被害者の方や、映画監督の皆さんを壇上に呼び込み、花を一人一人に渡して・・・と、今回、どうやらパラストゥーイーさんが仕切っているご様子。通訳のショーレ・ゴルパリアンさんが、イランの三船敏郎、イランの人たちにものすごく尊敬されている俳優と紹介されたのですが、この日のパラストゥーイーさんの活躍ぶりを見て、なるほどと思いました。
8日の1本目は、『塹壕(ざんごう)143』(2014年)。志願して戦場に行った息子が残してくれたラジオを腰に巻きつけて片時も離さない母親。戦争が終わり、捕虜になった兵士も帰還する中、息子はなかなか帰ってこない・・・ かつて、日本にも息子を待ち続けた母たちがいたことを思い、涙。大事な息子を戦地に送る母の気持ちは、いずこも同じ。
通訳で今回の映画祭のコーディネートをしたショーレ・ゴルパリアンさん(左)とアービヤール監督
2014年08月12日
「イラン 平和と友好の映画祭」でイランの三船敏郎に再会 (咲)
上映後、ナルゲス・アービヤール監督が登壇。脚本段階の検閲で暗いと言われたけれど、当時の人々の気持ちを伝えたいと、そのまま撮影したそうです。今回の上映作品5本のうち、唯一女性監督の作品。行方不明の息子を思う母親の姿を丁寧に描いていました。
2本目の『独りぼっち』(2014年)は、ペルシア湾岸ブシェールの町を舞台に、妄想癖のある少年が、ロシア人の男の子と知り合い友情をはぐくむ物語。ロシア少年の父親は、原子力発電所の技師として滞在しているのですが、町の大人たちは「赤だ」「無宗教者だ」と噂しています。ロシア人と親しくなった少年、ペルシア語のできるロシア女性に通訳してもらって、なんとか意思の疎通をはかろうとするところが健気でした。
3本目の『夜行バス』(2007年)は、2008年に64歳で亡くなられた名優ホスロー・シャキバイが主演とあって、今回、とても楽しみにしていた作品。10代の志願兵が、38名ものイラク兵捕虜を輸送する間に起こる様々な試練。シャキバイ演じるバスの運転手が、最初は志願兵に命令されているのですが、年の功でひよっこの志願兵を諭します。さすがな名演技。
上映後に登壇したキューマルス・プールアハマド監督も、本作を観るとシャキバイを思い出して涙が出るとおっしゃっていました。思えば、プールアハマド監督とシャキバイさんのお二人には、1995年のアジアフォーカスでお会いしています。シャキバイさんは、名前を呼ばれて手を上げながら立ち上がる姿が、まさにスターでした。パラストゥーイーさんが三船敏郎だとすると、シャキバイさんは高倉健か三國連太郎?
3本観て、かなり疲れていたのですが、久しぶりにイラン好きの仲間や、(暁)さんと会ったので、赤坂見附の中華料理屋さんでおしゃべり。とはいえ、風邪で声がまだ出ない・・・
実は、この日、会場に到着早々、プールアハマド監督にお会いできて、「20年前のアジアフォーカスで『パンと詩』が上映された時にお会いして以来です」と言ったものの、ちゃんと伝わったかどうか・・・ パラストゥーイーさんにも、「風邪を引いて(sarma khordam)、こんな声で・・・」と言ったつもりが、「khorma(なつめやし) khordam(食べた)と聞こえてしまったらしく、「いえいえ、khormaは嫌いで食べられません」と大笑い。
9日、まだ声は出ないものの、体調はかなり回復したので、予定通りイラン映画2本観に行きました。
1本目は、パラストゥーイーさん主演の『報われた沈黙』(2006年、マジヤール・ミーリー監督)。一人暮らしの復員兵。テレビで戦死した戦友が語る姿を観て、戦友の父親を訪ね、「私はあなたの息子を殺しました」と打ち明けます。その証拠を探して、戦友の父親を連れ、同じ部隊にいた生き残りを訪ね歩きます。戦友はイラク兵に撃たれたのが原因で亡くなったのですが、助けられなかったことから「戦友を殺した」というトラウマにとらわれ続けていることが段々わかってきます。
今時のイランらしい様相だなと思ったのが、女性たちの姿。「塹壕」という雑誌を発行していた出版社を訪ねると、今は流行を扱った雑誌を発行していて、編集長が女性。何年も前に終わった戦争をひきずる復員兵と対照的に、ばりばりのキャリアウーマン。別の会社では、秘書の女性が私用電話を優先しながら、あちこちからかかってくる電話にてきぱきと受け答えしています。
上映後のQ&Aにパラストゥーイーさんが登壇。演じる上で、戦場のトラウマを抱えて生きる人たちにも接し、また、化学兵器被害者の方たちも身近にいて、今回の映画祭を企画したと語りました。
映画祭最後の映画は、ドキュメンタリー『季節の記憶』(2014年)。イラン・イラク戦争当時、ウィーンに運ばれてきた毒ガス被害を受けた兵士や民間人の治療の現場に通訳として立ち会ったモスタファ・ラザーグキャリーミ監督。上映後に登壇し、30年近く経った今、当時撮った映像をやっと映画として世に出し、肩の荷をおろした思いと語りました。生々しい映像から、悲劇を繰り返してはならないことを戦争を起こす権力者や化学兵器を製造し続ける会社幹部に観てもらいたいと思いました。
この日は、会場の機材とDVD素材の相性が悪かったのか、映像が粗かったのですが、そんなことも気にならないほど、2本とも心にずっしり。映画を通じて、平和を願うというイランの映画人たちの思いがひしひしと伝わる映画祭でした。
パラストゥーイーさんとタブリーズィー監督
映画が終わって、広島で『風の絨毯』が上映されたキャマル・タブリーズィー監督にも、無事お会いできました。パラストゥーイーさんとタブリーズィー監督に初めてお目にかかったのは、2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で『ザ・リザード』が上映された時のことでした。泥棒がイスラーム法学者の服を盗んで脱獄し、国境近くの村のモスクの新任僧侶と間違えられて、しっかり成りきってしまう風刺コメディー。大好きな作品です。
2日間、気力で通って、またダウン。夏風邪、しつこいです・・・