2024年11月19日

ちょっと里帰り(白)

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ナナカマド

11月は母と弟の誕生日と父の命日が飛び飛びにやってきます。いつも涼しさを求めて夏に里帰りするのですが、高齢になった母が少しでも元気なうちに、と早くからバーゲン値段で飛行機のチケットをとっておきました。北海道は電車で行くには遠い。映画祭が終わった翌週5泊6日で出かけたので、家人には申し訳ないのですが勘弁して。
母と同居してくれている姉を温泉に送り出して、母を見ながら留守番に徹し、遠出はしませんでした。母は101歳、耳はますます遠く、足は弱くなりましたが這ってでもトイレに行き、新聞を天眼鏡で読んでいます。ベッドで横になると寝たきりになると思っているらしく、座椅子に寄りかかって居眠りしながら「眠っていない」と言い張る母(笑)。老々介護の姉と両方の不満や愚痴を聞くのが、私のできること。

姉は2泊して充電できたと帰ってきました。これから先はもっと外の助けが必要になります。今介護中の方々は頑張りすぎないように、くれぐれも。自分のご機嫌取りも忘れずに。
人生100年時代を乗り越えた母が残る時間を穏やかに過ごせますように。みんな行く道です(100歳は想像できない)。

20年以上前の父の葬儀のときは積雪がありましたが、年々雪は遅く少なくなっています。今年は一度降って溶けてしまっていたのに、帰る日になって朝から横殴りに吹雪ました。夜便の飛行機は羽田の混雑で遅れ、真夜中に無事帰宅。(白)


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2024年09月08日

第29回「あいち国際女性映画祭2024」に来ています(暁)

2024年9月5日(木)〜8日(日)にウイルあいちで開催されている「あいち国際女性映画祭2024」に来ています。1996年から始まったこの映画祭ですが、1回目から参加しています。途中、コロナ禍などもあり、6回くらい参加していませんが、あとは毎年、東京から通っています。会社勤めの頃は土日しか行くことができませんでしたがリタイアし、この10数年は全日滞在しています。
このあいち国際女性映画祭開始2年前の1994年に名古屋で行われた「アジア文化交流祭」に張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督(『青春祭』『おはよう北京』『雲南物語』)が来るというので、初めて名古屋遠征をしたのですが、ここで高野史枝さん(映画ライター)や木全純治さん(元シネマスコーレ支配人)と知り合ったことがきっかけで、名古屋の映画関係の人たちと繋がりができ、1996年に「あいち国際女性映画祭が始まるからぜひ来て」と言われ参加したのがきっかけでした。高野さんは1回目から15回目くらいまでこの映画祭の司会をしていましたし、知り合ったあと、シネマジャーナル本誌に記事を書いてくれるようになりました。あいち国際女性映画祭のレポートも、つい最近まで書いてくれました。木全さんは、第1回目からこの映画祭のディレクターで、出会った頃からシネマスコーレでシネマジャーナル本誌を置いてくれています。そのへんのいきさつは下記記事を参照ください。また、本誌37号に掲載された「第一回あいち国際女性映画祭レポート」がネッにアップされています!
*参照記事 シネマジャーナルHP
(本誌在庫のない号の記事をHPで紹介しています)
・本誌  No.30 1994 September P64 -- 65より
「張暖忻監督に会いに名古屋のアジア文化交流祭に行く」はこちら
・本誌 No.31 1994 December pp. 40 -- 42より
「第三回NAGOYAアジア文化交流祭報告」はこちら
・本誌 No.33 1995 June pp. 48 -- 49より
雲南物語 張暖忻(チャン・ヌアンシン)監督作品はこちら
・本誌 No.37 1996 June p.34--39
「あいち国際女性映画祭96」記事はこちら
・No.37 目次

それから29年もたちました。時間のたつのは早いです。4日に記者会見があるので、4日から名古屋入りしました。会場のウイルあいちは宿泊施設があるのですが、3日間までしか宿泊できず、名古屋駅そばのミッドランドスクエアシネマ2でも映画祭作品の上映があるので、ここ数年は、前半は駅のそばの東横インに宿を取り、後半をウイルあいちでの宿泊に切り替えています。ウイルあいちは名古屋駅からバスで15分くらいの所にあり、元気な時はバスで行き来をしていましたが、心臓手術をしてからは、歩く速さが人の3倍くらいかかるので、ホテルから名古屋駅のバス停まで10分くらいかかり、ウイルあいちそばのバス停で降りてからウイルあいちまで10分くらい歩くようになってしまったので、駅前のホテルとウイルあいちの移動はタクシー利用が増えました。暑いのもあります。今年も残暑が厳しいです。
4日の記者会見には『ジンセン・ボーイ』のチョ・ハンビョル監督、出演のカン・ジヨン(知英)さん、イ・ジュウォンさん、『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督、『アディクトを待ちながら』のナカムラサヤカ監督、青木さやかさん、『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』の阿部櫻子監督が参加されました。レポートは映画祭報告コーナーに掲載予定です。

