2019年03月19日
『パパは奮闘中』監督取材のお陰で、思い出の場所を訪ねました (咲)
『パパは奮闘中』が4月27日より公開されるのを前に、ギョーム・セネズ監督が来日。インタビューの時間をいただきました。
試写状の紹介文から、ママが家出して、パパが子育てに奮闘する物語とイメージして観てみたら、もう一つの物語の軸が、職場でリストラが始まり、組合側につくか、会社側につくかという選択を迫られる話で、がぜん興味を持ちました。
原題『Nos Batailles』は、「私たちの戦い(複数)」という意味で、人生や社会におけるいろいろな場での戦いを描いたと監督。インタビューの詳細は、後日お届けします。
実は、私自身、20年ほど前に、勤めていた会社の経営が悪化して、500人が希望退職という事態になりました。それまで一緒に仲良くカラオケやお酒を飲みに行っていた上司が、部下に希望退職を打診する(つまりクビを切る)立場になり、内心、さぞつらかったことと、この映画を見て思い出した次第でした。
取材場所は、溜池山王駅直結のザ・キャピトルホテル東急。
(キャピトル東急ホテルが2006年11月30日に建て替えのため営業を休止、2010年10月に名前を変えて再開業していたのですね。知りませんでした。)
で、ロビーのある3階の玄関を出ると、すぐ左手に日枝神社の本殿。長い階段を上がらずに行けました。
この日枝神社の本殿、思い出のある場所でした。
かつて勤めていた商社で、西アフリカのマリ共和国領事館業務を担当していたことがあって、マリの大統領が来日した折、日枝神社の本殿で極真空手の奉納試合をしたのです。
日枝神社とのやりとりや、ホテルからの移動のミニバスの手配など、事前準備が大変だっただけに、神聖な場所での奉納試合に感無量でした。
日枝神社の階段を降りて、左手に少しあがると、日比谷高校。
これまた思い出の場所。
神戸の中学校2年の時、同級生だった男子が横浜に引っ越し。越境して日比谷高校に通ってました。私は1年後の高校入学の時に横浜に引っ越し。
文化祭の時に誘われて日比谷高校に行ったのを懐かしく思い出しました。
それも人生の1ページ♪
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