2021年10月03日

『MINAMATA ―ミナマタ―』公開記念 桑原史成・石川武志写真展、ユージン・スミスとアイリーンが写した「MINAMATA」作品展&ユージン・スミス集大成写真展のお知らせ

『MINAMATA ―ミナマタ―』は9月23日から公開されていますが、映画の公開を記念して、水俣病をテーマにした写真展が開催されています。また11月にもユージン・スミスの集大成の作品展が開催されます。4つの写真展を紹介します。
一つはギャラリー イー・エム 西麻布で。水俣病を60年撮り続けてきた桑原史成さんの写真展。ユージン・スミスさんは桑原史成さんの写真を見て水俣で撮ることを決めたようです。また、新宿のリコーイメージングスクエア東京 ギャラリーAでは、ユージンン・スミス夫妻が熊本に滞在中、3年に渡ってアシスタントとして夫妻と共に生活をして撮影していた石川武志さんの写真展。もうひとつは熊本県津奈木町のつなぎ美術館で。『ユージン・スミスとアイリーンが見た「MINAMATA」作品展』が開催されています。
また、六本木のフジフイルム スクエアでも、11月に「フォト・ジャーナリスト W. ユージン・スミスの見たもの― 写真は真実を語る」が開催され、こちらは水俣だけでなく、初期の頃からの写真が展示されるようです。
映画を観て興味を持った方、ぜひ出かけてみてください。

シネマジャーナルHP 作品紹介 『MINAMATA ―ミナマタ―』 

私は1970年代、桑原史成や石川文洋、沢田教一、そしてロバート・キャパ、マーガレット・バーク=ホワイト、ユージンン・スミスなどに影響を受け報道写真を目指していました。結局、報道写真の分野には行けませんでしたが、今も写真を続けています。そして、西麻布にあるプロラボにかつて勤めていました(1980年代後半)。ポジフィルムやネガフィルムの現像、フィルムのデュープ(複製)、ポジ・ネガ反転など、写真関係全般を扱う会社だったのですが、私は主にフィルムのデュープとポジ・ネガ反転を担当していました。その会社に桑原史成さんはいつもポジフィルムの現像を出しに来ていました(暁)。

水俣病を撮り続けて60年 桑原史成さん写真展開催中!
桑原史成写真展「MINAMATA」

会場:ギャラリー イー・エム 西麻布
開期:2021年9月15日(水)〜10月16日(土)
時間:12:00〜18:00(月・火曜日休館)入場無料
住所:東京都港区西麻布4-17-10
電話:03-3407-5075
地図 都バス 渋谷⇔新橋など 南青山七丁目バス停下車

水俣病を撮り続け60年。水俣病患者を撮り続けた桑原史成さん(84)の写真のうち、初期の1960年代に撮影した写真を中心に34枚が展示されている。 
写真家を志していた1960年、週刊朝日の水俣病特集記事を見て衝撃を受け、写真で記録しようと熊本県水俣市に入った。水俣病の被害者が入院している病院を手始めに、患者家族の信頼を得て撮影を続け、のちに胎児性患者と認定された患者さんや家族の暮らしを撮影。それらの記録は、写真展や写真集に集約され、多くの人に水俣病の被害を伝えた。

*桑原史成プロフィール
1936年島根県津和野町生まれ。60年東京農業大学、東京総合写真専門学校を卒業。水俣を皮切りに現在まで、韓国、ベトナム、ロシアなどを取材。
個展「水俣病」(62年)で日本写真批評家協会新人賞受賞。

 おもな写真展
1962 個展「水俣病」富士フォトサロン・東京 
1966 個展「韓国民族分断の悲劇」富士フォトサロン・東京
1979 個展「ベトナム」銀座二コンサロン・東京
1982「ドキュメント水俣、韓国ベトナム」銀座・新宿・大阪ニコンサロン
1989 個展「韓国激動の四半世紀」朝鮮目報美術館(韓国ソウル)
1994 個展「病める大国・ロシア」銀座ニコンサロン・東京・大阪

 おもな著作
1965「水俣病」三一書房
1970「水俣病1960〜1970」朝日新開社
1980「生活者群像」三一書房
1982「水俣・韓国・ベトナム」晩聲社 
1986「水保」径書房   
1989「報道写真家」岩波書店 
1990「韓国真惜吐露」大月書店 
1995「病める大国・ロシア」ニコン・平凡社
1996「日本の公害」第2集・「水俣」日本図書センター
1997「報道写真に生きる」草の根出版会
1998「水俣の人びと」草の根出版会
「桑原史成全集」第2集・『韓国』草の根出版会 
(桑原史成写真美術館HPデータより)

