7月8日(水)、『雪の轍』公開記念、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン映画祭 オープニングイベント 昼の部へ。
9月29日(火)−10月3日(土)に開催される映画祭のオープニングとして上映されたのは、短編『繭』(1995)と『五月の雲』(1999)の2本。
『五月の雲』を観たのは、どこだったか思い出せなかったのですが、2001年のアジアフォーカスだったと判明。監督の故郷を舞台に、両親や知り合いが借り出されて、カメラの前で四苦八苦していたとしか記憶にありませんでした。
最初に36歳の時に製作し、カンヌで認められた短編『繭(koza)』の上映。台詞や説明のないモノクロの美しい映像。あ、これは見覚えのある顔! 『五月の雲』に出演していた監督の両親の姿でした。
続いて上映された『五月の雲』で、舞台になっている村からチャナッカレの町に行く場面が出てきて、『繭』で出てきた船に乗っている場面は、ダーダネルス海峡をいく船だったのだろうとわかりました。ダーダネルス海峡に臨むチャナッカレの町は、32年前に初めてトルコに行った時に、最初に泊まった町。町の目抜き通りの真ん中にあった古い時計台や、湾曲した静かな海辺を懐かしく思い出しました。
上映後、トルコ研究者の野中恵子さんのレクチャー。ジェイラン監督の故郷は、トロイ遺跡にも近いチャナッカレ県の村と説明ありました。今のトルコ共和国建国以来、政教分離の世俗主義はいいとして、過去の遺産を否定してつぶしてきたことが語られました。オスマン帝国時代には、イスラームのもと、キリスト教徒もユダヤ教徒も、様々な民族が共に暮らしてきたのに、今のトルコ共和国はトルコ至上主義。古代ギリシャ哲学が生まれたのも、アナトリアの地。トルコもギリシャも元は一つ、同じ歴史を背負ってきたのに、トルコ共和国設立後、今のギリシャに住むイスラーム教徒と、トルコ共和国となった地に住むギリシャ系民族を住民交換するという理不尽な出来事がありました。
これまで映画やドラマなどの娯楽産業で歴史を描くことは国民に余計な知識を与えるとして避けられてきたのが、最近、この住民交換のことも含めて、映画で歴史が描かれるようになりました。きっかけとなったのは、10年程前のロシアから妻を迎えたスレイマン大帝を描いたドラマの大ヒット。過去を否定する必要はないという風潮が生まれ、オスマン帝国からトルコ共和国に変わったのは何だったのか?というテーマの映画やドラマが作られるようになってきたそうです。ジェイラン監督にも、他国とタイアップして歴史映画を是非撮ってほしいと野中さん。
映画とレクチャーをたっぷり楽しんだあと、代々木上原の東京ジャーミィへ。ラマダーン月のイフタール(日没後の食事)が振る舞われるのがお目当て。思えば、このモスクはトルコ共和国の大きなバックアップで出来たもの。世俗国家トルコは、やっぱりイスラーム色の強い国なのだと感じた夜でした。
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あの日は『繭』も観ることができて、野中さんのレクチャーもわかりやすくて、よかったですね。ジェイラン監督の次回作、ほんとに待ち遠しいですね。