その日は、ファルシー会(日本イラン文化交流協会の前身)主催で、浅草界隈の散策会でした。隅田川を眺めながら、お昼を食べているときに飛び込んできたのが、ホメイニー師ご逝去のニュース。赤いスカートを穿いていたのですが、あるイラン人の方から「ホメイニー師が亡くなるのを知っていたの?」と痛烈なジョークを言われました。
同席していたイランの方たちが同じスタンスだとわかっているからこその言葉なのですが、なんと答えていいのやらと、ちょっと戸惑ったのを思い出します。
没後31年を迎え、イラン・イスラム共和国大使館文化参事室(イラン文化センター)主催でバーチャル・セミナー「ホメイニー師の人物と立場」が開催されます。

日時:2020年6月6日(土)17:00〜19:00
Zoomを利用してのセミナーですが、zoomアプリをインストールしていなくても、
bit.ly/IranbunkaZoom
にアクセスすることで、簡単に参加できます。
詳細はこちらで
そして、もう一つ。1989年6月4日、中国では天安門事件が起こりました。
ちょうど1か月前の5月4日に、天安門広場に行ったばかりだったので、え? あそこで?と、とても身近に感じたのでした。
そも、北京はウィグルの旅の中継点で、1泊するだけの予定でした。ところが、ウルムチ界隈の砂嵐のため、飛行機が飛ばず、北京でもう1泊することになって、丸一日、北京で過ごすことになってしまったのです。添乗員さんが、ツアー参加者の希望の多かった故宮と天安門広場、そして私の希望を聞いてくれて景山公園に連れていってくれました。
天安門広場では、大勢がここに集まった時には、広場のところどころに即席トイレになるような工夫がしてあって、なるほど中国らしい!と感心したものです。
あれから31年。
香港で毎年開かれていた天安門事件追悼集会も、新型コロナウィルス感染予防の名目で、9名以上の集会が禁止され、これまでのような形でできなくなってしまいました。それでも、8名以下で集まったり、自主的に意思を表明しながら歩いたりと、キャンドルを手にした香港の人たちの姿に胸が熱くなります。
中国では、当時を知る人も口にせず、若い世代は何があったかも知らないとか。
31年前、勇気を持って立ち上がった人たちがいたことを忘れないでいたいと思います。
追記:
イラン大使館のペルシア語の名通訳である稲見誉弘さんから、ホメイニー師のご命日について、下記のような情報をいただきました。
逝去の日は、ホメイニー師の公式サイトなどを閲覧しても、西暦1989年6月3日土曜日(イラン暦1368年ホルダード月13日22時20分)とあります。
イランの人に聞いてみたところ、亡くなった日(命日)は、確かに6月3日ですが、イランでは亡くなった日ではなく、「埋葬された日」を基準とし、日本で言うところの「亡くなった日」とするようです!
ホメイニー師は翌日の6月4日に埋葬されたため、4日を、「逝去の日」とするとのことでした。