2019年08月07日

済州島の旅(2)西帰浦で画家イ・ジュンソプを偲ぶ  (咲)

7月30日(火)
済州島滞在3日目。有無を言わせず、私の希望で西帰浦(ソギポ)へ。
酒井充子監督の映画『ふたつの祖国、ひとつの愛 〜イ・ジュンソプの妻〜』(2014年12月13日公開)で知った非業の死を遂げた画家イ・ジュンソブが、日本人の奥様と二人の息子さんと共に、1年弱暮らしたのが西帰浦。
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一家が間借りした茅葺の家(復元)のそばには、イ・ジュンソブ美術館も建てられているので、ぜひ訪れたいと思っていたのです。

去年7月、釜山を訪れた時、偶然にもイ・ジュンソブ一家が済州島に渡る前、1か月過ごした汎一洞に宿泊したということもありました。
その時の日記 
釜山の旅 2日目朝 『友へ チング』と国民的画家イジュンソプゆかりの汎一洞を歩く (咲)

イ・ジュンソプについて紹介しておきます。

李仲燮(イ・ジュンソプ)
1916年9月、日本統治下の朝鮮半島で富裕な農家の次男として生まれる。
1936年20歳のとき、東京の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。その後、文化学院美術部に移り、三井財閥企業の役員を父に持つ山本方子と出会う。1943年、ソウルで開かれた美術展のために帰国するが、戦況が悪化し日本に戻れなくなる。故郷の元山に帰ったジュンソプは、方子を呼び寄せて結婚。1950年朝鮮戦争が勃発し、家族で釜山、済州島へと避難する。1952年36歳のときに妻子3人を日本へ送還。翌年、特別滞在許可を得て1週間足らず日本に滞在するが、これが家族との最後の別れとなる。
1955年アジアの芸術家として初めてニューヨーク近代美術館に作品が所蔵される。しかし満を持して開催した個展は、銀紙画を春画とみなした当局から撤去命令がでる。この頃から栄養不良や拒食症等で衰弱していき、1956年9月6日、誰にも看取られずに息を引き取った。享年39歳。
1970年代にジュンソプの残した作品群への評価が高まり、一枚の絵が最高35億ウォン(約3.2億円)の値がついた。現在では、美術館が建てられ、韓国の国民的画家と呼ばれている。

さらに詳細は、下記をご覧ください。
『ふたつの祖国、ひとつの愛 〜イ・ジュンソプの妻〜』
酒井充子監督インタビュー

さて、イ・ジュンソプを偲ぶ旅に戻ります。
新済州市のホテルメゾングラッド近くの「恩南洞」バス停から、360番のバスでバスターミナルへ。5番乗り場から、281番のバスに乗車。

バスターミナルの観光案内所で、282番のバスでも行けると教えてもらったのですが、282番のバスの運転手さんに「イ・ジュンソブ?」と聞いたら、運転手さんと、一番前に座っていた年配のご夫婦が声をそろえて「違う。あっち」(という意味のハングルだと思う!)と、281番の乗り場を指してくださいました。
私はハングルはできないので、イ・ジュンソブの名前を言っただけなのですが、わかってくれました。さすが、国民的画家!

済州島を北から南に山越えして、1時間ちょっとで、西帰浦の東門ロータリー到着。
バス停のちょっと手前に、「イ・ジュンソブ通り」と日本語も併記された案内板があり、間違いないと、ほっ!
バス停そばの文房具屋さんで、方向を確認。市場を目指していけばいいとのことでした。
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市場のアーケードの入り口付近
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その向かい側が、1996年にイ・ジュンソブ通りと名付けられた通りのスタート地点。
ここから、坂を下っていきます。
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イ・ジュンソブの絵のモチーフが道にはめ込まれています。
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マンホールもイ・ジュンソブ
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排水溝?も
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壁には、絵の複製

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イ・ジュンソブ美術館への道
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イ・ジュンソブ美術館

中の写真は撮れなかったのですが、1階入って左手がイ・ジュンソブの生涯をたどる展示。説明はハングルと英語。
イ・ジュンソブが家族に宛てた日本語の手紙や、奥様の山本方子(やまもとまさこ)さんからの手紙も展示されていて、それにはハングルや英語の訳はなく、日本人には読めるものの、それでいいのか・・・と思いました。
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美術館3階のテラスからは、西帰浦の町とその向こうに島が見えました
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美術館から程近いところにイ・ジュンソブ一家が間借りしていた茅葺の家。1997年に復元されたものだそうです。
一番端の扉を入ると、手前に竈。奥に3畳弱の土間のような部屋。
ほんとに狭くて、暗くて、こんなところで一家4人が暮らしていたのかと涙。
でも、奥様によれば「幸せなとき」だったとのこと。

39歳で非業の死を遂げたイ・ジュンソブ。
かつて過ごした地に、美術館が出来、そこに至る道が「イ・ジュンソブ通り」と名付けられるなどとは思いもよらなかったことでしょう。
歴史に翻弄されたイ・ジュンソブの人生。
せめて、存命中に絵がもっと評価されて売れていれば、39歳という若さで命を落とすこともなかったのではと、涙です。

10歳の妹の孫の男の子も、彼の人生を知って、ちょっとしんみりしていました。
いい勉強になったのではないでしょうか。

と思ったのも束の間、「どこかで休みたい」と言われてしまいました。
私も、暑かったので、パッピンス(かき氷)が食べたいなと。
それなのに、なかなかお店がない!
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思わず「パッピンス!」と叫んだら、なんと、パッピンスの写真がパン屋さんの表に・・・
無事、いただきました。
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出てきたときに写真を撮り忘れ、少し食べた無残な姿ですみません・・・

その後、アーケードの市場へ。
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帽子屋さんに、なぜかヒジャーブ(イスラームの女性が髪の毛を隠すためのスカーフ)が・・・
こんなところにも、ムスリマの観光客が来るのでしょうか。
お店の人に聞いてみたかったけど、ハングルができないので諦めました。

あ〜 どこへいっても、イスラームにかかわるものが気になる私!







posted by sakiko at 22:41| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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