2019年07月06日

インドの女性監督ナンディタ・ダースも登壇。『マントー』上映会 (咲)

印パ分離独立に翻弄された作家マントーの伝記物語『マントー』を、7月4日(木)夜6時から東京外国語大学で観てきました。

40分前に着き、受付でいただいた萩田博さんによる詳しい解説を読んで映画に臨みました。お陰で映画の中に織り込まれるマントーの短編の場面も、すんなり理解できました。
(かつて国際交流基金で萩田さんのウルドゥー文学の講座を受けたことがあるのを思い出しました。講座が開かれたのは、資料に1996年とありました。マントーの名前、覚えていません・・・ トホホ)

サアーダト・ハサン・マントーは、英領インドだった1912年、現在インド側にあるパンジャーブで生まれる。幼年期から青年期をアムリットサルで過ごす。
ユーゴーやオスカー・ワイルドの戯曲、ロシア文学の短編小説などのウルドゥー語への翻訳を経て、短編小説の執筆を始める。
1937年、ボンベイで映画関係の雑誌「ムサッヴィル(画家)」の編集者となる。1939年、サフィアと結婚。
1941年、オール・インディア・ラジオのデリー放送局に勤務。ラジオ・ドラマを数多く執筆。
1942年、ボンベイに戻り、雑誌の編集や映画の脚本を執筆。俳優のシヤームや アショーク・クマールとの親交を深める。
1947年、印パ分離独立。妻サフィアと子どもたちはラホールに移住。
1948年、マントーもラホールに移る。
1955年、肝臓を患い、42歳で逝去。

印パ分離独立後、先にラホールに移住した妻から早く来てほしいと手紙が来ても、ボンベイを離れたくなかったマントー。「ムスリムを殺せ!」「パキスタンに行け!」の声が高まり、職場でもムスリム排除の動きが強くなり、さらにマントーの脚本が映画化されないという事態もあり、ついに移住を決意した様子が映画で描かれていました。
ボンベイにいる親友からの手紙も読もうとしないマントー。
「今や僕のボンベイは別の国。父も母もそこに眠っているのに」という言葉が、ぐさっと胸に刺さりました。
マントーの小説は性や人間の心理描写が猥雑だとして、何度も裁判沙汰になります。弁護士が手を引き、あるがままを表現したいだけと自己弁護するマントー。
心が折れ、酒浸りになり、ついには肝臓を悪くして早死にしてしまうのです。
どんな状況にあっても夫を支え続けた妻サフィアの気持ちを思い、涙。
manto kantoku 1.jpg
映画の余韻に浸る中、ナンディタ・ダース監督が登壇。女優でもある彼女、華奢で可愛らしい方で、どこにこんな重厚な映画を作るエネルギーを秘めているのかとびっくりしました。
manto kantoku 2.jpg

写真:関係者席にいらした村山和之さんから提供していただきました。

スピーチは、会場からの要望でヒンディー語で行われました。
ナンディタ・ダース監督は、ウルドゥー語で書かれたマントーの小説のヒンディー語訳全集を丹念に読み解いて映画化されたとのこと。

自身が話すよりも、会場からの質問を受けたいとマイクを会場に委ねました。
この質疑応答の模様は、いずれ外語大のウルドゥー専攻のサイトに掲載する予定とのことですので、ここでは私が留めておきたい監督の言葉を披露しておきます。

マントーが色々な困難に遭いながら、立ち向かって書き続けたことを伝えたいと思いました。
映画を観る人によって捉え方が違うと思います。観る人自身がどういう人生を生きてきたかで観る目も違うと思います。単に映画がいいか悪いかでなく、映画を通じて話し合いが始まることを願っています。

もし、今の時代にマントーが生きていたら「表現の自由があるのに、皆、なぜ声をあげようとしないのか?」と言うのではとも。


エンドロールで歌われる「Bol(話せ)」は、ファイズ・アフマド・ファイズの有名な詩とのこと。
麻田豊氏による「できるだけ原文に沿った試訳」をこちらに掲載させていただきます。

話せ 君の唇は自由なのだから
話せ 舌はまだ君のものだから
君のすらりとした身体は君のものだから
話せ 命はまだ君のものだから
見よ 鍛冶屋の店の中を
炎は燃え盛り 鉄は真っ赤
南京錠の口が開き始めた
ひとつひとつの鎖の輪が解けた
話せ この短い時間で十分
身体と舌が死に絶える前なら
話せ 真実はまだ生きている
話せ 言うべきことは言うのだ


監督は13日間、日本に滞在予定です。
ナンディタ・ダース監督の登壇するワークショップもあります。

◆ワークショップ「現代インド女性をめぐる問題:女優として、活動家として」

2019年7月9日〈火〉 18:00開映(17:45開場)
場所:東京外国語大学 研究講義棟1階100
登壇:ナンディタ・ダース監督
使用言語:英語/参加費無料/先着順/申込不要/定員60名


*****

帰り道、印パ分離で故郷を離れなければいけなかった多くの人たちのことに思いを馳せました。トルコとギリシャの住民交換も然り。世界の各地で、どれだけ多くの人が政治的要因の犠牲になったことでしょう。
私は父の転職で、15歳の時に神戸から東京に引っ越しました。今でも心は故郷の神戸に・・・  政治的なことで自分の意志でなく故郷を離れた人たちと状況は違うけど、気持ちわかります。


東京外国語大学での上映会情報は、こちらで!
◆TUFS Cinemaウェブサイト
https://www.tufscinema.jp



posted by sakiko at 18:16| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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