★桑原史成写真美術館 津和野現代フォトギャラリー内
〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田71-2
Tel&Fax 0856-72-3171
開館時間 9:00 〜 17:00
休館日 4月、7月、10月、1月の第3木曜日(展示替えのため)
大人300円 中・高校生150円 小学生100円

「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」石川武志

石川武志さんはユージン・スミス夫妻が水俣病の撮影のために日本に滞在中の3年間に渡ってアシスタントとして夫妻と共に生活をして撮影をしました。今回の写真展では夫妻の共著「MINAMATA」にも掲載していない水俣の生活や撮影シーンなど貴重な作品を展示。作品はモノクロームで、作家自らがプリントしたゼラチンシルバープリント31点で構成しているそうです。
以下HPより
2021年10月7日(木)〜10月25日(月)
会場 リコーイメージングスクエア東京 ギャラリーA
時間 当面の間、10:30〜17:30までの短縮営業(最終日16:00終了)
定休日 火曜日・水曜日
入場 無料
東京都新宿区西新宿1-25-1 新宿センタービルMB(中地下1階)0570‐006371
*リコーイメージングスクエア東京 地図
公式HP 

作品コメント 石川武志

私がユージン・スミスのアシスタントになってしばらくすると、彼は20本入りのフィルムパックを私によこし、「なぜお前は写真を撮らないのだ」と言った。私は「アシスタントだから撮らない」と答えると「駄目だ、お前も撮れ、自分ならどう撮るか考えろ」と彼は言った。それ以来、私はアシスタントをしながらユージン・スミス本人や水俣病患者を撮影した。
 ユージン・スミス夫妻が水俣にやって来たのは1971年、今から半世紀も前だ。今では当時を知っている人はほとんどいない。私はユージン・スミスが水俣で何を見て、何を撮影し、何を残したのか、伝説の写真集「MINAMATA」はどのようにして制作されたのかを同時体験させてもらった。
 ユージン・スミスは日本に三度来日して二度大怪我をさせられたが、それでも日本が大好きだと公言していた。写真集「MINAMATA」は命を引き換えにして取り組み燃え尽きた最後の仕事だった。私は今回の写真展「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」を通じてユージン・スミスが取材した水俣の真実を知るいい機会になればと思う。 

石川武志プロフィール
1950年 愛媛県生まれ
1971年 東京ビジュアル・アーツ卒業
1971〜1974年 ユージン・スミスのアシスタントとして水俣を取材
1975年 渡米し以後フリーランスとなる
1980年 インドでガンジス河巡礼の取材を開始
1982年 インドのトランスジェンダー社会「ヒジュラ」の取材を開始
1987年 ハイチの「ブード」やブラジルの「カンドブレ」などを取材
2008年 再び水俣の取材を開始

写真展
1982年 新宿ニコンサロン「ヨーギ」
1985年 ミノルタギャラリー「ヒジュラ」
2011年 銀座ニコンサロン「ガンガー巡礼」
2012年 銀座・大阪ニコンサロン「水俣ノート 1971〜2012」
2014年 ミナマタ・ミュージアム「MINAMATA NOTE 1971〜2012」
2015年 ギャラリーEM西麻布「MINAMATA NOTE 1971〜2012」
2019年 ギャラリー・プレイスM「NAKED CITY VARANASI」

写真集
1995年 「ヒジュラ インド第三の性」(青弓社)
2012年 「アジアの奇祭」(青弓社)
2012年 「MINAMATA NOTE 1971〜2012」(千倉書房)
2020年 「NAKED CITY VARANASI」(蒼穹社)

ユージン・スミスとアイリーンが見た「MINAMATA」作品展
会場:つなぎ美術館(津奈木町) HP
 〒869-5603 熊本県葦北郡津奈木町岩城494 
  tel 0966-61-2222  fax 0966-61-2223
期間:2021.9.11(土)〜11.23(火)
開館時間:10:00 〜 17:00(展覧会入場は16:30まで)
観覧料:一般300 高校・大学生200円 小・中学生100円
地図
協力:アリゾナ大学クリエイティブ写真センター(Center for Creative Photography)、アイリーン・アーカイブ、(公財) 熊本県立劇場、YANAGI + ART BASE、石川武志

アメリカの写真家ユージン・スミス(1918〜78)と妻のアイリーン・スミス(71)は、水俣病患者が多発した地域で暮らし、公害病の原点とされる水俣病を1971年から3年間にわたり撮り続け、1975年に刊行した写真集「MINAMATA」は大きな反響を呼び、水俣病を世界に広く知らせるきっかけとなった。被害者家族、胎児性患者の上村智子さん(1977年に21歳で死去)や、坂本しのぶさん(65)、田中実子さん(68)たちを撮影。被害の実態や被害者救済を求める運動も撮影し世界に伝えた。
この作品展では、アリゾナ大学クリエイティブ写真センターとアイリーン・アーカイブの協力により、写真集「MINAMATA」に収められている写真と未発表の、地域の日常を撮った写真などをアイリーンの監修のもと、新たに約70点プリントし、当時のユージンとアイリーンを捉えた写真とともに、水俣滞在中のユージン・スミスの助手を務めた写真家石川武志さん(71)が写した彼らの撮影風景など計83点が展示されている。


「フォト・ジャーナリスト W. ユージン・スミスの見たもの― 写真は真実を語る」
フジフイルム スクエア 企画写真展
開催期間:2021年11月5日(金)〜11月25日(木)
開館時間:10:00–19:00(最終日は16:00まで、入館は終了10分前まで)
     会期中無休
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)内、富士フイルムフォトサロン 東京 スペース1・2・ミニギャラリー
〒107-0052 東京都港区赤坂9丁目7番地3号 東京ミッドタウン・ウェスト1F
入館料:無料
作品点数  約60点
主催  富士フイルム株式会社
特別協力  京都国立近代美術館
協力 アイリーン・アーカイブ、日本大学図書館芸術学部分館
後援 港区教育委員会

W. ユージン・スミス 《カントリー・ドクター》 1948年
c 1948, 2021 The Heirs of W. Eugene Smith
所蔵:京都国立近代美術館

W. ユージン・スミス 《スペインの村》 1950/1951年
c 1950/51, 2021 The Heirs of W. Eugene Smith
所蔵:京都国立近代美術館

W. ユージン・スミス
《アルベルト・シュヴァイツァー, コロラド州アスペン》1949年
c 1949, 2021 The Heirs of W. Eugene Smith
所蔵:京都国立近代美術館

W. ユージン・スミス 《ピッツバーグ》 1955年
c 1955, 2021 The Heirs of W. Eugene Smith
所蔵:京都国立近代美術館

W. ユージン・スミス 《水俣》 1972年
Photo by W. Eugene Smith cAileen Mioko Smith
所蔵:京都国立近代美術館

プロフィール
ウィリアム・ユージン・スミス William Eugene Smith(1918−1978)

1918年、アメリカ合衆国カンザス州ウィチタに生まれる。14歳から写真を撮り始め、16歳で地元紙に写真が掲載されるなど、早くからその才能を開花させる。1937年、プロの写真家を目指しニューヨークへ移り、『ニューズウィーク』誌のスタッフとして仕事を始める。1943年、『フライング』誌の従軍記者として太平洋戦争を撮影。その後『ライフ』誌と契約し、掲載された戦争写真によって、報道写真界で一気に頭角をあらわす。1940年代から『ライフ』誌を中心に作品を発表し、編集方針への不満から一時同誌を離れたが、1954年までに50点以上におよぶフォト・エッセイを発表した。1971年からは水俣に移り住み、3年にわたり有機水銀による公害を取材。1978年、アメリカ・ツーソンで脳出血を起こし、59歳で死去。
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2021年09月30日

令和3年度文化庁映画賞(白)

9月27日発表の嬉しいニュースです。

取材させていただいた今村彩子監督と、原義和監督の作品が優秀賞に決定!!
おめでとうございます!!

きこえなかったあの日』今村彩子監督
二重のまち/交代地のうたを編む』小森はるか+瀬尾夏美監督
夜明け前のうた 消された沖縄の障害者』原義和監督
文化庁のページはこちら

今村彩子監督インタビューはこちら
原義和監督インタビューはこちら

授賞式は11月2日、受賞記念上映会は11月6日だそうです。(白)
posted by shiraishi at 15:46| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月22日

またまた悪戦苦闘中! 迷惑メールが1日150通以上!!(暁)

