カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した『その手に触れるまで』は、ダルデンヌ兄弟が、過激なイスラームの思想にのめり込んだ少年を描いた作品。2月末から試写が始まっていたのに、なかなか観にいけないでいるうちに、緊急事態宣言が出て、試写室はお休みに。
公開まで待とうと思っていたのですが、これはやっぱり気になる・・・と、オンライン試写で拝見させていただきました。
何より、イスラーム教徒でないダルデンヌ兄弟が、どのように描いたのかが一番の関心事でした。細部にわたって、イスラームにも様々な解釈があることが散りばめられていて、イスラーム世界において過激な思想が一般的なものでないことを伝えようとする気遣いが感じられました。
*物語*
ベルギーで暮らすモロッコ移民の家庭で育った13歳のアメッド。放課後クラスのイネス先生から別れの握手を求められて、「大人のムスリムは女性に触れない」と拒否する。
母は、「イマーム(モスクの導師)に洗脳されて以来、礼拝ばかり」と嘆く。ちょっと前まではゲーム好きの普通の少年だったのに!
イネス先生がアラビア語の歌謡曲を教材にすることを提案したとイマームに伝えると、「歌で学ぶのは冒涜。教師は背徳者」と言われ、アメッドはイネス先生を聖戦のターゲットとすることを決意する。
殺人未遂に終わるが、アメッドは少年院に送られる。
更生プログラムとして農場での実習に通い、少女ルイーズから手ほどきを受けるうちに、アメッドの気持ちが少しずつ変化していく・・・
*注:主人公の名前 アメッドという表記、とても気になっています。 ここでは、プレス資料に従いました。Ahmed アフメド、アラビア語表記からだと、アフマドと、いずれにしても h の音を発音します。 フランス語だと hは発音しないからか?? また、ッ と詰まりません。
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このあとの結末をどう解釈していいのか、いまだ咀嚼できてなくて、もやもやしています。
観た方と語り合いたい気分です。
そも、アメッドがなぜここまで過激なイスラームの解釈を信じるようになったのか、多くは語られていません。殉教した従兄に見習ってサウジアラビアのメディナに留学したいという言葉から、従兄に感化されたのも一つの理由だと推測できます。
さらに、イマームが殉教した従兄を見習えと炊きつけているのでしょう。
何があっても礼拝の時間をきっちり守りたいアメッドですが、事情があれば別の時間に礼拝してもいいはずです。
イネス先生の「クルアーンには、他の宗教との共存を説いていると父から教わった」という言葉に対し、「イマームからユダヤとキリスト教徒は敵だと教わった」と語る場面がありました。ユダヤとキリスト教徒は同じ啓典の民とされています。アッラーは、アラビア語で神様(唯一神)のこと。アラブ人のキリスト教徒にとっても、神様はアッラーなのです。
あと、興味深かったのが、放課後クラスでアラビア語の歌謡曲を教材にすることについて親たちが語り合う場面。
クルアーンに出てこない日常に使う現代的なアラビア語を学べば就職にも有利という者。
一方で、クルアーンを学ぶのも大事。アラビア語を学ぶのは良い信徒になるためという者。
クルアーンは、7世紀に古典アラビア語で書かれていて、今もそのまま変わっていません。日常に使う文語であるフスハー(正則アラビア語・現代標準アラビア語)は。古典アラビア語を基盤に、現代社会に対応する語彙を加えたもの。
少年院に着いた時に、持っていたアラビア語の本をアラビア語のわかる係官がチェックします。「ハディース(預言者ムハンマドの言行録))はOKだけど、信憑性の薄いものもある。あとで話そう」と言われます。
ハディースは、ムハンマドが日常生活の中で語った言葉やその行動について様々な人が見聞きしたことの言行録。礼拝の仕方から、日々の暮らしでの振る舞い、戦争など、多岐にわたってムスリムとしてあるべき姿の指針になるものなのですが、原則口伝の上、イスラームの伝播と共に加えられたものもあって、信憑性の薄いものもあるという次第。
クルアーンやハディースをどう解釈するかで、同じムスリムでも行動が変わってきます。過激派は自分たちの解釈に従って行動しているというわけです。
アメッドの父親は家族を捨てて出て行ったらしいのですが、父親がいなくなってから、母親はスカーフをしなくなり酒浸り。姉も肌をかなり出した服装。それに対しても、アメッドは文句をいいます。恐らく、父親は敬虔なムスリムとして、妻や子どもに常日頃さまざまなことを押し付けていて、アメッドはそれを見て育ったという下地もあったのかもしれません。
ところで、4月末にNHK BS世界のドキュメンタリーの再放送で「テロの街の天使たち 〜ブリュッセル6歳児日記〜」(英題:Gods of Molenbeek、フィンランド制作、2019年)を観ました。ベルギーのイスラーム教徒が多く住むモレンビーク地区に住む少年たちを追ったドキュメンタリーで、モレンビークはダルデンヌ兄弟が本作の舞台に想定した場所。
「テロは私たちイスラーム教徒が起こしたものではありません」のアナウンスが流れていたのが印象的でした。
ヨーロッパでは、社会に不満のある若者などがイスラームに改宗し、過激な行動に走ることもあると聞きます。移民のムスリムの家庭に生まれて、差別や偏見を受けて過激思想に走る若者もいるでしょう。そういった人たちを本来のイスラーム教徒とは思いたくない気持ちもわかります。
◆映画の背景 (公式サイトより)
ベルギー、ブリュッセル西部に位置するモレンベークは、10万弱の人口のうちイスラム教徒が5割程度、地域によっては8割を占め、その多くがモロッコ系。(2016年時点)
そこに暮らす一部の過激派のイスラム教徒や、モレンベークを拠点として利用した過激派が、15年のパリ同時多発テロや16年のブリュッセル爆発に関与した。クリント・イーストウッド監督が『15時17分、パリ行き』のタイトルで映画化したタリス銃乱射事件の犯人もブリュッセルから列車に乗車している。ここ数年、ブリュッセルはヨーロッパにおけるテロリズムの交差点と化している。
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ダルデンヌ兄弟は、本作で過激なイスラーム思想に捉われた少年を主人公にしましたが、13歳という過敏な年齢。何かの思想や物にのめり込んでしまった青少年をどう救うかという普遍的な物語と捉えることもできそうです。
『その手に触れるまで』
原題:LE JEUNE AHMED 英題:YOUNG AHMED
監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ(『ある子供』『ロルナの祈り』)
出演:イディル・ベン・アディ、オリヴィエ・ボノー、ミリエム・アケディウ、ヴィクトリア・ブルック、クレール・ボドソン、オスマン・ムーメン
2019年/ベルギー=フランス/84分/1.85:1
後援:ベルギー大使館
配給:ビターズ・エンド
c Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF
公式サイト:http://bitters.co.jp/sonoteni/
★2020年6月12日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!