『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』が公開中ですが、私は高田渡さんとはなんだか縁があります。高校時代、バイトして初めて買ったのが高田渡さんのレコードだったし、渡さん(と言わせていただきます)と8年くらい同じアパートの住民でした。
今年(2017年)2月頃、ココロヲ・動かす・映画社 ○ の樋口義男代表にインタビューした時、吉祥寺に作る映画館(ココロヲ・動かす・映画館 ○)で上映していきたい作品のことについてお聞きした中で、吉祥寺にゆかりのアーティストの特集もしたいという話が出て、ぜひ高田渡さんの映画を上映したいと言っていました。それで私が高田渡さんと同じアパートに住んでいたと話したら、すっかり高田渡さんの話題で盛り上がりました。その時に高田渡さんの新しい映画が公開されると言われ、2005年に亡くなって12年もたつのに、渡さんの映画が製作されたと知りびっくりしました。
その作品が4月29日から公開されている『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』。これは渡さんが北海道のライブ先で倒れる1週間前に、東京・高円寺にある居酒屋「タイフーン」で行なったライブの貴重な記録です。そして、この映画の冒頭で私の部屋の窓が出てきました!
ところで、私は高田渡さんとは何かと縁があります。
まず、私が高校時代、初めてバイトして買ったのがギター(ガットギター)とLPレコードで、それは五つの赤い風船と高田渡さんのカップリングのレコードでした。高校3年の時(1969年)フォークソングにはまり、岡林信康、高石友也、中川五郎など、関西フォークをよく聴くようになった中で、高田渡の「自衛隊に入ろう」を知りました。「自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう 自衛隊に入って花と散る」という衝撃的な歌詞。ものすごい皮肉。1回聴いただけで歌詞とメロディを覚えてしまいました。そんなこともあって、初めて自分で稼いだお金で買ったのが、その曲が入ったLPだったのです。その後、吉祥寺や下北沢であったライブにも行きました。
1980年代に武蔵野市(最寄駅は三鷹駅)に引越したのですが、近所で渡さんが歩いているのを何度か見かけ、この近辺に住んでいるのかなと思っていました。その後、1997年に近くのアパートに引越したのですが、そこが渡さんが住んでいるアパートでした。引越した時、水道が出なくて困っていたら、渡さんが家から出てきて「確か水道の元栓はここだったな」と言って、元栓を開けてくれました。それで、渡さんはこのアパートに住んでいると知りました。その時にお礼を言って、初めて買ったLPが高田さんのレコードでしたと言ったら、照れてそそくさと家に戻っていってしまいました(笑)。
私は渡さんの家の斜め上に住んでいたのですが、会社員だったので平日はほとんど夜遅くに帰っていたから、そんなに渡さんに会うことはありませんでした。でも、会った時は挨拶は交わしていました。
そんな中、友人からパソコンのプリンターをもらった時、友人が高田渡さんが住んでいるアパートをみたいと言ってプリンターを持ってきてくれました。私が住んでいたアパートは住宅街の中にあり目印になるものがなくわかりにくかったのですが、友人が家の近くまで来た時、なんと渡さんが外でタバコを吸っていて一番の目印になってくれました(笑)。同じアパートに住んでいてもめったに会わないのに、友人は渡さんを見ることができてラッキーでした。
それに高田漣さんのお母さんでもある、渡さんの最初のパートナーとも、ある催しで知り合いました。彼女は京都から東京に二人で来たときのエピソードを話してくれましたが、後に、私が渡さんと同じアパートに住むことになったと伝えたら驚いていました。彼女は渡さんが亡くなってお通夜に来た時、私の家にも立ち寄ってくれました。そういえば、お通夜には私も線香をあげにいったのですが、高田家には日本フォーク界のそうそうたるメンバーがいました。祭壇前の座布団にはなぎら健壱さんが座っていて、線香をあげるためどいてもらいました(笑)。
また、『タカダワタル的』が公開された時も不思議なことがありました。若い友人から「高田渡って知ってる? 同じマンションに住んでいる人が『タカダワタル的』のプロデューサーで、今度、観にいってみようと思っているんだけど」といわれ、「知っているもなにも同じアパートに住んでるよ! それに、この映画のタナダユキ監督にもインタビューしているよ(シネマジャーナル61号掲載)」といったらビックリぎょうてん。そんなことってあるんだねと大笑い。この中に出てきた猫は時々私の家にも遊びに来ていたけど、この映画で高田家で飼っている猫と知りました(笑)。それまでは野良猫だと思っていました。
さらに、その友人がこの映画を観て「いせや」に行ってみたいというので忘年会を企画して、いせやに行ったのですが、その帰りに三鷹駅で渡さんとバッタリ会いました。渡さんは地方でのライブの帰りと言っていました。私は「『タカダワタル的』を見て、「いせや」に行ってみたいという友人たちといせやで忘年会をした帰り」と言ったら、渡さんは苦笑い。すでに、体力が落ちていたのかもしれません。奥さんが駅まで迎えに来ていて、彼女がギターを持ち駅の階段を下りていきましたが、渡さんはフラフラと下りていました。でもまさかその4ヶ月後に亡くなってしまうとは。まだ56歳でした。今、思えば、渡さんと最後の言葉を交わしたのは、この時だったと思います。
渡さんが亡くなった後も奥さんはアパートに何年か住んでいましたが、数年後引越されました。アパートは老朽化し2010年に立ち退きになりましたが、その後解体されました。私はいつ解体されたか知らず、更地になったところは見たことがありますが、なんと『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』の最後にはアパートの全景が出てきてびっくり。解体が始まるのでその作業が始まるところでした。なんでも代島監督はこのアパートのそばに住んでいて、このアパートの解体の日を張り紙で知り、撮影したと言っていました。「転居しました 高田」という張り紙と、何もない高田家の部屋の様子が映し出され、渡さんはもういないんだなあという思いにかられました。それにしても、いまはない自分が住んでいたアパートの姿を映画で観るとは。貴重な経験になりました(笑)。(暁)
シネマジャーナル
『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/449477390.html
『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡 東京ラストライブ』公式HP
https://www.takadawataru-lastlive.com/
2017年05月06日
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