今年(2021年)2月、新しいパソコン(Windows10)に買い換えて、操作方法にやっと慣れたところ。でも、Windows7の時とちょっとしたところが違っていて、まだまだ必要なスキルを得る方法がわかっていない。
●単語、名前などを登録したいのにその「登録」に至る場所がどこにあるかわからない。
●メールに関して言えば、メールのレイアウト変更(使い勝手が悪い)方法がわからない。私のパソコンはノート型、メールを受信した時のメール内容を確認できるスペースが3,4行しか見ることができず、そのスペースを確保するための方法がわからない。
●メールの検索方法がわからず、古いメールを探す時にいちいち前のほうに戻って探している始末。検索という項目はあるのに投稿できず、どのようにしたらいいのかわからず。
●ネット検索も、前のOutlookの時はお気に入りが画面の左側に出てきていたのに、今使っているMicrosoft Edgeはそれが出てこない。とても不便。
●Windows7の時に使っていた写真修正ソフトPhotoStudio 6を入れてもらったけど、それが英語バージョンで、日本語バージョンにしたいのにやり方がわからない
などなど。それでも、他にもいろいろあったけど、自分で確認したり、ネットで検索したり、人に聞いたりして解決できてきたものはあるのだけど、上記項目はまだ解決に至っていない。たぶんパソコンに詳しい人に聞いたり、見てもらったらすぐ解決できる項目なんだろうと思うけど、このコロナ禍、人にもなかなか会えないし、購入した店にもなかなか行けず、しかもパソコン教室には、今は行けないかなとういう状況で、不便だなと思いながらパソコンを使っている。なので、いろいろ作業をするのに時間がかかってしょうがない。ちょっとイライラしてしまう。でも1terabyteと容量が大きいものにしたので、写真をやっている私にとっては、たくさん写真を保存しておけるので、良いのではないかと思います。前のパソコンの時は125GBくらいで、最後の2年くらいは写真をパソコンに残して置けなくて外付けHDDに何回にも渡って移し替えて、やっとパソコンを動かせるようにしていたから。でも、外付けHDDに移した画像データを、パソコンに戻す時間がなくて、まだそのままなので、実際は必要な古いデータは、いちいち外付けHDDを引っ張り出してきて探している始末。

Windows7の時には迷惑メールがけっこう来ていて、最後の1年くらいは1日100通以上来ることもあり、メールアドレスを変えようかと思った時もあったけど、10年以上使ってきたアドレスだし、できたら変えたくないと、迷惑メールと日夜孤軍奮闘していたけど、半年くらいしたら1日20通くらいに減ってほっとした。そして新しいパソコンになり、やはり1日20通くらいの迷惑メールでやってきたのに、1週間くらい前から、なんとまた1日150通を超える迷惑メールが来るようになってしまった。そしてまた孤軍奮闘の日々を送っている。ああ、ただでさえ睡眠不足なのに迷惑、迷惑。
なにが迷惑って、削除にかかる時間である。それに、間違って必要なメールまで削除してしまったり、迷惑メールにしてしまうこともある。しっかり1通1通、確認している時間はないので、ざっと送信先や件名など確認しながら削除しているけど、勢いで削除していると、間に必要メールがあったりするのである。
それにしても、契約しているocnと迷惑メール防止の契約をしているのにと思い、問い合わせてみたら、そこを通りぬけて私のパソコンの受信欄まで届いてしまうメールがあるのだという。それにしては多い迷惑メールである。OCNのサーバーに毎日アクセスして、迷惑メールぽいものを迷惑メールに振り分けているのに、こんなにもたくさんのメールが届くというのは、ほんとに迷惑である。ちゃんと観察している時間はないけれど、だいたい朝5時台から夜中1時くらいまで5分おきくらいに送信されてくる。なので、もしかしたら1日200通くらい来ているのかもしれない。繰り返し何回も同じ人名、件名などが続く。それに「Amazon、楽天、使っている銀行」など紛らわしい会社名を使ってくることもある。
特に、この2週間ほど、まとめて試写の予約やオンラインの申し込みをしたり、画像データを取り寄せたりと、これまでメールのやり取りをしていなかった人にメールを送ることが多かったので、返信メールに気を付けていたのだけど、必要なメールを1通、迷惑メールに振り分けてしまったようで、パソコンには残っていないメールがあった。幸いocnのサーバーには残っていたので、それをコピーして保存した。画像データの取り寄せだったか何かだったので、忘れないうちに対応しておかないと、また、なにがなんだかわからなくなる。
オンラインでの映画を見ている時間もなかなか取れないのに、迷惑メールにも対応しなくてはならず、たぶん迷惑メール対応に1時間以上使っているこの昨今、なんとかならないものかと思っている。でもやっぱりアドレスは、今のところ変えたくない。しばらく迷惑メール退治をしていくしかないか。前回のように半年とは言わず、1か月くらいで終わるといいのだけど。まったく一難去ってまた一難。ネズミがいなくなって安心していたのに、次から次へと災難が続く。それにこのコロナ禍、とうとう9月2日〜5日までの「あいち国際女性映画祭」に行くのを諦めた。去年も行けなかったので、2年続けての不参加。観たい作品もさることながら、参加したいシンポジウムもあったのに残念。
posted by akemi at 21:14| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月14日

