2015年12月31日
戦後70年の年、締め括りは『杉原千畝 スギハラチウネ』 (咲)
今年最後の映画は何にしようと思い巡らせ、戦後70年の年にふさわしいものをと『杉原千畝 スギハラチウネ』に決定。ドイツに迫害を受けていたユダヤ人にヴィザを発給し、多くの人の命を救った美談は、今は有名ですが、戦後、外務省では独断で行った行為ゆえに抹殺され、杉原自身も退官したことを知りました。
また、杉原千畝が諜報活動に長けた人だったことも知りました。ベルリン駐箚中、ドイツがソ連に侵攻する動きを察知し、日本のアジア進出にドイツのバックアップを得られないと判断。本国にアメリカと戦争になった場合は負けると進言するのですが黙殺されてしまいます。ソ連から【ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)】として警戒され、モスクワに赴任できなかったほどの人物の意見に耳を貸さなかった日本政府の対応が悔やまれます。
このことで思い出したのが、父からよく聞かされた話。
真珠湾攻撃の前夜、高校の同級生たちと蕎麦屋で戦争になるかどうかが話題になり、父は「アメリカのような大国と戦争したら負けるに決まっているから戦争するはずがない」と断言したそうです。二十歳前の父でも、そう思ったのに、なぜ日本は戦争に突入してしまったのでしょう・・・ ここでこれ以上論じるのはやめておきますが、今も世界の各地で戦争が絶えないことを憂うばかりです。
ところで、杉原千畝は時間のある限りヴィザを発給し続けました。私は、かつて勤務していた商社でマリ共和国名誉領事館の業務を担当したことがあります。年末年始を前に、旅行会社3社からアフリカ各国を巡るツアー参加者のヴィザ申請が一気にきて、一日で60人以上のヴィザを発給したことがありました。ゴム印を押して、有効期限を入れて、サインをするだけですが、それでも結構大変な作業。杉原千畝は腕が痛くなりながらもユダヤ人のことを思いながら頑張ったのだと想像します。
そして、仕事で縁があって愛着のあるマリの国ですが、そのマリでイスラーム過激派によって伝統文化が破壊されている姿を描いた映画『禁じられた歌声』が現在ユーロスペースで公開中です。
クルアーンがいかようにも解釈できるのを逆手にとって、過激派が善良な民の幸せをつぶしていることをひしひしと感じさせてくれる映画でした。
各地で席捲している過激派。何が過激派を生み出したのでしょう。その要因を解決しない限り、平和は訪れそうにありません。
70年、戦争に巻き込まれなかった日本。ますます混迷の世界情勢の中で、日本は2016年、どんな年を迎えるのでしょう・・・
良い年になることを祈るばかりです。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック