あいち国際女性映画祭は1996年に始まりましたが、第1回目に参加して以来、25回くらいは参加しているかと思います。きっかけは、1994年に名古屋で行われた「アジア文化交流祭」に行き、映画ライターの高野史枝さんやシネマスコーレの木全純治支配人と知り合ったことでした。その2年後にウイルあいちができ「あいち国際女性映画祭」が開催されることになり、お誘いをうけ、参加したのがきっかけでした。詳細は去年(2024年)の、スタッフ日記に書いていますので、よかったらごらんください。
第29回「あいち国際女性映画祭2024」に来ています(暁)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/504752397.html
今年も、映画祭の前に行われる記者会見に間に合うよう、9月10日に名古屋に行きましたが、9月の2週目というのに、ものすごく暑くて、名古屋駅から外に出たら、すぐに汗だくだくになってしまいました。新幹線口を出て、バス停までも10分くらいかかるし、最寄りのバス停で下車してからウイルあいちまでも10分くらいかかるので、体力はなくなっているし、暑いしで、タクシーで行きました。以前はバスで会場のウイルあいちまで行ったのですが、もう最近はタクシーで行くしかありません。
5日の滞在予定で、最初の3日は名古屋駅そばの東横インにとまり、あとの2日はウイルあいち内の宿泊施設に泊まりました。ウイルあいちは泊まれるのですが、3泊までしかできないのと、名古屋前のミッドランドスクエアシネマでの上映が夜の回にあるので、最初の3日間は名古屋駅そばのホテルにしています。ここ数年、前半は駅そばのホテル、後半はウイルあいちに宿泊して、映画祭に参加という感じです。
この映画祭へと誘ってくれた高野史枝さんは、やはり1回目からずっと参加し、司会をしたり、記者としてインタビューをしたりしていましたが、この頃は体調がすぐれず、この数年は、この映画祭に参加できないでいます。去年は会うことができましたが、今年は他の用事と重なっていて、会うこともできませんでした。私自身も、いつまでこの映画祭に参加できるかわからないし、なるべく会える時に会わないと、あとで後悔しそうです。
さらに、この映画祭で知り合ったというか、ウイルあいち宿泊が縁で知り合った、上越で自主上映会をしているKさんも、今、義母さんの介護中心の生活をしていて、今回の映画祭には行けないと言ってきたので、今回は会えないかなと思ったのですが、ぎりぎりになって最後の2日間参加したので会えることできました。今回、13日と14日はウイルあいちのツインの部屋を取っていたので、そこに13日は一緒に泊まることにしました。14日は空きがあったので、彼女もツインを取ることができました。
実はウイルあいちの宿泊は3か月前から始まるのですが、和室と洋室のうち、洋室は最初から映画祭の協力者やゲスト用におさえられていて、いつも和室しか空いていないのです。洋室の方がパソコン作業をするのに使い勝手がいいのですが、仕方ないので、最初は和室で予約するのですが、映画祭1週間くらい前になると、ゲストが確定するのかキャンセルが出るので、それを狙って洋室に変えてもらっています。もう10年以上、そんなパターンです。でも、今年は最後までシングルの空きがなくツインでした。13日(土)は満室だったのですが、ツインだったので、Kさんの突然の映画祭参加も可能になりました。夜中遅くまでパソコン作業をしている状態を見越して、彼女は14日は空きのあった部屋に移動という形を取ってくれました。すみません。
13日は、午前2時頃まで撮影した写真の整理作業をして、これで寝ようと思ったら、Kさんが目覚めて、結局2時間くらいベッドで横になりながら、映画の話、介護の話、名古屋での話など、とりとめもなく話をしてしまい、結局、寝たのは5時近く。それでも4時間ほど寝ました。でも映画祭会場には1分とかからないので、こういう時は会場が近いのはありがたい。しかし、夜、ご飯を食べるところが近くになくて、それが難です。10分くらい歩かないと食べるところがありません。今回、行こうと思ったところがいっぱいだったり、売り切れで入れなかったりでしたが、それでも、美味しいものを食べることができました。
記者会見
