この二つを受け「高畑勲展 ー日本のアニメーションを作った男。」が開催されます。
オープンに先立って、セレモニーとプレス向けの内覧会のご案内をいただき、いそいそと参加してきました。
火垂るの墓(C) 野坂昭如/新潮社,1988
6月26日(木)麻布台ヒルズ
高畑勲監督令夫人かよ子様、ご長男高畑耕介様が登壇し、耕介様からご挨拶がありました。
高畑:アニメーターではないアニメーション監督の展覧会は珍しいようです。父の作品は主人公から距離を置いて、時間・空間を共有しながらリアルな人間を描いています。爽快感よりしばしば居心地の悪さを感じるようなところもありますが、子どもから大人まで制作の過程とチームの苦闘の跡を味わいながら、楽しみを見つけていただければ。
太田光(爆笑問題)、岩井俊二監督のトーク
―高畑監督と会われたときの印象、好きな作品やシーンー
太田:監督に直接会えたのは2度くらいです。お話しすると穏やかな優しい方でした、作品に対しては人間の動きや表情にこだわりが強く、自分に対しても厳しい方という印象です。監督の名前も知らない子どものころからテレビアニメを見ていました。名前を意識したのは大人になってからで、子どものころからずっと見ていた作品だったと後で気づきました。いつのまにか自分の中にあった、陳腐ですけど「原点」です。
いしいひさいちさん原作の『ホーホケキョ となりの山田くん』(99)が好きです。全部描きこんでしまわない。居心地がいいんです。
岩井:高畑監督は母方の遠縁で、血はつながっていないんですが、ご縁があって直接お目にかかれました。こちらは自主映画を作っているような大学生のときです。緊張してすごく怖かったです。「この世界で好きなものを作り続けるのが、いかに大変か」2時間にわたって点滴を打たれるようにお説教されました。唯一の映像世界の先輩なので、そ言葉を大事にしてずっと背中を見て追いかけてきました。高畑イズムを信じていれば間違えることはないと思っています。
高校生のときに映画同好会の上映で初めて観た『太陽の王子 ホルスの大冒険』(’68)の完成度の高さにはほんとにビックリしました。僕の映画の中でもシーンを使わせていただいています。
この後、太田光氏が『蛍の墓』について「高畑監督が戦争反対の映画ではない、と言っていたのは単に戦争反対と言う雑な言葉の中にこの作品を閉じ込めてほしくない、ということだったのではないか」、岩井監督は「観ていてあんなに苦しい映画はない。この兄妹を描くことが戦争を描くことなるのかという自問自答があったのか。ドロップの缶を野球のフォームで投げるところは、人を描く高畑さんらしいアイロニーなシーンだった」と語りました。
★帰宅してみたら、なんと録音に失敗したようで、メモ書きを元に書きました。特別記事にする分量がなくてすみません。大切なところを拾い残しているようで心配ですが、雰囲気だけでもとお届けします。(白)