旅の最終日。ずっと宿題にしたままだった糸満市のひめゆりの塔と摩文仁(まぶに)の丘にある平和祈念公園へ。
沖縄を防波堤とし、時間稼ぎをして本土決戦を少しでも先延ばしにしたかった軍部の思惑が、住民を巻き込んだ悲劇へと突き進ませました。むごいと何度言っても足りない沖縄戦で亡くなった人は約20万人と言われています。県民4人に1人です。島の地形が変わるほど、鉄の雨と称される艦砲射撃を受けたのです。
広島、長崎の原爆投下後、12月までに亡くなったのは広島で13万人、長崎7万人だそうです。合わせてほぼ同じ人数。
ひめゆりの塔
早く着きすぎて、資料館はまだ開いてませんでした。しばらく休んでから次のバスで、平和祈念公園へ。広大な敷地には慰霊碑や平和祈念の像が点在していて、ゆっくり巡ってくれる電動カーも走っています。多くの犠牲者が出た激戦の土地だったというのが想像できないくらい、向こうには穏やかできれいな海が広がっています。「島守の塔」手前が島田叡(あきら)知事、県庁職員の慰霊碑。石段の上には島田叡、荒井退造(警察部長)の終焉の地の碑
映画『島守の塔』(五十嵐匠監督)試写を拝見したばかり。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を住民にも強要した軍部に反して、神戸から赴任した島田知事は「生き延びろ」と言い続けたそうです。
7月公開予定です。
「平和祈念資料館」ここのロッカーに荷物預けて歩けばよかった…
戦没者の名前が都道府県別に刻まれている「平和の礎(いしじ)」
波頭を模したデザインで、うねるように連なっています。ボランティアの方々が隅々まで水拭きしていました。年々書き足すので、空き地にしてあるのがなんだか切ないです。
広い公園の南側には、家族連れやグループが遊べるスペースがありますが、写真のようにどこも人が少ないです。
資料館や慰霊碑がこれからも平和教育のために長く使われたり、記憶に残ったりするといいのですが。体験した人がいなくなると、戦争も風化していくのでしょう。県営だそうですが、せめて国から維持費が出ると、どんなにか助かるでしょう。税金は大切にしてこういうところに使ってもらいたいです。間違って振り込まれたお金より、使途不明金が何兆円もある方を注視しなくちゃ。
コロナ禍の影響もあるのか、バスの窓からも飲食店や観光客向けのお店がぽつぽつと閉じているのがわかります。
(咲)さんが島田知事についての映画『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』について書いています。こちら。
行きのバスで「バスの本数が少ないので、時刻表を見ておくといいです」と降りるときに注意してくれた運転手さん、帰りのバスでもまた会いました。食堂を探していると言ったら「食事や買い物のできるモール」を教えてくれました。ありがたい〜。
大きなスーパーで、お土産屋さんと違う買い物。またポーク・卵お結びを持ち帰り用に買います。家でも作ってみようっと。
空港にある「ポーたま」は注文を聞いてから握るのでいつも行列です。日曜夜の羽田行最終便は来た時よりも混んでいました。今日もまた2万歩以上歩いて無事帰宅。
その1 http://cinemajournal.seesaa.net/article/488292857.html
その2 http://cinemajournal.seesaa.net/article/488317292.html