妹が、震災復興割でハウステンボスのパスポートも付いた激安ツアーを見つけてくれたのですが、何より喜んだのは父でした。戦争中、海軍に所属し震洋という特攻艇の訓練をしていたのが、長崎の大村湾。訓練所のあった川棚はハウステンボスのすぐ隣の町。4年前に一緒にその訓練所跡を訪ねたことがあるのですが、また大村湾を訪ねる機会ができて感無量のようでした。
長崎空港に着き、船でハウステンボスへ。7ヶ月間にわたって魚雷艇を乗り回していた大村湾を船で行くのは格別の思いがあるようでした。そも、空港のある島自体、訓練中に目標としてよく使ったところだそう。曾孫に一生懸命説明する父。

ハウステンボスの一番高いタワーの上からの眺め。いくつかの入り江の向こうが父のいた川棚。ハウステンボスのあるところには、海兵団があったそうで、こんなお洒落な場所になるとは思いもよらなかったと!
父の海軍時代のことは、戦後70年特集を組んだシネジャ94号で、“『筑波海軍航空隊』に父を思う”という記事に書いたことがあります。
父は話し好きなので、小さい頃から海軍時代のこともよく聞かされてきたのですが、94号の記事を書くにあたって、父にあらためて色々聞きました。今回の旅の間にもまた、これまでに聞いたことのなかった話を聞くことができました。
今や東京から2時間で飛んで行ける長崎。横須賀にあった武山海兵団から、任地・川棚へは、長崎行きの列車の後部に専用車を連結して300名が大船から乗車。途中の駅で面会に来た家族たちからの差し入れの食べ物が飛び交ったそうです。父も、大阪で義兄と小さな甥たちが会いにきて、デッキで話している内に列車が発車。義兄たちは神戸まで一緒に行ったとか。大船を夕方に出て、2夜を列車で過ごし、2日後の早朝に川棚に着いたそうです。隔世の感があります。
家族面会指定日に母親が疎開先から訪ねてきてくれたのですが、皇族の方が慰問に来られ、面会日が一日先延ばしになり、面会にきた母親たちは嬉野温泉に泊まりにいったという話も。もしかしたら、息子との今生の別れになるかもしれない面会日。母親たちは、どんな思いだったでしょう。

ハウステンボスのイルミネーションを観ながら、ほんとに平和な時代に私たちは育って、それだけで幸せだと思いました。でも、世界の各地で、今も戦争に巻き込まれている人たちが大勢いることを忘れてはならないですね。
長崎の写真もちょっと!

長崎・出島で、飽きもせずじっと説明をみる姪の息子。真面目で探究心の強い性格。「いったい誰に似たのかしらね」と言いながら、「あ、曾爺ちゃんか」と妹。

グラバー邸で曾孫と一緒で嬉しそうな父。