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記者会見にて 左からチョ・ハンビョル監督、出演のカン・ジヨン(知英)さん、イ・ジュウォンさん、瑚海みどり監督、ナカムラサヤカ監督、出演の青木さやかさん、阿部櫻子監督

*『99%、いつも曇り』の瑚海みどり監督にはインタビューしています。記事はこちら

「寅に翼」のロケ地名古屋市市政資料館
ウイルあいちの道路を挟んだ向いには「名古屋市市政資料館」(「旧名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎」として1922(大正11)年に建設された建物)があるのですが、なんとここは、今、NHKで放映されている朝ドラ「寅に翼」のロケ地になっていたのでした。この朝ドラを見ていますが、ロケ地になっていたことは映画祭に行く前日、高野さんに知らされるまで知りませんでした。ここは映画祭の1回目の時に見学に行った記憶はありますが、詳しい造りまでは覚えていなかったので、朝ドラの中で「東京地方裁判所」として出てきたのに気がつきませんでした。記者会見のあと、さっそく29年ぶりに見学に行きました。

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ドラマの中では、裁判所の階段のシーンが印象に残っていますが、そこがこの「名古屋市市政資料館」の入ってすぐのところにある中央階段でした。他にも出てきていたのでしょうが、今となってはどの部分だったかはわからずです。
このドラマのモデルになっている三淵嘉子さんは、女性で初めて判事に昇進した人ですが、その時、名古屋地裁へ赴任。実際にこの場所で働いていたそうです。ウイルあいちに来た時、いつもこの建物を見ていたのですが、そこが朝ドラのロケ地になっていたとはびっくりでした。
戦後、新憲法ができ、憲法24条に婚姻の自由や、個人の尊厳、両性の平等が織り込まれ、そのことがこのドラマでも何度も出てきましたが、新憲法ができた最初の話題の中で、主人公寅の友人よねが「ほんとうは日本人で作りたかった」と言うシーンがありました。その言葉だけだったのですが、私はこれにはちょっと補足がほしいと思いました。私もそうは思いますが、あの当時、日本人だけで作ったら、男女平等の考え方が織り込まれた憲法ができていたでしょうか。だから「だけど、日本人だけで作ったら男女平等が織り込まれたものができただろうか」みたいな言葉を補足してほしかったなと思いました。その後の話の中で、旧態然たる家父長制をよしとする法曹界のドンが出てきて、当時の上に立つ人たちの考え方を示し、これじゃだめだとドラマを見ている人にアピールしていたと思うけど、やはり補足はほしかった。

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憲法草案にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンさんのことが『ベアテの贈りもの』(2004)という映画の中で描かれています。ベアテさんは子供の頃を日本で過ごし、戦前の日本女性の地位というのを見て育ちました。戦後、進駐軍の通訳として日本に赴任し、この憲法草案に関わり24条の元を作った方です。シネマジャーナルでは、2004年にこの作品が東京国際女性映画祭で上映された時にベアテ・シロタ・ゴードンさん、公開時に藤原智子監督にインタビューしています。またベアテさんの24条草案にも触れています。よかったら読んでみてください。24条が出来上がった背景がわかると思います。

『ベアテの贈りもの』インタビュー
1. ベアテ・シロタ・ゴードンさんインタビュー
2. 藤原智子監督インタビュー 
3. 憲法24条の解説
http://www.cinemajournal.net/special/2005/beate/index.html

【名古屋市市政資料館】資料
〒461-0011名古屋市東区白壁一丁目3番地
開館時間:9:00〜17:00
入館料 :無料
休館日:月曜日(休日の場合は直後の平日)第3木曜日(休日の場合は第4木曜日) 12月29日から1月3日
http://www.city.nagoya.jp/shisei/category/52-7-4-0-0-0-0-0-0-0.html

