2022年03月27日

アジア映画へ導いてくれた佐藤忠男さん(暁)

映画評論家の佐藤忠男さんが3月17日(2022年、令和4年)、胆のうがんのため亡くなった。私にとっては、映画に興味を持った時からの師ともいえる方だった。
長いあいだスポーツに興味や関心があって、テニス(中学、高校と軟式テニス部だった)やスキー、登山(18歳〜37歳くらいまで)などに励んでいた。それなのに1989年、『芙蓉鎮』という中国映画を観てすっかり映画にハマってしまった。それも岩波ホールで20週の公開中ではなく、池袋の新文芸坐で上映された時に観てだった。
それまで映画は年に10本も観ていなかったのに、すっかり中国映画にハマり、あちこち情報をあさるようになった。その中で出会ったのがシネマジャーナルだったし、佐藤忠男さんだった。今のようにネットはないし、情報も限られていた。神保町の中国本専門店、内山書店や東方書店などに入り浸っていた。そこで佐藤忠男さんの本もたくさん見かけ、何冊か買った。その頃、韓国映画にも興味を持っていたし、神保町にはアジア映画というビデオ屋もあった。
佐藤さんは本だけでなく、その頃TVのアジア映画番組の解説もしていたし、中国映画祭や韓国映画特集などに行くとよく壇上に登って、映画の解説、映画の周辺のことも話してくれた。そのうち、インドや東南アジア、中東圏の作品も日本で紹介されるようになり、佐藤さんのアジア映画の守備範囲は広がり、私はそれを吸収させてもらった。
いろいろな映画祭で、アジアの映画の上映会場に行くと姿を見かけたし、そのうちシネマジャーナルの編集にも関わるようになって、試写に行くようになると、試写会場でもお会いすることがあった。いつだったか、紹介もしてもらったこともあったので、お会いする時には会釈するのだけど、佐藤さんはなにも答えることなく不愛想だった。映画学校の校長だったし、たくさんの人と出会う仕事の中で、1人一人の人物のことは覚えていないのでしょうが、挨拶もしないというのは失礼かなと思い、試写室や映画祭などで出会った時には会釈していた。そんな不愛想な佐藤さんだけど、これまでの姿勢を考えると納得がいく。
この2,3年、佐藤さんと試写室で会うことがなくなり、体調がすぐれないのかなと思っていた。今回の訃報で91歳で亡くなったのだと知り、それでも80代後半まで試写に来ていたのだすごいと思った。今の私は70歳でも階段の上り下りがつらい状態で、あと何年くらい映画を観に来られるだろうと考える。
posted by akemi at 20:30| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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