笹本恒子さんは1914年(大正3年)、東京生まれ。高等専門学校家政科に通っていたけど、絵の勉強をしたかったため、父親に内緒で絵の研究所と洋裁学校に通ったそう。それが、その後の人生に影響を与えたようです。画家を志し、東京日日新聞(現在の毎日新聞)の挿絵アルバイトをした後、東京日日新聞・社会部長の小坂新夫(恒子さんが子供のころ、笹本家の離れを借りて住んでいた)にすすめられ、1939年東京日日新聞に仮入社し、1940年(昭和15年)に財団法人・写真協会に入り、女性報道写真家第1号になりました。海外使節団の動向、著名人や文化人の活動などを海外に紹介するなどの国内で起こった出来事を世界に配信する仕事をし、日独伊三国同盟の婦人祝賀会をはじめ、さまざまな国際会議などを撮影し、戦後はフリーの報道写真家として安保闘争や厳しい時代を生きる女性などを撮影していたそう。
約20年の沈黙のあと、1985年に71歳で、日本国内の著名な女性を集めた写真展「昭和史を彩った人たち」で、再び写真家として復帰。
90歳すぎには、その年でもカメラを持ち撮影を続ける姿や、おしゃれ大好きで明るい性格、的を得た発言などが注目され、テレビや雑誌に引っ張りだこに。著作も多数。長寿の秘訣を聞かれると、「年をとっても健康でいられるのは食事。人工甘味料、保存料、化学調味料などの添加物を一切とらず、冷凍でない肉や魚、野菜中心の生活。そして好きなのはお肉とワイン」と答えていたのが忘れられません。70代で写真家に復帰するまで、洋裁の知識を生かして、そういう関係の仕事をしていたとのことでおしゃれなのもうなづけます。100歳を超えても撮影を続けていましたが、101歳の時にはドキュメンタリー映画も撮影されました。
『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』監督・脚本:河邑厚徳(かわむら・あつのり)という作品。日本初の女性報道写真家笹本恒子と伝説のジャーナリストむのたけじ。カメラとペン、ふたりの101歳の生き方をみつめたドキュメンタリーです。この作品は、2016年の東京国際映画祭で上映され、監督と笹本さんも舞台挨拶で登壇。
その後、一般公開されましたが、シネマジャーナルでは河邑厚徳監督にインタビューしています。
シネマジャーナルHP 特別記事 2017年
『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』河邑厚徳監督インタビュー
記事はこちら。