2020年03月08日

イラン人監督が「ハイファに戻って」をもとに描いた『生存者』 (咲)

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コロナウィルス感染予防のための自粛で、2月29日〜3月1日の藤沢でのイラン映画祭も、3月1日のイラン大使館チャリティーバザーも延期になる中、予定通り開催しますとの案内をいただき、東大でのイラン映画上映会に参加してきました。

上映作品 『生存者』  原題:bazmandeh   
監督:セイフォッラー・ダード Seyf Allah Dad   イラン/1994年

日時:3月3日(火)18:30〜21:00
場所:東京大学構内書店 建物3階(消費生活協同組合の部屋)
会費:500円(イラン紅茶お菓子資料代)
主催:イラン親善大使グループ

原作は、パレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーの「ハイファに戻って」
1948年、イスラエルがハイファに侵攻し、パレスチナ人のサイード夫妻は、家で寝かせていた赤ん坊だった一人息子を迎えにいくことができないまま、ハイファを追い出されてしまう。
20年後、ハイファに戻ったサイード夫妻は、自分たちの家に住みついたポーランド出身のユダヤ人夫妻によって息子がユダヤ人として育てられたことを知る。
そして、ハイファの懐かしいはずの我が家も町も、かつてのハイファではないことを思い知る。

原作では、20年後にハイファに戻った夫妻の喪失感が描かれているのですが、イラン人監督が描いた『生存者』は、1948年にパレスチナ人が故郷を追い出された時代だけを描いています。ハイファに戻ったところを描いていないので、小説「ハイファに戻って」にインスパイアされて描いた物語という位置づけになると思います。

★映画『生存者』 あらすじ
1948年4月9日、パレスチナのデイル・ヤシーン村で虐殺事件が起こり、5月14日、イスラエルの建国宣言がなされた頃のハイファ。
パレスチナ人の医者サイードは、駅の爆破事件に出くわすが、仕掛けたのが幼馴染のユダヤ人シモンだと知り、警察に通報する。だが、警察は犯人逮捕に動かない。やがて、パレスチナ人は1週間以内にハイファを出ろと言い渡される。サイード夫妻は、家で寝かせていた生後数ヶ月の息子ファラハンを迎えに行くことができないまま町を出る。
ユダヤ人の入植に手を貸しているシモンは、サイードたちの家にポーランドからやって来たユダヤ人のクシン夫妻を住まわせる。子どものいない夫妻は、置き去りにされていた赤ちゃんをムーシェと名付け、わが子として育て始める。それを知ったサイードの母サフィエは、自分はその子の乳母だったと偽って、子守役として雇ってもらう。
クシン夫妻がテルアビブで映画を撮ることになり、サフィエも列車に乗って同行することになる。だが、サフィエは夫ラシードから、その列車は爆破予定があるから乗ってはいけないといわれる。ところが、列車に爆破装置を仕込んだスーツケースを持って乗り込む予定だったラシードが撃たれてしまう。サフィエがスーツケースを持って乗り込むことになる・・・


映画は、サフィエが爆破装置のスイッチを入れ、赤ちゃんを抱いて列車を飛び降りるところで終わりました。
その後、どうなったかは描かれていないのですが、少なくとも原作とは全く違う展開。
そこがイラン風?!

この上映会を企画した山本純子さんは、イランに住んでいた20年程前、テレビ放映されていたのを観て、いつか日本語字幕をつけて皆に観てもらいたいと思っていたそうです。 

イスラーム暦ラマザーン月の最後の金曜日が「世界エルサレムの日」とされていて、イランでも各地でデモ行進が行われるのですが、この『生存者』は毎年、この日にテレビ放映されているのだそうです。

セイフォッラー・ダード監督は、アラブ人の俳優を使って、シリアで撮影。もとの映画はアラビア語ですが、この日に観たものは、イランのテレビで放映されたペルシア語吹替え版に日本語字幕をつけたもの。(字幕:田島和歌子さんが担当。監修:山本純子さん)
イランの吹替えは上手だなぁ〜といつも思うのですが、本作もとても自然。でも、パレスチナ人もユダヤ人も、さらにポーランドから来たユダヤ人もペルシア語を話しているのは不自然。全員がアラビア語を話していたとしても変。少なくともポーランドから来たユダヤ人とは意思疎通できないはずでしょう。(ま、それは映画ですから!)

それは差し置いて、1948年にパレスチナ人が追い出されたときの様子や、故郷を去ったパレスチナの人たちの喪失感がよくわかる映画でした。
着の身着のままでやってきたユダヤ人に、パレスチナ人を追い出したあとの家を居抜きであてがっている場面が特に胸に迫りました。パレスチナ人が置いていった衣服も、サイズを手直しして着るのですが、そんなことがよく平気で出来るなぁ〜と。

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撮影:近内恵子さん

ところで、この上映会が行われた「東京大学構内書店 建物」は、第二食堂の入っている3階建てのビル。東大病院の並びの奥のほうにある古い建物。
私の父は、昭和18年12月に学徒出陣し、終戦後、昭和21年4月に東大に復学。
翌年、友人と二人で立ち上げた映画文化研究会の集まりでこの建物の3階の会議室を使ったことがあるとのこと。どのあたりの部屋だったのかなぁ〜と思いを馳せました。
夜中に食堂に行って、煙草の吸殻を拾い集めて、英和辞書の紙で巻いて吸ったことがあるそうです。
入口正面の螺旋階段で上の階にあがるのですが、父に話したら、変わってなさそうだねと。外装は工事中でしたが、いつまでも残してほしい凝った建物です。



posted by sakiko at 21:38| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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