飯田基晴監督の投稿をシェアします

asigarasan.jpg

facebookとTwitterで飯田基晴監督の投稿を見つけました。
8/31まで、映画「あしがらさん」の無料公開を行います。
長らくホームレス生活を送ってきた1人の男性が、生活保護を受けて地域での暮らしを取り戻す3年間を描いたドキュメンタリーです。
https://youtu.be/euXpt3bwAq8
この無料公開はメンタリスト・DaiGo氏の意見に対する、僕なりの反論です。
よろしければご覧下さい。
そして、その意義を感じて頂けたら、どうか広めてください。
反論の声を上げる一助になれば幸いです。」
posted by shiraishi at 22:18| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月08日

新型コロナワクチン接種しました(暁)

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行は、去年(2020年)1月頃から始まり、4月には緊急事態が発令された。暖かくなったら流行も衰えるかと思っていたのに、衰えるどころか1年半以上続いている。そして、この8月までに4回の波が認識されている。現在は第5波ともいわれ、この1週間ほどで、東京都では1日の感染者数が4000人越えも数日観察され爆発的に増えている。ワクチン接種は今年4月頃から始まったけど、7月の時点でワクチン不足が懸念され、予約申し込みもできなくなってしまった。そんな世相の中、私は運よくワクチン接種をすることができた。そして、先週無事2回目の接種も終えた。
自粛生活が続き体もしんどくなってきて、去年の今頃は体の調子がとても悪かった。そして、ただでさえ息をすると荒くなるというのに、マスクをして外に出るのは余計息苦しい。そして「持病がある人はコロナに感染すると重症化しやすい」と言われ、心臓弁膜症の持病がある私は、感染したら確実に重症化するだろうなと戦々恐々の日々を送っていた。
それでも去年は2月6〜9日まで、長年の夢だった台湾・十分(シーフェン)の天燈節(ランタン祭り)に行ったし、2月末には妹たちと北陸旅行に行き、3月初めには大阪アジアン映画祭にも出かけた。この直後に海外渡航や県をまたいでの旅行制限が出たけど、ぎりぎりまであちこち出かけていた。
そして、去年4月から6月までの2か月間の自粛期間はほぼ家から出なくて、買い物をするのも我が家から1,2分の小型スーパーでという状況だった。我が家は狭い部屋で、体を動かしたりすることもできず、運動不足も重なり、食欲がなくなったり、体がむくんだり、歯茎に血が出て止まらなかったりして、かなり身体的状況はきつくなった。それでも6月の自粛解禁からは、試写などにも通うようになり、買い物も少し遠くのスーパーに行くようになった。
そんなこんなで、ワクチン接種になったのだけど、私の周りの友人たちは、「私はワクチン接種はしない」という人もいて、「ワクチン接種で死んだ人もいるのよ」と脅され、「そうだよね」と、私もやめようかなと迷ったけど、私は持病持ちで感染したら重症化する可能性があるのだから、どちらのリスクを取るかだと思い、ワクチン接種することにした。毎月薬を出してもらっている内科医にも相談したら「そりゃあワクチン打ったほうがいいよ」と言われ決心した。
ニュースや新聞などにワクチン接種が始まったと載るようになったけど、私が住んでいる武蔵野市からは5月に入っても何の音沙汰もなく、どうなっているんだと思った6月になって「新型コロナウイルスワクチン接種券」が送られてきた。それによると接種会場は市内総合体育館とかコミュニケーションセンター、市民会館だった。ワクチンを打ったあと、副作用が出たら困るなと思ったので、ちょっと不安になったけど、その会場以外に「個別接種を行う医療機関一覧」というのがあって、その中にいつも薬をもらっている病院の名前もあったので、それならこちらに行ったほうが安心と思い電話をしてみたら、予約電話は接種の1週間前の日と言われ、7月くらいまではこれまでの患者さん優先で、新しい患者さんはそのあとになりますと言われてしまった。それで、一応「7月10日(土)ころにお願いできたら」といい、またその1週間前に電話しますと伝えた。
そして1週間前の7月3日(土)の決まった時間帯に電話をした。その1日前にワクチン不足がニュースになっていたので、ヒヤヒヤしながら電話をしたのだけど、何度電話しても電話中で繋がらない。1時間半くらいの間に40回くらい電話しても繋がらず、もう制限時間ぎりぎりになって、やっと繋がったと思ったら、「本日、市の医師会からワクチン供給制限の連絡があり予約はお断りしています」と言われ、やっぱりだめだったかと諦め、市の接種会場のほうに連絡を取るしかないなと思ったら、「あ、7月10日14時に仮予約入っていますね」と言われ、ワクチン接種できることになった。6月に相談した時に言っていた希望を聞いて仮予約を入れていてくれていた。ほっと一安心。それで、2度目も自動的に予約されていた。この病院では、1週間に3回、病院の昼休み時間と休みの日に、ワクチン接種の日を作って実施していた。7月10日に病院に行くと10人くらいの人がいた。若い人もいる。すでに若い人たちにも接種券が送られているのだろうか。
実は10年近くかかっていた近所(歩いて30秒!)の内科医院が去年(2020年)11月、突然閉院してしまって、そのことを知らなかった私は、引継ぎのカルテや紹介状をもらうことなく、新しい病院を探すことになった。そして12月、手元にある資料(薬手帳、領収書、心臓弁膜症の手術をした先生のメモ用紙)だけをもって、この新しい病院に移った。なので、私はこの病院では新参者だった。なかなか引継ぎがうまくいかなくて、まだ十分手元にあって不要な薬も出てしまったり、必要な情報が伝わらなかったり、最初はなかなか意思の疎通がうまくいかず、2か月くらい前には、他の病院を探そうかとも思ったりしたけど、やっとうまくコミュニケーションができるようになってきたところだった。そして、このワクチン接種を迎えた。

先生が注射をした後、診察室の外で15分ほど待機して様子見。注射針を刺した時に痛かったけど、とりあえず問題はないようだった。そのあと家に帰り、しばらくしてから熱っぽいかなと思った。でも体温計で測ったほうがいいほどの熱ではなく、そのまま過ごす。ちょっとだるい感じはしたけど、パソコンに向かい、シネジャHP用の記事を打つ。明日日曜日がHPの更新日なので。次の日、パソコンに向かいつつ、なんとなく熱っぽいし、おまけに注射したところが昨日より痛い。それでもらっていた薬を飲む。それでも状態は変わらない。でもパソコンの原稿に集中していたら、いつのまにかその痛みも忘れていた。
2週間後の7月31日(土)、再度病院に行き、2回目の接種。看護師さんは1回目も2回目も次の日のほうが、発熱や痛みが出てくると言われ、2回目の方が痛かったり症状が強かったかもと言われていたので、ちょっと不安だった。確かに2回目のほうが、熱もあったようだし(そもそも注射した時点で、いつもより1度くらい高かった)、やはり注射したところが痛い。1回目と同じく、症状が出た時用にと出ていた薬を飲む。そして、シネマジャーナルHPの日曜更新のための原稿に集中。痛みはなかなかひかない。月曜日(2日後)も少し痛かったけど、そうしているうちに、気が付いたら痛みはなくなっていた。そんなこんなでなんとか無事にワクチン接種が済んだようなので一安心。
でも、新型コロナウイルスは、インドから広がった新しい変異型ウイルス「デルタ株」が広がり、さらに南米などから広がっている変異ウイルス「ラムダ株」などの確認もあり、油断を許さない。ワクチンを接種したからと言って安心はできないし、まだまだマスクも外せない。今、一番暑い時期なので、なんとかマスクをつけたくないのだけど、外に行く場合はそうもいかない。つけやすいマスクをみつけたいと、布製や冷っとするマスクとか、いくつか使ってみたけど、結局、不織布で作られた白いマスクが一番だった。サイズによっては1日中マスクをしているとひもをかけている耳の周りが痛くなる。100枚入りを買ってしまったので、無くなるまでは当分このマスクで行くしかないかな。このマスクの在庫が無くなる頃には、コロナ禍も収まっていてくれるといいのだけど…。
posted by akemi at 20:41| Comment(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする