2017年8月13日 ポレポレ東中野
『海の彼方』上映終了後、黄胤毓(ホアン・インユー/インイク)監督と『台湾萬歳』の酒井充子監督による トークイベントがありました。現在八重山に住んでいる黄監督は、流暢な日本語でのトークでした。
作品内容は下記を参照ください
シネマジャーナルHP『海の彼方』作品紹介
『台湾萬歳』酒井充子監督インタビュー
*八重山の台湾移民
黄監督 けっこう長い時間をかけて、台湾移民の一世から三世、四世まで、八重山だけでなく、沖縄、日本各地に住んでいる人、台湾に疎開した人150人くらいにインタビューしました。皆さんの共通点を考えて、いろいろテーマ、大きなテーマは「八重山の台移民」ですが、違うルートで来た人とか、いろいろテーマがあったので3部作にしました。1作目は、なぜ八重山に台湾の人がいるのかという紹介。歴史をまとめて紹介しました。とりあえず家族を中心に主人公を選びました。やはり歴史を語りたいのなら、本人がいないとできないので、一世の方をいろいろ考えて、元気で記憶力が素晴らしい玉木玉代おばあを中心にして、台湾移民の中で、一番家族が多いというのも玉木家を選んだ理由です。
酒井監督 黄監督は日本語が流暢ですが台湾の人です。偶然ですが、次に上映される私の『台湾萬歳』の舞台の台東県の出身です。大学時代に「沖縄の台湾人」というテーマを見つけられて、日本に留学したんですよね。
黄 ドキュメンタリーに興味を持って大学時代にドキュメンタリー映画を作り始めて、その時に人類学とか民俗学に興味を持ちました。日本人の先生が、日本と台湾の関係あるテーマを教える授業で、日本の中で台湾移民が一番多いは沖縄って知っていますか?と言われ、その時に戦前の台湾移民の話をしてくれました。
日本統治時代の台湾人の話というと、学者だったり、医者、商売人とか、エリートのイメージですが、農民とか労働者の話は初めてでした。それで、印象に残りました。その後、映画の勉強で日本に留学して「日本と台湾」のテーマで、何があるのかと思った時に、自然に八重山の台湾人のことをやってみたいと思いました。
酒井 私たち日本人も、台湾から八重山にあれだけたくさんの農業移民がいるということを知るきっかけとがなくて、この映画を通じて初めて知った方もたくさんいるんじゃないかなと思います。
石垣のパイナップルを、私たちも食べていると思いますが、そのパイナップルを石垣島を根付かせたのが台湾の方たちだったということも含めて、玉代おばあの存在を通して、石垣の台湾移民の歴史を知ることになったのですが、今回、孫の慎吾さんの目線を通して、おばあを見ていくという流れ、とても良かったと思いました。
黄 私が取材を始めた時「遅すぎる」と言われました。もたくさんの人が亡くなっている。10年、20年前に来ていればと言われました。でも実際は、10年前だったら教えてくれなかったかもしれません。自分たちのアイデンティティや身分、素性を隠していたからです。
*台湾人としてのアイデンティティ
酒井 台湾人だと言えるようになったのは、最近のことだと言っていましたよね。
黄 私がこの作品を作り始めた2015年の頃、彼たちが直面している問題と向き合っていた。三世、四世になったら、どうやって台湾系であることを考えるかとか、考え始めていること。2013頃から取材しているけど、毎年、毎年、一世の方がなくなっているし、移民が三世越えたら終わり。すっかり日本人になっているとかあります。
酒井 おばあが元気でいてくれるこの時期に出会えてよかったですね。おばあがあってこその映画ですよね。
黄 はいそうです。あと慎吾さん(ミュージシャン)という存在を得たというのも重要ですね。三世で東京にいて、正々堂々と自分が台湾の血をひいていると認めている。実際、日本生まれ、日本育ちの三世の方たちに何人も会っているのですが、台湾のことを聞かれても、台湾のかけらもないという人もいます。隠したいというのでもなく、日本人になっている。興味もないという人もいます。以前は台湾系を隠さないと就職できないとかということもあったので、台湾の血をひいていることはかくして、日本人として生きている人もいました。台湾から来た一世の人たちは頑張ってここまで来たのに、わからないままという人たちもいる。
*台湾と八重山の繋がり
酒井 黄監督は、台湾でかつて八重山にいたという人には取材したんですか?