記者会見は、今年、この映画祭のアンバサダーに就任した『繕い裁つ人』の三島由紀子監督を始め、『済州島 四・三事件 ハラン』からハ・ミョンミ監督、出演者のキム・ヒャンギさん、ヤン・ヨンヒプロデューサーの3名、『金子文子 何が私をこうさせたか』から浜野佐知監督、主演の菜 葉 菜さんの2名、『日々 福島のルワンダカフェから』と『日本初の女性映画監督 坂根田鶴子を追って/開拓の花嫁』の熊谷博子監督、『長浜』の谷口未央監督が出席。また、記者会見の冒頭で大村秀章 愛知県知事が登場し「「しつこく続けてきた結果、気づけば30回目を迎えた。これからもしつこく続けていきたい」と激励。
アンバサダーの三島有紀子監督は、「もともと女性監督と言われることが嫌で、「女性映画祭」という言葉に最初抵抗がありモヤモヤしていたが、日本の実情はやはりまだ、「女性映画祭」が必要と思い、この映画祭のアンバサダーを引き受けることにした」と語り、知事の言葉を受け「100年後も残る映画祭」をと語った。
『繕(つくろ)い裁つ人』は、1995年の震災後の神戸を舞台に、祖母から受け継いだオーダーメイドの洋服店を営む女性の日々を描いたもの。今は服を繕い直して着るということがなくなってしまったが、消耗品でなく丁寧にき続けるというメッセージの中に、「神戸の復興」という思いを織り込んだ作品と語った。
『済州島 四・三事件 ハラン』については、済州島に移り住んだハ・ヒョンミ監督が、避けては通れない「済州島 四・三事件」について描いた作品。この事件についての映画は、ドキュメンタリー、ドラマなど、何作品か観ているが、若い監督が島の人たちに話を聞き、あの時を再現したドラマとのこと。山に逃げた母を追って、幼い娘が山に入っていく話とのこと。主演したキム・ヒャンギさんは子役出身で、まだ若い母親を演じている。ヤン・ヨンヒプロデューサーとなっていたので、私は最初、日本在住のヤン・ヨンヒ監督がプロデュースしているのかと思ったが、別の方だった。日本在住のヤン・ヨンヒ監督の最新作『スープとイデオロギー』の中で、「済州島 四・三事件」のことが描かれていたので、それに関連して、この作品のプロデュースをしているのかもと思ったのだ。
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浜野佐知監督は、『金子文子 何が私をこうさせたか』を作った理由として、2019年に日本公開された『金子文子と朴烈』での金子文子の描かれ方に疑問を持ったので、闘う女としての金子文子を描いたと語った。金子文子に扮した菜 葉 菜さんは、この映画の話が来るまで、金子文子のことを知らなかったが、こういう女性がいたというのに驚いたけど、この女性のことを伝えたいと思い演じたと語った。
また、9月2日に亡くなった吉行和子さんについては「私の一般映画にいつも参加してもらったが、この作品にも文子の祖母役で3シーン出演してもらった。この作品は松本ロケで撮影したが、吉行さんの部分は東京で撮影した。文子に厳しくあたる祖母の役だったが、迫真の演技だった」と浜野監督は追悼の意を表した。
『日々 福島のルワンダカフェから』の熊谷博子監督は、原発事故後の浪江町での撮影を「怖くて震えながらおこなった」と振り返る。防護服を着ていてもなお上がり続ける放射線量。除染が進まない現状。街の景色はあまりに美しく、住む場所を追われた悲しみは、ウクライナやパレスチナ・ガザの人々にも重なると語る。
『長浜』について、谷口未央監督は、「愛知県民には親近感のある町かもしれない」と話す。長浜に伝わる「子ども歌舞伎」や祭りは、名古屋市出身の豊臣秀吉が長浜城を持ったときにはじめられたという。台湾にもルーツを持つ少年と自身の性に違和感を持つ少女を通じて、伝統文化を舞台とした多様性を描く。
今回が3度目の参加だという谷口監督は、前2回のフィルムコンペディションを経て初めての招待となり「この映画祭に育ててもらった」と話す。
あいち国際女性映画祭で観た作品
日々 福島のルワンダカフェから 9月11日(木)10時00分〜
済州島四・三事件 ハラン 9月11日(木) 13:50〜
ザ・ティーチャー 9月11日(木) 18:30〜
日本初の女性映画監督 坂根田鶴子を追って 9月12日(金) 13:50〜
未亡人 9月12日(金) 16:00〜
リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界 9月12日(金) 18:30〜
10時から ウォーター・サーフィス
強くなるとき 9月13日(土) 13:10〜
国際シンポジウム 9月13日(土) 15:40〜
繕い裁つ人 9月14日(日) 10:00〜
長い散歩 9月14日(日) 13:30〜
授賞式 9月14日(日)
家出の決意 9月15日(月・祝)12:50〜


