これまで200本以上のテレビドキュメンタリーや、映画『ネムリユスリカ』『夏の祈り』を手掛けてきた坂口香津美監督が、実母に向き合ったドキュメンタリー。
4月14日(火) 日本外国特派員協会(FCCJ)で行われた試写会と記者会見の模様をお届けします。(取材:宮崎暁美・景山咲子)
登壇者:坂口香津美監督(写真中央)、プロデューサー・編集 落合篤子さん
司会:キャレン・セバンズさん(日本外国特派員協会)
(撮影:景山咲子)
◆上映前の挨拶
司会:今日この作品を選んだのは、この会場で映画をご覧になる方には、ご自身が年老いた親だったり、年老いた親を持っていたりする方がいらっしゃると思ったからです。いかに対処するかの映画ではないのですが、苦しい状況の中で、ほんの少しの愛情があれば改善できるのではというヒントを与えてくれる映画だと思います。最近、「絆」とよく言われますが、それをよく描いた映画と思います。
監督:今宵、『抱擁』を選んでいただきました日本外国特派員協会に感謝申し上げます。
私の母親を描いた映画で、途中つらいところもあると思いますが、どうぞ最後までご覧いただければと思います。
◆『抱擁』上映
78歳になる坂口監督の母、坂口すちえさん。4年前に長女を病気で亡くして以来、精神的に落ち込み、精神安定剤に頼る日々が続いていた。死にそうだと何度も救急車を呼ぶ母。手に負えなくなった父も、ほどなく入院し他界してしまう。喪失感で絶望の淵にいるすちえさんを、妹のマリ子さんは故郷の種子島に連れて帰る。38年ぶりの帰郷。マリ子さんの献身的な介護の日々が始まる・・・
◆上映後のQ&A
司会のセバンズさんより、英語で坂口監督のプロフィールが紹介された後、質疑応答に移りました。質問は英語でも日本語でも結構ですとのことでしたが、英語での質問が続きました。
プロデューサー・編集の落合篤子さん(左)と坂口香津美監督(撮影:宮崎暁美)
― 編集が興味深かった。えてしてロングテイクになりがちだけど、ペースが早かった。意識してのことだったのでしょうか?
監督:自分の母親の顔を長く見るのもつらいので、フラッシュで早く撮った方がいいかなと思いました。
落合:坂口監督はテレビのドキュメンタリーを200本以上作っていることもあって、多くの方に観ていただくのに、どうしたらいいかという思いで撮られたと思います。私自身、編集に関わって、監督と話し合いながら監督の思いをくみながら作っていきました。
― 裸のシーンや痛々しいシーンがあって赤裸々にお母様の姿をみせていましたが、さすがにトイレにはカメラは入りませんでした。どこまで見せるかという判断基準はどこにありましたか?
監督:トイレの中にも一度カメラを侵入させたけれど、そこだけはやめてくれと言われました。あとは息子の責任においてなんでも撮ってくれと。
― 過去の作品でも社会問題を扱っておられます。本作を撮る中で日本の医療や介護を描いておられます。この映画を撮って考えが変わったりしましたか?
監督:日本が高齢化社会を迎えるにあたって、国家も我々も危機的な状態にあると思います。母は昭和5年、父は大正15年生まれ。高度成長を経て生きてきた人たちが、社会の中で老いていく第一波。次に大きな第二波は、ベビーブーム世代が70歳になる2025年に訪れます。大きな波が津波のように襲ってくる予兆となる作品としてご覧いただければと思います。
― 監督自身、日本の介護システムについてどう思われましたか?
監督:母の場合、社会保険に入っていて、介護保険の認定も良い条件で受けられて恵まれていると思います。社会保険に入っていなくて恩恵を受けられない人たちが多くいることを思うと、今後、深刻な状況だと思います。
― この映画の撮影前にお母様と同世代の老齢者の方たちと関わりはありましたか? 団塊の世代が70代になった時、帰る故郷がなくなっているのではないでしょうか?
監督:母のドキュメンタリーを作るまで老人のドキュメンタリーを作ったことはありません。今、テレビ朝日のドキュメンタリーで高島平団地に取り組んでいます。過去に3万人いた東洋一のマンモス団地が、人口1万6千人になっていて、その半分近くが孤立死の可能性が高い。東京の象徴として、いかに孤立死を少なくするかのドキュメンタリーを作っています。高齢者のドキュメンタリーを作ったことはないと申し上げましたが、『夏の祈り』は被爆者のドキュメンタリーで高齢者の被爆者も含まれています。
私の家族が種子島から東京に出てきたのは、1971年。高度成長の真っ只中でした。日本各地から多くの人が東京に出稼ぎに来た時代です。その世代は、東京で生活基盤を作っていて、故郷に帰りたくても故郷に基盤のない人が多い。母は奇跡的に故郷に帰ることができましたが、東京で最期を迎える決意をした人が東京にはたくさんいるという現実です。
― いつ、なぜお母さんを撮る決意をされたのですか? どのように撮っていったのですか? 撮るにあたり、家族や親族から抵抗はあったのでしょうか?
監督:僕は15歳から家族と別々に暮らしていまして、父親から母親が一日に何回も救急車を呼ぶのでどうしたらいいだろうと電話があって、駆け付けたところ、母親が精神に支障をきたしていました。2年前の長女の死が母の精神的な領域を揺るがしていることがわかりました。それまで母のことをほったらかしにしていました。子どものころから強い母親で、肉体労働をしながら子育てをしてくれた母の、そんな姿を見て、一緒に暮らす決意をしました。ある時、どうしても撮影に行かないといけない用事がありまして、母を置いて、鍵をかけて出かけ、バスを待っている時、急にどうなるかわからない母を置いて仕事を優先している自分が間違っていると思って引き返しました。母は精神的混乱に陥っていて、私に「何をしている!」と、ものすごく怒りました。その時、無意識にカメラを手にしていました。現実の母は愛する存在であるけれど、自分の自由を奪っている存在。でも、ファインダーに写っているのは窓辺に座る小さな母。そんな母に愛情を感じました。それが映画を撮ることにした原点です。
このドキュメンタリーの核心部は、僕が母親と向き合う時は、母に対してもしかしたら手をあげるかもしれない危機的な緊張感のある状況です。一台のカメラを通して、母と接することができたということです。撮るということは、フォーカスするということ。カメラを向けることが僕と母親との両者の愛情を取り戻す結果になったと思います。
親戚がたくさん出てきてうらやましいと言われました。母が8人兄弟の長女で、日本が貧しかった戦前や戦争中、マリ子も含めて兄弟を背負って過ごしてきました。島に戻った時、昔世話になったから、その息子が撮っている映画には協力しようという思いがあったようです。
― 個人的な状況が同じで、笑えないシーンもあって、身につまされました。父を亡くし、母と二人暮らし。介護の問題は介護する側の人生が乱される。介護する側の世代に伝えたいことは?
監督:この映画を撮って後悔したことがあります。インタビューしたいと言われ、2時間会って、インタビュー自体は10分。あとは、その人のお母さんの相談でした。まるで美輪明宏のようになってしまって・・・ アドバイスとして、一つだけ言うとすれば、介護者がもっとも得意とするものを武器にすること。僕の場合はカメラを介在させることによって、母親と一定の距離を置くことができました。料理の得意な人は一生懸命料理を作る。洋服作りが得意な人は洋服を作る。無心に打ち込むことによって、自分の創作意欲も持つことができ、親との関係性も修復できるのではと思います。
司会:お母様は今、お元気ですか?
監督:母は見違えるほど回復して、映画の最後で畑仕事をしていますが、ぐんぐんよくなって、島の人たちも奇跡のようだと言ってます。埼玉の長女の墓参りと、この映画を観に、5月に東京に来たいというほど元気になりました。
司会:介護の10か条を含めた監督の言葉をお配りしていますので、ぜひお読みください。4月25日から公開されますが、英語字幕付きですので、そのこともぜひ皆さんにお伝えください。
プロデューサー・編集の落合篤子さん(左)と坂口香津美監督(撮影:宮崎暁美)
『抱擁』 英題:Walking with My Mother
製作・配給 スーパーサウルス
2014年/93分/16:9/カラー/日本
公式サイト:http://www.houyomovie.com/
★2015年4月25日(土)よりシアター・イメージフォーラム(東京・渋谷)にて公開
6月13(土)よりシネ・ヌーヴォ(大阪)にて公開。 他、全国順次公開
2015年04月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック