2021年10月03日

『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念 桑原史成・石川武志写真展、ユージン・スミスとアイリーンが写した「MINAMATA」作品展&ユージン・スミス集大成写真展のお知らせ

『MINAMATA ―ミナマタ―』は9月23日から公開されていますが、映画の公開を記念して、水俣病をテーマにした写真展が開催されています。また11月にもユージン・スミスの集大成の作品展が開催されます。4つの写真展を紹介します。
一つはギャラリー イー・エム 西麻布で。水俣病を60年撮り続けてきた桑原史成さんの写真展。ユージン・スミスさんは桑原史成さんの写真を見て水俣で撮ることを決めたようです。また、新宿のリコーイメージングスクエア東京 ギャラリーAでは、ユージンン・スミス夫妻が熊本に滞在中、3年に渡ってアシスタントとして夫妻と共に生活をして撮影していた石川武志さんの写真展。もうひとつは熊本県津奈木町のつなぎ美術館で。『ユージン・スミスとアイリーンが見た「MINAMATA」作品展』が開催されています。
また、六本木のフジフイルム スクエアでも、11月に「フォト・ジャーナリスト W. ユージン・スミスの見たもの― 写真は真実を語る」が開催され、こちらは水俣だけでなく、初期の頃からの写真が展示されるようです。
映画を観て興味を持った方、ぜひ出かけてみてください。

シネマジャーナルHP 作品紹介 『MINAMATA ―ミナマタ―』 

私は1970年代、桑原史成や石川文洋、沢田教一、ロバート・キャパ、マーガレット・バーク=ホワイト、ユージンン・スミスなどの写真家の影響を受け報道写真を目指していました。結局、報道写真の分野には行けませんでしたが、今も写真を続けています。そして、西麻布にあるプロラボにかつて勤めていました(1980年代後半)。ポジフィルムやネガフィルムの現像、フィルムのデュープ(複製)、ポジ・ネガ反転など、写真関係全般を扱う会社だったのですが、私は主にフィルムのデュープとポジ・ネガ反転などの技術部門を担当していました。その会社に桑原史成さんはいつもポジフィルムの現像を出しに来ていました(暁)。

水俣病を撮り続けて60年 桑原史成さん写真展開催中!
桑原史成写真展「MINAMATA」

会場:ギャラリー イー・エム 西麻布
開期:2021年9月15日(水)〜10月16日(土)
時間:12:00〜18:00(月・火曜日休館)入場無料
住所:東京都港区西麻布4-17-10
電話:03-3407-5075
地図 都バス 渋谷⇔新橋など 南青山七丁目バス停下車

水俣病を撮り続け60年。水俣病患者を撮り続けた桑原史成さん(84)の写真のうち、初期の1960年代に撮影した写真を中心に34枚が展示されている。 
写真家を志していた1960年、週刊朝日の水俣病特集記事を見て衝撃を受け、写真で記録しようと熊本県水俣市に入った。水俣病の被害者が入院している病院を手始めに、患者家族の信頼を得て撮影を続け、のちに胎児性患者と認定された患者さんや家族の暮らしを撮影。それらの記録は、写真展や写真集に集約され、多くの人に水俣病の被害を伝えた。

*桑原史成プロフィール
1936年島根県津和野町生まれ。60年東京農業大学、東京総合写真専門学校を卒業。水俣を皮切りに現在まで、韓国、ベトナム、ロシアなどを取材。
個展「水俣病」(62年)で日本写真批評家協会新人賞受賞。

 おもな写真展
1962 個展「水俣病」富士フォトサロン・東京 
1966 個展「韓国民族分断の悲劇」富士フォトサロン・東京
1979 個展「ベトナム」銀座二コンサロン・東京
1982「ドキュメント水俣、韓国ベトナム」銀座・新宿・大阪ニコンサロン
1989 個展「韓国激動の四半世紀」朝鮮目報美術館(韓国ソウル)
1994 個展「病める大国・ロシア」銀座ニコンサロン・東京・大阪

 おもな著作
1965「水俣病」三一書房
1970「水俣病1960〜1970」朝日新開社
1980「生活者群像」三一書房
1982「水俣・韓国・ベトナム」晩聲社 
1986「水保」径書房   
1989「報道写真家」岩波書店 
1990「韓国真惜吐露」大月書店 
1995「病める大国・ロシア」ニコン・平凡社
1996「日本の公害」第2集・「水俣」日本図書センター
1997「報道写真に生きる」草の根出版会
1998「水俣の人びと」草の根出版会
「桑原史成全集」第2集・『韓国』草の根出版会 
(桑原史成写真美術館HPデータより)

★桑原史成写真美術館 津和野現代フォトギャラリー内
〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田71-2
Tel&Fax 0856-72-3171
開館時間 9:00 〜 17:00
休館日 4月、7月、10月、1月の第3木曜日(展示替えのため)
大人300円 中・高校生150円 小学生100円

「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」石川武志

石川武志さんはユージン・スミス夫妻が水俣病の撮影のために日本に滞在中の3年間に渡ってアシスタントとして夫妻と共に生活をして撮影をしました。今回の写真展では夫妻の共著「MINAMATA」にも掲載していない水俣の生活や撮影シーンなど貴重な作品を展示。作品はモノクロームで、作家自らがプリントしたゼラチンシルバープリント31点で構成しているそうです。
以下HPより
2021年10月7日(木)〜10月25日(月)
会場 リコーイメージングスクエア東京 ギャラリーA
時間 当面の間、10:30〜17:30までの短縮営業(最終日16:00終了)
定休日 火曜日・水曜日
入場 無料
東京都新宿区西新宿1-25-1 新宿センタービルMB(中地下1階)0570‐006371
*リコーイメージングスクエア東京 地図
公式HP 

作品コメント 石川武志

私がユージン・スミスのアシスタントになってしばらくすると、彼は20本入りのフィルムパックを私によこし、「なぜお前は写真を撮らないのだ」と言った。私は「アシスタントだから撮らない」と答えると「駄目だ、お前も撮れ、自分ならどう撮るか考えろ」と彼は言った。それ以来、私はアシスタントをしながらユージン・スミス本人や水俣病患者を撮影した。
 ユージン・スミス夫妻が水俣にやって来たのは1971年、今から半世紀も前だ。今では当時を知っている人はほとんどいない。私はユージン・スミスが水俣で何を見て、何を撮影し、何を残したのか、伝説の写真集「MINAMATA」はどのようにして制作されたのかを同時体験させてもらった。
 ユージン・スミスは日本に三度来日して二度大怪我をさせられたが、それでも日本が大好きだと公言していた。写真集「MINAMATA」は命と引き換えにして取り組み燃え尽きた最後の仕事だった。私は今回の写真展「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」を通じてユージン・スミスが取材した水俣の真実を知るよい機会になればと思う。 

石川武志プロフィール
1950年 愛媛県生まれ
1971年 東京ビジュアル・アーツ卒業
1971〜1974年 ユージン・スミスのアシスタントとして水俣を取材
1975年 渡米し以後フリーランスとなる
1980年 インドでガンジス河巡礼の取材を開始
1982年 インドのトランスジェンダー社会「ヒジュラ」の取材を開始
1987年 ハイチの「ブード」やブラジルの「カンドブレ」などを取材
2008年 再び水俣の取材を開始

写真展
1982年 新宿ニコンサロン「ヨーギ」
1985年 ミノルタギャラリー「ヒジュラ」
2011年 銀座ニコンサロン「ガンガー巡礼」
2012年 銀座・大阪ニコンサロン「水俣ノート 1971〜2012」
2014年 ミナマタ・ミュージアム「MINAMATA NOTE 1971〜2012」
2015年 ギャラリーEM西麻布「MINAMATA NOTE 1971〜2012」
2019年 ギャラリー・プレイスM「NAKED CITY VARANASI」

写真集
1995年 「ヒジュラ インド第三の性」(青弓社)
2012年 「アジアの奇祭」(青弓社)
2012年 「MINAMATA NOTE 1971〜2012」(千倉書房)
2020年 「NAKED CITY VARANASI」(蒼穹社)

ユージン・スミスとアイリーンが見た「MINAMATA」作品展
会場:つなぎ美術館(津奈木町) HP
 〒869-5603 熊本県葦北郡津奈木町岩城494 
  tel 0966-61-2222  fax 0966-61-2223
期間:2021.9.11(土)〜11.23(火)
開館時間:10:00 〜 17:00(展覧会入場は16:30まで)
観覧料:一般300 高校・大学生200円 小・中学生100円
地図
協力:アリゾナ大学クリエイティブ写真センター(Center for Creative Photography)、アイリーン・アーカイブ、(公財) 熊本県立劇場、YANAGI + ART BASE、石川武志

アメリカの写真家ユージン・スミス(1918〜78)と妻のアイリーン・スミス(71)は、水俣病患者が多発した地域で暮らし、公害病の原点とされる水俣病を1971年から3年間にわたり撮り続け、1975年に刊行した写真集「MINAMATA」は大きな反響を呼び、水俣病を世界に広く知らせるきっかけとなった。被害者家族、胎児性患者の上村智子さん(1977年に21歳で死去)や、坂本しのぶさん(65)、田中実子さん(68)たちを撮影。被害の実態や被害者救済を求める運動も撮影し世界に伝えた。
この作品展では、アリゾナ大学クリエイティブ写真センターとアイリーン・アーカイブの協力により、写真集「MINAMATA」に収められている写真と未発表の、地域の日常を撮った写真などをアイリーンの監修のもと、新たに約70点プリントし、当時のユージンとアイリーンを捉えた写真とともに、水俣滞在中のユージン・スミスの助手を務めた写真家石川武志さん(71)が写した彼らの撮影風景など計83点が展示されている。


「フォト・ジャーナリスト W. ユージン・スミスの見たもの― 写真は真実を語る」
フジフイルム スクエア 企画写真展
開催期間:2021年11月5日(金)〜11月25日(木)
開館時間:10:00–19:00(最終日は16:00まで、入館は終了10分前まで)
     会期中無休
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)内、富士フイルムフォトサロン 東京 スペース1・2・ミニギャラリー
〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番地3号 東京ミッドタウン・ウェスト1F
入館料:無料
作品点数  約60点
主催  富士フイルム株式会社
特別協力  京都国立近代美術館
協力 アイリーン・アーカイブ、日本大学図書館芸術学部分館
後援 港区教育委員会

W. ユージン・スミス 《カントリー・ドクター》 1948年
c 1948, 2021 The Heirs of W. Eugene Smith
所蔵:京都国立近代美術館

W. ユージン・スミス 《スペインの村》 1950/1951年
c 1950/51, 2021 The Heirs of W. Eugene Smith
所蔵:京都国立近代美術館

W. ユージン・スミス
《アルベルト・シュヴァイツァー, コロラド州アスペン》1949年
c 1949, 2021 The Heirs of W. Eugene Smith
所蔵:京都国立近代美術館

W. ユージン・スミス 《ピッツバーグ》 1955年
c 1955, 2021 The Heirs of W. Eugene Smith
所蔵:京都国立近代美術館

W. ユージン・スミス 《水俣》 1972年
Photo by W. Eugene Smith cAileen Mioko Smith
所蔵:京都国立近代美術館

プロフィール
ウィリアム・ユージン・スミス William Eugene Smith(1918−1978)

1918年、アメリカ合衆国カンザス州ウィチタに生まれる。14歳から写真を撮り始め、16歳で地元紙に写真が掲載されるなど、早くからその才能を開花させる。1937年、プロの写真家を目指しニューヨークへ移り、『ニューズウィーク』誌のスタッフとして仕事を始める。1943年、『フライング』誌の従軍記者として太平洋戦争を撮影。その後『ライフ』誌と契約し、掲載された戦争写真によって、報道写真界で一気に頭角をあらわす。1940年代から『ライフ』誌を中心に作品を発表し、編集方針への不満から一時同誌を離れたが、1954年までに50点以上におよぶフォト・エッセイを発表した。1971年からは水俣に移り住み、3年にわたり有機水銀による公害を取材。1978年、アメリカ・ツーソンで脳出血を起こし、59歳で死去。
posted by akemi at 07:46| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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