黄 映画の中にも出てきましたが、終戦当時、台湾に疎開した人は2万人くらい。台湾に戻ったまま、八重山には戻らなかった人もいますし、玉代さんのように戻ってきた人もいます。石垣だけでなく、宮古島とかにもいます。
戦前八重山に行った人は90歳前後。港を作ったりしたお年寄りもいます。
酒井 台湾と沖縄というと、当時(日本統治時代)、沖縄から台湾に行った人もけっこういますよね。私が今回取材した台東の漁師のおじいさんは沖縄出身の人の船に乗っていたそうです。ほんとに沖縄と台湾との繋がりは強いですよね。
黄 私は今も、沖縄を拠点にして取材をしていますが、特に八重山と台湾は近いですよ。沖縄本島より対話のほうが近いほどです。沖縄本島と台湾は時差がありますが、台湾と八重山は同じ時間ですね。八重山の言葉で、「台湾病」というのがあります。八重山は田舎なので台湾に行きたいということなんですが、台湾に行ったら、特に台北に行ったら大都会でした。
酒井 一番近い大都会は台北だったてことですね。
黄 今の時代、東京に行きたいというのと同じです。
*次作以降の作品について
酒井 3部作の、今回1作目ということですが、このあとは、どういう作品なんですか? もう撮影に入られていると聞いたのですが。
黄 八重山の台湾移民で、一番多いのは、石垣島のパイナップル農民ですが、それより20年より前、西表島の炭鉱があったんですね。そちらは悲惨な歴史で、台湾だけでなく朝鮮や中国の人を街で募集して連れてきて、非人道的な労働をせさていた。経験者の二世の92歳のおばあさんに集中して西表炭鉱の歴史を聞いています。残された時間が少ないし、悲しい話が続いて、すごい不幸な人生なので、次の作品は、再現シーンは劇映画にしようと思っています。それで、今、クラウドファインディングで資金集めをしています。
酒井 12月まで募集していますので、皆さんよろしくお願いします。3作目は若い人なんですよね。
黄 3作目は、慎吾と同じ世代の方が2013年から台湾の伝統である龍の舞を行う青年団を石垣で作ったのでづが、その結成から今までを記録しています。若い人中心で、台湾のことはわからないという人もいます。でも台湾との繋がりを保っている。台湾ぽさを出すのではなく「石垣の文化のひとつは台湾系」ということで、台湾移民コミュニティの未来かなと思って動いています。
戦前は地元の人ともめたこともあるけど、日本生まれの三世、四世は、すっかり石垣の人だけど、台湾系というものを出しています。エイサーみたいな感じで、台湾系の舞踊も残したいという思いでやっています。
*懐かしい台湾語と日本語
酒井 『海の彼方』では、おばあたちが話している台湾語が、今の人たちからすれば、すごく古い、丁寧な台湾語だと聞きました。私が今まで台湾で日本語教育を受けたおじいさん、おばあさんたちに話を聞いた時、すごく丁寧な美しい日本語が台湾に残っていたんです。
黄 更新していないので、時差があるんですよ。当時学んだ言葉で話しています。けっこう難しくて、私も聞き取れなくて聞き直したりしました。八重山の人たちが話している台湾語は、戦後、台湾の中国語教育とかに影響されていないので、当時のままなんです。私たちの世代は難しい台湾語は北京語(公用語)に置き換えてしゃべったりしています。今回の取材では、私も聞き取れなくてわからない台湾語を親に聞いたりしました。親も久しぶりに、こんな台湾語を聞いたと言っていました。
酒井 そうなんですね。懐かしい台湾語が今も石垣では話されてるということなんですね。
黄 今の台湾では中国語(北京語)で話していますので、私の世代では基本、台湾語は下手です。聞くことはできても、しゃべるのは難しい言葉は話せません。八重山で取材しているうちに台湾語が上手になりました(笑)。
酒井 台湾語のレッスンになったんですね。
*台湾からの移民について知ってほしい
司会 最後に、観客の皆さんに伝えたいことをお願いします。
黄 この作品は、去年台湾で公開されたのですが、日本での上映で、八重山の台湾移民のことを知ってほしい。いろいろ取材しても、顔を出せなくて、使えないインタビューもありました。友人にも、自分が台湾系であることを公表していない人もいます。そういう人たちが葛藤も含めて理解してほしい。二世の方は日本社会の中で、自分の生活を守るため、そういう生活を選んだ人もいます。
酒井 そういう思いをしている人たちがいるということが、今の日本社会であるということを考えなくてはいけないということを感じます。
黄 台湾からの移民の人たちの思いが伝えられたらと思います。
ポレポレ東中野で公開中
『海の彼方』公式HP
『台湾萬歳』公式HP
黄監督次回作『緑の牢獄』支援プロジェクト
クラウドファンディングサイトMotion Gallery
https://motion-gallery.net/projects/greenjail
2017年08月27日
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