もうひとつの故郷台湾に寄せる思いを語るトークショー 2017年8月3日
『海の彼方』
黄胤毓(ホアン・インユー/インイク)監督
台湾・日本合作 2016年
1930年代、台湾から石垣島へ渡った台湾移民。約60世帯の農家が移り住み、パイナップルの栽培と水牛による耕作という技術革新を日本へもたらした。その中に玉木家の人々もいた。一家の3世代にわたる人生に光を当て、歴史に翻弄されながらも生き抜いてきた玉木家の「家族愛」に迫る。
彼らは、日本の敗戦でアメリカの統治下になった沖縄で、1972年の返還まで台湾人とも日本人とも認められない無国籍になったが、返還後日本に帰化した。
そんな台湾移民のひとりである玉木玉代おばあは米寿を迎え、国内外から100人を超す子供、孫、ひ孫など子孫が集まってきて祝宴を開いた。その後、娘や孫たちに連れられ、台湾への里帰りを果たした。15年ぶりの里帰りで、玉代おばあはとても素敵な笑顔を見せる。
シネマジャーナル新作紹介『海の彼方』
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/452474405.html
劇場公開日 2017年8月12日
出席者 映画に出演した玉木慎吾さん(SEX MACHINEGUNS)とモデルでフォトグラファーの舞川あいくさん
台湾から石垣に移住してきた祖父母の元に生まれた父親と日本人の母親とのハーフである玉木慎吾さんと、両親とも台湾人で日本生まれ日本育ちの舞川さん。そんな二人のトークショー。
玉木家と舞川家の言語状況の違い
舞川さんの家では、台湾語と日本語が混ざり合いながら会話をしていると語ると慎吾さんはうらやましがり「お父さんの世代から、おばあちゃんは台湾語をしゃべらなかったので、僕の世代には台湾語は届いてこなくて、まったく台湾語を聞いたりしゃべったりする環境はなかった」と語った。
台湾に行っても、「祖母は台湾の若い世代とは北京語と台湾語で会話ができない。北京語の教育が始まるまでに石垣島に来ていますしね。祖母とは「普段は日本語で話しています。台湾語は絶対しゃべってくれない。教えてもくれない。僕のお父さんの時代は、いじめがあっておばあちゃんは子どもがいじめられないよう、あえて教えず、台湾人であることを隠そうとしていた。だから僕ら孫にも、そういう風に接してくれていたのかな」と子供の頃を思い出しながらに語った。
台湾に興味を持ったきっかけは?
慎吾さんは、小さい頃には台湾にほとんど興味がなかったけど、興味本位で祖母に「台湾ってどんなとこなの? おばあちゃんの親戚っているの?」聞いたけど、はぐらかして、親戚はいませんと言って、話は終わってしまいました。でも「八重山の台湾人」という本を読んだ時に、祖父母がなぜ石垣島に来たのかという経緯や、その頃の時代背景などが載っていて、お祖父さんたちがパイナップルを持ってきたというのもその時に知りました。自分が台湾と日本のハーフだという以外知らなくて、今まで何で知らなかったんだろうということがショックでした。映画の中に出てきますが、この時行ったのが初めての台湾でした。行けたらいいなあと思っていたけど、それまで台湾は想像の世界だったけど、やっと行けたのでとても嬉しかった。現地で祖母は現地の人と台湾語で話しているけど、自分には全然わからなかった。
舞川さんは小さい頃から台湾と行き来していて祖父母との交流があったと語り「今は、両親を誘って3カ月に1回くらいのペースで台湾に行くようにしています。映画でお祖母さんが元気になっていたように、台湾に行くと両親がすごく元気になるんですよ。やはり日本にいると母国語をしゃべりたくてもしゃべれないけど、台湾に帰れば母親や妹、弟とも会えて、しゃべりたい言葉がしゃべれると、顔がパッと明るくなるんですよ。日本にいるとしっかりしなきゃとか、ちゃんとしていなくちゃとか思うけど、台湾に帰れば背伸びしなくてもいいんだ。すごくリラックスできる自分がいます。ご飯も美味しいし。パワースポットみたいな感じですね」映画を観ての感想は「知らないことがいっぱい詰まっていて勉強しました。観ながら歴史を学んだという感じ。お祖母さんを見て、自分の祖母を思い出しました。家に帰ったら皆で食事をするんだとか、どこの家庭もそうなんだと安心しました。父母の兄弟が多く、台湾に帰ると親戚回りから始まるんですが、そういう文化も、この映画と同じです」と語っていた。
一般の人に映画を観ていただいた感想はという問いに対して、慎吾さんは「僕の物語の家族というかお祖母ちゃんが主役ですが、たくさんの方に観ていただいて不思議な感じではあります。でもそれはいやではないです。嬉しいことです。それに自分の家族が、歴史にも絡んでいるということで、そういう役目も背負わなくてはならないのかなとも思い、皆さんにそういう気持ちで観ていただけたらと思います」。
黄監督が玉木家を取材するようになった経緯は?
「聞いた話では、監督は八重山に移民してきた台湾人を1年半くらいかけて取材していたそうです。一度、祖母にもアタックしていたんだけど断ったそうです。それで、この人は難しいと思っていたそうです。いろいろ回っているうちに父にたどり着いて、お父さんはひょうきんな性格で、お祖母ちゃん紹介するよということになって、またお祖母ちゃんにアタックすることになったんです。家の家族の広がり(兄弟7人いて、孫やひ孫もたくさんいて)に興味を持ったそうです。それと、他の家庭は伝わっているらしいのですが、八重山にいる台湾移民の家庭ではめずらしく、お祖母ちゃんから父親世代に台湾語が伝わっていないというのが特殊だったらしく、それにも興味を持ったようです。でも大きな家族になっているのが不思議だと、引き付けられるものがあると、撮らせてくださいということになりました」と語った。
舞川さんは「台湾と日本を行き来しているので、どちらも故郷。台湾に帰ったら家族がいるし、懐かしい匂いがする。ルーツなんだなって気がする。日本は私の生活の全てがある。どちらの文化も大切だし大好き」と“2つの故郷”への思いを明かした。
二人の台湾に対する思いをきけたトークショーでした。
ぜひ、皆さん観にいってください。八重山のパイナップル栽培の歴史や台湾からの移民の方たちのことを知ることができます。
公式HP https://uminokanata.com/
2017年08月13日
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