長々と「虎に翼」に関連して、憲法にまつわる話を書いてしまいましたが、あいち国際女性映画祭に戻します。

9月4日(水)名古屋市市政資料館を出たあと、このあいち国際女性映画祭が始まった時、来るよう誘ってくれた高野史枝さんの新宅へ。彼女は2年程前、実母の介護の途中で、自身が脳梗塞になり、その後、大腿部骨折もしてしまい、すっかり身体の自由が利かなくなってしまったけど、一生懸命リハビリをして、今では一人で歩けるようにはなったそう。だけど、やはり一人で出かけるのは今は無理とのことで映画祭には参加できないようでした。前の家は名古屋から1時間くらいかかる場所に住んでいましたが、名古屋中心部に近いところに住む友人のマンションに空ができ、1年かかって前の家を片付けたり、売ったりして、今年1月、新しい場所へ引っ越しすることができたそうです。彼女が引越ししたマンションは、名古屋市内になり、友人が訪ねてきてくれたり、マンション内で趣味のグループの集いなどもあり、新生活を楽しんでいました。そして、魚のおいしい店に連れて行ってくれました。おいしいアジフライと新秋刀魚の塩焼きをいただきました。そして、1年ぶりのおしゃべりも。
この高野さん宅訪問は、2018年のあいち国際女性映画祭の時、ウイルあいち宿泊者同士で知り合った上越市で自主上映活動をしている小出優子さんもご一緒しました。知り合った2018年の11月に『ベアテの贈りもの』を上映予定で、その話で意気投合しました。高野史枝さんを紹介したら、高野さんが監督した『厨房男子』の上越市での上映会を企画してくれました。高野さんの監督2作目『おっさんずルネッサンス』の上映会も開催したそうです。
2020年から2023年はコロナ禍でこの映画祭に来ることができませんでしたが、去年(2023)再会。小出さんも今年のあいち国際女性映画祭に参加したのですが、夕食をご一緒できたのは、この時だけでした。同じ映画を観ているのに会えなかったのです。ひとえに私の行動がのろくなっているせいなのですが、「同じ映画を観ているのに会えないって」と、メールと電話でやりとりしました。後半2日、やっと映画祭会場で会えましたが、食事タイムは折り合わず、最終日にランチしただけでした。

*参照記事
『厨房男子』高野史枝監督インタビューはこちら
『おっさんずルネッサンス』高野史枝監督インタビューはこちら

あいち国際女性映画祭で観た作品

9月5日(木)
1年ぶりにこのホテルに泊まったけど、東横インは朝食がついているのをすっかり忘れ、前日、朝食用のパンをたくさん買ってしまいました。2日分くらい買ってしまって、なんてこったです。朝はそれを食べ、9時すぎにホテルを出てウイルあいちへ。
ウイルあいちで『盛夏の聲』と『ジンセンボーイ』を観たあと、名古屋駅のほうに移動し、ミッドランドスクエア シネマ2『ミルクティーを待ちながら』へ。もうひとりのシネジャスタッフであるSさんとは、この日、まるっきり同じ作品を観る予定だったので、ミッドランドスクエア シネマ2まではタクシーで一緒に移動。映画が始まる前に劇場近くのワインと食事の店に入り、しらうお入りのピザとスペイン風オムレツを食べ、18:30からの映画に臨みました。スタッフ同士とはいえ、名古屋と東京ではなかなか会う機会もなく、1年ぶりの再会でした。映画を観たあと、彼女のことを探したけどわからず、1階のロビーにいた時、彼女から声がかかりびっくり。帽子とマスクで最初は誰だかわからない状態。すごく痩せていました。体調が悪いと言っていたけど、そんなに痩せていたとは。映画も以前は年間600本以上観ていたのに、今は半分くらいと言っていた。

6日(金)
この日も朝10時からウイルあいちで上映される『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』を観るために、朝9時半頃、ホテルの前でタクシーに乗ろうと思ったけど、なかなか捕まらず、ちょっとあせりました。
『パルバティ・バウル 黄金の河を渡って』は、4日の記者会見での阿部櫻子監督の話を聞いて、ぜひ観てみたいと思った作品でした。監督は約30年前インドに留学していた時、この主人公と知り合ったそうですが、吟遊行者「バウル」の道に入ったパルバティを追った作品。
2本目の『真昼の女』は、1920年代のドイツで、医師を志すユダヤ人女性が主人公。2つの大戦を背景に力強く生き抜いた女性の半生を描く作品でした。

7日(土)
この日は、ホテルからウイルあいちの宿泊室への移動で荷物をたくさん持って、ウイルあいちへ。映画はオーストラリアの作品『3つのコードと真実』。かつて女性版ボブ・ディランと称されたミュージシャンのアンジーは、3度目のがん宣告を受け、経済的に困窮しながらも最期のアルバムを作ろうとしていた。そんな時、父親の元を飛び出し放浪していた少女ルビーと出会い、心さまよう彼女に曲作りを教える。自身もがん闘病中のジャッキー・マーシャルがアンジーを熱演。
このあと恩田千佐子アナウンサー講演会「すべてが生きる糧」に出席する予定だったけど、映画祭が始まってからのまとめが全然できていなかったので、宿泊室に入れるまで、控室で記者会見で撮った写真の整理。
15時にウイルあいち宿泊室に入れたので、大荷物を開け、必要なものだけにして、また写真整理。17時すぎに授賞式の写真を撮るため、3階の会議室へ行ったけどまだ短編集は終わっていなかった。結局18時頃授賞式が始まったけど、私は勘違いしていて、授賞式のあと『ベイルートの失われた心と夢』を観たいと思っていたけど、これは授賞式の前に上映されてしまっていた。確認すればよかった。

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フィルム・コンペティションの受賞者の皆さん


詳細はこちら

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2024年07月28日

『帰って来たドラゴン』リマスター版を50年ぶりに上映

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7月27日(土)新宿武蔵野館にて上映後、倉田保昭さん、ゲストにアクション監督でお忙しい谷垣健治さん、師弟並んでの舞台挨拶が行われました。
1974年、この作品を持って日本凱旋を果たして50年。今も新作を作られるほど現役の倉田さんは1946年生まれ。78歳ですが、姿勢がよくて白いスーツがお似合いです。ブルース・リーのスーツがカッコよくて真似して作られたんだそうです。50年経っても、ちゃんと着られるってすごいです。「香港アクションスター交友録」の表紙がこのスーツでした。

先に全身の画像をお見せしちゃいましたが、後で書き起こしをアップしますね。実はこの土日ポケモンのイベントに時間をとられて、ちっとも書きおこし進みませんでした。すみません!!
☆舞台挨拶をほぼ書き起こしました。こちらです。

併映の短編は週替わりで上映なので、何度でもお出かけください。
7月24日発売の倉田保昭著「帰って来たドラゴン」は武蔵野館の売店でも入手できます。撮影エピソードなど盛りだくさん!
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作品紹介はこちら

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2024年06月30日

『SILENT FALLOUT』の米大陸上映ツアーが始まるそうです(暁)

放射線を浴びたX年後』(2013)、『放射線を浴びたX年後2』〈2015)を製作した伊東英朗監督。第3弾として製作された『サイレント フォールアウト』(放射線を浴びたX年後V サイレント・フォールアウト 乳歯が語る大陸汚染)。前2作ではビキニでの水爆実験による影響を伝えたのに対し、第3弾ではアメリカでの核実験による被爆について語り、それをアメリカで上映したいとクラウドファンディングで支援、応援を呼び掛けていましたが、いよいよアメリカでのツアーが7月11日(木)から8月21(水)日までの予定でツアーが行われるようです。
英語タイトルは『SILENT FALLOUT』。

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●ドキュメンタリー映画『SILENT FALLOUT』
2023年製作(日本) 76分
日本人である伊東英朗監督が、米国における放射能汚染の蔓延と、それに立ち向かった母親たちの知られざる物語を描いた衝撃的なドキュメンタリー。
映画は、5章で構成。
第1章では1951年に始まったネバダ核実験場(爆心地)周辺の被害実態、
第2章では、アメリカ大陸の放射能汚染の証明へと進む。
第3章では、爆心地から数百マイル離れたセントルイスで、女性医師ルイーズ・ライス博士が中心となり、子どもたちの乳歯を集め、歯に残るストロンチウム90によってアメリカの子どもたちが被曝していたことを証明。さらに全米で巻き起こる女性たちの行動によって、ケネディ大統領の大気圏内核実験中止宣言へとつながっていく。ルイーズの息子エリックの「5歳の時、ケネディ大統領から母への電話をとった」証言は、この映画の一つのピークともいえる。
しかし、最終章では、アメリカ大陸の放射能汚染が、ネバダ核実験によるものだけではなかったことを地質学者が証言。さらに、現在のアメリカ大陸の放射能汚染の実態を証言する。そして、日本のマグロ漁船の被害、モルモットにされたイギリス兵士の証言から、核兵器による被害の大きさを描き、映画は、女性たちの声で締めくくられる。
『サイレント・フォールアウト』 は、核兵器を手に入れるために行った実験によって、アメリカ大陸が広く放射能汚染、国民が被曝させられている事実を伝えようとしている。

主な日程
7月16日(人類史上初となる原爆実験成功の「トリニティの日」)は、アメリカン大学で、原子力研究所所長ピーターカズニック教授やエネルギー環境研究所所長アルジュン・マキジャニ博士と監督が、パネルディスカッションを行います。
8月6日(広島原爆)はローレンスリバモワの集会でスピーチ。
8月9日(長崎原爆)はオークランドで上映。

詳細は「おすすめ映画&イベント」コーナーにアップしたので、そちらをごらんください。
核兵器実験による米大陸の放射能汚染を問いかける旅
映画『SILENT FALLOUT』
http://cineja4bestfilm.seesaa.net/article/503820081.html

また、日本での『サイレント フォールアウト』上映情報は下記をごらんください。
『サイレント フォールアウト』上映会開催情報 2024年6月〜
http://cineja4bestfilm.seesaa.net/article/503455912.html

posted by akemi at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本の紹介 フィルムを紡ぐ 映画編集者 南とめ 聴き書き

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フィルムを紡ぐ 映画編集者 南とめ 聴き書き
著者:南とめ
聞き手=宮重淑子
編集=稲川方人/青木眞弥(キネマ旬報社)
発行=株式会社パンドラ
販売価格1500円+税=(\1,650)
A5 判/約180 ページ/並製

ネガフィルムの編集者として活躍した南とめさんへの聴き書きをまとめたもの。
TVドラマの編集助手をしていた宮重叔子さんが、映画配給や出版などを手掛ける(株)パンドラに勤務し、約30年前に南とめさんに取材したものの出版できないままになっていた聴き書き原稿が戸棚に眠っていました。2022年、国立映画アーカイブで「日本の女性映画人」という企画が始まり、日本の女性監督、脚本家、編集者などが取り上げられ、その機会に、この30年前の聴き書きを本にしようということになったそうです。

かつて映画はフィルムで撮影・編集していました。脚本や撮影中の記録に基づきポジフィルムの編集者が1本の作品に仕上げ、それに忠実に従いネガフィルムへと編集する。南とめさんはネガフィルムの編集者として、1933年の木村荘十二監督作『ほろよひ人生』に始まり、数百本の作品を手掛けました。その南とめさんの仕事人生を綴っています。
映画のことを語るとき、監督や俳優がどうしても注目されますが、映画を作るにはたくさんの人の協力が必要です。これは、日本映画を裏で支えた人の映画史でもあります。

南とめさん紹介 パンドラHPより
1910 年6 月18 日〜 2004 年5 月16 日
ネガ編集を手掛けた作品。『影武者』(1980年/黒澤明監督)『乱』(1985年/黒澤明監督)『ヒポクラテスたち』(1980年/大森一樹監督)『犬神家の一族』(1976年/市川崑監督)他多数。1985年エランドール賞特別功労賞/第10回エイボン女性年度賞功績賞/第14回日本アカデミー賞特別賞/第50回毎日映画コンクール特別賞受賞。

目次:
はしめに | 宮重淑子

第1章 富山の新湊から大阪、そして映画の世界へ
第2章 裏方の裏方のもう一つ裏方
第3章 鵜川疎開時代
第4章 人の三倍、四倍は働いた
第5章 映画の仕事は一日やったらやめられない

編集部注
南とめさんという人 | 高倉三郎
南とめ 主な担当作品

2024年4月下旬発行 書店では流通していません。
映画配給会社パンドラのオンラインマーケットにて受け付け。
https://pandora-films-shop.stores.jp/items/65e5744c8eae8004135e682b

あるいはパンドラまで(E-mail:kibou@pan-dora.co.jp)
※送料は購入者負担。
メール 件名に【「フィルムを紡ぐ」購入希望】と記入
@氏名 A購入希望冊数 B送付先の郵便番号、住所 C電話番号を記入の上連絡。

本書は下記劇場窓口や書店でも販売中
ユーロスペース/横浜シネマリン/シネマスコーレ
ヒューマントラストシネマ有楽町
ヒューマントラストシネマ渋谷
テアトル新宿/キネカ大森/テアトル梅田
シネ・リーブル神戸/シネ・リーブル池袋 
シネマ・ジャック&ベティ
古書往来座(東京都豊島区)/シアターキノ
ラピュタ阿佐ヶ谷/模索舎

まとめ(暁)
posted by akemi at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする